Monday, February 27, 2006

虐待とは?

虐待による脳の損傷

脳と記憶の関係について、わたしの可能な範囲でまとめてみた。
記憶を保存するのに重要な働きをするのは、海馬である。海馬は簡単に言えば、短期記憶を長期記憶の倉庫へと運ぶ働きをしている。

体験の一部が海馬に一度貯蔵され、その後視覚なら視覚野へ、聴覚なら聴覚野というように、それぞれに運ばれ、そこで安定した記憶情報となる。それらが側頭葉連合野で統合され、視覚像、聴覚的記憶、体性記憶などが一体化した記憶としてまとめられるのである。

そうすると、海馬は体験を記憶と帰るために重要な役割を果たしていることが分かる。海馬損傷の患者の場合、損傷以降の体験は長期記憶として取り込まれず、それ以前の記憶が残っている。
それらの超長期記憶は側頭葉連合野に残っている。

つまり、海馬が正常に働いている時に側頭葉連合野に残された記憶はそのまま保存され、側頭連合野へと運ぶ原滝のある海馬が損傷してからは、体験が長期記憶へとならないために、残らない。

また、この海馬はストレスに弱いことが分かってきている。
何らかの物理的な衝撃が無くても、ストレスによって損傷することもあるのだ。実際、被虐待者の場合には通常よりも一二%減少している。
被虐待者の抑圧や解離などの健忘は、脳の働きの低下からなるという考え方もできるのである。

いずれにせよ、子どもにとってその記憶を覚えておくことは非常に危険であり、その記憶を思い出すと生きていくことが困難になるので記憶の再生に障害をきたすのである。

虐待と他の心的外傷体験との違いは、繰り返されること、加害者は自分の知り合い(ほとんどが親)であることがあげられる。

一度きりの心的外傷体験者はそのトラウマ体験を覚えていることが多い。
しかし、内容が曖昧であったり、加害者を誤って覚えていたりすることはある。一度しか体験せず、しかも危険の中での記憶なので、その記憶があいまいであってもそれは理解できる。

では、虐待のように何度も繰り返される心的外傷体験はどうか。
加害者の顔も、状況も正確に覚えることができるはずだ。
しかし、多くの被虐待者は虐待されていた記憶を再生できない場合が多い

それは、加害者が知り合いであるためにその記憶を覚えておくことはとても危険であると共に、何度も繰り返されることによって防衛手段を身に付けることができるからだ
その一つとして記憶を抑圧して、なかったことにするということが起こる。
ただし抑圧は健忘ではなく、忘れているわけではないので、抑圧が解けて戻ってきた記憶はほぼ正確である。

くりかえしトラウマ体験をした子供たちのほうが、単一の体験をした子供たちよりも、虐待者についての間違いが少ない。
虐待をくりかえす者は強制収容所の警備員や刑務所の看守と同じだ。
性的虐待を受ける子供は加害者に管理、されている。被害者は逃れられない。
此れが単一の被害体験と複数回の被害体験の子供の違いだ。


抑圧と忘却の違い

虐待という心的外傷を受けた人の中には、記憶の封印をしてしまう人がいる
抑圧とは、想起することによる恐怖などの苦痛を避けるために、想起することを抑制する努力を重ねるうちに、意識することなく自然に心的外傷体験が記憶から消されたかのように見えるようになった状態である。

まず、辛い出来事を一時、心から押しのける。
フロイト以後の防衛規制の研究家は、此れを抑制と呼んできた。
フロイト自身はウンダートゥリュックング、(押しこめること)と呼んだ。
抑制は、一時的で意識的な営為である。
つらい問題をしばらく棚上げにしておきたいのだ。
理論的には、抑制した者はいつでも再び辛い問題に戻って考えることができる。
だが、子供の場合、抑制は抑圧への一里塚であることが多い。

フロイトは抑圧をフェルドゥレングング、(押しのけること)と呼んだ。押しのけられた記憶はかんたんに、そして永久に意識から取り除かれてしまう。
一部の子供、とくにすでにトラウマ体験を有している子供の場合、この作用は単純でほとんど自動的に起こる。


何度もその苦痛の体験を拒否し、抑制しているうちに、それはいつのまにか自分の意志に関係なく、抑圧されてしまうのだ。
しかしそれは封印であり、決して消えたわけではない。忘れたのではなく、思い出せない、もしくは思い出さないのだ。
ここで、判断が難しい忘却と抑圧の違いを考える。
どちらも記憶が無いという点では同じである、忘却と抑圧の違いをテアは法廷で、おばあさんのブローチを例に説明している。

たとえば、遺言か何かで、あなたがおばあさんのブローチをもらったとしる。おばあさんとの関係は良好だった。
すてきなブローチだ。あなたは引き出しの奥にしまう。
二十年後、あるブラウスを着て思う。そうそう、引き出しの奥にブローチがあったっけ、探すと、たしかにブローチはある。
此れが忘れていた、ということだ。
別にこだわっていない記憶だ。
ほとんどのときは念頭にないけれど、二十年後、ブローチを探そうとすれば、どこにあるのかわかる。
さて、おばあさんが恐ろしい死に方をしたとする。
おばあさんは死んだとき、そのブローチをつけていた。
警察がもってきたブローチには血がついていました。
ブローチをきれいに洗って、引き出しの奥にしまいる。
ブローチについて、非常に強力な、だが無意識の抑圧が働いたとしる。気持ちのなかで、ブローチは苦痛、トラウマ、恐怖と結びついたのだ。
そうなるとブローチのことをぜんぜん思い出さない。

ただ、目の前で誰かが血を流したり、同じような事故にあったり、おばあさんによく似た人に出会えばべつだ。
そのとき、ふいにブローチの記憶が甦る。
ブローチのことを考えるのはいい気持ちがしないでしょう。
ブローチが引き出しの奥にあるのはわかっているかもしれない。
ブローチを見に行くかどうか、それはわからない。
それは能動的な記憶の抑圧だ
、だ。

そうした記憶は、存在しないかのようだ。でも、誰かが血を流しているのを見たり、おばあさんに似た人に出会ったりすると、どっと記憶が甦ってしまう。


忘却の恩恵

忘却は、自分にとってさほど重要ではなく、常に気に留めておくものではないために、忘れてしまうという行為である。

ところが抑圧は、重要であるが故に思い出さないようにしてしまうのである。
能動的ではあっても、無意識であるというところに抑圧の難しさがあるのだろう。

意識しないうちに、記憶は消えたかのようになってしまい、血を流しているのを見た時に動揺したとしても、何故なのかが分からない

何故なのかが分からないために、とても苦しい。
そして、たとえ抑圧していた記憶が甦ったとしても、それは苦痛、トラウマ、恐怖と強く結びついた記憶であり、さらに苦しい思いをする

忘却と抑圧は、他者から見れば同じように見えてしまうかもしれないが、大きく異なるのだ。

記憶を失っている場合には、二つ考えられる。一つは虐待を受けている時は認識しているが、その後でそのことをなかったことにしてしまう抑圧がある。
もう一つは虐待が行われている時から、解離してなかったことにしてしまうか、もしくは他の人格に被虐待児の役割を渡してしまう場合だ。

解離とは、繰り返し虐待を受けているうちに防衛手段として身に付いてしまうもので、窮地に陥ると自己催眠によって自分の意識を飛ばしてしまうというものだ
この解離は被虐待者の大きな特徴でもある。

抑圧の場合、記憶は決して消滅したわけではなく、思い出せない、あるいは思い出さないのであり、甦った記憶はほぼ正確だ。
しかし解離の場合、自分の身体から離れた意識が自分を見ていない限り、全く覚えていないことが多い。

解離して自分を見ている意識をレノア・テアは隠れた観察者、と言った。しかし、その隠れた観察者も本当に危険になった場合には出てきてはくれないのだ。

隠れた観察者をもっていて、解離状態でも自分を意識しているように見える患者がいる。
こうした患者の場合、虐待されている自分を子供部屋の天井から眺めていたり、窓から落ちていく自分を遠くでみていたりする。

だが、病的な激しい解離状態に陥るパトリシア・バートレット(解離性障害者仲間)のような人には、隠れた観察者はなかなか来てくれないらしい。
隠れた観察者がどれほどの時間そばで起こることを眺めているのか、予測するのはむずかしい。
ほとんどの場合、子供にとってとどまる、のは危険が大きすぎる。

観察者も失ってしまった場合、解離によって失った記憶が戻ってくることはほとんどない
戻ってきたとしても正確ではなかったり、抜けていたりする場合が多い。

通常、記憶は一つの流れとして認識されるが、解離を繰り返したり、解離性同一性障害であったりする場合、記憶は途切れ途切れとなってしまう。

また、解離と抑圧は異なるものであるが、記憶を喪失している者はどちらかだけを経験しているのではなく、どちらも経験していることが多い。


虐待とは???

するほうもされるほうも救われない。

わたしの友人が子供を虐待して、逮捕された
吃驚した。かわいがってるようにみえていたから。でもあれは、人形を可愛がるようなもので、生命として愛していなかったのだと、彼女を見て思った。
だから、オムツを汚すと怒る。ミルクを与えるのが面倒。風呂に入れるのが億劫。
でも、母娘揃って、ブランド用品で飾り立て、レースや縫いぐるみを宛がい、上等の親子を演じていたようだ。

内実は、一週間に一度、祖母に当たる母親に赤ん坊の風呂を任せ、部屋の掃除もせず、オムツも替えず、ミルクを気まぐれに口へ流し込むだけ。

だからミオちゃんは痩せていた。うちのわんこより軽かった。まだ一歳未満なのに、笑わない子供だった。

私自身が親とされてしまった人達から、性的虐待、暴行を受けていたので、親ってどんなものか理解できず、だからアドバイスなんてできなかった。

大体わたしは餓鬼が大嫌いだ。
何考えてる分からない不気味な生き物だ。
赤ん坊なんてぐにゃっとして、触りたくも無い。
だから、自分も虐待すると思う。
だからこそ、子供ができないよう、身を守っている。
SEXも大嫌い。

こうなった心の傷は、癒えるのだろうか?
いつか子供抱いて笑えるのか?
多分無理だ。
親って概念が分からない。親とは何か、生後二日で施設入りしたわたしには分からない。
六年後宛がわれた親と称する人達似たする感情は、唯単に食わせてもらうための手段、利用して金を引き出す道具でしかなかった。

甘えたい。でもどうやって甘えていいか分からない。
このところの幼児虐待は、ニュースで見る分には、冷静になれるけど、身近で起きた虐待は、非難できなかった。

わたしだって多分、赤ん坊の世話嫌がるだろうから。
抱くのも嫌だ。あのにおいや感触が気持ち悪い。
殺意さえ、ミオちゃんに感じていた。
他人の子供とちょっと会うのも嫌だった。
殺したくなった。
泣かれるともう、踏みつけて頭勝ち割りたくなった。
わたしは、罷り間違って餓鬼ができたら、間違いなく虐待するな


一寸見てみよう。

わたしの場合の虐待体験

自分のことを鑑みて思う。

幼いころ受けた、特に性的色合いの強い心と身体の傷は、何時になったら癒えるのだろう
父から受けた性器への観察、乳首をいじくられたこと。
母は娘の生理の有無や時期を事細かく書き留めチェックするし、遅れれば疑う。

たった十二歳のときに、だ。

体操部で着るレオタードを猥褻だと非難し、笑顔を媚びと叱咤し、彼氏ができれば電話を盗み聞き、手紙は必ず開封済み。

いなくなるまでは鬱陶しく、十六で独り暮らしをはじめた。
以来、親と暮らしていない。わたしが親と暮らしたのは十年間だけ。
其れも六歳から。

わたしの中では親という概念が欠落している。
生来全盲の人が、不自由を感じないのと同じだ。
いないのが、他人の中で冷たく怯えて生きるのが当たり前だったから、突然、「今日からこの人たちが親だ」と宛がわれても、非常に困り、かわいげのない女の子になるしかなかった。

親は後ろめたさか、過敏になり、異常に厳しくしつこく粘っこくなった。
胸が膨らみ始めたときの、あの恥辱が記憶から離れない。

「服を脱げ」
「三センチも高さがある」
「まだピンク色だ」
「やわらかいな」
「しゃぶっていいか」


此れって父親の言うこと???

わたしは親という概念が無いから、素直に憎めた。だから救われた。さっさと捨てられた。
親がいる家庭に憧れ、羨ましいけれど、憎めないのは苦しい


抑圧された虐待の記憶
加害者が知り合いであるということはどのような影響を与えるのだろうか。子どもは親が正しいと信じているので、親を正当化するために虐待を虐待ではないと思おうとする。
他人ならば悪者にして誰かに訴えることもできるだろう。

しかし、子どもは親を失うのが恐いのでそれができない
従って、自分の心の中で虐待という事実を否定し、取り込むのを拒否したり(解離)、思い出さないように抑圧したりしてしまう。

抑圧された記憶は何年もたって、なんらかの誘因によって解かれる。
誘因は匂いや色、音などの感覚刺激である場合もあるし、恐怖や怒り、悲しみなどの情動刺激である場合もある。

記憶を消す子供たちという本で紹介された、アイリーンは、我が子を見て、父に殺された友達の顔と重なって、殺人現場にいたことを思い出した。
わたし自身は友達が怒っている姿を見て虐待を受ける際の恐怖心が甦った。

しかし、誘因があればいつでも思い出せるわけではない。
何年も、あるいは何十年もの年月を経るのは、子どもだった被虐待者が成長し、加害者である親と離れ、安全な空間を得るからである。
その条件がなければ、抑圧が解かれることはない。被虐待者は安全だと感じて、やっと今までずっと送りつづけていた危険信号を緩めるのである。

ただし、安全な場所でその記憶の抑圧が解かれたとしても、苦しまないわけではない。
心的外傷の記憶は言語化されない記憶である。
通常の記憶は言語化され、物語化され、過去となる。

ところが、心的外傷の記憶は生々しい感覚とイメージとで成り立つ。
言葉にして記憶とされなかったトラウマ性記憶は過去とはならない。
何年たったとしてもその恐怖は生々しく、被虐待者に襲いかかるのだ。

被虐待者にとって、心的外傷体験である虐待は過去のものではない。


過誤記憶のでっちあげ

記憶を解いた被虐待者にとって、苦しめる要因がもう一つある。

それは、その記憶の正誤が分からないということだ

もう何年も前のことなので、それを証明することは難しい。
抑圧と忘却は違うものだが、その違いを理解できなければ、抑圧していた記憶の正確さを理解することもできず、過誤記憶false memoryを支持する人々の思惑通りになってしまう

過誤記憶論争によって、さらに多くのトラウマ被害者が傷付かないためにも、この忘却と抑圧の違いを理解することが大切なのだ。

過誤記憶については、アメリカで大きな問題となった。性的虐待で娘に訴えられた父親が、娘の記憶は過誤記憶だとして訴えたのである。

その夫婦は過誤記憶症候群基金(FMSF-False Memory Syndrome Foundation)という捏造された記憶によって子どもから告発された親を擁護する団体を作った。その考えを支援する専門家もいるが、戦い続けている専門家もいる。

『記憶を消す子供たち』の著者であるレノア・テアは、甦った記憶によって親を告発したアイリーン・フランクリンの検事側証人として立ち、様々な論文を出して擁護した。前半は優勢だったが、結局は敗北した。
それは捏造だったという結果ではなく、三〇年も前の出来事で証拠が不充分だっただけである。

過誤記憶として騒ぎ立てる親やマスコミに対して、社会レベルでの記憶の隠蔽謀議、として危険信号を発しているのは斉藤学氏だ。
彼は児童期性的虐待の研究によると、虚偽であった割合は二~七%だと述べている。

そして過誤記憶の騒ぎは、やっと声をあげ始めた被虐待者の小さな声を奪うことになるだろうと危惧している。しかし、続けて彼は言う。

このような無理な企てがいつまでも成功し続けるはずはない

フェミニズムが反動の嵐を受けながらも、現代の女性たちが安心して、保守化できるほどの成果を上げたように、家族の中で虐待され、緊張を強いられてきた者の声も当たり前のように受け入れられるようになるだろう。


虐待は誰の責任?

最近の虐待のニュースが増えているのを見ると、日本でも虐待が受け入れられつつあるのかとも思う。

わたしは、それだけ虐待が起こっているとして悲しむというよりは、やっと認識されて表に出てきたという思いで見ている。

自分が虐待をされたという記憶を思い出すことは、本人にとっても苦痛が伴うものである。
自分の愛すべき親を批判することになるからだ。

もしそれが誤りだと言われたら、嘘をついてまで親を批判する自分を責めることになるだろう。直接言われなくてもジャーナリストが過誤記憶を騒ぎ立てれば、記憶を甦らせた被虐待者は自責の念にかられてしまう。

また、突然被虐待者として生きていかなければならなくなることも苦しい。心的外傷を受けた人々に関する本を読めば特徴が書いてあり、それらの多くは自分に当てはまる。
自分はトラウマを持ち、問題のある、異質な存在なのだと自覚し、受け入れることは大変な作業である。

そうしたことからも、甦った記憶の正誤を問うこと自体、検討違いではないかとわたしは考える。
もちろん、裁判になればその正誤は問われることになるだろう。しかし、その虐待を受けて傷付いた者が立ち直るためには、記憶の正誤は関係無い。

問題なのは、なぜそのような記憶を持つかであり、それと向き合い乗り越えていくことなのである。

記憶の正誤にばかり気を取られ、正しいと躍起になって主張しようとする間は、回復の段階に入ることはできないだろう

また、臨床家も裁判官ではないことを認識し、記憶の正誤に言及するのではなく、被害者の声に耳を傾け、苦しみを過去にする作業の手立てをしなければならない。

Thursday, February 23, 2006

心が怪我をしたら

トラウマとは?

