Thursday, February 16, 2006

文部科学省の悲鳴、止まらない自殺と教育に欠落した生きる目的

政治制度の改革、経済の成長、科学、医学は一人一人に豊かな生活をもたらしたが、人の心はいまだに病んでいる。

皆たった一日で態度が変わり、皆、僕を無視し始めた。掃除の時間はトイレで服を脱がされ、水を掛けられたりした。また、お金の紛失はしょっちゅうあった。
今では五,〇〇〇円近く奪い取られた。

此れは二〇〇三年一月二七日、苛めを苦に自殺した、新潟県上越市春日中学一年生の伊藤準君(当時一三歳)の遺書だ。

苛める者はゲームを楽しむように相手の心を傷つける。其処には思いやり、生命の尊厳など何処にも無い。

苛める方はどうして思いやりをもって、人に接してゆかねばならぬのか、知るよしもなく、苛められる子供は、何故苦しみに耐えて生きねばならないのか、分からないのだ。

打つ人も、打たれる人も、共に何故人命が尊いのかを知らない。
そして苛めが原因で、生きる望みを失った少年少女達は、自ら若い命を散らしてゆく。此れが第二の問題だ。

子供の心を救うには?
「年間三二,〇〇〇人」
此れは平成一五年の日本国内における年間の自殺者の総数だ。一日九〇人、一時間で三.七人もの人が自ら命を断ってゆく。
さらに自殺未遂者や「こんな苦しいのならいっそのこと……」と思いながら生きている自殺予備軍を含めたらどれだけの数になるか、見当が尽きない。

文部省はこうした現状を受け、平成七年一二月一五日、緊急の都道府県指定都市教育長会議を開催した。
会議に際し、島村宜伸文相(当時)は、

理由の如何を問わず絶対死んではいけないことを指導すると発言、生徒の自殺を止めるよう全国の教育長に指示を出した。

新聞、雑誌、TVでも、「人生には恋愛など一〇代前半では知りえない喜びもある。自分のためにも死んではならない」「必要なのは苛めを超越する強さであり、自他共に命の大切さを教える教育なのだ」といった声が上がった。

生命の尊厳を扱う問題に対し、心ある人から色々な意見が飛び交ったが、肝心な、「何故死んではならないのか」については全く触れられていなかった。

教育制度の見直し、苛め一一〇番の開設、問題ある教師の追及などいろいろな手は施されている。
自殺しようとしている人に「死ぬな」と叫ぶ者は、いい加減な気持ちで言っているのでは無い。誠心誠意、死んではいけないと、止めているのだ。

しかし、其れは対症療法でしかなく、未だ自殺問題の真の解決方法とはなってい無い。
苛めに悩む少年少女は今が苦しい。だから死ねば苦しみから逃れられると思い、自殺してゆく。

そんな子供達に、「絶対死んではならない」「一生懸命生きろ」と叫んでも彼らには「もっと苦しめ」としか受け取れ無い。
一生懸命生きる目的を明らかにしないことには解答にならないのだ。

悲劇の、本当の原因。
例えるなら人生は「歩く」「走る」「飛ぶ」「泳ぐ」ことだ。
歩く際に最も大切なのは歩く目的地だ。走る時も一番大事なのは目指すゴールは何処なのかだ。泳ぐ、飛ぶ、いずれの場合もまず初めに目的があり、其れから手段がある。

もし、歩くために歩き、走るために走っていたならば行き倒れになってしまう。
泳ぐために泳いでいたら溺れるだけだし、着陸地のない飛行機には墜落が待っているだけだ。
飛行機が何処に陸地があるのか見当がつかない海上に不時着したとしる。
そんなところで「一生懸命泳ぐのが大切なのだ」と闇雲に泳いでいたら、体力を消耗し溺れるだけだ。機内の責任者の指示に従い、レスキュー隊の救助を待つのが賢明だろう。

岸にたどり着くのが目的であるから、まず何処に向かって泳ぐかをハッキリさせ、無駄な体力を消耗せぬようにしなければならない。

山で遭難した場合は如何か。
いざ、下山となった時、道を間違え、もと来た道が分からなくなってしまった。どんなに歩いても麓の村にたどり着けない。しかも徐々に日は暮れつつある。
こんな時、無闇に動き回ったら如何なるか。
不案内なところで下手に歩き回ったりしたら、食料、体力が底をつき、歩き倒れになり、やがて熊の餌食になってしまう。

いずれの場合もまず目的地があって、其れから泳ぐ、歩くといった手段があるのだ。手段のために動いていても其れは必ず徒労に終わる。
魚料理店の水槽にはハマチやヒラメが悠々と泳いでいる。水槽の中で餌を与えられ、優雅そうに見える。
しかし、彼らは客が注文すると網で掬われ、まな板の上に乗せられ、あっと言う間に料理されてしまうのだ。

どんなに水槽の中で一生懸命泳いでも、やがては食べられる運命だ。
我々の人生もまた然りだ。如何に強く、逞しく生きたところで最後は無常の網に捕らえられ、死というまな板で料理されるのだ。

もし一生懸命生きることが目的であるならば、死ぬために生きていることになってしまう。此れでは悲劇あるのみじゃないか。

それでも生きていかねばならない。死ぬまでは。

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