Thursday, March 16, 2006

*くすんだ白い部屋と精神

自己形成についての論文。

今どきの若いものは、というのがいつの世でも大人達の嘆きの言葉だな。

社会の中に地歩を固め、生き方がかなり安定している大人達から見れば、変化を遂げつつある若者達の姿は、受け入れ難いものに映るのだろう。

何を物差しとするか、それはおそらく自らの青年期のあり方を基準にしているのだろう。人はそれぞれが固有の生活史を刻んで今に至り、其の刻み込まれた身体を通してもっぱら判断を下す

一人一人は個性的な身体を抱え持つことになり、其処で為される判断は、異なりつつ広がりをもったものとなる。

しかし、同時代を生き抜いてきた身体同士では、恐らく異なるものよりも共通のもののほうが多いのではないか。

時代精神という言葉があるが、いわば時代身体というものが形成されており、比較的似通った価値観を共にしているものと推測される
其のように考えると時代身体、もう少し細かく見て世代身体というものどうしの微妙な不協和音の響きの一つが、先の今どきの若いものは、という形で現れているのだろう
不協和音はそもそも響きやすいということになるが、現代青年の人格形成には、やはり独特な展開がありそうに思えるので、この点を身体性に絡めて考察してみよう。

まずは社会や世界というものと、各個人の人格形成がどのように関係をもっているのか、其処の辺りの確認から始める。
人格の出来上がり方について。

人間の人格とは、各個体(身体)の内部においてのみ成長するものではない。人格は個体(身体)の領域を越えた広がりをもち、また個体(身体)の内部にもいわば深さをもっている。此処で人格と表現しているものは、人格者という意味での人のあり方を指すものではなく、システムとしての人格、システムとしてのパーソナリティというものを表わす。

つまり、一人一人の人間がお互いに影響を及ぼし合いつつ共存し、他方、各個体其のものの、いわば内部に、何か独自の其の人らしさのようなものを築きあげているイメージとでも言うか。
あるいは堅苦しく言えば、人は共同存在(共存在)でもあり独自存在(私的存在)でもあるということにもなるか。

其の事態は各人に視点を置けば、外部世界と内的自己に分かれている。
自分等の周りには、自らを中心にして世界がまわりに広がっており、と同時に、自らのいわば身体の内側に、わたしというものがある。
この内的自己のみをわたしの人格と考えてもよいと思えるかもしれない。身体の其の皮膚の内側にのみ、其の人の人格が宿ると考えられないか。

確かに素朴な経験として捉えられるわたしの人格とは、そういうものだろう。ある人物を他ならぬ其の人、と認知し同定するのは、其の身体を生きている其の人を指し示すことに他ならない。

内的其の人=其の人、其の人格であり、其の人にとっての外部世界は一応考慮外のものとなっている。

けれどもこうは考えられないだろうか。何でもいいのだが、ある人が例えば怒りっぽいとする。怒りっぽいという特徴は、なるほど確かに其の人の人格の内的一部だ。とは言え、其の怒りっぽさはひたすら其の人の内部でのみ形成されてきたわけではないだろう。

其の人がこれまで生きてきた過程で、いろいろな他者との関わりやいろいろな体験を培地にして、其処にそういった性格特徴がいわば積み上がってきているのではないだろうか。

怒りっぽいという特徴は、まさに他者との関係の中で発現するわけであり、従って怒りっぽさとは、其の人と他者との間にあるものとすら言えるのではないだろうか。
人の性格特徴とは其の人独自のものでもあると同時に、其の人をとりまくまわりの世界との関係を表現するものなのだ。
また其処で言う世界とは、人類に普遍な世界などではなく、其の人にとっての外部世界であり、其の人にとっての生活世界だ。

こうして人の人格というものが、生を授けられてから以後、他者やまわりの環境との関係の中で築かれてきていると捉えるわけだ。
そうなら、人の人格とは、其の外部世界がかなり内側に折り込まれて内的自己を形成しているとも言える。
もちろん人間には想像力、思考力が備わっており、其の力によるセルフ・イメージの形成という側面があることも無視できない。
其の力は、生きつつある人格システムをメタ認知することを可能にする。わたしとか自分という概念を、当たり前のようにわたし達は用いるが、それはこの力をわたし達が持っているからだ。