トラウマ、という言葉を最近ではよく耳にするようになってきた。

トラウマは心的外傷と訳されている。
心の傷ということだが、心の傷とはなにかを定義することは難しい。

トラウマについて現在一番使われている、アメリカ精神医学会のDSM-IV神疾患の診断、統計マニュアルでは次のように定義している。

(一)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した
(二)患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである

しかし、この定義も診断、統計マニュアルが改訂される度に変えられている。
それ程、トラウマを言葉で定義するのは難しい。
そして、その難しい定義を敢えて行っうために、とても分かりにくい。
精神科医でもあり、臨床心理士でもある小西聖子はトラウマとなるような出来事の特性を具体的に述べている。

最初にできごとが予測不能であること。
これからどういうことが起こっていくか、このあとどうなっていくかがわからない、ということがあげられる。

二番目の特徴は、コントロールできないこと。自分の力では自態を操ることが全くできないことだ。

三番目に、起こっているできごとが非常に残虐なものであったり、グロテスクなものであったりする、これもトラウマとなるような出来事の特徴といえる。

四番目に、自分が愛している人や大事にしている何かを失うこと、すなわち対象の喪失が起こることだ。

五番目に、暴力的なできごとはトラウマをもたらしやすいことがあげられる。

最後に、そのできごとによって起こってくる結果に対して、実際に自分に責任があると思われたり、あるいは、主観的に責任があるとどうしても感じられたりすること、そういうこともトラウマをもたらすようなできごとの特徴であるともいえる。

こう考えると、自然災害や事故、戦争、傷害事件、性犯罪、そして虐待もトラウマ体験となり得ることが分かる。

トラウマ体験自体の質の違いもその後の影響に関係するのだろうが、主体的な感情としての恐怖感や不安、絶望感なども大きく関係する。
当然、個人差というのも生じる。

同じようなトラウマ体験を経験しても、それ程苦労せずに乗り切れる人もいれば、長い間影響を受け続けて生活までもが変わってしまう人もいる。

だが、その個人差は乗り切れない人を責める要素にはなりえない。
どんな人でも、心的外傷を得れば、簡単に乗り越えることはできないと考えるべきだ。

乗り切ることのできない苦しみは、本人が一番感じているのだ。
其処へ追い討ちをかけるように、責めるようなことをすれば、回復はさらに遅れていくことになるだろう。

トラウマは心の傷だが、すぐに回復できるような心の傷は誰もが経験しているだろう。
そういった傷とトラウマとの違いは何か。

その違いの一つとして、その後の生活への影響の有無が挙げられる。
例えば、いつも通る帰り道でレイプにあったとする。
すると、その道はもう二度と通れなくなる。
通ろうとすると恐怖で身体に異常をきたす。
そうすれば、そのレイプはトラウマ体験となる。

其の心的外傷後の影響をPTSD、心的外傷後ストレス障害と呼んでいる。


急性ストレス障害のポイント

心的外傷的体験の直後に起こる症状はASD(Acute Stress Disorder)、急性ストレス障害という名称でまとめられている。

A.その人は、以下の二つがともに認められる外傷性の出来事に暴露されたことがある。
  (一)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し、または直面した。
  (二)その人の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである。

B.苦痛な出来事を体験している間、またはその後に、以下の解離性症状の三つ(またはそれ以上)がある。
  (一)麻痺した、孤立した、または感情反応がないという主観的感覚
  (二)自分の周囲に対する注意の減弱(例:“ぼうっとしている”)
  (三)現実感消失
  (四)離人症
  (五)解離性健忘(すなわち、外傷の重要な側面の想起不能)

C.外傷的な出来事は、少なくとも以下の一つの形で再体験され続けている:反復する心象、思考、夢、錯覚、フラッシュバックのエピソード、またはもとの体験を再体験する感覚、または外傷的な出来事を想起させるものに暴露されたときの苦痛。

D.外傷を想起させる刺激(思考、感情、会話、活動、場所、人物)の著しい回避。

E.強い不安症状または覚醒の亢進(例:睡眠障害、易刺激性、集中困難、過度の警戒心、過剰な驚愕反応、運動性不安)。

F.其の障害、臨床上著しい苦痛または、社会的、商業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。または外傷的な体験を家族に話すことで必要な助けを得、人的資源を動因するなど、必要な課題を遂行する能力を障害している。

G.其の障害は、最低二日間、最大四週間継続し、外傷的出来事の四週間以内に起こっている。

H.障害が、物質(例:乱用薬物、投薬)または一般身体疾患の直接的な生理学的作用によるものでなく、短期精神病性ではうまく説明されず、すでに存在していた第一軸または第二軸の障害で単なる悪化でもない。

其れが一ヶ月以上続くと、PTSD(Posttraumatic Stress Disorder)、心的外傷後ストレス障害となる。PTSDは心的外傷後の様々な反応をまとめたものではあるが、精神的後遺症の総称ではない。
PTSD以外にも抑うつ的になったり、錯乱状態になったり、障害とまではいかなくても具合が悪くなったりすることもある。

PTSDに限定すれば、心的外傷後ストレス障害の診断基準について先程のDSM-IV精神疾患の診断、統計マニュアルでは、様々な面から設定している。

A.患者は、以下の二つが共に認められる外傷的な出来事に暴露されたことがある
 (一)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷をおうような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した。
 (二)患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである。子どもの場合はむしろ、まとまりのないまたは興奮した行動によって表現されることがある 。

B.外傷的な出来事が、以下の一つ(またはそれ以上)の形で再体験され続けている
 (一)出来事の反復的で侵入的で苦痛な想起で、それは心象、思考または知覚を含む。小さな子どもの場合、外傷の主題または側面を表現する遊びを繰り返すことがある。
 (二)出来事についての反復的で苦痛な夢。注意として、子どもの場合は、はっきりとした内容のない恐ろしい夢であることがある。
 (三)外傷的な出来事が再び起こっているかのように行動したり、感じたりする。その体験を再体験する感覚、錯覚、幻覚、および解離性フラッシュバックエピソードを含む、また、覚醒時または中毒時に怒るものも含む。
注意すべきは、小さい子どもの場合、外傷特異的な再演が行われ得ることだ。
 (四)外傷的出来事の一つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに暴露された場合に生じる、強い心理的苦痛。
 (五)外傷的出来事の一つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに爆発された場合の生じる理学的反応性。
C.以下の三つ(またはそれ以上)によって示される、(外傷以前には存在していなかった)外傷と関連した刺激の持続的回避と、全般的反応性の麻痺
 (一)外傷と関連した思考、感情または会話を回避しようとする努力
 (二)外傷を想起させる活動、場所または人物を避けようとする努力
 (三)外傷の重要な側面の想起不能
 (四)重要な活動への関心または参加の著しい減退
 (五)他の人から孤立している、あるいは疎遠になっているという感覚
 (六)感情の範囲の減少(例:愛の感情を持つことができない)
 (七)未来が短縮した感覚(例:仕事、結婚、子ども、または正常な一生を期待しない)

D.(外傷前には存在していなかった)持続的な覚醒亢進症状で、以下の二つ(またじゃそれ以上)によって示される
 (一)入眠困難または睡眠維持の困難
 (二)易刺激性または怒りの爆発
 (三)集中困難
 (四)過度の警戒心
 (五)過激な驚愕反応

E.障害(基準B,CおよびDの症状)の持続期間が一ヶ月以上

F.障害は、臨床的に著しい苦痛または、社会的、職業的または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている

*該当すれば特定せよ
 急性:症状の持続期間が三ヶ月未満の場合
 慢性:症状の持続期間が三ヶ月以上の場合

*該当すれば特定せよ
 発症遅延:症状の始まりがストレス因子から少なくとも六ヶ月の場合

しかし、これもトラウマの定義と同様、様々な症状があるものを定義するのは難しく、また歴史も浅いためにまだ流動的なものとなっている。

ハーマンやコークらが児童虐待によるPTSDはより複雑なために、異なる概念によって区別すべきだと提唱しているように、この定義に疑問を投げかけている専門家は多く、まだ明確な定義とは言えない。

しかし、人が衝撃的な出来事に曝された時、場合によっては修復困難なトラウマが生じ、心身に様々な症状が出るということが明らかである以上、この定義の論争はこれからも深められていくべきだろう。


PTSD

PTSDは阪神淡路大震災の時に、日本でも聞かれるようになったことは記憶に新しい。
其の後、最近では虐待や池田小連続殺傷事件等でもPTSDという言葉が出てくるようになった。

トラウマという言葉もいつの間にか、流行のようによく耳にするようになったように、PTSDもまた、徐々に耳にする機会が増えていくのだろう。
しかし、其処には利も害も伴う

安易に使われることによって本来の意味が薄れ、本当にPTSDで苦しんでいる人々の苦しみが軽く受け止められたり、PTSDという言葉が広まるにつれ、誤解が生じたりする場合もある。

そうなった場合、被害者は社会によって二次被害を受けることにもなりかねない。
この問題は特にナイーブなものであり、メディアでこの問題を扱う時には、慎重であらなければならないだろう。

メディアによって虐待は連鎖するといった誤解を招き、多くの被虐待者を苦しめているように、PTSDという言葉の普及がPTSDで苦しむ人々を、さらに追い詰めることにならないことを祈る。

PTSDには様々な症状があるが、それを大きく過覚醒、侵入、狭窄、の三つに分けることができる。

過覚醒は、PTSDの第一の主要症状であり、持続的な覚醒のことを言う。
心的外傷体験と同じ危険がまた襲ってくるのではないかと、常に緊張した状態になり、些細なことに過敏に反応して苛立つ
また、リラックスを必要とする睡眠が妨げられる
危険な状態に遭遇したのだから、その状況から逃れられたとしても、すぐには安心できないのは当然だろう。

恐怖が心に居座り、脅えた状態が続き、例えばドアの開く音など一寸した物音に敏感に反応したり、何気ない言葉に興奮したりしてしまう。
この状態が続くということは、体力をかなり消耗することになる。安心した生活ができないということは、心と身体を休めたり、癒したりすることができずに、疲れ果てることとなる
このことは、他の症状を強化する原因ともなる。

侵入とは再体験のことだ。
PTSD患者は心的外傷体験から長期間過ぎても、その危険を何度も再体験する。誘因が無くても、突然事件がフラッシュバックしたり、睡眠時に外傷性悪夢をみたりする
其れはまるでビデオフィルムを巻き戻し、何度も再生されるようなもので、同じような映像や体験が繰り返される。

此れ等は自分の意志でコントロールすることができず、突然起こり、止めることもできない
また、その再体験には感情も伴う。まさに今体験しているかのように、恐怖や悲しみを感じたり、痛みなどの感覚を伴ったりすることもある。

再体験とはつまり、再度の被害であり、トラウマ体験を何度も体験するようなものである。
実際の身の危険はないが、精神的な苦痛は実際にトラウマ体験した時と全く変わらない。長い間事件に支配された状態になり、困惑し苦しむことになるのである。

この再体験は子どもの場合、言葉で表すことができないために遊びとして表現されることがある。
強迫的に繰り返し同じような遊びを繰り返す時には、トラウマ体験の再体験であることがあるので注意しなければならない。


狭窄 知覚変化

狭窄は降伏状態のことをいう。
どんな努力をしても自分の力ではどうすることもできず、完全に無力化された時、人は降伏状態となる。
この狭窄には大きく二つある。

まずは知覚変化だ。
知覚が鈍くなり、無感動、無感覚な状態に陥り、解離や現実の歪み、意識の狭まりなどの反応を示す。
痛みを感じなくなったり、嬉しいとか悲しいという感情が麻痺したりする。

此れは、苦しみを感じるくらいなら、全ての感情を感じない方がまだ良いということから起こるものである。
凍りついた瞳frozen eyesと呼ばれるのは、この狭窄を経験している人の持つものであろう。

もう一つは、感情的変化だ。
圧倒的な受け身感によって、心的外傷と関連するような場所を避けたり、考えないようにしたりという回避が行われる。
嫌なことや危険なことを避けようとするのは、正常な人間の防衛反応であり、当然とも言える。

しかし、そうして考えないようにするといった回避は、解離への第一歩でもあるのだ。
また、心的外傷と関連する場所だけではなく、人との関係を避けるということも起こり、生活に大きな影響を及ぼす。

PTSDは心的外傷を受けた人を長い間苦しめることになる。また身体の傷とは異なり、見付けられにくいし、理解されにくい。
その苦しみもまた、PTSDを持つ人々を追い詰める原因になっている。
日本でも、心的外傷やPTSDのしっかりとした理解を持つ専門家が増えることが望まれる。

虐待によるPTSDは、一般的なPTSDとは異なるという指摘は多い。
一般的なPTSDと異なるという根拠は、心的外傷の回数に関係がある。レノア・テアは心的外傷の種類を二つに分けている。

繰り返しトラウマ体験をした子供達のほうが、単一の体験をした子供たちよりも、虐待者についての間違いが少ない。

マサチューセッツ州ケンブリッジの精神科医ジュディス・ハーマンが一九九二年の著書「トラウマと回復(実際は心的外傷と回復)」で鋭い指摘をしているとおり、虐待をくりかえす者は強制収容所の警備員や刑務所の看守と同じだ。性的虐待を受ける子供は加害者に管理、されている。被害者は逃れられない。

此れが第一タイプ(単一の被害体験)と第二タイプ(複数回の被害体験)の子供の違いだ。
第二タイプの子供は普通、トラウマ体験を強いる人々(幼稚園の先生や牧師、バスの運転手、伯父さん、父親など)を別の人間と混同することはない。

このタイプに加え、消防士やレスキュー隊など一回ではトラウマ体験とならないような体験でも、蓄積されることによって影響が出るという場合の、第三タイプ(蓄積型)がある。

つまり、虐待によるトラウマは複数回、慢性的に強いられるという点で、単一のトラウマや蓄積型のトラウマによるPTSDとは異なる。
ハーマンは此れ等のことから、一般的なPTSDと区別して複雑性PTSDという診断名をつけるべきだと提案する。

そういう動きから、アメリカ精神医学会の診断統計マニュアル作業部会は特定不能の極度ストレス障害(DESNOS)の用語を暫定的に選択したが、DSM-IV載されるに至らなかった。


トラウマ検知

一.衝動・衝動の調節に関する障害
 a 情動の規制障害(抑うつ感、躁状態など)
 b 怒りの調整障害
 c 自己破壊性(自傷行為、嗜癖など)
 d 自殺願望
 e 性的関わりへの調整障害(過度で自己破壊的な性行為、性倒錯など)
 f 危険な状況へ自ら飛び込む衝動(トラウマの嗜癖)
二.注意・意識に関する障害
 a 健亡
 b 離人症
 c 一過性の解離のエピソード
三.身体化
 a 消化器系(潰瘍性大腸炎など)
 b 慢性痛(頭痛など)
 c 心肺系(喘息など)
 d 転換症候(歩行障害、失声など)
 e 性的症候(性的不能、性的動昂進など)
四.自己認識に関する障害
 a 無力感(自分には自らを守る力さえない、と思う)
 b 癒すことの不可能な自己損傷の感覚
 c 罪悪感と罪責感(自分の過ちのためにトラウマが起きた、と思う)
 d 羞恥感(本当の自分は、人前にさらすことが恥ずかしいような存在だ、と思う)
 e 誰も自分を信じない、と思う
 f 自己卑下(自分など生きるに値しない存在だ、と思う)
五.(トラウマの)加害者についての認識に関する障害
 a 加害者の歪んだ信念の探り入れ(パワーで人を支配するという考え方、など)
 b 加害者を傷つける願望にとらわれる
 c 加害者を理想化する
六.他者との関係における障害
 a 他人を信頼することの不能
 b 他人を犠牲者(被害者)にする
 c 自分が再び犠牲者(被害者)にする
七.意味システム(世界観)における障害
 a 自暴自棄、絶望感
 b 以前の自分を支えていた信念大系の喪失
(van der Kolk, B.A. & Fisler, R.E. : Childhood abuse and neglect and loss of self-regulation. Bulletin of the Menningen Clinic, 五八, No.二(spring), 一九九四.)

