納まらない感情
話が飛ぶが、ジャンボジェット機が墜落炎上、乗員乗客二百人余全員死亡!という事故が発生した時、即座にどのチャンネルも臨時ニュースで取り上げ、号外は発行される、次の日には全ての新聞が一面に大々的に取り上げ、という具合で、よほどの世捨て人でもない限り、このニュースを知らないという事はまず無い。
しかも、その事、誰一人としてこのニュースを知らぬ者は居ないという事実も、皆が知っている筈だ。
ところが、次の日、そのニュースの事を知っているに決まっている人、を相手に、会う人毎に、このニュースの話をする。
「昨日のニュース見た?」
「うん、見た!見た!」
「凄かったなぁ! ものすっごく派手に燃え盛ってたよな!?」
「うん、うん、あの状況じゃ、生き残ることは不可能やわな」
「そう、そう、なぁ! 二百人余全員死亡やで!?」
冷静に考えれば不可思議な行動だ。だってその相手は、このニュースについて知らない相手ではなくて、既に知っている相手なんだよ!
新しい情報を教えているわけでも、教えてもらっているわけでもない。
論理で考える限り、身内等がこの事故に関わっている一部の人を除けば、何のメリットも無いように思える行動だ。
この不可思議な行動の謎を解く鍵が感情、だ。
こういう事故を目の前にした時も、論理はそりゃ飛んでいるものは落ちる時もあるだろう、とかジャンボジェット機というのは堅牢な密室なんだから、此れが火に包まれると逃げ場はないよ、逃げ場が無いんだから、よほど運が良いんじゃなければ死んじゃうよな、と割り切る為の理屈を色々と付ける。
論理思考はこれで片が付く。
ところが納まらないのが感情だ。
感情にとれば、鉄の塊が空を飛ぶ時代になってこういう事も起こり得ると解っていた上でも、人の命がほぼ一瞬で、理不尽に奪われてしまったという事実は受け入れがたい、事実なのだ。
そういう受け入れがたい事実に対して、怒りなり憤りなり悲しみなり種種納まらない感情が発生するのだ。
納まらない感情、というのは、此れを抱え続ける事は心理的負担になり、実際不快でしんどい事なのだ。此れを納めようとして、他人と共有するべく行動を取るのだ。感情というものは他者と共有すること、で納まっていくという性質を持っているからだ。
論理思考による割り切り、と感情の納め方、これのギャップが開き過ぎると問題が起こってくる。
納めようにもそう簡単なことでは納まってくれそうもない、不快な記憶を伴った、大きい感情の塊、が出来てしまった場合、納まらない感情を論理思考で必死に割り切ろうとし始める心理機制、心が自分自身を守ろうと起こす防御反応の一種、が起こる。
納まらない感情を論理思考によって切り離し隔離しようする、と言い換えても良い。専門用語で解離、否認、空想化、などと呼ぶ一連の心理機制だ。
解離が一旦発生すると、どんどん解離を広げて行ってしまうという悪循環が始まるのが通例だ。
解離が酷くなれば解離性同一性障害(いわゆる人格分裂)にもなる。わたしのように。完全に人格が分裂する。
この心理機制によって発生する心理疾患の代表が外傷性精神障害だ。
このように心理的病は、本来は自分を守るために備わっている仕組みが逆に自分を病気にしてしまうという点でアレルギーに似ている。
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