Friday, June 16, 2006

イランでのブログとは?

今では当たり前のブログ。中東地域での其の歴史は二〇〇一年に遡る。

オーストリア、ウィーン、二〇〇一年、ホセイン・デラクシャン氏はブログを始めた。その十二月の同じ日に自分のブログを開設した人は他に何百人もいただろうが、革命に火をつけたと誇れる人はまずいない。

だが、デラクシャン氏の場合、ブログ開設後まもなく、イラン人からの問い合わせが殺到した。同国で話されているペルシャ語でブログが運営されているのに気づいた人たちが、その方法を知りたがったためだ。大多数の無料ブログ・ホスティング・サービスは、ASCII形式の英数字しかサポートしておらず、ペルシャ語などで使われるアラビア文字や、キリル文字、アジアの諸言語の文字などは使えないことが背景にある。

其のため、デラクシャン氏(二〇〇三年当時二十三歳。イラン人だが国を離れ、現在はカナダのトロントに住む)は、ブログ開設にあたり、必要なツールの一部をASCIIからユニコードに移植し、イラン人が母語でブログを利用できるようにした。

この試みは、最新技術を使って自国の社会の近代化や西洋文化の導入を図りつつ、かつ自分達の文化遺産も捨てまいとしている、イラン人の努力の一例だ。
デラクシャン氏によれば、今ではイラン人によって開設された現代ペルシャ語版ウェブログはおよそ一万二千を数え、しかもその数は毎日増えているという。

「報道の自由がイランに戻るまで、ブログの隆盛は続くだろう。イランではここ数年間だけで民主主義擁護派の新聞が約九十紙も廃刊させられた。
其のため、人々はニュースの入手先としてインターネットに頼るようになっている」と、デラクシャン氏は五月二十三日、ウィーンのクレムスにあるドナウ大学ニューメディア・センターで開催されたブログがテーマの会議ブログ・トークで述べた。

この会議は、ヨーロッパの人々を対象にしたもので、ブログの個人およびビジネスにおける利用に焦点をあてて討議が行なわれた。

西洋人がブログを使って人々と交流したり心情を吐露したりしているのと同じく、イランの人々もブログを自己表現の手段として利用している。しかし、同国には宗教警察があり、西洋文化の受容に熱心過ぎる人物を逮捕できる大きな権限を持っているため、ネット上で本音を語ろうとする場合、匿名を使わざるを得ない。

二〇〇三年現在では、イランでは百万人ほどの国民がインターネットにアクセスでき、その活動はおおむね検閲なしだが、政府が監視している。

「一九七九年のイスラム革命以来、イランの社会も大きく変化してきた」とデラクシャン氏。「改革派で人気のある人も多い。しかし、彼らはとくに大きな力を持っているわけではない。国家の指導層は依然として強固な保守派だ」

本名を伏せる条件で取材に応じたイラン人女性のブロガー「エラへ」氏(24歳)によると、イラン政府の保守派は「インターネットを理解していない」という。
とはいえ、最も保守的なイスラム原理派のムッラー(法学者)達の中にさえ、自らウェブサイトを開設して教義を掲載しているグループもあるともいう。

政府内でも穏健派は、ハイテクに比較的詳しいが、国民の私的なウェブログソフトコア・ポルノや政府批判などもあるには目を瞑っていると、デラクシャン氏は指摘する。

だが、そうした寛容姿勢は終わりに近づいているのかもしれない。二〇〇三年四月下旬、ジャーナリストのシーナ・モタレビ氏がテヘランで逮捕されたが、その理由はブログ活動を行なったことだった。

国営イラン通信(IRNA)によれば、モタレビ氏は三億イランリアル(約三万七千米ドル)の保釈金を払い、五月十四日に保釈されたという。

モタレビ氏は今、裁判待ちの状態だ。
IRNAによると同氏の容疑は、ブログのコンテンツによる「文化活動を通じて国家安全保障を脅かしたこと」、および外国報道機関に寄稿した記事や応じたインタビューの内容に問題があったことだという。
同氏は、改革派新聞ハヤーテ・ノウ紙に記事を書き、同紙が今年一月に政府によって廃刊に追い込まれるまで寄稿を続けていた。

IRNAの伝えるところでは、モタレビ氏は「拘留されて取り調べを受けていた期間中、容疑の一部を認めていたが、それ以外の容疑は認めていない」という。同氏のブログは現在、オフライン状態になっている。

エラへ氏は電子メールで述べた。
「モタレビ氏の逮捕は、イランのウェブロガーたちを大きな不安に陥れた。ブログをやめたり、ブログの内容を調べて、当局に問題視されそうな投稿を削除したりしている。多くのブログが気の抜けた退屈なものになってしまった」

エラへ氏がとりわけ残念がるのは、ヘジャブ、華美な服装を禁止するイスラム教の服装規定やイスラム社会における性差別などといったデリケートな問題について率直な意見交換がなされていた、イラン女性達のブログがなくなってしまったことだ。