この診断が提案された意図は何か。其れは慢性的なトラウマ体験の患者を救う為には、診断統計マニュアルにあるPTSD判断では充分ではない、ということだ。
しかし、診断統計マニュアルに収載されなかったのは、まだ研究途中であり、不確定なものであるという保守的な考えからではないだろうか。
喩え診断統計マニュアルに収載されなかったとしても、こういった提案が起きたことが、大きな一歩だと思う。

この診断から受け取れるのは、慢性的に、しかも幼い頃に起こったトラウマは、被虐待者の人格形成に大きな影響を与えるということだ
其の体験が長期化すればする程、始まりが幼ければ幼い程、トラウマは心の中に内在化され、人格、意識の中心になる。

強いショックを与える体験は、心に異物を形成し、そうした異物は繰り返し心の中で反復されることによって次第に異物ではなくなっていくものであり、此れはその異物を消化吸収しようとする正常な心の働きの現れだ。
何らかの理由で心の処理機能が十分に働かず、その結果、心の異物であった体験が、心の寄生虫、つまりトラウマとなってしまったものだと考えられる。

此れまで心は、寄生虫であるトラウマを、否認や反復的再現といったプロセスによって、何とか消化吸収しようとしていたものが、次第にトラウマの存在を前提として心を構造化していくということだ。
トラウマが内在化され、トラウマを前提に心が構成されることによって、心の機能のさまざまな領域が影響を受けることになる。


解離の一次、二次

トラウマを内在化してしまうと、それを排除しようという回避、麻痺は消え去り、トラウマを含んだ人格、意識として確立してしまう。

この影響は、症状ではなく人格として取り込まれる。
この、人格への内在化が単回のトラウマ体験とは大きく異なるものであろう。

被虐待者の大きな特徴に解離がある。
ハーマンのいうダブルセルフも自分や他者の分裂であるが、解離もまた分裂の一つである。


離には三つのタイプがある。

一次的解離
一次的解離とは、現実の体験によって生じる認知や感情、感覚などから離れてしまう状態である

親から酷い虐待を受けている時に、意識はどこかまったく別の場所を訪れていたと述べる子どもは少なくない。

この場合、子どもの意識は現実の体験から遠ざかってしまっている。つまり解離を生じている。
また、なかには親から叩かれていた時にいっさい痛みを感じなかったと報告する子どももいる。
こうした子どもは耐え難い痛みの感覚から遠ざかっているのであり、これも一時的解離の一つだと言える。

二次的解離

一次的解離が現在の自分の体験から離れてしまう、という現象を指すのに対して、ここで言う二次的解離とは、現実の自分の体験から離れた意識が、現在の自分の体験を見たり、観察したりする現象を言う。

こうした二次的解離を起こしている人は、観察していることが自分の身に起こっているのだと認識できている場合もあれば、あの子はかわいそうに、あんなにひどい目にあっている、としてその体験を自分以外の別の人の体験だと考える場合もあるようである。

いずれにせよ、身体や体験から切り離された意識が、残された身体や体験に気づいているという点で、この二次的解離は一次的解離と区別されるのである。


性的虐待や重度の身体的虐待の場合などのように、トラウマになるような体験に、子どもが繰り返し慢性的にさらされる事態では、子どもはこの二次的解離を頻繁に経験するようになる。


三次的解離

二次的解離の繰り返しは、van der Hartら(一九九六)が「第三の解離」(tertiary dissociation)と呼ぶところの状態を出現させる可能性がある。

たとえば、性的虐待というトラウマティックな事態に慢性的にさらされている子どもは、虐待を受けているかわいそうな子ども、を外から眺めるという二次的解離を繰り返し体験する。

その繰り返しがトラウマティックな事態や被害を引き受ける、もう一人の子どもを誕生させることになる可能性がある。

そうすることによって、トラウマとなるような事態から守られた安全な自分を確保することが可能となる。

そして、このようにして構造化された今一つの人格、たとえば性的虐待という体験を引き受けた人格は、トラウマティックな体験と関連した何らかの刺激が与えられた場合に活性化し、前景に現れてくると考えられる。

こうした解離は、トラウマティックな被害を受け、意識から切り離された存在が活性化するという点で、一次的解離や二次的解離とは質を異にするものであり、此れを三次的解離と呼ぶ。

この人格あるいは人格状態は、先に見た解離状態の自己規制の副産物的な存在であると言える。
つまり、解離状態によってトラウマとなる体験から切り離されて守られた自己の一部の背後には、トラウマ体験を繰り返している自己の断片が存在することになる。

特に性的虐待を受けたサバイバーは解離をしやすいという見方が強くなっているが、性的虐待に限らず、何度も繰り返されることからも起こる。

例えば夜になったら、父親が階段を上ってきたら、というようなきっかけを元に、自分に暗示をかけ、自分の意識を外に出してしまう。
そして、虐待を受けているのは自分ではないとしてしまうのだ。

その、虐待を任せている意識に人格を持たせれば、解離性同一性障害(多重人格)となる。上記のタイプで言うと三次的解離である。虐待を違う人格に任せてしまえば、虐待の記憶は通常の人格は持ち得ない。

解離によって人格を分裂させた被虐待児は、複数のそれぞれ別個の断片的人格を形成し、それが人格構造の基本原理となってしまう。
その人格は、それぞれが独立した名前、性格、感情、記憶を持つ。
虐待を知っている自分と、何も知らない自分を作り出すことによって虐待を通常意識の外におき、虐待に有効に対処できるようになるのである。

しかし、この人格分裂が日常生活に問題をきたすことは、容易に理解できる。

このように、虐待による影響はトラウマの内在化や記憶の抑圧、解離といったように、現存のアメリカ精神医学会の診断統計マニュアルでは規定しきれていない症状が存在する。

こうした症状を単回のトラウマによるPTSDと共に規定するのは難しく、多くの研究者が提案しているように名前を変えて規定するべきではないかと思われる。

Wednesday, February 22, 2006

生きてから死ねよ

そのままでいいんだよ、あるがままでいいんだよ、なんて甘っちょろい言葉は、しっかり生きて、もがいて、苦しんでいる人にのみ適用される。

叱咤は、失敗の連続で夢を曲げようとか、諦めようとか、悩んでいる人にのみ向ける言葉だ。

激励は、失敗してもまだしぶとく粘り強く、挑戦し頑張り続けている人にのみ投げる言葉だ。

そのままでいい、あるがままでいいってのは、そうした苦しみ、悲しみ、虚しさ、孤独に耐えている人に対して言う言葉だ。

間違うなよ。
何もせず、負けもせず、失敗もせず、ただだらだらと、生きているというより、死んでいないってだけの状態に甘えている奴等に、与えるべき言葉ではない

そいつ等には、叱咤激励慰め、全て、受け取る権利は無い
何もしない状態でいいのなら、生きたことにはならない。
死んでいないだけだ

だから死ぬ可能性が殆ど無い、自傷行為を繰り返し、周囲を振り回し、迷惑かけて甘えて、そうすることで何とか辛うじて、社会と繋がっているだけだ。

立派に自殺既遂した人間のほうが、深く誰からも思い出されるだろう。悼まれるだろう。ずっと深く人々に感銘を与えるだろう。

ちゃんと自死した人間は、ありとあらゆる手段を講じて、其のうちの一つでも叶っていたなら死ななかったはずの、強さで以って、自殺したのだ。

やるならしっかりやれ!
いつまでもリスカ、アムカに依存してンじゃねえよ

やるならなあ、厚みのある包丁で、手首でも肘でも首でも、ぶっ叩け
そして自分の血を舐めろ! 生きた証を味わえ。
多数の生命を犠牲にして体内製造してきた血だ、最後にじっくり味わいかみ締めろ!

そのうち手足の先から冷たくなってくる。がたがた震える。気が遠くなる。失神できない苦痛に苛まれる。
其処でやっと、自分が生きたいか死にたいか、分かる。

やってみな、背中丸めて俯いて、一寸気に入らないと弾力ない粘土みたいにへこみ、すぐリスカしては生きてる証拠を求める、誰かの慰めや同情を欲する、惰性で生きている奴等

思い切り、包丁で叩け

但し、ゴミ袋はいて頭からも被ってな。
迷惑なんだよ、血はなかなか臭いも色も落ちないから
場所と時間選んで、見つけて欲しいなら誰かいるところで、マジ死んで見たいなら誰も来ないところで、叩け!

そして生きる意味を見つけろ

あ~あ、言っちゃった。
一寸腹立つことがあって。
余りに今の餓鬼は、甘え過ぎ。厳しく言えば直ぐ折れる、自傷行為して見せる、悩んで切ったなら、隠しとけ。見せたいなら、悩んでるって正直に言え!

何も言わなくても分かって欲しいだと????
アホ。
何のために人間に生まれてきたんだよ!?
言葉を与えられた喜びに感謝しろ! 何もせずに落ち込む暇があったら、何かやって失敗して落ち込んで這い上がれ!

痛痒告白

欝の自分。
正直に書こう。此処では躁の自分だけを出して、アフェリエイト専門って思ったけど、呼んでくださる方が一人でもいてくれるなら、残らず書こう。
ぼちぼちと。

と……指が止まる。はっきりと憶えていないのだ。一番酷かったときは、結婚して二ヶ月目から。旦那はわたしのほうが稼ぎはいいのを嫌がり、仕事を一旦止めさせた。悪いことに社宅だった。
昼ドラに出てくるみたいに、本津に夫に上下間が妻の上下間を、ひいては社宅内の掟を決めていた。
そして夫、彼は二歳年下で、わたしに随分酷いことをしてくれた。結婚前からだ。何故結婚しちゃったのかは自分でも理解不能。
彼は気に入らないと殴る、蹴る。用意した食事を見ている前でゴミ箱に捨てる。そして作り直させる。仕事でわたしのほうが遅くなったときも、コンビニ弁当を買って帰ったら、「今二十三時、まだ間に合う、作れ」と駄々を捏ねる。
喧嘩した翌日、それでも四時半おきで作ったお弁当を渡すと、「フ~ン」と徐に包みを明けふたを開け、バカっとゴミ箱に捨てる。
「お前がヘンな物しか作らないから俺の給料が無駄になる」
「お前なんかみっともなくて友達に見せられない」
「恥ずかしいから綺麗にしてろ、休みだからって化粧して飾って、やっと普通のブスなんだから」
とまあ、言葉と肉体の暴力の嵐。
わたしは何とか前の仕事先からパートタイムジョブを貰い、一年目は逃げ出せた。
が、二年目、なんと組長になってしまった。
以降はもう常識外れの苛めの連続。
「共有部分のゴミ箱を風呂場で洗って来い」「最近の若い子は出歩いて派手でやることを全くやらない」「もう五時だよ、こんなに遅くまで仕事? 遊んでるんじゃない?」「組長だからアレノアンケートとソレの募金とコレの回覧を今日中にしなさい」「できなかったら罰として駐車場の草むしりだよ」
小学校の苛めかよ?
気が付いたら、ドメストで顔や体中を、皮が向けるまで擦るようになってた。それでも自分が汚く思えて、エラノールで体中拭った。まだまだ汚く思えて、飲んだ。

で、病院に放り込まれた。

その頃はまだ、161センチで38キロあった。が、僅か二ヶ月で25キロに減った。かなり幼い頃から過食嘔吐の習慣があったから。
過食嘔吐は母から教わったのだ。わたしは三つからバレエ、小学校から体操部で、インターハイにも出てたから、少しでも体型が崩れるとコーチから親共々怒られた。
母は異常に敏感になり、わたしもソレに感染した。
だからこの歳で、過食嘔吐歴十六年なのだ。
で、わたしが死にかけ、ってか本当に死の寸前だと告知され、母と夫はやっと気がついたらしい。わたしは精神異常者になっていると。
過食嘔吐しても、母はやれと言うし、夫は汚いから傍に繰るなと突き放した。
厳しかった父は小さい頃もう死んでしまったから、何が正しいのか分からないまま、わたしは成長してしまった。

医者に「あなたは重度鬱病、加えて解離性同一性障害、そして身体はもう壊れている」といわれてもピンとこなかった。
わたしはいい子でやってきた。委員長やら生徒会やら、実力テストも球技会も仕事のプロジェクトもリーダーだった。
そんなわたしが病気の筈ない、医者は金欲しさで言うのだ、周囲もわたしを妬んで排除しようとするのだ、わたしが汚いから、醜いから。

醜いわたしが人並みより少し舌をキープするには、常に働かなくてはならなかった。学校、会社、町内会、すべてに於いて成績実績実力だけで生きてきた。
頼ること知らなかった。頼る前に頼られてしまい、頼れなかった。

今は少し落ち着いているが、米国の医師に言わせると、「殺人的」な大量の薬を服用している。
一度バイクで事故った時、余りの痩せ方と血圧(62と43)と血中薬物濃度に、外科の医者が驚いた。「しんでしまう」と外科医が呟いたのを憶えている。

ざっとこんなもんです。ロンドン生まれでアメリカ暮らしが長く、日本の閉鎖的、画一的なところが苦手だけど、こうしてウェヴで顔のない友人を作るのは、慰めにはなる。自慰行為だ。
たまらなく寂しい。
誰に謝られても、許し方が分からない、笑い方も泣き方も、わたしは知らない。

幼少期。
貿易センター

わたしはロンドン生まれで、生後二日で修道院へ預けられました。
なので、親、と言う概念がわたしの常識から欠落しています。
風六で国籍を決めるとき、存命中だった父から色々話を聞き、何故兄と二人預けられたのかも納得して、日本国籍を得ました。

ですが、修道院では男女別々で兄と滅多に会えず、思い出す限り他人の中で生きてきたので、血の繋がりや親子関係というものが全く理解不能なのです。

修道院はとても厳しく、食事は質素だけどマナーが厳格で、ナイフ、フォーク、スプーンの使い方、パン、スープ、果実の食べ方、立居振舞、挨拶、お祈りなど、それらが一人前にできるまで、皆と同じ食卓につけません。
お陰で英語やカトリックのマナーは苦労しませんが、訛ってます。

六歳の八月、ロンドン市内の小学校へ行くのだと楽しみで、年長の人から貰ったお古のランドセルを毎日嬉しく眺めていた頃、突然、見知らぬ男女が現れました。
そう、両親です。
シスターから唐突にそう教えられ、今日からこの人たちと兄と四人で暮らすのだ、と告げられました。
吃驚です。
父母なんて、概念自体がなく、神の子だと教わってきたのに、急に人間の親がいるといわれても、全く理解できませんでした。ただ、兄と毎日会えるのが嬉しかった。
しかし、後からあてがわれたような親と上手くいくわけもなく、結論、十六で一人暮らし。三つ上の兄が調教の大学へ行って、三人で暮らすのが耐えられなかった。親はシスターより厳しく、父は良く殴り蹴り、母は「やいと」といって、マッチの火を掌で握らせるという荒業で、わたし達を躾けました。
いまなら虐待?
兄は今も東京と米国要ったり着たりの実業家になり、でも家族というものが怖いのか、結婚しません。
わたしは結婚して、壊れました。家族というものを知らない六年間で、わたしはかなり非常識だったらしく、「夫婦だろ」とか「他人じゃない」と夫から怒鳴られても、「だって他人じゃん」としか応えられませんでした。
きっぱり言うと、Hも嫌いです。
とても淫らな気がします。しないと子供ができない、そう知ったのは十五のとき。
ホントにネンネちゃんでした。
そうは要っても、女より男の友人のほうが多く、話もバイクやロックや車や旅行の話で盛り上がりますが、いざ、て手雰囲気になると逃げちゃうのです。
おかしいですか?
でも嫌いなんです。
神様に怒られるみたいで。そうしてわたしが父と母とのあいだに生まれたと思うと、自分がとても汚く思えて。
鬱病になる要素は、生まれたときからあったようです。ただ、あのままロンドンで暮らせたら、イエローと差別されても、勤勉で禁欲的に生きていけたと思います。
尼になりたいです。
髪の毛なんて、どうせ天然茶髪だから要りません。
長い髪にしてるのは、其れが女らしいといわれたから。
まるで女捨ててるわたしですが、幼い頃のマナーだけは今も守って、礼儀正しさには自信があります。
小学校も、もうグループが出来上がってるところに、六に日本語も放せない茶髪女の入る余地はなく、ならば作れと作り、いらいずーーーっと何とか委員をやっていました。
窮屈だったけど、確かにあの頃は今よりずっと幸せでした。
友人との些細な喧嘩が、人生を揺るがすような一大事に思えたり、片思いの男の子に挨拶したり、お弁当交換したりするだけで人生最大の幸せと思ったり。
皆そうですよね。
そうした小さな幸せ感を、少しずつ捨てながら、大人になっちゃうんですね。
マイケル・ジャクソンの気持ちが分かる。
わたしにも財力があればネヴァーランドを築くのに。
今したいこと、逃げて引きこもりたい、それだけ。


欝も十三年目。
わたしの鬱病は治まること知らないようです。
もっと長い方もいらっしゃるのでよね。それでも生きておられる、尊敬します。
わたしの場合、解離性同一性障害、つまり多重人格が大半を占めていて、でも撃つにしておかないと保険や32条の適用が無いから、鬱病ってことになってます。

