Monday, February 20, 2006

バーチャルな人間関係」と現実とのバランス

アダルト・ビデオチャットについて、かつて通い詰めていたオンライン・コミュニティーを懐かしさを覚えた。

あのチャットルームでの会話が、ウェブ・アフェアーズに掲載されているかもしれないのだ。

ってことで、英文のウェブ・アフェアーズを取り出し、掲載されているスクリーンショットを注意深く調べて、知っている顔や体の一部が写っているかどうか確かめてみた。

ウェブアフェアーズで扱われているテーマの中で、特に親しみが持てるのは、著者の個人的な経験だった。

チャットを始めたばかりの頃は、控えめだった著者も、次第にサイバーセックスの女王となり、最後には、現実と架空の世界の間の両極端の行動で、バランスを取れるようになっていた

日本でも、わたしの知人の中でも、ハマっている人達は、昼の顔と夜の顔を上手に使い分けているのかもしれない。

著者は今でもチャット・コミュニティーの常連だが、オンラインで過ごす時間は短くなっているらしい。

また、チャット仲間は他の場所で知り合った友人と同じように、著者の生活の一部になっている。

わたし自身、興味本位で侵入してしまったアダルト・チャットルームに、程なく入り浸るようになったとき、同様なことになった。
現実と架空との使い分けができ、脳の中で、全く別の自分を生み出していた。
友人との話し方、言葉遣い、引いては自分のプロフィールまででっち上げるようになった。

特定のチャットルームでは、始めて一週間ほどは新入りだ。
やがて常連になり、可能な限り長い時間をチャットルームで過ごし、様々な人と仲良くなったり、ふざけあったり、サイバーセックスを始めたりするようになる。

一時の狂乱が過ぎると、其の後は落ち着いてくる。
其れは多分、チャットルームを最初に訪れた際に溜め込んでいた、欲求が満たされたからだろう。

しかし落ち着いてきたのは、仮想空間と現実生活との間でバランスを取り、混乱状態に陥ることなく、あらゆる事柄や知り合った人達を、自分の生活に収める技術が身についてしまったからだ。

決して良いことではない。不健康極まりない。
でも、カウンセラーより精神科医より、チャットルームの仲間達は、わたしを癒し、慰め、励ましてくれた。

人によっては早くて二ヵ月、遅くて二年以上かかるかも知れないが、殆どの人は、最終的にこうした心境に到達するようだ。

実生活での家族関係、友人関係、恋愛関係が滅茶苦茶になる前に、バランスが取れるなら、其れは其れで、一つのストレス発散行為として申し分ないだろう。
また、実生活での入り組んだ関係を終わらせたいのなら、格好の言い訳になる。

わたしが昔、出入りしていたチャットルームは、今はもう無い。
あの狂った愉悦に満ちた、チャットルームへはもう戻れない。
だが、わたし自身のの生活もまた、あの頃と同じではなく、良くも悪くも激変している。
少なくとも、学生時代のように、入り浸る時間はもう無い。

あの頃は、とにかく、人間関係が複雑だった。
結婚を言い出す彼氏、父の死、兄の渡米、母の帰郷、わたし自身も何処に本籍を置くかで悩んでいた。

仕事も忙しかった。というか、駆け出しのプログラマーは、週三回の徹夜が常識、日本人相手の接待は一日おき、週末はゴルフの付き合い、其の暇に母を気遣うと言った、半ば崩壊した生活だった。

其れでも、自己顕示欲は満たされ、経済的にも恵まれ、知り合いは裕福でプレゼントを貰い、何もかも上手くいっていると思っていた。
一人でも構わないと信じた。
上手に世渡りができていると思った。

其の半面で、星占いやタロットに依存した。
新聞、ウェヴ、TV、あらゆる占いを片っ端から読んで、今日の服を決めたり、友人の誘いをキャンセルしたりした。

外からは華やかに見えたらしい仕事も、実際の内容は複数言語入り混じるプログラムを作り、デバッグし、バグを承知でお客をたぶらかして入金させるような、地味で汚い仕事だった。
其れは今現在も、何ら変わらない。

仕事中もインターネット・リレー・チャット(IRC)のウィンドウを、ディスプレーの右隅に開いたままだったが、仕事の質が其の所為で落ちることも無かった。

言葉を引っ掻き回し、対人関係を攪乱し、機械と対話する日々中、浮遊する退屈な部分を遣り過ごせたのは、チャット仲間がいたおかげだった。

わたしの友人で、ライターの仕事を持ち、相性のいい交際相手を現実でも架空でも持つ女性がいる。

彼女はは沢山のオンライン・ディスカッション・グループ、セックス・ドライブ・フォーラム(要登録)で、活発に発言している。
日本にいても、其の発言力の大きさが分かるほどだ。

また彼女は、IM(インスタント・メッセンジャー)クライアント、トリリアンの連絡先リストに、百人の仲間を登録しており、いつでも思い立った時点で、最低四十人にオンライン上で連絡可能だと言う。

昔のチャットルームが、集団として生み出していた、あの狂喜乱舞といえるエネルギーを懐かしく思う。

また、どんなに馬鹿げていても、あるいはどんなに性的な内容でも、心に浮かんだことを何でも発言できた自由が懐かしい。

友人の彼女とチャット中、ふと、新しくオンライン・コミュニティーに参加したら、こうした失ったものが再び手に入るか、そして、ブラックホールのように自分の時間を吸い取られるかもしれないが、其れだけの価値があるか、などと考えた。

彼女は、答えを求めるなら、オンラインゲームのSecond Lifeを始めてみろと言う。

試しにやってみた

こうして日本語を書いている今も、別のわたしが、別のウィンドウに表示された仮想広間で、他の人達と一緒に踊っている
何の脈絡もなく、突然「Oh! Year!」だの「You dammed!」と、叫ぶ理由が、分かる人には分かってもらえるだろう。

授業中にやらないことだ。
夫がいる時間帯もやらないことだ。
だが、何時電源を落とすか、其のきっかけが何時だって掴めなかった
だからだらだら、二十四時間わたしのPCはつけっぱなしだった。
今は電源を落とす勇気を得た

ところで、Second Lifeはゲームの要素もあるけれど、純粋なゲームというよりはむしろ、、を提供するものだと、理解して欲しい。
この点について、異論がある人もいるだろうなあ。
此処では、3Dアバターの姿を借りて、オンラインの世界でほぼ現実に近い人生が送れるのだ。
まさしく現実逃避。

単純なビデオチャット、或いは、今や大昔のメディアと化した、テキストチャットとは違い、見たり、作ったり、売買したりと、様々な働きかけを行なう対象が数多くあり、其れを通じて、他の人々と関係を持つ自由も、持たない場面もある。

現実に結婚したカップルもいる。無論、即効で離婚したが。

やっと抜け出したヴァーチャル世界へ、またわたしは、模造友人に唆されて、足を踏み入れようとしている。
サーフ中にうんざりするほど見かける「オンラインビジネス」も、現実に稼ぐ人は稼ぐのだ。
もっとも、総員数の0.01%にも満たないが。

わたしは夫とわんこのお陰で、昔のようには多分ならないが、なりそうな可能性が見え見えの人も大勢知っている。

日本のチャットはまだ底が浅いので、ハマっても程度が知れているから良いが、米国は心底病んでいる
逆戻りしないよう、そろそろ電源を落とそうか。

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