生きる意味を求めた人々、誰かわたしの居場所を知っているか?
人生が旅であるならば、最初に目的地を確定しなければならない。
目的地を知らずに生きている人は、ゴールを知らないマラソンランナーのようなものだし、また、飛び立った飛行機が、向かうべき次の空港を知らないようなものだ。
其処で古来、賢者達は、生きる目的の探究こそ、最優先課題と自覚し、取り組んできた。
フランスの哲学者、パスカルは言う。
人間は一茎の葦にすぎない。だが、其れは考える葦である。
人間は明らかに考えるために作られている。其れが彼の尊厳のすべてである。ところで考える順序は、まず、自分の目的から始めねばならない。
考える、という人間に与えられた能力を駆使して、まず生きる目的解明に向かったのが、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスであり、その結論は「無知の知」だった。
当時ギリシャの学者達は人生の意味、目的を知らないのに、知っていると錯覚していた。
其処でソクラテスは多くの哲学者や青年と、生きる目的について対話しながら、相手の答えの間違いに気づかせ、真の生きる目的には無知であることを知らせたのだ。
オウム事件の本質。
平成一六年二月末、オウムの松本智津夫(麻原)被告に死刑判決が下された。五〇〇〇人以上の被害者を出した地下鉄サリン事件から九年越しのことだ。
あのオウム事件とは一言でいえば、「生きる意味」を知り得ぬ苛立ちが生み出した悲劇の一つ、と言えなくはないか。
オウム裁判に登場した数ある信者、元信者の中で、「彼ほど熱っぽくオウムを語る者はいない」と評されているのが、元オウム真理教諜報省トップの井上嘉浩だ。
「形にならない不安、不満、心のモヤモヤがあった」一五歳だった自分をこう語った彼は、当時、「若者の代弁者」として強い支持を受けていた歌手、尾崎豊の歌詞の世界に引かれていた。
漠然とした不満や不安、生きる意味が分からない虚しさ、自らの存在意義を見つけられない焦り、そんな気持ちを尾崎豊の歌詞に重ね合わせ、やがて自ら「願望」という詩に其れを認める。
その内容は、煎じ詰めれば、要するに此れから高校に入り、そして、或いは大学に行き、そして社会に出て、サラリーマンで毎日毎日満員電車に揺られて、夢のないお金のためだけの生活をしていくんだろうかと、人間に生まれて来たのは、そんなことのために生まれて来たんだろうかということを、尾崎豊にかなり影響された言葉で、願望という詩に書く。
そういう願望という詩を書いた井上嘉浩が、その直後にオウム真理教に出会う。
「自分の存在意義に、正面から答えてくれたのは教祖麻原だけだった」と、ある元オウム信者の青年が漏らしたことがあった。
求めても求めても生きる目的は得られず、渇き切った心が、オウムというカルトの元に集まり、未曾有の大惨事を引き起こしたのだ。
尾崎豊。
では、井上嘉浩に強い影響を与えた尾崎豊とは、いかなる人物であったのだろうか。
昭和四〇年東京に生まれ、青山学院高等部を卒業目前で中退しデビュー。 大人や社会に対する反体制的な歌を多く歌い、若者の熱狂的な支持を集めた彼は「一〇代の教祖」と呼ばれたが、平成四年、二六歳の突然の死。
鋭い感性で、同世代の孤独感や煩悶を歌に託した尾崎豊は、今もなお人々を惹きつけて止まない。
このごろふと涙こぼした
半分大人のセブンティーンズ・マップ
何のために生さてるのか解らなくなるよ(一七歳の地図)
誰もが心のポケットに
行くあて捜し歩く
何故だろう
何を捜して
ビルの合間
町の影がやさしく心に語りかける
何を手にしただろう(誰かのクラクション)
溢れかえる人混みの気忙しさにもまれながら
とりとめもないほどに孤独を感じて歩く(COOKIE)
何を待ち続け何を求めるの
名もない日々が
訳もなく微笑む(贖罪)
山田かまち
山田かまちという若者がいた。彼は昭和三五年七月、群馬県高崎市生まれ。一七歳の若さで世を去ったが、彼の遺した絵や詩に、現代の若者が共感し、静かなブームとなっている。
旅みたいだ 人生は
人生は道みたいだ
でも歩かなくてもいい
そこにいればそれで
それでいいこともある
だけど歩けば
歩けば苦しい
ぼくの性質はなんだろう。ぼくはいったいなんだ。
もう一三年も人間の中にいるのに、人間というものがぜんぜんわからない、わか らなすぎていやになる。
ぼくの性質はなんだろう。
如何なっているのだ。
また、これから如何なってゆくのだ……
人は生きる
人は生きる 如何しても
人は生きる
人は生きてしまう
この暗い世界の中
生きる
この暗い世界の中
生きる
求めて
生きる
生きてしまう
人は如何しても求める
生きる
この暗い世界の中でも
ぼくに幸せをください、
不幸はいやだ。
不幸は去ってください
ぼくには幸せしか必要ないのだ……
悔いなき人生をと、行き着いた生きる目的という根本問題。その一番知りたいことが分からない苛立ちや焦りが、此れらの文章に迸っている。
彼の遺作に共鳴する現代の若者は、かまちを自分達の代弁者として受け入れているように見える。
居場所を探す少女。
高校を中退したある一六歳の少女はメル友と二人でホームページを開きた。其処には自作のこんな詩が掲載されている。
居場所
高校辞める前は学校休んだことがなかった
其れは何故か?
行かなきゃ自分の居場所がなくなると思ったから
人を信じれば信じるほど裏切られたときの
ショックは大きくて
其れを繰り返し受けてきた
あたしはもう誰も信じられない
信じたらまた裏切られるから
裏切られるのはもうヤダ
だから誰も信じない
信じられない
安心していられる居場所が欲しい
安らげる居場所が欲しい
誰かあたしの居場所知ってるか?
どんなに今、輝いていても、その輝きはしばらくの間と、誰もが薄々気づいている。やがてその輝きもなくなる時が必ず来るから、不安なのだろう。
人から必要とされれば、その時は此れが生きる目的だ、生きている意味があったと安心できる。しかし、其れがいつまでも続くとは限らないからだ。
恋人同士は、他の誰よりも心を許せ、落ち着ける居場所だろう。だが文字どおり、愛が永遠であった例は、聞いたことが無い。
終身雇用、年功序列が崩れ、会社に尽くせば報われると信じられた時代は過ぎ去った。かつて運命共同体として、サービス残業、休日出勤は当たり前、ここが俺の死に場所と、人生懸けた職場をリストラで追われ、もはや居場所がない中高年があふれている。
永年連れ添った妻から、ある日突然、三下り半を突きつけられる、寝耳に水の熟年離婚も相変わらずだ。
此れが生きる目的だと、人生懸けた「職場」、一家和楽を夢みた「家庭」が、幻のように消え、人生の意味を見失い、落胆し、漂流している人が周囲には溢れている。
其れは、ソクラテスの言う通り、わたし達が「真の生きる目的」に無知であるからではないだろうか。
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