わたしの中に、現在四人います。母に言わせるともっと多いそうですが、自分で人格交替が分かるのは四人です。
とても卑猥な十八の娘、甘たっれで泣き虫の男の子、酷く凶暴な若い男、厳格で自他に厳しいシスター。

最も困るのが、本質の部分の自分を見失ってしまったことです。

わたしは赤ん坊のとき施設に入れられ、他人の中で育ち、六歳で家族と暮らし始めましたが、その時々で押さないながらも人格を使い分ける癖ができて、それが十二年前、結婚して社宅に入り、夫の暴力に耐えている中で、顕わになりました。

家では無口で手間をかけないおとなしい子、学校ではリーダーシップを発揮する明るい活発なスポーツ好きの女の子、一人のときは自己嫌悪で自分の腹に針を刺す癖のある異常な暗い子、中学に入り町で遊ぶときは自己防衛のためにならったから手を振り回す凶暴なスケ番。

どれが本当の自分か、いまだ持って不明です。多分臆病で泣き虫の男の子でしょう。でもわたし、女なんです。だから困るんです。

膨らみ始めた胸、初潮、脇や陰毛、性を感じさせる全てが恥ずかしくて嫌いで汚く不潔に思えて、女なんて止めたくて、正直SEX大嫌いです。
どんな体位もいや。男にのしかかられるのも、要求されて上になるのも、おざなりにバックでやられるのも、全部嫌です。

だから子供なんて夢のまた夢、大体どう育てていいか分からない。私自身親という概念泣く此処迄生きてきたから、親に慣れと岩手もどうして言いか分からないです。同じ境遇の人は一杯いて、ちゃんと真っ当に生きているのに、どうして私は駄目なんだろうって思うと、また自己嫌悪に陥って、自傷行為が始まります。

自慰行為はしたことありません。友達の猥談にもついていけません。ジョークならできるけど、マジに不感症だの不能だの話されても、汚く思うだけで、親身になれません。

いけないのでしょうか? SEX嫌いだと。
精神科医はおかしいといいます。法律でも民法親族編でしっかり、夫婦の同居義務に性交渉を含むとあります。
法律がそんな猥褻なことを定めていいのでしょうか?
成功しょうがなく別居して五年経過すれば離婚成立となります。なら私たち夫婦はとっくに離婚です。
法律さえ、SEX嫌いな私を守ってくれない。だけど、夫婦間でも強姦罪は認められるようになりました。少しほっとしています。

精神科医の命令で、夫とは別居中ですが、偶に会うと迫ってくるので、一度警察に電話したこともあります。
警察は民事不介入といって、きてくれませんでした。
夫から直後、酷い暴行を受けました。まだ傷が痛みます。

どうしたらいいのか、生きているのがうんざりです。此処迄の欝はたまにですが、もう指は何度も剃刀をなぞっています。
助けて欲しくてこうして書き込みしても、誰も助けてはくれません。

この甘ったれこそ、わたしの本性なのだと、今更に実感しました。

こんな女、殺したい。他人に対して抱くような殺意を、自分に向けています。
自傷行為ではないのです。他人に対する暴行なのです。殺したほど憎い相手が、偶々自分だったというだけで、正確には自己嫌悪ではないのです。

どうしましょうか、このわたし。
海底たら少し気が晴れました。すみません、日曜日に嫌な話で。
読まれなくてもいいのです。吐き出し場所が欲しいだけですから。
……なんて強がり、本音は読んで欲しい、慰めて欲しい、です。


辛かった頃。
精神科医が言いました。
「辛かったときのことは、自然と何時か忘れます」と。

馬鹿言ってンじゃないよっって、あの頃は思いましたが、本当でした。思い出せないのです。わたしを苛めた人たちの顔も、殴られ蹴られた痛みも、母の暴言も。

夫は百八十度変わってくれました。精神科医が相当叱ったらしいです。何も言いませんが、寒いときは人目を憚らず手を繋いでくれるし、遠出すると何度でも休憩してくれます。

社宅でのあの人は何処へいったのか、一度訊いてみたら、「俺にもわかんない」ですって。わたしも忘れちゃったので、丁度いいか、って、今は笑い合えます。
こんなに恵まれたわたしは、世界で一番幸せなのだと思います。

確かにいまだ、薬漬けだし、リスカもアムカもネクカもするし、死にたいし、自分が嫌いで憎いし、傍目とは全然違う苦しみは続いていて、苛まれています。

でも、体重も四十キロまで上げたし、白米やラーメンなど元から嫌いなものは食べられないけど、誰と何処へ旅行へ行っても、以前のように病気とか偏食とか思われなくなったし。
普通の不利ができるようになった、此れが一番大きな進歩です。

今日は死んだ父や祖父母やわんこ達が帰ってくる、そう思うと、「ああ、つぐなわなきゃ」って思います。

わたしは自滅ばかり望んできたけど、真に滅すべきは、無駄に食べてはいた食べ物、便器を泣きながら磨いていた母、一人の部屋でなきながら眠った夫への罪なのですね。

でもリアルに思い出せるのは、飛び散るゲロ。
便器に顔突っ込んで、便器の水とゲロとがビシャっと顔に跳ね返って、お腹抑えるからその上に下痢して、又その上にゲロするという三層の汚物のにおい。

汚い話です。自分で信じられません。清潔好きなのに、汚れた便器やトイレの床に長い髪が触れ、濡れて、顔には点々とゲロと代弁の飛沫が付着する。

トイレは黴だらけ。臭いも取れない。次に入る人に分からなくしようと必死に「トイレその後に」をスプレーしたあの地獄の日々。

入院したって止まりません。他人の食べ残しをビニール袋に入れ、もう魚もご飯も野菜も味ごちゃごちゃでも気にせず、ただ吐くために食う。
看護師に叱られると、恥かしくて次の日から水すら口にしなくなる。

オール・オア・ナッシングだったんです。吐くほど食べるか、全く食べない飲まないか、どっちにせよ、胃を空っぽの状態にしておかないと肥りそうで怖い。
25キロしかないのに、肥るのが怖い。
薬だって、ビタミン剤は肥りそうで怖い。糖衣錠は甘味を洗い流してからしか飲まない。完全に狂ってますね。

はくときは徹底的。信じられい量を詰め込み、先ず一回目に吐く。
二度目はゼリーとかスープとか、水分の多いものを詰め込んで、固形の残りを一緒に吐く。
次はローカロリーのジュースや味噌汁、お粥を飲んで吐く。
最後に、水をがぶ飲みして、三度吐く。胃洗浄の積りで。一欠けらでも固形物を発見すると、もうとにかく水で胃洗浄する。

だから痩せてても、胃発情の三倍くらいに拡張して、内臓全体が脂肪の支えをなくし垂れ下がり、下腹だけぼこっと出ている、餓鬼みたいでした。
アフリカの栄養失調の子供みたいな。でも彼等は仕方なくああなっていて、わたしは好きでこうなっていて、そう思うと余計ストレスで食べてしまう、吐いてしまう。悪循環。自分では止まりませんでした。

母の一言、「もうお金ない」を聞くまでは。

今は過食嘔吐だけはきっぱり止まっています。
必ず治ります。治さなきゃならないのです。田獲物を買うお金をくれる親が死んだら、どうします?
異常な痩せ方では昨今どこも雇ってくれません。生活保護のお金で帰る食物は知れています。きっと満足できず、万引きに走ります。
一生そうしているのですか?
就職しても、結婚しても、子供ができても、八十過ぎても、食べてはいてしているのですか?

欝とは全く別物です。治してください! 絶対後悔しません。治ったら楽しいこと、欲しかったもの、喜び、優しさ、色んなものが手にはいりますよ。
高い服だって、吐くために食べた食費の分で買えます。
負けないで!!!


殺したい!
どうしても殺したいやつがいる。
この自分だ。

わたしは解離性同一性障害、だ。
多重人格。自分の体が憎くて殺したくて仕方が無い。
だからわたしの自傷行為は、決して自傷でなく、他人に対する傷害なのだ。偶々、傷害の対象が外でなく内に向っただけ。
精神科医は日米でわたしを調べ、非常に稀有な症例、研究対象にしたい、この薬を試してくれ、脳波計をつけさせろ、八月一杯入院しろ、夢の内容を全てノートに書き提出しろ、と、五月蝿い。
わたしは何だ? 気違いで結構だが、生き物とし、せめてマウス程度の扱いを受けたい。

でないともう今直ぐにでも、自分で自分を他殺しそうだ。

毎夜その夢を見る。念入りに殺す。首を斬り落とし、転げた頭部を叩き潰し、視界がなくなって目が覚める。と、生きている。そのときのわたしの落胆が、健常者に分かるだろうか?

がっかりするのだ、あんなに入念に殺したのに、掻き毟った傷痕だらけの自分生きた体を見て!

殺したい、殺させろ、アイツは生かしておいちゃいけない、二酸化炭素を排出するだけでこの世の害だ、死ね、殺せ、焼き払え!
あ~~~つかれた。


痩せてよかった?
と、よく聞かれる。そんなにやせて、何かいいことある?と。

無かった。何も無かった。

観ていて悲しくなるほどに、わたしは痩せた。一番酷いときで22.3キロだった。直ぐ二十五キロに持ち直したけど。二十五~二十八キロが八年続いた。

何処へ言っても異様な目で見られた。眼球がギョロンと飛び出し、胸はペラペラ、背中は魚の骨みたいに肋骨が浮き出て、下腹部だけがぼっこりせり出している。

内臓が全部下垂してしまったのだ。一九九七年七月、三ヶ月栄養点滴の入院をした。両手の指先が腐りかけたのだ。というか、腐って爪が剥がれてしまった。血が末端へ行かず、死んでしまった。冷たくジメジメしてジュクジュク膿んだ。
気持ち悪くてドメストでごしごし擦っていたら、爪がぽろんと取れた。

さすがにショックだった。
母は本人よりずっとショックだったようだ。泣いた。此れでもかってほど泣いた。
指がもげた本人より泣いた。
可哀想だった。今もわたしの指先は、其の痕跡がしっかり残っている。
指先を途中でちょん切ったように、爪の縦幅より横幅のほうが二倍くらい広い。
小さな爪になった。
別に私はどうでも良かったのだが、職業柄キーボードが打てないと困った。
そのためだけに入院したら、三ヶ月に至った。十度の凍傷の様なものだった。医者は保険適用内で、指先を整形してくれた。爪を何とかくっつけてくれた。

感謝はしている。死ぬまでは生きなくてはならない。
生きるならしっかり生きたい。一杯苦しんで憎まれて恨まれて、わたしの存在をできる限り沢山の人の脳に焼き付けたい。

わたしは多分子供はできない。SEX嫌いだし、生理なんて何時あったのか思い出せない。だから何も残さず産まず唯一人ゴミになるのが、堪らなく怖い。
わたしが死んだら、誰か墓参りしてくれるか、其の前に遺体の引き取り手があるか、遺骨は多分地下鉄の網棚にわざと忘れられて、不燃物として処理されるんだろうなあ。

それでもいい、といえるほど、強くない。
わたしは本当に弱い。だから他人を攻撃する。責められる前に責める、攻める。
嫌われても憎まれても忘れないで、かなり矛盾しているがわたしの本音だ。
殺したいほど憎いのに、そいつの存在がこの世から抹消されるのが悔しい。
こんなに悪い奴だった、屑だった、ゴキブリより汚かったと、憶えていて欲しい。

凄く身勝手な本音。
こんな女死ねばいい。でも忘れられるのは許せない。こいつの罪を皆に知らせて憎んで欲しい。


コンビニ来店拒否された!
近所のコンビニで来店拒否された。
「あんたが障ったもの全部買ってってよ、気味が悪いんだよ、あんた。他のお客が近寄らないよ」
ってのが店主のお言葉だった。
あれから数年経ち、わたしは何処へ行ってももう、病気と見られないまでに回復したけれど、内面では夜毎自分を殺す。
念入りに、頭を切り落とし、視線が地面に沿い、身体だけが岩を持ち上げ頭部に叩きつける。
上になった右目が潰れて、視界が半分に真っ赤になる。
まだまだ許せない。尚も岩を落とす。頭蓋骨が軋み皹入る音がして、脳漿が耳から流れ出る。
左目も弾け、完全に視界がなくなると、目が覚める。
がっかりする。
まだ生きていやがる、この憎らしい身体、狂った精神、潰したい、消したい、殺したい!
毎朝この繰り返し。今も続く。今朝もそうだった。多分明日も明後日もそうだろう。
リスカなんて甘っちょろいマネは卒業した。
頚動脈だ。唯場所が問題。自殺現場じゃ後々この家売るに売れない。
遺族に迷惑だ。
死んでもわたしは迷惑だ。
何処へ行けば、安息が見付かるのかな。
ヒルナミン、ベゲタミン、コントミン、ハルシオン、ロプヒノール、アモバン、レンデム、トリプタノール、パキシル、呑むのが大変なこの睡眠薬を毎晩飲むけど、どろりとした重い意識不鮮明がくるだけ。
夢の無い眠りを忘れてもう十六年経つ。
身体が薬に慣れてしまい、手術したとき麻酔が効かなかった。でもその痛みが快感だった。
死を覚った。このまま心臓を取り出して、チューブを全部外して欲しかった。一時間たてば、死体が一個出来上がりだ。病院なら死んでも迷惑はかけない。
入院中のことも徒然書こう。

わたしには三種類の入院がある。
一、悪性リンパ腫の切除手術及び放射線治療。
二、銃宇津縫う津から来る自殺と体重減少防止。
三、過食嘔吐を叩きなおすために無理矢理肥らせるため。


一はまあ、辛いけど傍目がいいのでよし。家族も恥かしがらずに病院へ来られる。
二は結構、一目を気にする。なんていっても精神科病棟へ向うのは恥かしいらしい。本人だって恥かしい。わたしが入院する精神科病棟は拘束衣や器具や部屋を完備した本格的な気違い病棟だ。心療内科なんて可愛いものではない。
三は地獄、だ。右の鎖骨に穴を開けられチューブを通される。其処から蛋白質、脂肪、糖質、他無機質らを二十四時間ず~~~~~っと流し込まれて肥らされる。

この四月から大学院に通っているが、六月に癌入院、七月に欝入院した。体重は何とか三十八キロをキープしているのでチューブは無しだった。

癌入院では知り合った人が何人も死んだ。だから生きていることの貴さを知った……なあああ~~~~んてこと思うかっての
死にたくは無い、殺したい。苦しめてじわじわと、指一本一本引きちぎって殺したい。死んでった人が羨ましかった。本音だ。
だって家族が泣いてくれるもの。
可哀想にって、言ってくれるもの。
頑張ったねって、褒めてくれるもの。

わたしが死んだら、喜ぶやつの顔は浮かぶ。仕事上ではうようよいる。わたしが邪魔だそうだ。営業成績や客受けがいいから、もっていかれる、という。
悔しけりゃ、媚び諂って胸触らせてケツ撫でさせて、機嫌取れよ。

媚び諂うのはわたしの特技だ、長年の苦労で身に付けた立派な技術だ。
マルチリンガルも同じ、コネティカットで磨いた独仏語、イラク、アフガンで磨いたアラブ、マレー語だってシンガポールからの電話は全部わたしに回すのだから、少しは感謝しろ。
でも、それらが全部邪魔、らしいのだ。いなけりゃ困るがいたら鬱陶しい、そんな存在だ。だからわたしは死んだら、かなりの男や女が喜びながら泣き真似し、数時間電話応対に困り、三時間後には代替物を見つけ、忘れてしまうだろう。

この世の中、一体何が普通なのか、誰か教えて欲しい。


消えたくなる日。
今まで、といっても八月からだが、使用してきたブログのタイトルが、誰か知らない人とダブっているということで、厳しく注意され、直した。
語呂は同じで漢字を変えた。が、まだご不満だったようで、心臓飛び出るくらいヘンなカキコがあって迷惑していると、また叱られた。
わたしは何をやっても駄目だ。コンピューターすらまともに相手にしてくれないのか。仕事柄PCに向い、顧客やメーカーとも接する。
仕事ではPC,ちゃんと動いてくれる。わたしはバグッたらそのようにバグってくれるし、決して裏切らない。
顧客からは受けがいい。上司からも受けがいい。何故かは知らない。多分便利だから、それだけだろう。
でも、詩庶務の女子と話していている真っ最中に、技術畑のわたしに名指しで「本社からお客だよ、お茶頼む」「ドイツからメーカーさんが来たんでコーヒー五つね」と、言うな嗚呼嗚呼!!!!
当然女の子はむくれる。わたしは接客する。これまたなぜか受けがいい。
わたしは生まれが修道院だったため、非常に厳格なしつけをされた。
食事に始まり、お祈り、英語の敬語、挨拶、歩き方まで、起きてから寝るまでズ~~~~ット躾けだった。
日本に来てからも、父がこれまた厳しく、食事は約半年、日本料理の一般儀礼を憶えるまで、親と同じテーブルにはつかせてもらえなかった。
「箸は咲き二センチしか汚しちゃ駄目」「只今とは何だ、只今帰りましたといえ!!!」と、兎に角厳しかった。

現在の欝の原因がそこらあたりに潜んでいる気がする。そう思って、鬱病と宣告されて一年位して、もっと酷くなった頃、医師にそういった幼児体験を話した。
精神科医はあてにならなかった。
全部は親に確認したのだ。当然親は赤面、激怒。
凄まじい折檻を引っさげて帰宅した。
父の顔が金鯱より怖い、鬼瓦より怖い、と思ったら、父が恥を掻かせたなといって、いつにも増して激しく殴られ蹴られた。

「お前の気違いはお前は好きで勝手になったんだ! 親の所為にするな! この恥曝しが! お前みたいな気違いは出て行け!」

といわれたのが、高一の春休み。
で、家を出た。
消えたかった。死にたいでなく、自分が生きていた証拠全部をみんなの記憶から抹消して、無になりたかった。
十六のわたしには辛すぎた。既に過食嘔吐もやっていたから、一人でどうやって生きていこうか困った。
困り果てて、高校の先輩に話し、超安いおんぼろアパート暮らしが始まった。

楽しかった。パンの耳だけを買い、吐いた。煙草も覚えた。SEXは嫌いだった。
ドラッグもやった。コカは最初嘔吐感しかなかったが、次第に気持ちよくなった。
でもお金が無く、最初から売屋の目的だった売春を強要されて、止めた。
別に禁断症状も無かった。食べて吐いていれば、全てのストレスが発散できた。
煙草は今も止められない。
やめる気もない。
痩せたい方、お勧めします。どうせ不健康にでも痩せたいなら、小腹の誘惑に打ち勝てる強い味方です。

SEXはいつまで経っても嫌い。結婚したって嫌いは嫌い。断が迫ってくると、吐き気がする。拒めば亡き父と同様の暴力。
わたしの父もいやらしかった。
小学校五年の頃、膨らみ始めた胸を見せろというのだ。
ブラが必要かどうか、母が父に相談したらしかった。母も母だ。ンなこと父に話すなよ。父は興味深そうにじーっと見て、触った。いじくられた。

其れも精神科医に言った。医者は想定通り、其れが性交渉への嫌悪の原因だという。あんたに言われなくても分かってるって。

母も性に関していやらしい。体操部だったから、ボディラインがどうしても出てしまい、大会を見に来るたび、ボディラインについて言うのだ。
「丸みが出てきたね」「膨らんできたね」「もう下の毛はえてるんでしょ?」「脇も剃らなくちゃ」「ちょっと一度よく見せて」
もう厭だ!