エヘラ氏は言う。
「イラン女性の一部は、ヘジャブについて肯定的で、外見を魅力的にしなければとか若さを保たなくてはといった、西洋の女性が持つ強迫観念から解放してくれると思っている。本当に抑圧的なのは、西洋の服装規定のほうだというわけだ。其の一方、ヘジャブは女性を束縛するものと考えている人もいる。こうしたことがらを率直に討論するのは面白かった。私自身は、そうした女性たちのブログにイランの男性が投稿した意見を読むことに、とりわけ大きな関心を持っていた」

「わたし達のブログは、イランの男性と女性がそうした問題について互いに話し合える、唯一とは言わないまでも、数少ない場だった。男性の中には、女性がみんな、喜んでヘジャブに従った服装をしていて、家庭にいて保護されることも自ら望んでいるのだと思い込んでいる人たちもいる。女性の中にも、安全よりも自由を望む人がいると知って、男性は驚いていた」と、エラへ氏は指摘する。

デラクシャン氏は、イランの若い人達にブログの人気が高いことについて、最近二十年の間にイラン社会、少なくとも大都市に住む比較的若い中流階級の人々に起きた大きな変化を示すものだ、と指摘する。

「こうした人々が新しい価値観を持ちはじめたこと、そして新しいライフスタイルを追求していることを示している」とデラクシャン氏。
「年輩の世代は、個人的な感情や意見を隠そうとする。しかし、ペルシャ語版ブログの内容をちょっと調べるだけでも、個性や自己表現および寛容などが新しい価値として重んじられるようになってきたと、はっきりとわかるはずだ」

そして現在。
カナダを拠点に活動するブロガーのホセイン・デラクシャン氏は、最後にイランを訪れたとき、拘束され尋問を受けた。
出国の許可と引き替えに、ブログの内容を謝罪する文書への署名を強要された。其れでも、他のブロガーと比べればデラクシャン氏は幸運なほうだ。

この二年間、イランのブロガーの間では、政府による嫌がらせを受けたり、政府にたてつく意見を表明したとして逮捕されたり、起訴を恐れてこの国を離れたりするケースが相次いでいる。

保守的なイラン・イスラム共和国では、政府が新聞や放送を広く統制しており、ブログは自由な表現が許される最後の砦の一つだ。性の話題から核問題まで、ブログでは人々があらゆることについて自由に意見を表明できる。しかし、検閲の脅威はいよいよブログにも及んできた。

イラン人によるブログ・コミュニティーはウェブロジスタンと呼ばれ、比較的新しい。二〇〇一年、改革派の大統領に対抗する強硬派が、百以上の新聞と雑誌を発禁にし記者を拘束したのをきっかけに、にわかに活気づいたのだ。
このとき、デラクシャン氏はペルシャ語(イランの言語としてはファルシ語とも呼ばれる)によるウェブログ開設の手引きをネットに公開した。

以来、ウェブロジスタンは目覚ましい成長を遂げた。
正確な数字はわからないが、専門家の推計によると、現在イランで運営されているウェブログは七万から一〇万にのぼるという。その圧倒的多数はペルシャ語で書かれているが、英語のものも少しはある。

ブロガーを守る委員会(Committee to Protect Bloggers)というオンライングループを率いるカート・ホプキンズ氏(シアトル在住)は、全般的に見て、現在イラン人でブログを書いている人の割合は「非常に高い」と述べている。

「イラン人はおしゃべりな国民で、非常に知的で社交的なうえ、言いたいことがたくさんある。そして、皆を黙らせようとする政府の小集団と対立している」とホプキンズ氏は話す。

ホプキンズ氏の指摘によると、自らの陣営を支えるため、イラン政府は世界すべての国のインターネット・コンテンツを対象に、非常に大規模で巧妙な検閲やフィルタリングを行なっている。
これ以上の検閲を行なっている国は、中国以外はないという。

インターネットでの検閲や監視の問題に取り組むオープンネット・イニシアティブの二〇〇四年調査によると、フィルタリングを米国製の商用ソフトウェアに頼る中東の国が増加しており、イランもその一つだという。
イランが使用しているソフトウェアは、世界各地にホスティングしている英語のサイトと、ペルシャ語で書かれたイラン国内のサイトの両方をブロックしていると、この調査は指摘している。

イランにはインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)へ申し込む個人に対し、非イスラム的サイトにアクセスしないことを誓約する書面への署名を強制する法律があり、政府によるフィルタリング行為を支えている。また、この法律はISPに対しフィルタリング装置の設置を義務づけている。

フィルタリングは「組織的で、ますます酷くなっている」とデラクシャン氏は話す。
デラクシャン氏は昨年の春、イラン訪問時に拘束され尋問を受けた。
強硬派のマフムード・アフマディネジャード大統領が選出される直前のことだった。

しかし、イラン政府が何万という国民のブログに脅威を感じているのは、こうしたブログがそろって政府を侮辱したり、現政権の転覆を呼びかけたりしているからなのか。
実はそうではないらしい。

イランにおけるブログ上の議論には、政治的なものはめったにない。最も一般的な話題は文化、社会、性の問題だ。また、若い男女が人前でデートできないイラン社会において、ブログはおしゃべりの場としてうまく機能している。女性問題を議論するブログや、芸術や写真を扱ったブログもある。