生きて機能しつつある人格システムがあることに加えて、認知されたわたしシステムと言うものが並存する。
このわたしシステムは、セルフ・イメージだとかセルフ・ストーリーとして、通常は暗黙のままに働いている。

このように二つのシステムを抱えているところが、人間の人間たる所以かもなあ。
またこの二重システムを抱えて生きていく其のこと自体の中に、人間的な悩み(実存的な悩みとでも言うか)も生まれてくる。
人間集団と人格とて、其の人にとっての外部世界がある程度内側に折り込まれて内的自分を形成している。

が、外部世界は、全部其のままベッタリと内に折り込まれるわけではない。其処には濃淡のようなものがあるわけで、わたしらしさに近しいところにあるものから比較的遠いところにあるものにまで渡る。

例えば近しい人間関係、親子だとか兄弟姉妹関係などは、其の人の内的自己の、かなり中核に近いところに収まるものと思われる。

次いで身近な人間集団(もっともこれも幅が広いが)の世界が其の外側に広がり、さらに大きな単位かつ公的な単位である社会なり国なりの領分が広がる
外のほうでさらにさらに遠いところにあるのが世界なり宇宙なりということになる。

ちなみに文化というものは、内的自己の中核から辺縁に至るまで幅広く折り込まれている

ついでにもう少し言うなら、自然環境も含めた物的世界環境も、何がしかの折り込みが施されて、やはり内的自己の一部を担っている。
人間の人格システムは、こうして生物、無生物、組織やシステム、諸関係や諸制度などなどを其の組み立ての材料としている。
以上の如く、生理的なものを含めた身体を其の在り処とし、外部世界を内に折り込みつつ内的自己は成立している。

改めて其の内的自己についてだが、此処で話の焦点を青年の人格形成に絞るとすると、其処で一番重きをなす外部世界は、身近な人間集団ということになると思われる。
親との関係を初めとする近しい人間関係で培われるのは、人格の中核あるいは基盤となる部分だが、青年期は其の人格形成の段階は一応通過していると見なす。
もちろん人は誰でもが、乳児期から幼小児期にかけて、自らにとっての大切な人との関係によって、何らかの傷を負っている。
つまり人格の基底部に其の傷を抱えている

それでも多くの人は、其の傷をいったん包み込むかたちで、人格の新しい部分を作り上げていく。そしてとにもかくにも青年期に辿りつく。

其の時期の人達にとって身近な人間集団が、人格形成の主たる対象世界となる。もちろん人間集団といっても、さまざまな種類が考えられるわけだが、此処で主としたいのは、現代日本社会における同年齢集団ないし同年代集合だ。

此れは、小は友だち集団から、大は同年代の青年全般を包み込む集合にまで及ぶものだ。日本の教育界におけるいわば同年齢構造(たとえば何才になったら一斉に入学するとか)が、この種の人間集団を母体とする人格形成を一層強化している。


誰が正常???

昨日の回診で、某大学教授の偉いさんがやってきて、個別問診した。
わたしの部屋の他の住人は、リカくらいしかまともに話ができない。
リカが何故かないて戻ってきた後、わたしが個室に入った。
セクハラ???とおもったら、大間違い。

現在、わたしは夫と別居中。精神科医から強制的に離された。わたしの鬱に夫の暴力と社宅の上下関係が影響ありと診断したからだ。

別居して十年になる。一緒に暮らしたのは一年半。夫婦とはいえない。
離婚を申し出たが、夫が拒否した。其の後駅前にマンションを購入し、夫のDVも一見納まり、もう戻ってもいいかと二〇〇〇年に戻ったら駄目だった。

そういう経緯があり、わたしは今現在は法学員に通う別居妻だ。

で、白髪の教授先生様が仰せになったこと。

あんたは主婦って書いてあるけど、別居中で子無し、其の年で復学? 要るんだよね、勘違い女が。女は女の仕事があるのに放ったらかしで、無い頭で勉強しに来るの。あんたみたいのはね、主婦って言わないの、無職、っていうの!」

む、無職ぅ~~~~~?????