何で女に生まれたんだろう????
男になりたい!!! 男には男の苦労があるのだろうけど、少なくとも、性行為の被害者にはならない。

あ、男同士の強姦もありか。

あ~~~、旦那が帰ってくると嫌だな。今は外国へ長期出張中、だから気が晴れて気分がいいし、其のおかげで過食嘔吐も治った。
でも欝は治らない。会うのが疎になるほど、嫌いさが増す。

ベッカムみたいならいいが、うちのは友人から「カールおじさんの頭とムーミンの身体を合体させたみたい」といわれる不細工だ。

何で結婚したか、強姦されたから。汚されたから責任とって貰っただけ。それに、ホカの男がよってこなくなると思った。性に関しては兎に角嫌い。

もうじき夫が帰国する。わたしが何度も自殺未遂し、精神科医に叱られて後、夫も母も随分変わってくれたが、それでも嫌い。

消えたい。もう自分を殺すとか自殺とか、生易しいもんじゃなく、生まれたこと自体を歴史から抹消して欲しい。
誰からも忘れられたい。
本とは寂しい。寂しいけど、猥褻な事を強要されるよりはいい。

帰りたい……何処へだろう?


虐めの嵐。
と、精神科医に言われた。
母も強引な父に負けて、屈して、結婚した。わたしもそうだ。
そして同じように暴力を受けた。
医者もたまにはちゃんとしたことをいうものだ。

母は異常にわたしを偏執愛した。体操部でレオタードを切るの嫌がった。
卑猥だというのだ。女を武器にして身体を晒し男の審査員に媚を売る行為だといい、責めた。
「小さいときに激しい運動をすると処女膜という女の証が敗れて結婚できないよ」

これって小学三年生の子供に言うことかああ~~~!?

全然意味わかんなかった。
ただ母に反抗したくて、それに学校でちやほやされたくて、痩せた身体を自慢したくて、体操部を小中高と続けた。

確かにいやらしい真似はされた。

審査員から呼び出され、触られ、「もし誰かに言ったら落とすぞ」と脅されたり。
顧問の教師からも同様の呼び出し&個人レッスンを受けた。
何で男はああもいやらしいのか??? 女の殻を触って、何が楽しいのか???
全然理解できない。

最近では、性交渉ともに日常でも女性上位らしく、女の上司から猥褻行為をされたという相談をよく受ける。
きまって大学でたての新入社員だ。
わたしだってこれ以上に汲まれるのは嫌だから、同情してもそれ以上は何もできない。人事に言って、彼の配置換えを頼むだけだ。

最近何故かわたしは年下キラーといわれる。
若い頃はおじさんキラーといわれ、女子から壮絶な嫌がらせを受けた。負けなかったら、無視に変わった。

一度なんか、丁度十二月ニ十四日の金曜日、同じ事務所の女子全員が、わたしだけ残して有休を取った。もういなかだからオフィスとは呼べなかった。
わたしは出向で三重にきていた。二年限定で。其れが女子にとっては気に入らないらしかった。
わたしはバイク乗りだし、車のパーツなんかにも詳しい。だから当然、ブランド好きの女の子より男と話があう。
仕事もそのためにきているのだから専門知識がある。
全てが苛めの理由になった。

お弁当は一人で食べたし、湯飲み洗いも一人だった。
でも朝一番早くきてゴミ箱や机を綺麗にし、モップ掛けした。コピーだって男性社員がお昼も食べずにやっているのを代わって、「お昼食べてきてください」といった。何で其れが苛めの対象になるのだ???

「あの子昼休みサボってる」
と、陰口も叩かれた。普通昼休みはサボるもんじゃないのか???

神が茶色いからと苛められたのはもう小学校のときから。
中学では愛知県はかなり厳しい管理教育で、何度も神に水をぶっ掛けられた。
天然ですと母親が言っても信用しなかった。
仕方ないところもある。わたしは三歳でお守りのピアスをしていたから、あの頃ではかなりの不良に見えて当然だった。

スカートの長さ、セーラー服の短さ、前髪は眉上、肩に触れる長さの紙は三つ編み、靴は白、区域外に出るときは必ず親の許可証を貰い生徒手帳とともに携帯しろ……やってられっか!!!
高校と大学は楽しかった。かなり自由だった。けど会社は閉鎖的で変質者ばっかりだった。

そして過食嘔吐が復活した。高校のとき一人グラスを始めたら止まると思っていた。お金が無いし。でも止まらなかった。バイトで稼ぎ、バイト先で客の残り物を食い、コンビニの廃棄弁当を格安で買い、猛烈に食べ、吐いた。

いつかは過食嘔吐は止まる……わたしもそう思っていた。思いながら十六年続いた。途中四年間抜けているから、通算すれば二十年だ。人生の半分以上、非人間であり続けた。

そして苛めにより、もっとストレスがたまり、休みを待ち侘び、朝から晩まで寝る間も惜しんで食べて吐いた。

苛めの所為にはできない。性的嫌がらせの所為にもできない。全て自分の弱さだ。
でも強いと他人から言われる。其れが又圧力に変換され、過食を招き、当然嘔吐を伴った。

今わたしは苛めについてのボランティアをしているが、昔より陰湿になったようだ。わつぃは学生時代は苛める側だったので、(苛められたらそれ以上のやり方で苛め返し、クラスを乗っ取った)心が痛む。
でも今の子供達は少し代わった。弾力性が全く無い。暖簾に腕押し、反応がとても鈍い。無気力だ。

わたしだったら気にもしないことを、自殺の理由にする。本人にとっては重大事、其れは分かるが、
「給食で牛乳をおかわりしたら皆から牛って言われた」
ってだけで、首をつる。リスカはいまどきを行ってる証拠で、痕がないとダサイといのだ。苛められると。

う~~~~ん、苛めの質も変わったなあ。
わたしがやったのは弁当屋ノートを隠したり、スカートを頭の上で結んじゃったり、体育のとき制服を濡らしたり……あ~~~、わたしって結構陰湿?

酷いことしたもんだなあ~~~、今になってしっぺ返し食らって当然か。
今日も無視の嵐が待っている。まあ、無視ならしてくれたほうが楽だけど。

だって嫌なのだ。強い誰かに合わせて、思ってもいない誰かの悪口を言ったり、頷いたり、一緒に無視したりするのは。

わたしはわたしでいたい。
この憎い自分であり続けたい。自分を憎みながら精一杯戦って死にたい。
誰かに迎合して、心にもない陰口を言うのは嫌だ。
でも最近、薬が増えた所為か、記憶が途切れる。
欠落というか、抜け落ちるのだ。偶に人の名前が分からず、出す名刺を間違えたり、メーカーとユーザーを間違えたりする。
此れは困る。
わたしから仕事と勉強と取り上げたら、全く何にも中身が無い、肉の塊になってしまう。肉すらも消えればいいが、肉だけ残るのではたまったものではない。

ああ、今日も苛めだ。無視だ。もうなれた? 慣れるかって!
寂しいよ、ホントは。惨めに思われるのが悲しいよ。
でも自分でありたい。だから今日も無視されに行く。
戦いは終わらない。

Tuesday, February 21, 2006

柳寛順烈士の略歴

朝鮮のジャンヌ・ダルクと呼ばれる、柳寛順烈士は、一九〇二年十一月一七日、大韓民国は忠清南道(チュンチョンナムド)天安郡(チョナングン)龍頭里(ヨンドリ)で、父、柳重権(ユ、ジュングォン)、母、李少悌(イ、ソジュ)との間に生まれた。
彼女が生まれ育った時代といえば、一九一〇年に日帝による韓国併合が行われ、日本人憲兵や巡査、其れに高利貸しなどが地方にも大手を振って闊歩し、韓国の民衆を睥睨していた頃だ。

父、重権は、進歩的思想の持ち主で、民族的教育の必要性を痛感し、友人たちと民族学校の経営に乗り出したが、生徒が思うように集まらず、たちまち経営は行き詰まり、三〇〇円(当時)の借金はやがて三,〇〇〇円にも膨らんだ。

そして、重権の家には連日、日本人高利貸しが追い込みをかけ、彼を罵倒したのだ。

そのような時代背景と家庭の事情から、柳寛順烈士は、日本に好印象は持たなかったであろうことは、容易に想像できる。
彼女は、非常に活発で聡明な子供であり、やがて地方を巡回してきたキリスト教伝道団の女性宣教師アリス、H、シャープに見いだされ、給費を得てソウル(当時は京城)は梨花学堂(イファハクドン=現在の梨花女子大学)の普通科三年生に編入することになった。
柳寛順烈士一三歳の時である。

一九一九年三月三日、韓国の民衆は遂に立ち上がった。
人間としての尊厳と、民族の自立と、国家の独立をめざして日帝に立ち向かったのである。
有名な三.一(サミル)独立運動である。

柳寛順烈士は、同級生たちと小遣いを出し合い太極旗(韓国国旗)を用意してデモに参加しようとした。
しかしながら、其れは学校側によって禁止されてしまった。
日帝の総督府は、独立運動の多くの活動家が学生であったことから、各大学や学校に休校を命じた。

今も尚、「テーハン・トンニプ・マンセイ」と、いう叫びが聞こえる。

拉致被害者とは、戦前に、朝鮮から日本へ兎狩りで強制連行された、朝鮮の人達を指すのではないか。
日本人の拉致被害者は、確かに気の毒だが、朝鮮からすれば「仕返し」でしかない。

欧州でも、日朝間での拉致といえば、「ああ、日本人が朝鮮人にした虐待ね」と返ってくる。
わたしが思うに、日本国内で誘拐殺害された日本人被誘拐者と、北朝鮮人によって拉致された彼らと、何処が如何異なるのか。

日本国内で誘拐された人に対して、内閣総理大臣が何かしてくれたか?
国内で誘拐殺害された人達の遺族は、きっと歯痒いのではないか?

日本定住期間の短いわたしには、どうしても、ラチヒガイシャ達が優遇されているように見える。
衣食住全て世話して貰って、職も与えられ、本屋ドラマも売れ、何が被害者だ?
子供ができる程度の栄養は与えられていたはずだ。

全く、日本人のヒガイシャ意識には、うんざりする。

Monday, February 20, 2006

バーチャルな人間関係」と現実とのバランス by Regina Lynn

我が友人が、Second Lifeを選んだわけは、このゲームが、以前わたしががよく出入りしていたチャットルームを現代的なに蘇らせているからだ。

IRCのチャットルームでは、テキストと想像力を使って作り上げていたものが、Second Lifeでは目に見える形で表現されている。

このゲームの中で出会った素敵な女性から、わたしは素敵なドレスを頂いたことがある。
此れを手持ちアイテムに加えたお陰で、面倒なショッピング無しに、いつでも好きなときに服装を変えられる。

別の女性は翼のついた馬(Second Lifeでの呼び方は「空飛ぶペガサス」)をくれたので、外出がずっと楽しくなった。
わたしを友達リストに入れてくれる人も何人か生まれ、そのうち二人は、わたしにプラスの評価を与えてくれた。

お喋りしたり、冗談を言ったり、ふざけあったりしているが、今回はまだサイバーセックスをするには至っていないが、素晴らしい時間を過ごしているのは確かだ。

ただし、ゲームの中を歩き回っても、今まで知らなかった全く新しい可能性やチャンス、あるいは物珍しさに、呆然と立ち竦むことはない。

わたしにとって、ゲームのグラフィックスや一人一人のプレイヤー新鮮でも、オンライン・コミュニティーや仮想空間が持つリアリティーは馴染み深いものだからだ。

Second Lifeの世界で見つけたのは、居心地良く楽しめる空間だ。
友達の作り方も知っているし、他のプレイヤーとの会話も楽しめる。
十分な時間があれば、アダルトコンテンツにもすんなりと入っていける。

オンラインで時間を過ごすために、現実世界での誘いを断ることさえある
其れでも、わたしの人生がこのゲームに乗っ取っられたり、友人との関係がゲームの所為で危うくなったりはしない。

上手に、世渡り、綱渡りをしている。

何もかもが新鮮だった、無邪気な昔の自分に戻ることはできない。
でも、今のわたしに、あの時代に戻る気がないことも分かっている。

わたしは既に、サイバースペース行って、経験を積んだだけでなく、こうした経験をサイバースペース以外の生活にも活かしている

逆に、以前より付き合い易い人間になったと言われる。

何故なら、当たり前の話だが、仮想空間と実世界の共通点とは、人が存在するという、その一点に尽きるからだ。

そして、好むと好まざるに関わらず、経験undoすることはできない
何処へ行っても、人間は同じようなもの、と、英語の古い諺が言う通りだ。

其の意味で、アダルト・チャットルームを経験すれば、元に戻れない、つまり、処女や十四歳に戻れない
或る意味、有難い話だけれど。

しかし、経験から得た落ち着きをもってアダルト・コミュニティーに戻れば、新しい世界をより深く、そして願わくは、磨き上げたスキルを駆使して、楽しめるはずだ。
さて、コラムも書き上げたので、これから私はそちらの活動に集中することにしよう。

以上、サイバーフレンドであり、尊敬する彼女からの記事。

レジーナ・リンセクシャル・レボルーション2.0の著者です。
和訳されてたっけ?

