Thursday, February 16, 2006

大量自殺時代

自殺をする人がいれば、誰でも止めようとするだろう。
しかし、「では、何故、死んではならないの?」と聞かれたら、如何答えるだろうか?

精々、「親が悲しむ」「君の命は世界にたった一つしかないんだ」「生きていればそのうちいいことあるよ」と慰めるだけだ。
「じゃあ、あなたは、何かいいことあったか?」と聞かれて、言葉を失ってしまう人も少なくないだろう。

そういえば、いつまでたってもいいことなどない。
容赦ないリストラの波が押し寄せ、精神科クリニックやカウンセリングは人でいっぱい。
「いのちの電話」も深刻な人手不足で、景気回復しても自殺は一向に減らない。

現在、日本の年間自殺者数は、年間三万人以上の高水準が続いている。
世間体を考え、不慮の事故と報告される、隠れ自殺者も多いから、実質はもっと増えるだろう。
交通事故の三倍~四倍もの人が自殺で命を落としていることになる。
世界では如何だろうか。
調査できる限りでは、年間約七八万六千人の自殺者があると言われている。
内、中国がその三分の一を占め、女性の自殺者の過半数が中国人女性と言われている。

中国では相次ぐ自殺者に、国内初の「自殺予防センター」が設立された。
此れによって何千人もの命が救われたという。
ところが、立志者が、遺書も残さず首吊り自殺をしたのだ。一〇年近く、献身的に自殺を止めてきた人が、だ。

他人には「死ぬな」と言っていても、耐えられぬ苦しみに直面した時には、日頃のどんな信念も、羽毛の如く飛び去ってしまうのだ。

バブルと共に一世を風靡したビジュアル系バンド、元「X JAPAN」のhide(松本秀人氏)が自殺したことも思い出される。頽廃的な若者達に、音楽で生きる希望を与えただけでなく、骨髄バンク推進にも挺身していた。
「頑張って生きようって歌っていたヒデが、如何して死んじゃったの?」
TVでは号泣するファンの姿があったが、他人を励ますどんな言葉も、自分の死へのブレーキにはならなかったことを物語っている。

其れは、「何故死んではならないか」に明確な答えがないからに他ならない。どれだけ真剣に自殺防止を論じても、此れが抜ければ、真の自殺防止にはならないのではないだろうか。

平成一〇年三月一九日、産経新聞に次のような投書が出たことがある。
人は何のために生きているのかと思われる。日本人の平均寿命は八〇歳前後だ。八〇年間も何のために生きてゆくのだろうか?

学歴社会、当たり前のように使われているこの言葉が、たいして勉強のできない者にどれだけの不安を与えているか分かるか。自分の夢に向かって一生懸命頑張っているのに、辛いことの方が多く、残りの人生がとても嫌だ。

最近の高校生は、と、よく言われるが、真面目にやっている者もいるんだ。其れでもうまくいかなくて、不安で逃げだしたくなって、自分のような人間が、本当に何か役立つのだろうか、辛いことを乗り越えて、まだ生きてゆく必要があるのか。

命は大切だ。当たり前のことで、分かっているけど理解できない。あと六〇年以上も、この苦しい日本の中で生きていたくない。こんな思いで毎日過ごしている。
人は何のために生きているのだか。誰か教えてください
。(高校生 一六歳)

また、朝日新聞には次のような投書も寄せられた。

着たくもない窮屈な制服着せられて、受けたくもないつまらない授業を受けさせられて、やりたくもない部活やらされて、家に帰っても宿題とか家事とかいっぱいあって、誰も生きた心地なんてしてないのに「命の大切さ」なんて口先だけで教えられたって実感なんて持てない。(高校生 一七歳 千葉県)

死を急ぐ若者が最も知りたいのは、「命の大切さ」の真意なのだ。
同時に、簡単に自殺するもう一つの大きな原因は、「死んだら如何なるか」の無知にある。

三月、群馬県の中学二年の男子生徒が、学校での喫煙を教師に注意された後、自殺している。自殺直前に書いたと思われる親友への遺書は、あまりにも軽い印象を受ける。

このletterはAあてに書くけど、できれば、みんなでよんで!!
まず初めに、"ゴメン"まじで。今回オレのせいでみんなやべーことになっちまって。けどもうオレはぜったいみんなにめいわくかけない!何故ならオレはもうこの世から、いなくなるから!?ってゆーか、もうAがこの手紙よんでるころはオレは天国or地獄に行ってると思う…


加えて「みんな大変なのに、オレだけ楽してごめん」ともある。
死んだら楽ができると思っていたのだろうか。
では、真実、死後は一体如何なるのだろうか。
自殺してはならない理由も、生きる意味も、実にここに起因する。
死後は、「有る」か「無い」か、のどちらかだ。また、有るならば、楽しい世界か苦しみの世界かのどちらかだ。

もし、死後が無いなら、死は現在の苦しみを抹消する手段となる。極論を言えば、末期癌で激痛に喘いでいる人は、生きて苦しみを延ばすよりも、早く死んだ方が良いことになってしまう。

或いは、死後が存在しても、違う人間に生まれ変わったり、楽しい世界に行けるのなら、嫌なことがあれば、リセット感覚で自殺すればよいということになる。苦しみに耐えるより、死んでやり直した方が利口と思う人もあるだろう。

しかし、何一つはっきりし無い。
大学入試を受けた後に、「受かるか、其れとも落ちるか」といった不安があるだろう。
二つの心が揺れ動くので、二心、だ。
合格ならば入学の準備を、不合格と決まればまた、予備校へ通う手続きなどをすればよいのだ。
困るのは、まだ分からない時だ。

死後も、「有る」とか「無い」とすっきりすればよいのだが、二心があるから不安だ。

全ての人々は日々、死へ向かっている。
一日生きたならば、一日死に近づく。
死こそが間違いなく向かっている行き先だ。最も確実な未来が、最も不確実では、真っ暗闇を目隠しして進んでいるかのような不安しか無い。

「ともあれ、一生懸命生きることが大切だ」ともよくいわれるが、「闇の中をひたすら走れ」という無茶な注文だ。
勝手知ったる我が家でさえ、停電になると、手探りで懐中電灯を探すうちに、敷居につまずいて痛い目に遭うってのに。

やがて死の壁にぶつかる時が必ずある。
まだまだ先の話、では無い。
今夜からでも、後生だ。
次の瞬間にも、急病や不慮の事故で、人生の幕を突然に引かねばならないかもしれ無い。

「死後に暗い心」は、未来が分からぬ不安な心であり、現在の自分が分からない心であるのだ。
何のために今生きているのか、何故死んではならないかがはっきりしないのは、無明の闇を抱えているからなのだ。

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