婚だけ納税して無職?
時差勤務で請負仕事してて無職?
ちゃんと年齢は外れてるけど、大学院に在籍してて無職?

じゃあ、退役してのうのうと患者よりいい椅子にふんぞり返ってるあんたは何者だ????

リカが泣いた理由がわかった。同じことをいわれたのだ。
確かにリカはニートだ。学校中退、バイトもしてない、のにパートのママにおんぶに抱っこで過食嘔吐費に一日五千円費やす。

わたしよりはるかに過酷なことを言われたのだろう、リカは。

わたしは其れを思うと腹が立ち、言い返した。

「子供がいないのは、先生みたいな人に教育されたくないからです。わたしの納税額は先生より上ですよ」

わたしは本気怒ると静かになる。怒鳴ってる間は皆安心している。が、口調が鎮まるとビビる。しかしこの先生様はそんなこと知らない。
弱気になったのだと勘違いした。

「ははは、めけ犬って言うのは君みたいな女を指すんだねえ、初めてよ、本物の負け犬!!!ハッハッハッ!!!」

「今の言葉、全て録音しましたから。刑法二三一条侮辱罪に該当します。覚悟してください」

意思はまだ分かっていない。
「ほおおお~~~ぅ、昼ドラ見ていれば其のくらい出てくるよね。分かった分かった、訴えなさい。君は本当に精神的におかしいねえ~~ははっ!!」

「今のも録音しましたから。ご自分の使命と役職を仰ってください。証拠とはならなくても裁判官に対する心象にはなりますので」
「はいはい、僕は○○大学医学部神経内科教授の××です、これでいいかね?」
「はい、承りました」

白髪の医師は、勝ち誇った顔つきで、わたしを追い払った。
わたしはケータイもって屋上へ。わたしが通う格上の国立大学法学部法学員刑事訴訟法講師の△△先生へ電話した。
全部話し、ボイスレコーダーの内容を聞いていただいた。

「勝てるね、其れは」と、尊敬すべき△△先生。
「ですよね、酷いですよね」内心笑ってるわたし。

今日、先ずは白髪先生様の大学へ電話して、名古屋地裁へ電話する。逆でもよいが、もし万が一、誰かが謝ったら許してやろう。

こういうワクワクどきどきサスペンスが大好き。
自作自演じゃないから、もっと面白い。
嫌な女なのは、確かだ。



かなり鬱。

二学期が始まり、駆け込み自殺未遂が増え、自己申告鬱病やら、不治の病、仮病が増えてきた。入院していると分かる。

摂食障害の患者が、最近増えている。
多くは心療内科や精神科などを受診して、そこでは治らないとがっかりし、ようやくカウンセリングに最後の道を求める。残念ながら、摂食障害は、薬では治らない。心理療法が、もっとも摂食障害の治癒には効果的であるという点は、多くの医療関係者が認める。

摂食障害とは、食衝動に異常をきたすもので、たくさん食べる過食、食べ物を受け付けなくなる拒食、それに食べたものを吐き戻してしまう嘔吐、栄養の吸収を妨げたいという意図で便秘でもないのに下剤を飲むなどの症状に現れる。

たくさん食べて、それを吐き戻すという行動を繰り返すものを「過食嘔吐」と呼ぶ。昔からあったものと思われる。文献などにある狐憑きなどというものは、この症状であるように思われる。
差別的だし摂食障害を抱えている方には非常に心が傷つく表現だから、摂食障害の方に狐憑きなどという言葉は使わないでくれ。

最近、この過食嘔吐の患者が増えてきたなという印象を持つ。比率は圧倒的に、女性が多い。

また、やたらと食べたくて、普通の摂取量とはとても言えないような量をどんどん食べてしまう過食期と、食べ物を見るのも嫌、食欲不振、食事が苦痛などの拒食期を定期的に繰り返すというケースもある。
過食期に嘔吐をせず、拒食期にのみ嘔吐が起こる場合など、人それぞれに症状の組み合わせが違う。