彼女からの伝言。
返事を辛抱強く待てるというなら、電子メールはginalynn@gmail.com宛てに、とのこと。

勿論英語でお願いしますね。
彼女からは、非常に巧みで効果的な現実逃避の仕方を学べます。

チャットルームに逃げ込むのでなく、利用するのです。
自分をヴァーチャルな世界で磨き上げ、失敗を重ねて強くなり、罵詈雑言に耐え得る神経を養い、厳しくも生易しい、現実世界でそれらを生かすのだ。

ゲームに人生や時間を乗っ取られてはいけない。
自分がゲームを操るよう、どうか、ネット中毒予備軍の方、お気をつけて。

バーチャルな人間関係」と現実とのバランス

アダルト・ビデオチャットについて、かつて通い詰めていたオンライン・コミュニティーを懐かしさを覚えた。

あのチャットルームでの会話が、ウェブ・アフェアーズに掲載されているかもしれないのだ。

ってことで、英文のウェブ・アフェアーズを取り出し、掲載されているスクリーンショットを注意深く調べて、知っている顔や体の一部が写っているかどうか確かめてみた。

ウェブアフェアーズで扱われているテーマの中で、特に親しみが持てるのは、著者の個人的な経験だった。

チャットを始めたばかりの頃は、控えめだった著者も、次第にサイバーセックスの女王となり、最後には、現実と架空の世界の間の両極端の行動で、バランスを取れるようになっていた

日本でも、わたしの知人の中でも、ハマっている人達は、昼の顔と夜の顔を上手に使い分けているのかもしれない。

著者は今でもチャット・コミュニティーの常連だが、オンラインで過ごす時間は短くなっているらしい。

また、チャット仲間は他の場所で知り合った友人と同じように、著者の生活の一部になっている。

わたし自身、興味本位で侵入してしまったアダルト・チャットルームに、程なく入り浸るようになったとき、同様なことになった。
現実と架空との使い分けができ、脳の中で、全く別の自分を生み出していた。
友人との話し方、言葉遣い、引いては自分のプロフィールまででっち上げるようになった。

特定のチャットルームでは、始めて一週間ほどは新入りだ。
やがて常連になり、可能な限り長い時間をチャットルームで過ごし、様々な人と仲良くなったり、ふざけあったり、サイバーセックスを始めたりするようになる。

一時の狂乱が過ぎると、其の後は落ち着いてくる。
其れは多分、チャットルームを最初に訪れた際に溜め込んでいた、欲求が満たされたからだろう。

しかし落ち着いてきたのは、仮想空間と現実生活との間でバランスを取り、混乱状態に陥ることなく、あらゆる事柄や知り合った人達を、自分の生活に収める技術が身についてしまったからだ。

決して良いことではない。不健康極まりない。
でも、カウンセラーより精神科医より、チャットルームの仲間達は、わたしを癒し、慰め、励ましてくれた。

人によっては早くて二ヵ月、遅くて二年以上かかるかも知れないが、殆どの人は、最終的にこうした心境に到達するようだ。

実生活での家族関係、友人関係、恋愛関係が滅茶苦茶になる前に、バランスが取れるなら、其れは其れで、一つのストレス発散行為として申し分ないだろう。
また、実生活での入り組んだ関係を終わらせたいのなら、格好の言い訳になる。

わたしが昔、出入りしていたチャットルームは、今はもう無い。
あの狂った愉悦に満ちた、チャットルームへはもう戻れない。
だが、わたし自身のの生活もまた、あの頃と同じではなく、良くも悪くも激変している。
少なくとも、学生時代のように、入り浸る時間はもう無い。

あの頃は、とにかく、人間関係が複雑だった。
結婚を言い出す彼氏、父の死、兄の渡米、母の帰郷、わたし自身も何処に本籍を置くかで悩んでいた。

仕事も忙しかった。というか、駆け出しのプログラマーは、週三回の徹夜が常識、日本人相手の接待は一日おき、週末はゴルフの付き合い、其の暇に母を気遣うと言った、半ば崩壊した生活だった。

其れでも、自己顕示欲は満たされ、経済的にも恵まれ、知り合いは裕福でプレゼントを貰い、何もかも上手くいっていると思っていた。
一人でも構わないと信じた。
上手に世渡りができていると思った。

其の半面で、星占いやタロットに依存した。
新聞、ウェヴ、TV、あらゆる占いを片っ端から読んで、今日の服を決めたり、友人の誘いをキャンセルしたりした。

外からは華やかに見えたらしい仕事も、実際の内容は複数言語入り混じるプログラムを作り、デバッグし、バグを承知でお客をたぶらかして入金させるような、地味で汚い仕事だった。
其れは今現在も、何ら変わらない。

仕事中もインターネット・リレー・チャット(IRC)のウィンドウを、ディスプレーの右隅に開いたままだったが、仕事の質が其の所為で落ちることも無かった。

言葉を引っ掻き回し、対人関係を攪乱し、機械と対話する日々中、浮遊する退屈な部分を遣り過ごせたのは、チャット仲間がいたおかげだった。

わたしの友人で、ライターの仕事を持ち、相性のいい交際相手を現実でも架空でも持つ女性がいる。

彼女はは沢山のオンライン・ディスカッション・グループ、セックス・ドライブ・フォーラム(要登録)で、活発に発言している。
日本にいても、其の発言力の大きさが分かるほどだ。

また彼女は、IM(インスタント・メッセンジャー)クライアント、トリリアンの連絡先リストに、百人の仲間を登録しており、いつでも思い立った時点で、最低四十人にオンライン上で連絡可能だと言う。

昔のチャットルームが、集団として生み出していた、あの狂喜乱舞といえるエネルギーを懐かしく思う。

また、どんなに馬鹿げていても、あるいはどんなに性的な内容でも、心に浮かんだことを何でも発言できた自由が懐かしい。

友人の彼女とチャット中、ふと、新しくオンライン・コミュニティーに参加したら、こうした失ったものが再び手に入るか、そして、ブラックホールのように自分の時間を吸い取られるかもしれないが、其れだけの価値があるか、などと考えた。

彼女は、答えを求めるなら、オンラインゲームのSecond Lifeを始めてみろと言う。

試しにやってみた

こうして日本語を書いている今も、別のわたしが、別のウィンドウに表示された仮想広間で、他の人達と一緒に踊っている
何の脈絡もなく、突然「Oh! Year!」だの「You dammed!」と、叫ぶ理由が、分かる人には分かってもらえるだろう。

授業中にやらないことだ。
夫がいる時間帯もやらないことだ。
だが、何時電源を落とすか、其のきっかけが何時だって掴めなかった
だからだらだら、二十四時間わたしのPCはつけっぱなしだった。
今は電源を落とす勇気を得た

ところで、Second Lifeはゲームの要素もあるけれど、純粋なゲームというよりはむしろ、、を提供するものだと、理解して欲しい。
この点について、異論がある人もいるだろうなあ。
此処では、3Dアバターの姿を借りて、オンラインの世界でほぼ現実に近い人生が送れるのだ。
まさしく現実逃避。

単純なビデオチャット、或いは、今や大昔のメディアと化した、テキストチャットとは違い、見たり、作ったり、売買したりと、様々な働きかけを行なう対象が数多くあり、其れを通じて、他の人々と関係を持つ自由も、持たない場面もある。

現実に結婚したカップルもいる。無論、即効で離婚したが。

やっと抜け出したヴァーチャル世界へ、またわたしは、模造友人に唆されて、足を踏み入れようとしている。
サーフ中にうんざりするほど見かける「オンラインビジネス」も、現実に稼ぐ人は稼ぐのだ。
もっとも、総員数の0.01%にも満たないが。

わたしは夫とわんこのお陰で、昔のようには多分ならないが、なりそうな可能性が見え見えの人も大勢知っている。

日本のチャットはまだ底が浅いので、ハマっても程度が知れているから良いが、米国は心底病んでいる
逆戻りしないよう、そろそろ電源を落とそうか。

Thursday, February 16, 2006

不作為の罪

聖書で言う「罪」ということは、わたしたち日本人には分かりにくい。
「罪」といえば何か悪いことをすることで、何もしないことは罪にならないと考えやすい。
日光東照宮の猿ではないが、見ザル、聞かザル、言わザル、何もしないなら罪にならないというわけだ。
しかし、聖書では「何もしない」こと自体が、罪を犯すことにもなりうる。
タラントの譬(マタイ25:14~30)はそのことを示唆しているし、次の聖句の行間にもそのことが伺える。

其処に片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人を癒されるかどうかを伺っていた。
すると、イエスは人々に向って、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。

すなわち、安息日だからといって、善を行えるのに行わない(何もしない)のは悪を行うことであり、命を救うことができるのに救わない(何もしない)のは殺すに等しい。

罪(ハマルティア)とは、目標を「逸する、それる」ということで、
目標を目指して放たれた矢が目標から「それる」ことを意味している。成れるのに「成らない」こと、できるのに「しない」のは罪なのである。

M・ニーメラーはナチに抵抗し一九三七年から一九四五年までダッハウの強制収容所に収容されていた。
戦後その収容所を訪れ、死体焼却炉の前に「一九三三年から一九四五年まで二十三万八千七百五十六人がここで焼かれた」と書かれているのを見てショックを受ける。
死者の数にではなく「一九三三年から」ということに。
すなわち、一九三三年から一九三七年までの彼が自由であった四年間、「自分は何をしていたのか、何をしなかったのか」、ナチに手を貸したわけではないのだが、「何もしなかった」ということが彼には問題だったのだ。

ナチのような悪に対して積極的に加担しなくても、次の場合は同罪であるとの指摘は正しい。byE・ノイマン著「深層心理学と新しい倫理」
見ても行動しなかった人。
見ようとしなかったために見逃した人。
見ることができたのに見なかった人。
見る眼をもたなかった人。

見るということは、何が善で何が悪であるかを、単に判別するという問題ではない。
判別した後、どうすることによってその善を実現できるか、が問題なのだ。
ナチのような悪の権力が支配している時に「何もしない」ことは大きな問題なのだ。日本の事勿れ主義はそれ自体社会の病巣といえる。

納まらない感情

話が飛ぶが、ジャンボジェット機が墜落炎上、乗員乗客二百人余全員死亡!という事故が発生した時、即座にどのチャンネルも臨時ニュースで取り上げ、号外は発行される、次の日には全ての新聞が一面に大々的に取り上げ、という具合で、よほどの世捨て人でもない限り、このニュースを知らないという事はまず無い。

しかも、その事、誰一人としてこのニュースを知らぬ者は居ないという事実も、皆が知っている筈だ。

ところが、次の日、そのニュースの事を知っているに決まっている人、を相手に、会う人毎に、このニュースの話をする。
「昨日のニュース見た?」
「うん、見た!見た!」
「凄かったなぁ! ものすっごく派手に燃え盛ってたよな!?」
「うん、うん、あの状況じゃ、生き残ることは不可能やわな」
「そう、そう、なぁ! 二百人余全員死亡やで!?」

冷静に考えれば不可思議な行動だ。だってその相手は、このニュースについて知らない相手ではなくて、既に知っている相手なんだよ! 
新しい情報を教えているわけでも、教えてもらっているわけでもない。
論理で考える限り、身内等がこの事故に関わっている一部の人を除けば、何のメリットも無いように思える行動だ。

この不可思議な行動の謎を解く鍵が感情、だ。

こういう事故を目の前にした時も、論理はそりゃ飛んでいるものは落ちる時もあるだろう、とかジャンボジェット機というのは堅牢な密室なんだから、此れが火に包まれると逃げ場はないよ、逃げ場が無いんだから、よほど運が良いんじゃなければ死んじゃうよな、と割り切る為の理屈を色々と付ける。
論理思考はこれで片が付く。

ところが納まらないのが感情だ。
感情にとれば、鉄の塊が空を飛ぶ時代になってこういう事も起こり得ると解っていた上でも、人の命がほぼ一瞬で、理不尽に奪われてしまったという事実は受け入れがたい、事実なのだ。 

そういう受け入れがたい事実に対して、怒りなり憤りなり悲しみなり種種納まらない感情が発生するのだ。
納まらない感情、というのは、此れを抱え続ける事は心理的負担になり、実際不快でしんどい事なのだ。此れを納めようとして、他人と共有するべく行動を取るのだ。感情というものは他者と共有すること、で納まっていくという性質を持っているからだ。

論理思考による割り切り、と感情の納め方、これのギャップが開き過ぎると問題が起こってくる。

納めようにもそう簡単なことでは納まってくれそうもない、不快な記憶を伴った、大きい感情の塊、が出来てしまった場合、納まらない感情を論理思考で必死に割り切ろうとし始める心理機制、心が自分自身を守ろうと起こす防御反応の一種、が起こる。

納まらない感情を論理思考によって切り離し隔離しようする、と言い換えても良い。専門用語で解離、否認、空想化、などと呼ぶ一連の心理機制だ。
解離が一旦発生すると、どんどん解離を広げて行ってしまうという悪循環が始まるのが通例だ。

解離が酷くなれば解離性同一性障害(いわゆる人格分裂)にもなる。わたしのように。完全に人格が分裂する。

この心理機制によって発生する心理疾患の代表が外傷性精神障害だ。
このように心理的病は、本来は自分を守るために備わっている仕組みが逆に自分を病気にしてしまうという点でアレルギーに似ている。

逃れの町

旧約聖書の都市計画には、いわれのない罪で命を狙われている人が逃げ込める、「逃れの町」の設置が義務づけられている。

近代歴史で実際に「逃れの町」の働きをしてきた村がある。
フランスの中央高地にあるル・シャンボン村。
この百年、村民はすすんで難民を匿ってきた。

最初は第一次世界大戦で家を失った人々がやってきた。
三〇年代には内戦でスペインを追われた子女が逃げ込んできた。
第二次世界大戦下ではナチスの迫害から逃げまどう子女だった。
この一帯は宗教的迫害を逃れた農民たちが住み着いたといわれている。
だから追われている人を助ける伝統があった。

九〇年代にユダヤ人団体が記念の平和の森の建設を申し出たが、村議会は、「当然のことをしただけ。ユダヤ人だから助けたわけではないし、この村だけが助けたという話でもないから」と、断った。

このル・シャンボン村の四〇年代の働きを詳しく紹介した本がある。
フィリッピ・ハリー著『罪なき者の血を流すなかれ』だ。
当時の指導者A・トロクメ牧師らは、助けられる人のための助けであり、教会や援助機関の利益のためではないとの考えで、ユダヤ教の難民を改宗させようとは決してしなかった。

ナチの尋問に対して、難民をかくまっていることは素直に認めたが、どこに匿っているかについては固く返答を断った。
小さな村だから発見されやすいので、ナチに発見される前にスイスへ山越えさせるための、必要な証明書を偽造までした。
 
巨大なナチの勢力に抵抗することによって村の各家庭は大虐殺の危険に曝されたが、彼らは自分の良心に従って行動したのである。

それは旧約聖書の「逃れの町」の設置精神に相通じるものだ。

幾つかの町を選んで逃れの町とし、過って人を殺した者が逃げ込むことができるようにしなさい。(旧約聖書)
罪なき者の血が流され、その責任があなたに及ぶことがないようにするためである。
           『逃れの町」の設置精神は、相手がどんな人間であれ、憎んだり殺したりするのを拒否することであり、単に自分が加害者にならなければいいということではなく、他人に害が加えられることを防がねばならないということである。

悪がこの世にはびこっているかぎり、中立的立場を取ろうとすることは悪の共犯者になることだ。

難民を戸口から立ち去らせることは、単なる援助の拒否ではなく、
閉ざされた戸は危害を加える道具であり、戸を閉じることは害を加えることである。

嘘をついてまで斥候を匿ったラハブの行為を新約聖書は絶賛している。
ル・シャンボンの人々と共通しているのは、自分のためでなく、救いを必要としている人のために命をかけた行為ということだ。

それが信仰であり隣人愛だと聖書はいっている。

生きろ!

今が苦しくて、自殺したら楽になる。無の世界に行ける。
本当にそうなのか? 自殺をすると成仏出来ず地縛霊になるとか、死んだ時の痛み、苦しみが永遠に続くとしたら? 
ただの脅し?
臨死体験等の話が本当かどうかは死ねば分かる。

でも、今、分かっていることは、生きたくなくても生かされているという事。
生きたくなくても、空気を吸うし、お腹も減る、それは確か。
逆に死にたくなくても、死ぬこともある。
生きている方がずっと楽なのかもしれない。
今感じている苦しみ、悲しみは本当に、アミノ酸の塊の中で起こっている化学反応でしかないのか?

今は消えてなくなりたいと思っているけど、十年後もそう思っているのか?

最低でも後六十年は悩む時間がある。
「今苦しいから、死んで楽になりたい」
そういう言葉がけっこう気楽に見られる数多のサイト。

でも本当に、死んだら楽になるのか。

「あなたが死ぬと、皆が悲しむ!」

奇麗事だよね。

でも、本当は反吐塗れの奇麗事であっても、もちろん口だけの人もいるかもしれないけど、本当に心の底からこの言葉を伝えたいわたしは、如何すれば信じてもらえるのかな。

「自分が一番、この世界で苦しい辛い思いをしている」

本当?

では、死にたくないのに、死んでいく人は、あなたより幸せなのか。

残念ながら、死にたい人を止める権利など、わたしにはない。
でも、死んで欲しくない。

今の今、生きること死ぬことを選択するのは、あなた自身だ。
周りの人のことを考える必要は無い。
生きること、死ぬことに意味を付けること自体が無意味だ。
人間も一生物、生まれれば死ぬ。其処に意味はない。其れが当たり前だ。
死ねば楽になるかもしれないが、楽にならないかもしれない。
それは、自殺してみないとわからない。

ただ、自殺してから、こんなはずじゃ~~~と地獄で後悔しても遅い。

生き物は、必ずいずれ死ぬ。
なら、死ぬのはもう少し楽しんでからにしたら?
楽しめない?
本当に、二十四時間辛いのか?
一分、一秒も辛いのか?
世界には自分で選択できずに死ぬ生物が沢山いる。
やっぱり日本は贅沢な国だ、自分で決めれらるのだからね。
生死の選択を。
必要な人間なんて、この世に誰一人としていない。
人間は地球に巣食う悪性のウィルスのようなもの。
だけど同様に、不要な生物もいない。ウィルスも進化して、独自の発展を遂げ、赦されぬ種の絶滅に寄与している。
だから生きる意味も死ぬ意味も無い。

あるがままを受け入れる
簡単で誰も達成できなかった難題。
それに気付かずに生きていける人を、幸せと呼ぶのだろう、羨ましがるのだろう、妬むのだろう。

例えば、近所で自殺した人がいたとする。
あなたは悲しいか? だね。
あんた数日、いや数時間経ったら他の事に夢中になり、下らないTVに没頭し、忘れてしまうだろう。

大切な人が自殺して悲しい?
残念だがあなたは相手にとっては大切な人じゃないかもしれない
引き止める枷ともならず、置いていかれたんだからね。
後追い自殺でもするか?