しかし活動家によると、イラン政府はあらゆる話題を等しく脅威と捉えているという。
イラン在住のブロガーは、其のことを他の誰よりも知っている。

イランで最大級の人気を誇るブログを運営する、パラストゥー・ドコウハキ氏(二十五歳)は、「とても慎重にやっている。イランでは、本名で書いているブロガーは誰もが慎重を期す必要がある。越えてはならない一線はわかっているから、そこから外には踏み出さない。そして、最近はその一線がどんどんきつくなってきている」と話す。

ドコウハキ氏は直接的に政治について書くことはない。専ら社会問題に専念している。
しかしイランでは、それも触れてはならない問題とみなされる。

「わたしは政府による決定の社会的な影響について書くが、当局は其れが気に入らない。当局が管理できないからだ」とドコウハキ氏は説明する。

政治的な発言を公然と行なうブロガーは、さらに困難な状況に置かれている。

ハニーフ・マズローイ氏は一九九四年、著述活動によってイスラム教の教義に背いたとして逮捕、起訴された。六十六日間の拘置の末、マズローイ氏は釈放された。

「当局にとっては、ブロガーを召喚し脅かすのも当然のことだ」とマズローイ氏は話す。
政府のマズローイ氏に対する攻撃は続き、三ヵ月前、マズローイ氏は当局から再び召喚され、核問題に関して決して書かないように通告された。
釈放後まもなく、マズローイ氏はブログを閉鎖した。

「当局は私に圧力をかけ続けた」とマズローイ氏は話している。

イラン人ジャーナリストでブロガーのアラシュ・シガルチ氏は、イラン指導者の侮辱、敵対勢力への協力、イスラム国家に反するプロパガンダ、さらには国民を煽動し安全保障に脅威を与えたとして、逮捕、起訴された。

シガルチ氏は六十日間の拘置の末、十四年の禁固刑を宣告された。
これに対しシガルチ氏は上訴し保釈され、刑期は三年に減刑されたが、指導者の侮辱とプロパガンダに関する嫌疑がまだ残っている。

さらに、モジタバ・サミネジャド氏は二〇〇五年の二月に拘束されて以来、現在も収監されている。
サミネジャド氏が最初に逮捕されたのは二〇〇四年十一月のことで、仲間三人の逮捕に異を唱える発言が原因だった。
ブロガーを守る委員会によると、サミネジャド氏のウェブサイトはヒズボラ(レバノンのイスラム教シーア派の過激派組織)を支援するイランの関係者に書き換えられたという。

釈放後、サミネジャド氏は新しいアドレスでブログを立ち上げた。しかし、これが二〇〇五年二月の二度目の逮捕に繋がった。
サミネジャド氏は二年の実刑を宣告され、さらに、「不道徳」を煽動したとして十ヵ月の刑を追加された。

このような弾圧はあるものの、イランのブロガーの大多数は、政府はブログ自体を撲滅するつもりはないとみている。
むしろ、当局側の思い通りに進めるためにブログを利用したがっているというのだ。

ベルギー在住のイラン人ブロガー、ファリド・プーヤ氏は、イラン政府が最高のブログ四つを選ぶコンテストを開催したと指摘する。テーマはイスラム革命とコーランだ。

「政府は慎重な観察の末、ブログが重要だということを学んだ。そこで、ブログを巧く利用したいと考えている。政府はブログブームに乗り、これを管理したいのだ」とプーヤ氏は語る。

不適切とみなしたインターネット上のコンテンツをブロックするイラン政府の取り組みに関して、オープンネット・イニシアティブの二〇〇四年調査は次の事実を報告している。

世界各地にホスティングしている英語のサイトと、ペルシャ語で書かれたイラン国内のサイト、どちらのブロックにも、イランは米国製の商用ソフトウェアを使用している。

二〇〇四年十一月にテストした際には、千四百七十七のサイトのうち総計四百九十九のサイトがブロックされた。
二〇〇四年十二月のテストでは、二千二十五のサイトのうち六百二十三のサイトがフィルタリングされた。

ブロックされたサイトは多岐に渡り、たとえばポルノサイト、女性の権利を訴えるサイト、同性愛を題材としたサイトなどが含まれている。また、数多くのウェブログの他、インターネットを匿名で閲覧できるようにする「匿名化」ツールもブロックされた。

イランでは、法制度も政府のフィルタリング行為を正当化している。
ISPに申し込みを行なう個人は、非イスラム的サイトにアクセスしないことを誓約する書類に署名を強制される。
また、全てのISPは、ウェブサイトと電子メール向けのフィルタリングシステムを設置しなければならない。

国が違えば、こんなに扱いと重みが異なるブログ。
日本ではお小遣いだの出会いだのと、嘘ばっか連なっているが、真剣に自分の主張を貫くツールとして、ブログが有する意義が大きいのだ。

小学生がお任せで書く日記とは違う。
命懸けで書かれるブログが、この地上には溢れている。しかし、そんな有意義なブログほど、人目に曝される機会は少ない。
わたしは読みたい。だけど読める機械はほぼゼロだ。

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