しかし、ごく普通に普通の量を美味しく食べて満腹感を楽しめないなら、それはなんらかの摂食異常が起こっているかも知れない。

何か辛いことがあれば、誰でも食欲がなくなって、しょんぼりしてしまう。しかし、それが何日も何週間も続くようなら、これには心の手当てが必要だ。
食欲がないという事は、生物が生きる事から目を背けているという事で、放置したり、軽視したりしてはいけない。
心の手当てをして、生きる力に刺激を与える事が必要だ。そうすれば心は元からもっている回復力を発揮して、体の傷と同じように、自分の心の傷を少しずつ治していけるだろう。

怖いのは、摂食障害を起こしている方は、これをやめたいと思う一方で、やめたくないとも願っている為に、症状を深刻に捉えようとしなかったり(逃避)、自分を冷静に客観視できない心理状態にある事が多いという事だ。それによって、手当てが遅れがちで、カウンセリングに行った時にはすでに習慣化している場合がほとんどだ。

習慣化すると、のどに指など突っ込まなくても、吐こう、と思っただけでトイレで自在に吐けるようになっているなど、体が嘔吐に慣れてしまっている為に、正常な状態に戻るのに時間がかかりる。普通に食べようと思っている時まで、トイレに化粧直しに行くと条件反射で「トイレ=吐く場所」と体が勝手に吐いてしまうという事が起こりもする。

摂食障害が治しにくいのは、表面的には、痩せているときれいである、という美意識による場合が多いのだが、これは本当の原因ではあらない。
多くの場合、ありのままの自分では親から受け入れられない、という思い込みによるものだ。
これは、幼少期に食事のしつけを厳しく受けた事や思春期に、親が太っている人をきつい言葉で非難したり、本人に太っていてみにくいと言った、などの様なシーンなどによって作られる心の傷だ。
もちろん、原因となっている内容は人それぞれだが、その原因を探しだし、本人がその傷に気づかなければ、摂食障害は根本的に止める事が出来ない。

実に恐ろしいが、一度思い切って入院するほうがいいと思われる方もいた。
待合で話し掛けてくるのだ。
「あなたも食べ吐き?」と。
「そうだった、今は拒食です」そう答える。
答えがいつ、「そうです、わたしも」に戻るか、自信がなくなってきた。
それでも死ねない限り生きるしかない。
かなり疲れている。全部捨てたい。何より身体を捨てたい。其ればかり考える。

昨日九月四日の日曜日は、この病院開院以来駆け込み自殺未遂が過去最高を記録し、休日の呼び出された外科医や精神科医が不機嫌そうに院内を疾走していた。
失踪したい気分だったろう。

Tough shit!
ざまあみろ! いい気味!!


やってしまった。

昨日、土曜日。あまりにリスカ患者が多く、うんざりしていた。

何がって、皆自慢するのだ。

「わたしはこんなに辛いよ」
「わたしあんだけ苦しんだ」
「わたしはそんだけ泣いた」

といって、わざわざ包帯と外し、縫い口生々しい傷痕を見せびらかす。

其れが何だ。
手首や肘に横に切ったって死ねない。本気で死にたい奴は縦に切る。

みんな、辛く苦しい気持ちを紛らわす為。

わたしもつられて昨日やっちゃったじゃんか!!!