できないだろ?

自分が一番大切だろ?
そういうのものだよ。

あなたがいなければ生きていけない、そんな台詞を吐いたわたしは、其の人が十五年も前に死んでも生きている。
一秒も思い出さず終わった日も増えた。

口では奇麗事を言うが、実は狡猾で醜い精神を持った輩だけが良い思いをする。
其れが今の世の中。残念だけど其れが現実。
だからこそ、貫けよ、自分を

わたしは脳障害で、一身属性の物事を忘れてしまう。
プログラムや法学や外国語は覚えているし、人並み以上にこなすが、自分に属することを思い出せない。
この人は誰か、氏名年齢職業身分重要度など、上辺は分かるが、中身が分からない。好きだったのか嫌いだったのか、分からない。
どんどん記憶が欠落していく。
悪性リンパ腫は耳下部に巣食い、脳の一部を損傷させた。

自慢するが、IQはきわめて高くなった。
なのに、其のテストが何のためだったか、分からない。終わったらどうしろといわれたか、思い出せない。
だから健常者が「辛い」というと、ムカつくのだ。
身勝手な人間らしい女だ。
生きてやる、死ぬまで

前後左右に揺れて

誰しもは死に向かっている生き物だけど、周りの人に迷惑かけないように死にたいと、願うものだ。
獣もしに行く姿を見せぬよう群れから去って一人で死ぬ。
人間でも植物でも、病気でこの世に絶望する。
特に人間は、自然の摂理に反した死を考える。人生とは苦しめるものだ。
いくら楽しいことがあっても、最後に思い出になって悲しいことになるのだ。
例え恋をしても、傷つけ合う苦しさや、別れる悲しさが必ずやってくるだろう。
例え結婚しても、相手が浮気するかどうかの不信任感や、子供との付き合いが上手く行かないなど、生きるに困ることが沢山ある。

離婚率の増加や結婚率の低下は、人間の信頼性が失う事を示しているのではないか。
人間なんて醜いものだ
外見だけ、お金だけ、表面的なものばかり重視しすぎる。
ふと気が付き、手に握っているのは、疲れるだけの仕事と人間関係だけ。
人間は仕事のために生まれたわけではないし、傷付け合い殺し合うために出会うものでもないはず。
だけど、楽しく仕事をする人が少ないくて、憐れだ。
人間関係ってどうでもいいものなのに、雁字搦めに自縛する。
人間って恐ろしいもの。
誰か人と人との付き合いを複雑させたか?
自分が苦しめるのは自分だ!
嘘吐き、偽り、騙し、欺き、偽善と偽悪ばかりの、気持ち悪い世間。

女は金を求めるて体を売る。例え相手はオヤジであっても。
男は性を求めるて女を買う。例え相手は未成年であっても。
虚しい人生なのだ。

お金無しでは生きていけない。
欲しいものが多すぎて、お金は足りない。

病気に罹っても、病院に行っても、治らない病気だと絶望する。
人間に困る、社会に困る、お金に困る、病気に困る、生活に困る。
要すると人生に其のものに困窮し、疲れ果てた。

この疲れやすいのこの世にボロボロで生きているのが意味無い。
意味は何処を探し回っても無かったのだ。
生きていて何になるのかと考え始める。
生きてなくてもいいんじゃないかなという答えに気持ちが揺れる。

自分が生きてることで、結果的に誰かの助けになったり、幸せを与える事もあるのだろうけど。
逆に人に不幸を与えている可能性もある。

そんな言葉を聞いても気分は晴れない。
逆に疲れてしまう。
すると、いつ死んでもいいと、表現できないほどの気持ちがこみ上げてくる感覚。
落ちてゆく自分を包んでくれる、そんな何かを求めて今を生きる。
心の氷河期に耐えて過ごすばかりだろう。
温もりの光が射す、そんなきっかけや出来事や出会いがなければ。
心を失い、、世界を他の人に託すかのように、自殺の道を歩む者の一人になることだろう。

試行と錯誤は常に紙一重
わたしは何度も、気分を紛らわせるための手段として死を試行し、生を錯誤し、暗中を模索してきた。

今は吹っ切れた。居場所は、無い。
無いなら造れ!
探しても無駄、無いのだ、創らねば。
ゼロじゃない、マイナスの今、たったマイナス1を乗ずるだけで、無限のマイナスが悠久のプラスに変じる。

掛算をするのは自分
ゼロ割り算をすれば、内部コードは崩壊するが、何を掛けるか、決めるのは自分。
誰でもない。わたしだけだ。
此処は何処にも無いわたしだけの隠れ場所。
でっち上げた架空の場所。
逃げ込んだ妄想の街、人、建物。

だけどそれら全て、プラスに還るのはわたしだけの権限であり、誰の強制にも叱咤激励にも左右されない、わたしだけの領域。

創ったのだ、架空でも、妄想でも、狂気でも、この歪んだ世界をわたしが創ったのだ
ならば滅ぼすのもわたしの領分だ。

この自己に対する破壊衝動を、この架空現実をぶち壊す力に変えて、必ずわたし、幸せだと世界の東で叫んでみせる

自分を必ず連れて行く。
馬鹿にしたやつらを見返す所へ。
コケにしたやつらを嘲笑う所へ。

いま、戻れない道への門を開けた。
此処からは、半透明の膜で覆われたトンネルの中。
透けて見えても、誰とも直接触れ合えない。
孤独地獄。

地獄の炎を煉獄の焔とし、この身を焼き祓い清めて、行く。

生への産道を一人で抜けたなら、死への冥道も一人で抜けるさ

何度も振り向き、泣き、後悔し、悩み、間違え、座り込み、倒れ、手足を落とし、其れでもわたし、転がり続ける。

無間の闇か、夢幻の園か、何処だろうと、自分で選んで辿った道だ。

胸張って、地獄で申し開きしよう。
わたしはわたしを生きた、と。

人間はすべて罪ある者。
人生、この世が全てではない。其の先があるのだ。
死ねば肉体は腐って土に帰る。もともと土で作られた人類。。だから土に帰るのだ。
わたし達の魂は、もともと神の元から来た。でも今は罪があって神のもとへ帰ることができない。

有史以前より数多存在した、殉教者達を知っているか。
神は、そんな罪人だ我等のために、罪を清めるために、数知れぬ神ご自身の御子を十字架にかけた。
教会に行って献金したり、寺で奉仕したり、神社で祈ったり、其のようなことで、天国へ行くのではない。
天国は、ただ神の言葉を信じて、心の罪の赦しを受けた人が行くところ。
本当は、肉体が死んだとき、魂も死んで、罪人が行くべき地獄へ行くのだが、神は生き物を憐れみ、其の罪を清めるために、自らの子を殉死させた。
わたし達が受けるべき、罪人が受けるべき罰を、殉教者達が身代わりに受けたので、もう受ける罰はなくなった。

そう信じてもいいのだ。

わたし達が生まれてから死ぬまでの全ての罪は、殉職者達が己の血で清めてくれたと信じれば、もう心に罪はない。
自分を許してあげて。
神は、十字架の血によって、すべての罪を赦したと仰ったのだから。
そして神は、其の証しとして、ジーザスを、弥勒を、釈迦を、数限りない高徳の僧達を、未だ語り継ぐことを赦されている。
それを信じて心に罪がなくなり、義人となった人が天国へ行けるのだ。
もう罪を犯さなくていいのだ。生きとし生けるものは全て、他の生命を喰らい、循環している。

其の穢れた行為はわたし達のさだめ、この世に落とされた全生物の宿命。
受け入れよう。滅びさえも。
沢山の予言と科学的予測では、二〇一二年、滅日が訪れる。
地球は破滅への道を歩んでいる。
猛暑、台風、地震そして大寒波がやってくるだろう。
それは自然の摂理。
始まりがあれば終わりがやってくる。
限りある命を限られた時間に何をするか。
先祖からいただいたこの命。
わたしは自分の命が消えるとき、生まれたことを感謝して眠りたい。

Solitary death 孤独死

だれにもみとられずに死亡すること。
特に,一人暮らしの高齢者が自室内で死亡し、死後しばらく経って初めて遺体が発見されるような場合についていう。
現実にある出来事のひとつ孤独死について考えてみた。
孤独死という言葉は、もともとは神戸新聞が震災後の四月五日に使い始めた言葉で、今や、孤独死は高齢化社会が進む日本の中で、大きな問題のひとつとなっている。

孤独死の現状は?
阪神大震災以降、孤独死という言葉とともに現時の問題として急浮上した。あの震災から、一〇年、現在、孤独死という言葉はどういう意味合いで使われ、また孤独死という問題はどのように変化していっているのだろうか?
阪神大震災から一〇年 減らない孤独死。
あの阪神大震災から一〇年経った今、孤独死は減るどころか増えている
一時期は減ったらしいが、ここ最近また増えてきている。
二〇〇四年度の孤独死者数だけで七〇人もの方が孤独死でお亡くなりなった。

統計がある。二〇〇〇年度から二〇〇四年度まで復興住宅での孤独死者数は三二七人にも上る。
さらに統計のない一九九九年度以降を遡って計算すると、一〇年余りで約六〇〇人余りの方が、孤独死でなくなった。

孤独死を防ぐには?
色々なメディアで孤独死が報じられるたびに、どうして孤独死を防げなかったのだろうか、どうしたら孤独死を防ぐことができるだろうか、と色々議論している中、言えることは、孤独死そのものを防ぐことではなく、孤独死に至る経過を防ぐことが孤独死を防ぐことが大事だとわたしは思う。

そのためには、行政による支援だけでは絶対に無理があるので、例えば、巡回や、話し合うことで心のケアをしたり、お年寄りの方が集まることのできる場所を提供するなど、横の繋がりを強化し、地域ぐるみでより良いコミュニティ、もしくは新たなコミュニティを形成していかなければならないと思う。

孤独が人を殺す。
都会では、自殺する独身の男性が増えており、家族のない男性の自殺率が、同居する家族が一人でもいる男性と比べると、自殺率が六.八倍も高いことが調査で分かった。
しかも、その男性が独身である場合、独身でない男性の一.五倍も自殺率が高いことが明らかになった。
悲しい現実だ。孤独死とは少し違うが、彼らが孤独を原因として、死を選んだことはほぼ間違いないだろう。

孤独死対策により、一時期は減少したかと思われた孤独死ではあるが、その実、年々孤独死は増えており、此れは、復興住宅や被災地でない地域でも孤独死が増えているらしく、孤独死が増えている地域に共通しているのが、ご近所付き合い、横の繋がりがない、つまりはコミュニティが形成されていない地域であるということだ。

今後は、ハードだけでなく箱物行政だけでなく人間の心を考えたソフトウェアの部分をもっと大事にしていかなければ、孤独死をはじめ色々な問題は解決されないと思う。

Article left by the departed 遺品

残された人へのケアも大切、ってか、其れが一番大切。
もう死んじゃった人のケアはできないから。

もし、大切な人が自殺してしまったら…… 頭の中には「何故?」という重い問いかけが居座り続けるのではないだろうか?

どうして気がついてあげられなかったのだろうか、 どうして助けてあげられなかったのかと自分を責めていないか
また、あの時、自分がもっと優しくしてあげていれば自殺なんかしなかったかもしれないのに、と思っていないか?
あるいは、何故自殺なんかしたんだとその人を責めたりしていないか

時間が経過しても残された人の心の重荷は簡単に消えることは無い、むしろその心の重荷が時間の経過とともに膨れ上がり、自分も死んでしまいたいとまで思ってしまう人がいる。
自殺は、その人や家族やまわりの人達に経済的にも精神的にも大きな影響を与える。

だから、自殺を予防することは大変重要なのだ。
心のケアは、自殺願望者だけでなくその家族やまわりの人達の心のケアも大変重要だ。

遺品について。かなり、えげつないほど現実的に書く。

「高齢でとても遺品処理ができない」、「忙しくて遺品処理をすることができない」、「急なことで頭がいっぱいで自分ではどうすることもできない」、などなど……遺品処理に困った場合は、遺品処理のプロにお任せするのが最善だと思われる。

環境問題などによるゴミの廃棄問題。
また、昨今では、家電リサイクル法や、環境問題のため、昔のように簡単にゴミを捨てることができない時代になっている。
個人でゴミを捨てるにも、煩わしい手間とリサイクル、処理費用、さらに廃棄責任も負う事になり、大変な労力が必要となる。
その点、専門業者の場合、各種許可をとっており、遺品をリサイクル、産業廃棄物として処理してくれる。

遺品(不用品)の買取。
業者の中には、遺品の中の不用品をリサイクル品として買取してくれるところもある

孤独死、自殺でなくなられた故人のお部屋の整理、掃除、消臭について
遺品処理専門業者は、素人が手におえない孤独死や自殺などでお亡くなりになった故人の遺品処理および故人のお部屋の整理、掃除、消臭までを完璧に行い得る。換気扇、水回りから、ベランダまでを完璧に清掃してくれる。
また消臭も特別な脱臭装置を使用し、悪臭を消し去ってくれる


遺品の搬出、分配、宅配などは?
遺品の搬出作業から、宅配、分配も行い得るので、遠く離れた親戚や、全国にいる兄弟に遺品の形見分けができる

ふとんや香典袋、弔電の焼却。
故人の使用していたふとん、葬儀でご不要になった香典袋等の焼却も承る業者もある。

このように、素人ではできない、手が回らない部分までを、プロならきっちりとこなしてくれるので、「高齢で遺品の処理が出来ない方」や、「忙しく遺品の処理ができない方」、「孤独死でお亡くなりになった故人のお部屋の掃除、脱臭」などなど、遺品の処理でお困りの方は一度、専門業者に相談することをお薦めする。

Suicide 自殺

自分で自分の命を絶つこと。
近年問題となっている、ネットで集団自殺や自殺者数の増加、年間自殺者数三万人超といったニュースや新聞など色々なメディアで話題となっている自殺を様々な角度から検証し、最終的にどうしたら自殺を防ぐことができるのか、自殺予防法を提示された。

人は何故自殺したくなるのかという問いに対して、誰も明確な答えを出すことは出来ないと思われる。しかし、自殺する引き金となるものはいくつかある。

人間関係のストレス

代社会の抱える複雑な問題
現代社会では、複雑で多種多様な問題を抱えている。
日々、生活していく上で其れが重いプレッシャーとなって、どう処理したら良いのか分からなくなり、悲観的になったり、自暴自棄な気分に陥ってしまったり、必要以上に自分を責めたりしてしまうこともしばしばある

職場でのトラブルや家庭不和
様々なトラブルや不満が原因で、仕事への意欲の消失や、自分自身の能力への疑問、自分が正等に評価されていないといった不条理を感じたり、社会的に孤立したりする。
また家庭内の人間関係のもつれから生じる摩擦や家庭崩壊、加えて経済苦境といったストレスの重層化と悪循環に苦しめられる。

学校でのいじめ
子供達にとって、学校環境や友人関係は大人が考えているより遥かに重要であると同時に一種の閉鎖的社会でもある。
大人の目線で「そんなことぐらい」と思えるようなことが、案外子供にとっては命にも替え難いほどの事柄でありもする。精神的にも未成熟な子供達にとって、今の状況が将来を決定的にしてしまう様に思えて明日への希望を見失ってしまうのだ

喪失体験
精神神的喪失感
人は配偶者、子供、親や親しい人が亡くなった時はとてもつらく、悲しい思いをする。一緒に死にたいと考えてしまう事さえある。そんな時、心を支えてくれる人がいないと、鬱的気分から抜け出せず、本当に鬱病になってしまう。
また喪失体験は、失職、転職、単身赴任、引越し、リストラ、子供の独立からも起こり得る。

身体的喪失感
此れらの社会的、精神的な喪失感のほかに身体的喪失感も見逃せない自殺の要因だ。
病気や怪我で身体の機能を失うことは大変辛いことで、其れが元で希望を失い、自身がなくなってしまう
また老化により目や耳の希望が衰え、更年期障害による不具合も身体的喪失といえる。此れらが老年期鬱病の引き金ともなる。

世界に冠たる長寿大国であると同時に世界有数の自殺大国である日本、本当に平和なのだろうか
一年間に何万人もの自殺者が出るということは平和とはいえないのだここ数年自殺が急激に増加し、五年連続で自殺者数が三万人を超えるといった非常事態となっている。
この数字は交通事故で亡くなられる方の約三倍以上の数字で、また自殺未遂は既遂の二〇倍もあるといわれている。 では、何故日本はこんな自殺大国になってしまったのか?

