自殺の伝染

自殺願望のある人にとっては自殺のきっかけとなり、わたしも死んでしまおう等と思うのだ。なので、死を美化しすぎ、死によって問題が解決したとする報道は慎まなくてはならない。
また、わたし達周囲に自殺準備状態の人がいれば、こういう時には、特に注意を払う必要がある。
鬱病と自殺の関連

其れは鬱病から自殺へと発展する恐れがあるということだ。
よく、鬱は心の弱い人だけがかかるもの、気の持ちようでなんとかなるものと思われがちだが、決して鬱は気の持ちようで何とかなるものでは無い。
鬱病は誰にでもかかる可能性のある病気なのだ。


自殺願望への対応
自殺のサインを発見し、早期に対策を打つことが重要なのは分かるが、 では実際、自分がそのような立場にたたされたらどう対処したらいいのだろうか?
もし、「死にたい」と告白されたら。
もし、誰かに「死にたい」と告白されたら、どうするか?

そして不安になり、冷静さを失う。
其処で、人は正論を吐くよりなくなる。
「もっと強く生きよう」、「死んで何の得があろうものか」等々……。此れらの言葉は正しい言葉だ。
しかし、此れらの言葉は自分の不安を和らげるための言葉で、相手の不安を和らげるためのものではない。
しかし、自殺したいという深い悩みを抱えている人にとって、前向きな正論をぶつけられても「ああ、この人もわかってくれないのか……」とその場を去っていくだけだ。
其処に解決の道は無い。ただ明るく前向きな励ましの言葉がいつもいいとは限らないのだ。
まずは、話を聞くこと。
死にたいなんて言われたら、人は誰でも不安に陥り、「死ぬんじゃない」とか言いたくなるが、其れでも、まずは、「どうしたの?」と話を聴く。
説教する前に、相手の言葉に、相手の心に耳を傾けちゃんと話を聴こう。
このような話を聴くことは、楽しいことでは無い。話を聴く方も辛い作業となる。
しかし、自殺予防のためには其れが必要なのだ。
死にたいと思うほどの苦しみ、辛さ、悲しみ、悔しさ、恨み、怒り。話さないままで死んじゃうなんて、そんなことしないで、どうか話してくださいと。
話を聴いてもらうことは、わたし達が想像している以上に、自殺予防の大きな力になる。話を聴いてもらい、共感してくれることは、生きる意欲につながっていくのだ。
会話をしている間は自殺できない。
正論を吐いて会話を終わらせないで、ともかく会話を続けることが重要だ。

また会話を続けることで自殺を先延ばしにできる。

そうなれば苦しい現実が何も変わらなくても、人は死のうとはしなくなる。
だから、話を聴きいてあげよう。

そして、自分をしっかりと守ること。こんな暗い話を聴き続けることはとても辛い。

自分が強さや冷静さを失ってしまっては、相手を助けることが難しくなる。だから必要以上に背負い込まず、自分の出来る範囲で精一杯やるのでいい。
自分を守るためにも、自分を助けてくれる人も探しておこう。そんな人いない、というなら、自分には自殺を止められる力が無いと、はっきり告げねばならない。
そして、それでも自分は生きている、と、其れだけ言えばいい。其れしかないのだ。

職場や、学校、家庭、信頼できる他の人と、その問題を共有できるのが理想だが、現実は厳しい。
カウンセリング的面接の目標を持つこと。
難しいけれど、本気で相手になるなら、其の覚悟が必須だ。

カウンセリングの人間観は、人は自ら良くなる力を持っている、という人間観だ。人は、心の健康を取り戻せば、つまり自己一致できれば、必ず自ら生きる意欲を取り戻すことができる、という信念に基づいている。
だから、ただ人の話を聞いて、その結果、その人がどうなろうともその人の自由だとは考えない、では自殺は止められない。
自殺を止めるからには、其の人と一生付き合っていく覚悟が要る。
相談者の自由と自己決定は確かに重んじるが、其の人が何をしても勝手だと考えているのでは無い。

きっとそうなることができると信じているからこそ、じっくり、人の話を聴くことができるようになる。
そして、自殺は、冷静な自己決定の結果による決断ではなく、心が弱り(、殺の準備状態にあり、孤独と絶望感に押しつぶされた結果の行為ということを知るのだ。
伝えたいメッセージ

できることなら、活き活きと暮らして欲しいと誰もが願う。
「あなたも愛されているし、あなたも一人ではないのだから」
このメッセージを伝えるとても有効な一つの方法が、お説教ではなく、カウンセリングであり、傾聴し、共感するという技法なのだ。

自分が其の人を必要としていると、嘘でもいいから告白する。
自殺予防の方法の原則。
「自殺予防の標準的な話としては、話を聴こう、共感しよう」だ。
だからといって、いつも原理原則に縛られることは無い。
時と場合によっては、特別な方法が効果的なことも確かにある。
例えば、「死ぬな、ばかやろう!」と、泣きながら殴りかかって、自殺を防止できたこともあるだろう。
基

しかし、この二人の特別な人間関係、この時の特別な状況下にあっては確かな効果が出ているのだ。
学者の中には、一般的な原理原則だけで、個々のケースが見えなくなってしまう間違いを起こす人もいる。
また、個人の中には、自分自身の体験を一般化しすぎて、原理原則や、他のケースを認めない人もいる。
どちらも、気をつけねばならない。間違えれば、もう取り返しがつかないのだから。其の自信が無いなら、見て見ぬ振りをして、一生後悔しながら生きるより無い。

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