ストレス解消法の一つだと思う。他にはけ口が無かったりとか、誰かに助けてもらいたいとか……。私もその1人ですけどね。誰かが助けてくれるわけはないのにね。精神的な痛みを肉体的な痛みでごまかすためかな。すごく楽になる。

何もかもから自由にされた感じ。血を見てると癒される。心の傷が具体的な形になるので安心するのかな。生きるために切る。

傷跡は自分の出来る範囲で 精一杯生きてきた証だと思える。流れる血にどれだけ癒されたことか。でも切るところなくなってきているのが悲しい。

自分で納得出来る人生で終わりたい、誰しも理想は。でも境遇、環境、運、色々な人生があって、自分でこれも人生よ、ってあきらめ、我慢、歩み寄りもあるけど
と思える人だって居る 何も打たれ強いのがえらい訳でもないし逆にそんな事我慢しちゃ人間として思われたくない場合だって、あるよね。

なんとなく寂しくなったりして、死にたいわけじゃなくて、心が傷ついたときなんかは、心より体を傷つけてそっちに逃げてる感じ

自分の中の嫌なもの。嫌いなもの。全部血と一緒に外へ出してあげるの。行き場の無い愛情とか。自分自身でさえも。要らないもの全てを解き放つの。カッターは心のドアの鍵。

私はどんな気持ちとか考えたことはないな。ただ血が見たいだけなのかもしれないけど。でもね、私はリスカすると落ち着くんだ。特に苛々してるときとかね。八つ当たりに自分を選んだのかもしれないね。

無心。涙と意味の判らない笑いが込み上げて来る。どこか遠くで私は泣いている。もう二度と、幸せには戻らない様に。

皆こんな気持ち?

わたしは弱い。
どうしようもなく弱い。
大事な人を傷付けてばかり。でも、逢う約束をした人がいるから、生きねばならない。ひょっとして、其の人にみせたかったのかな。

わたしだって苦しんでるって。

心のどこかで、解離した自分が囁く。

死ね。

まるでパーティに誘われたように、甘美な誘惑。
寿命があるなら、生きたくても生きられない人にあげて欲しい。
何故毎日事故で人が死ぬのに、わたしは事故に遭わない!?


自殺系に登録されてしまった……。

昨日とうとうグリセルダは戻ってこなかった。
ナース曰く、「大量の下剤を飲んで、多量の浣腸を何度もされて、絶食中」だという。

ナースは医者に問い詰められていい迷惑だとこぼしていた。

「だって摂食率0%なのにあんなに排泄物が溜まるなんて。おかしいじゃない? 気付いてはいたけど、管理不行き届きだって叱られたわ。もう旦那さんに差し入れしないよう言っておかないと」

相当怒っている。
そりゃそうだろ。

配膳されたものは一切食べず、医師の問診にもダンマリ、なのに、吐糞するなんてなあ。

始めて見たよ、吐糞っての。
本では読んだけど。
胃ま今で糞が詰まって、口から糞出すんだよ。見てられねえよ。
気色イ……!

話し変わって、リカのリスカに触発されて、わたしもやっちまって、叱られた。

リスカでもアムカでもネクカでもない。
仕事で使う万年筆で、左手の甲ぶっ刺したのだ

縫わなくていいのから、見逃せよって思う。
ま、管理不行き届きを咎められちゃ、ナースも困るわな。

あと日曜日にやったのが根性焼き
あんまり甘チャンの娘ばっかで、自分の傷痕を自慢するから、「これができるかああああ~~~!!!!?」って、リスカ六人衆の目の前でやってやった。

此れも治療が不要だから、叱られないと思ったけど、叱られた。

ナースもドクターも、自分の保身に必死だ。
患者なんてゴミ捨てより後の関心事
金が無いから退院するっつーたら、ローン会社を紹介された。

馬鹿にすンなって。わたしの納税額見ろ!!! どんだけ稼いで払ってるか。インターンの十倍はあるぞ。

自慢は如何でもいいが、自殺サイトからリンクの申し込みがあった
怖い。

死にたいなら一人でじわじわ苦しんでゆっくり時間掛けて死を実感して、ちゃんと、死ね!!!