不況における先行き不安
まず第一に、現代日本における自殺増加の一因とされている不況による先行き不安からくる自殺者の増加がある。

ここ数年の不況による先行き不安からくる自殺者の増加である。
近年、自営業の方が不況で廃業になり、働き盛りのサラリーマンがリストラされて無職になり、そのまま再就職できずに苦悩の末自殺という報道を良く耳にした。

最近では此れに加え新たに、就職難の大学生による自殺者の増加が問題や、会社や上司に厳しいノルマを与えられ、心理的に体力的に追い詰められ、最終的にストレスが溜まりに溜まって過労自殺にいたるといった問題が増加しており、早急な解決策が求められている。

現代人が抱える心の問題
第二に、現代日本における自殺増加の原因とされているのが、現代人の抱える心の問題である。
作家の五木寛之氏は、自殺の起きる原因は何かという問いに対して。
「心が乾いてしまっているから人間の命が軽くなってしまう。軽い命は簡単に捨てることができるし、奪うこともできる。だから、自殺者の増加と凶悪犯罪の増加が並行して起こっているのだ」と述べている。

また、五木寛之氏は今の時代を次のように述べている。
わたし達は平和の中に住んでいる……しかし、ある意味では此れは戦争である。其れは心の戦争であり、インナー・ウォーという言葉がピッタリと当て嵌まるかもしれない

グニャグニャの青年達

現代青年の人格形成を眺めるとするならば、彼らの作っているあるいは彼らが加わっている人間集団の様相に目を向ければ、ヒントを得られそうかな。これはつまり、現代青年の風俗を概観するということにも繋がるだろう。

一般に現代日本の風俗現象は、青年を起点としてそれが他の世代にも広がるという特徴があるように思われる。
若さ礼讃の風潮が恐らく背景にあるのだろう。もちろん携帯の使用も、其の例に漏れない。
いずれにしても青年のコミュニケーション・スタイルを取り上げる場合、携帯の存在は無視できない。
いったい何故これほどに携帯は普及したのだろうか。単に便利というだけではないだろ~な~。

携帯が普及する前に一時期、ポケベルなるものが巷に出まわった。もちろん使い手は青年達だった。其れ以前は固定電話が、離れている人との言語的コミュニケーションの主たる手段だった。
ポケベルは言葉を直接伝えるものではなかったが、固定されていた電話機が、家から離れたとことの意味は大きかった。
つまり私的な会話なり連絡なりが、より一層可能になったのだ。携帯の使用に至って、私的会話は原則いつでも何処でも可能になった。

この、家、親、家族を離れて私的会話ができるようになったことの意味は、とくに青年にとって大きい。
何故なら、家を離れて(心理的に離れる場合ももちろん含めて)独自の人格を作り上げる大事な時期が青年期で、友人を初め、家族以外の人達との交わりを通じて、青年は人格を彫琢していく。
家に対しては当然秘密を持つことも多くなる。秘密を持つことはまた、自分らしさを伸ばしていくことにも繋がる。

しかし此処で疑問が生じる。
其の気になれば何もあれほど携帯を使わなくても、友達などとの連絡や会話はできるのではないか。
家に対する秘密も、別に携帯がなければ保てないということでもないだろう。となると、四六時中といってよいほど携帯塗れになっている今の青年にとって、携帯のもつ意味は、まだまだ他に何かありそうだ。

としての携帯か? 必要となったから購入するというよりも、持たなくてはならないから購入する携帯。青年達にとっての必需品(これをお守りと言った人がいた)である携帯の使われ方から、青年の人格の様相をさらに探るとしよう。

何時でも何処でも他者とコミュニケートできる
事柄や事態についてあれこれ対話するというだけではなく、単なる連絡にも用いる。連絡というよりも、今何処にいて何をしている、などといった一寸した繋がりの確認にも用いられる。
携帯コミュニケーションとはまさに、この繋がり、絆の確認行為を一つの大きな特徴とする。他者からみると他愛もないやりとりこそが、皆と何処かで自分は繋がっているのだと、安心するための大切な行為なのだ。
そんなことならべつに信頼感を他者に対して抱いていれば、いちいち確認作業をしなくてもよさそうに思えるかもしれない。
しかしこの信頼感が内的に確立されていないからこそ、彼らは確認を続けざるを得なくなっているのではないか
だとすると、現代青年の人格には不確実感が巣食っているということになる。他者や外的世界に対して信頼感がはっきり確立していないということと、内的自己が不安定なこととは対応している。

不安定とか不確実と言い切るのは、早とちりかもしれない。
現代青年の人格の様相は、外部世界と内的自己共に流動的な様相を色濃く持っていると言えそうだからだ。
流動的なことは不安定とも言えるが、他方、柔軟だとも言える。
いずれにせよ、コミュニケーション・ネットワークを友人間で一貫してもち続けることで、彼等青年の人格構造は、維持されているようだ。携帯は、其の不断のネットワーク構築のための必需アイテムとなっている。

ところで携帯は、即時的同時的コミュニケーションのためだけに使われているわけではない。対話以外の機能の一つにメール機能があげられるだろう。
これも一種の対話の延長のような性格をもってはいるが、大きな違いは、同時ではなく継時的とも言えるコミュニケーション特性にある。
メール機能は既にパソコンにおいても実現されているわけだが、いずれにせよ、情報や伝達の発信者が主導権を持っている。受信者には、伝達事項にどう対処するかが任されている。
もっともメール以外の通信手段も事情は同じであり、本質的な違いは無いと言える。

違いがあるとすれば、其の頻度の多さではないだろうか。
文章や書類にするとすると、それなりの手間もかかるし、そう簡単に次々と伝達するということはかなわない。其の点メールであれば、キーをちょんちょんと叩くだけで、即伝達が可能だ。

この点において自己中心性がより発揮されると言えないだろうか。気ままに送信することがより可能になっているのであり、それだけ、より自分中心に自分の都合が前面に出てきやすいのではないか。
自己中と言えば、現代人のどちらかといえばマイナスの特性として問題にされることがあったかに思う。其れも青年の人達の特徴の一つとして問題視されていたようだ。

自己中心ということは、其の場合利己的という意味を強く負わされているようだ。
自らの利益をまず優先し、人のそれは二の次にというニュアンスだ。このような面は、確かに現代日本人の多くに見られる特徴かもしれない。何も青年達だけに咎を帰するわけにはいかないだろう。

けれども、携帯メールの日常的使用状況を考え合わせると、現代青年の人格特性は、何も強固な自己を抱えた上での自己中心性などではなく、ネットワーク依存、他者依存を背景とした、むしろ小さな狭い自己形成あるいはルーズな自己形成を大きな特徴としているのではないだろうか。
先に絆としての携帯という言い方をしたが、外部世界との連携に依存する割合が大きければ大きいほど、実は内的自己がやせ細っていてルーズになっているのではないか。
其処にはやはり、状況依存が強いが故に、一種の危うさが伴っていそうだ。

携帯はまた、情報を蓄えたり入手したりするための優秀なツールでもある。
また、最近はカメラ機能なども併せ持つ携帯が普及している。
人類は其の賢さ故に、さまざまな道具を発明してきた。いわば自らの身体の機能や能力を、さらに拡張し強固にする道具を、だ携帯もまさに其のような機能や能力をもっている。

自分の携帯を紛失するということはまた、自分にとって大切な諸機能や諸能力を無くしてしまうことでもある
この手の平にすっぽり入るサイズの道具が、実は世界と繋がる目であり耳であり、記憶であり、ひいては自分の身体の大事な一部だ。
しかし、身体のもつ機能や能力をいわば外部装置化して其処に任せてしまったがために、本体の自分、自己のほうは、やはり幾らか貧しくなってしまったのではないか。

此処においても、内的自己がやせ細っているのではないかという危惧が生まれる。
便利な道具は何であれ、人間本来の何かを弱くしてしまう裏側の面を持っている。道具を発明するのが人間の人間たる一つの所以だとすれば、其の道具に依存すればするほど、自らの内側を貧しくするリスクを抱えるのは宿命かもしれない。

携帯もそうした道具、強力な道具の一つと言えそうだし、だとすれば、それが人間の何に影響を及ぼすのかを今後考えねばならない。
情報源としての携帯だが、手軽に情報を手に入れるとか保持することができるということは、それを内に蓄えておくという一種の緊張をあまりしなくても済むということにもなる。

手掛かりはすぐに外部から得られもするし、携帯のメモリーから取り出すこともできる。
其処で必要なのは、情報を欲しいという主体の意思であり決断だけだ。
強いて言えばあと必要なのは、キーを叩く一寸した労力だ。
このような生き方が可能になった時、青年の人格は、自らを際立たせていくという内的緊張を失いがちになり、軽くなったりルーズになったり気ままになったりするのではないか。
もちろん其処には、繰り返しになるが、危うさなり不確実さが伴うことは大いにありうる。

話しは跳ぶが、最近の青年の服装を見ると、ルーズさに一つの特徴があるように見える。
ズボンをかなり下げてはいたり、あるいは、仕事に向かうのにも拘らず、履き心地のゆるいサンダルで出掛けたりする。
また彼らの姿勢も特徴がある。
背中が丸まりがちなのは日本人全体とも言えるが、其処ら中にすぐペタリと座り込む。
顔を見れば口が開いている
とにかく今の若者には、どうも重力に抗する力が不足している。

余計な力が抜けて、いい意味で体が緩むのは大切なことだが、日常的に緩んでしまっている。身体だけではなく、例えば話し方でも語尾上げをし、とか~と曖昧な表現をして、どうも不確実な印象がある。
本来内的にいろいろなものを蓄え、内側から支えるものをしっかりと形成しなくてはならないのに、外部への依存が高ければ高いほど、青年の身体はグニャグニャになっていく。

其れはまた人格も、悪い意味でグニャグニャになっていることではないか、やはり心配だ。

自殺の伝染

ニュースで衝撃的な自殺の報道が起きた直後、自殺者の後を追いかけるように自殺が連鎖していくことが多々ある。
自殺願望のある人にとっては自殺のきっかけとなり、わたしも死んでしまおう等と思うのだ。なので、死を美化しすぎ、死によって問題が解決したとする報道は慎まなくてはならない。
また、わたし達周囲に自殺準備状態の人がいれば、こういう時には、特に注意を払う必要がある。

鬱病と自殺の関連
鬱病と自殺とは関係性について、鬱病と自殺は決して無関係ではない。
其れは鬱病から自殺へと発展する恐れがあるということだ。
よく、鬱は心の弱い人だけがかかるもの、気の持ちようでなんとかなるものと思われがちだが、決して鬱は気の持ちようで何とかなるものでは無い
鬱病は誰にでもかかる可能性のある病気なのだ。また、鬱病はかかっている本人が気づかないまま放置し思い鬱病に発展する恐れもあり、周囲の理解、サポートも必要だ。

このように鬱病と自殺には関係があり、自殺する人の数が年々増えてきている。自殺予防の第一歩であり、また心身共に健康で生活するためにも、鬱病の予防、早期発見、早期治療が重要なテーマのひとつだと思われる。

自殺願望への対応
自殺のサインを発見し、早期に対策を打つことが重要なのは分かるが、 では実際、自分がそのような立場にたたされたらどう対処したらいいのだろうか?
もし、「死にたい」と告白されたら。
もし、誰かに「死にたい」と告白されたら、どうするか?
誰だってびっくりする。ショックを受ける。
そして不安になり、冷静さを失う。
其処で、人は正論を吐くよりなくなる。
「もっと強く生きよう」、「死んで何の得があろうものか」等々……。此れらの言葉は正しい言葉だ。
しかし、此れらの言葉は自分の不安を和らげるための言葉で、相手の不安を和らげるためのものではない

しかし、自殺したいという深い悩みを抱えている人にとって、前向きな正論をぶつけられても「ああ、この人もわかってくれないのか……」とその場を去っていくだけだ。
其処に解決の道は無い。ただ明るく前向きな励ましの言葉がいつもいいとは限らないのだ。
まずは、話を聞くこと

死にたいなんて言われたら、人は誰でも不安に陥り、「死ぬんじゃない」とか言いたくなるが、其れでも、まずは、「どうしたの?」と話を聴く。
説教する前に、相手の言葉に、相手の心に耳を傾けちゃんと話を聴こう

このような話を聴くことは、楽しいことでは無い。話を聴く方も辛い作業となる。
しかし、自殺予防のためには其れが必要なのだ。
死にたいと思うほどの苦しみ、辛さ、悲しみ、悔しさ、恨み、怒り。話さないままで死んじゃうなんて、そんなことしないで、どうか話してくださいと。
話を聴いてもらうことは、わたし達が想像している以上に、自殺予防の大きな力になる。話を聴いてもらい、共感してくれることは、生きる意欲につながっていくのだ。

会話をしている間は自殺できない。
正論を吐いて会話を終わらせないで、ともかく会話を続けることが重要だ。
「また電話してくださいね」、「明日また話してね」等々……、話を聴き、共感することで生きる意欲に繋がり、自殺予防に繋がる。
また会話を続けることで自殺を先延ばしにできる
自殺を先に延ばせれば、その間に弱った心が次第に回復する。
そうなれば苦しい現実が何も変わらなくても、人は死のうとはしなくなる
だから、話を聴きいてあげよう。
決して否定語を使わず、全部を肯定し共感してあげよう。喩え言い分が理不尽でも、だ。
そして、自分をしっかりと守ること。こんな暗い話を聴き続けることはとても辛い。

だから、自分の心をしっかり守らねばならない
自分が強さや冷静さを失ってしまっては、相手を助けることが難しくなる。だから必要以上に背負い込まず、自分の出来る範囲で精一杯やるのでいい。
自分を守るためにも、自分を助けてくれる人も探しておこう。そんな人いない、というなら、自分には自殺を止められる力が無いと、はっきり告げねばならない
そして、それでも自分は生きている、と、其れだけ言えばいい。其れしかないのだ。
自殺の話は相手の信頼を裏切ってはいけないが、自分一人で抱え込むにはとても大きすぎる話だ。
職場や、学校、家庭、信頼できる他の人と、その問題を共有できるのが理想だが、現実は厳しい。

カウンセリング的面接の目標を持つこと
難しいけれど、本気で相手になるなら、其の覚悟が必須だ。
カウンセリング的面接とは、ただ、相手の話を聴くだけでは無い
カウンセリングの人間観は、人は自ら良くなる力を持っている、という人間観だ。人は、心の健康を取り戻せば、つまり自己一致できれば、必ず自ら生きる意欲を取り戻すことができる、という信念に基づいている。

だから、ただ人の話を聞いて、その結果、その人がどうなろうともその人の自由だとは考えない、では自殺は止められない。
自殺を止めるからには、其の人と一生付き合っていく覚悟が要る
相談者の自由と自己決定は確かに重んじるが、其の人が何をしても勝手だと考えているのでは無い。

心が弱り、生きる意欲を失っている人、やけになったり、いじけたりして、自己決定力が一時的に弱っている人々に、話を聴くことで共に寄り添い、側面からサポートし、その人が心の健康を取り戻し、真の自己決定ができるようになることが、カウンセリングの目標なのだ。

きっとそうなることができると信じているからこそ、じっくり、人の話を聴くことができるようになる
そして、自殺は、冷静な自己決定の結果による決断ではなく、心が弱り(、殺の準備状態にあり、孤独と絶望感に押しつぶされた結果の行為ということを知るのだ。

伝えたいメッセージ
大切な人を思う時、大切な人に自殺なんかして欲しくないのが通常だ。
できることなら、活き活きと暮らして欲しいと誰もが願う
あなたも愛されているし、あなたも一人ではないのだから
このメッセージを伝えるとても有効な一つの方法が、お説教ではなく、カウンセリングであり、傾聴し、共感するという技法なのだ。

「あなたの話を、もっと、もっと、聴きたい」、「あなたが死んだりしたら、わたしはとても悲しい」と。
自分が其の人を必要としていると、嘘でもいいから告白する

自殺予防の方法の原則
「自殺予防の標準的な話としては、話を聴こう、共感しよう」だ。
だからといって、いつも原理原則に縛られることは無い。
時と場合によっては、特別な方法が効果的なことも確かにある。
例えば、「死ぬな、ばかやろう!」と、泣きながら殴りかかって、自殺を防止できたこともあるだろう。
本的な原則から、かけ離れたか行動もしれない。
しかし、この二人の特別な人間関係、この時の特別な状況下にあっては確かな効果が出ているのだ。
学者の中には、一般的な原理原則だけで、個々のケースが見えなくなってしまう間違いを起こす人もいる。
また、個人の中には、自分自身の体験を一般化しすぎて、原理原則や、他のケースを認めない人もいる。

どちらも、気をつけねばならない。間違えれば、もう取り返しがつかないのだから。其の自信が無いなら、見て見ぬ振りをして、一生後悔しながら生きるより無い

実際、死にたいと思っていて、そこに、生きようとする言葉、人生はすばらしいという言葉が伝えられたり、励ましを受けて、結果、死を思いとどまる人々は例外的ではなくて、たくさんいるのだ