心中相手募集なんての見ると、張り倒したくなる。
結局死ぬのが怖いんじゃねえか。

本気で自死に臨むとき、人間はうまれて始めて真剣に生を考える。
あらゆる手段を尽くし、全てが粉砕し、其の中の一つの一%でも上手くいったら死なずにすんだのに、と、生きることへ物凄い執着を持ちながら、未練たらたらで、首を吊る。

生きたいと願いながら自殺するのが本当の自殺だ

興味本位や安心感や構って欲しいとか注目を集めたいとか、そんな気でやるのは飽くまでも、自己満足の自傷行為。
それはそれでいい。ストレス発散方法は人それぞれだ。

ただ、血で周りを汚さないよう気をつけてね。
風呂場でやると、臭いが取れなくて生臭くて、家族がいれば困る
いなけりゃいいってもんでもない。

賃貸なら大家が困って、敷金返してもらえず、加算される。下手すれば債務不履行で提訴される。
現に賃貸契約での敷金訴訟は多い。差し押さえもできる確定債権だから、取り立ても必死だ。

やるときは、公園とか山林とか、幽霊スポットになっても人気が出て困るどころか喜ばれる場所でやりましょう

ペットもちゃんと始末して。遺して逝っちゃいけない。
ちゃんと安楽死させること。動物病院行ってね。保健所はダメ。

皆誤解してるけど、保健所での薬殺は安楽死と程遠いものだ。
七つの檻があって、日毎に右へずれる。一番右、つまり八つ目は毒ガス場。延々六時間掛けて苦しませて、殺す
何故か?
保健所の周囲にも民家はある。一瞬で楽に死ねるほどの猛毒を密閉されているとはいえ、流すわけには行かない。
万が一、地震などでガスが漏れたら大量殺人になる。
だから、少しすった程度では死ねない毒ガスでじんわり殺す。
此れが真実だ。

だから、本気で死にたいなら、ちゃんと一人で死ね!
目一杯苦しんで、未練を全部嘗め尽くして、死ね!

わたしは怒っているのだ。
勝手に自殺系サイトに登録しないでくれ。
心中なんてわたしは嫌だ。
死体を見られるのも嫌だ。
汚いぞ。大小便垂れ流しで、顔浮腫んで、ゲロって
そんな姿晒したくない。

死にたきゃ一人で青木が原へ行け。
心配無用、捜索隊は出ない。念の定時期にしか捜索しない。
ただ、一番近いバス停の傍にある民宿のお上さんには注意
お節介この上ない。
くどくど説教される。ならあんた借金返してくれるのか、職探してくれるのか、彼を帰してくれるのか、って、云いたくなる。
が、負ける。
あの人は自殺防止の達人だ。あの手この手で攻めてくる。
立ち寄らず、樹海へ直行してください
仲間が一杯いるから怖くない。誘いに来るよ。ロープも、先人のを使わせてもらえばいい。
もってくものは酒と煙草と、最後に食べたいものくらい。
睡眠薬は、却って死に難くなるので注意。
途中で寝ちゃうんだな。目が覚めるとパニック。で、ケータイで連絡して大金払わされる。
ちゃんと死ね、馬鹿野郎!


超ウルトラグロゲロ。

わたしだって吃驚した。
本では有り得ると読んでいたけど、まさか本当に目の前で起こるなんて。

わたしの隣のグリセルダ、ポータブルトイレに吐き、本当のはちゃんとトイレへいっていた。ただ、喋らない。日本語、差し入れ持ってくる旦那さんとは喋ってるが、ナースにもヘルパーさんにも、絶対口を利かない。。

で、この三日間、ベッドから一度も降りなかった。
点滴で水分補給し、旦那が山と買ってくる菓子類を、カーテン閉めて真夜中に食い漁り、吐いていた。昼は寝ている。

そんな人が、全くトイレへ行かない。

ちゃんと、大小の回数を、テーブルに張ってある紙に正の字で書かねばならないのだが、全く書いていない。それに、尿の料を袋に溜めておかねばならないのだ、摂食障害者は脱水し易いから。

だから皆点滴を受ける。飲むと吐いてしまうから。

で、ナースもポータブルトイレでしていると、思ったのだろう。

上からとしたからと、同じ便器に吐き垂れるんだからぞっとするけど。

まあ、五年前は、その糞と一緒にゲロ食う奴がいたし、現に今も斜め左の中嶋はそうだ。

「まだ食べれる」と、糞の上に積もったカップラーメンを手で掬って食っている。

が、グリセルダは一寸違った。
いや、大部違った。

今日未明、確か午前三時ごろ、突然左隣が、「ンふうううう~~~!!!」と、うめきだした。
驚いて、でも暫く見ていたが、一向にナースコールもせず、よくもならない。

で、わたしが自分のボタンでナースコールした。
夜勤の看護師は不機嫌そうにやって来た。同室のものも目が覚めた。
だって凄まじいうめきなのだから。獣みたいだった。

グリセルダ本人は構わずうめき、激しく寝返りを打つ。というか、ベッドの上で暴れる。
迷惑だ、と、眉を顰めた瞬間、凍った。

みんな揃って、絶句した。

彼女は吐き始めた。でも今夜は過食していなかった。というか、この三日間、ホントに少ししか食べていなかった。唯ジュースだけはがぶ飲みしていた。
だからデブなんだと、わたしは嫌だった。

が、彼女の身体には異変が起きていた。

彼女が吐いたのは、茶色い太い芋虫みたいなの。ゲロみたく流動性が無い。固形といってもいい。

食べたものにより、特に水分不足でパンを食べて吐くとき、こういうのが吐き出されるが、一寸違った。

臭いだ。

室内に立ち込める匂いが、下痢の酸っぱい臭いでなく、どちらはといえば、下痢便垂れた後の臭い。

そうです、吐糞です。

つまり、口から糞吐いたのです

ナースが悲鳴をあげ、医者が駆けつけてきた。
彼女はストレッチャーで何処かへ運ばれていった。
そのまま今も戻らない。

ナースの説明によると、便秘が超酷くなると、とくにお年寄りに多い症例らしい。
臨床的には珍しくは無いが、現場では珍しいという。

いまは、ちゃんと癖にならない下剤が、重度の鬱患者には処方される。わたしもそうだ。
精神安定剤やらで、腸の動きが緩慢になり、便秘を誘発するので、漢方薬が処方されている。

それでも便秘な奴がいる。彼女はそうだったようだ。
羞恥心はまだ残っていて、誰にも、言うべき医師にもナースにも、庇ってくれる旦那にも、いえなかったようだ。

可哀想だが、傍迷惑。

こんな地獄、脱出したい。
結構堪える。刺激ありすぎ……。


大丈夫!

自分を責めないで。
精神疾患は、自分ひとりでなる病気じゃない、だから周りに甘える権利があるの。
堂々と胸張って甘えていいの。

ただ自分自身に負けないで。
違う、吐いてもいい、拒食も過食もいい。
負けるってのは、摂食障害について自責しなくなること。

自責の念があるなら、負けてない。闘ってる真っ最中なの。
立派だよ。たった一人で闘ってるんだから。
周りは支えるしかできない。回りが誘発させた病気なのに。
だから一杯、状況が許す限り甘えて。

わたしでよかったら行くよ。実際五人の人と別サイトであったし。今も繋がってる。
日時場所指定してくれたら会いに行く。疲れて眠るまでずっと一緒にいる。
誰より汚い行為をしてきたわたしになら、優越感もって話せるよ。
話して楽になるなら、何時だって会いに行くから。

ま、退院してからだけど。

あんまり皆苦しそうだから、わたしも苦しくなった。いまわたしはゲロ地獄にいる。五年前のわたしがああだったと思い知るために。

皆、ちゃんと頑張ってる、戦ってる、誰がなんていおうと、戦わない奴等の言葉に耳をかさなくて言い。聞いてしまっても、ショックを受けても、其れを一個一個乗り越えて、最後にきっと笑える。見返せる。

All or nothing、なんだよね。
摂食障害乗り越えた人に聞くと、皆そういう。治ったきっかけも、大切な誰かの、些細な、でもショックな、言動だったって。

わたしもそう。
母の「もうパン買うお金ない」の一言で、十六年止められなかった過食嘔吐が止まった。
必ず其の瞬間が来る。信じられないだろうけど、人生は長くて、人は一杯いて、傷付ける言葉も励ます言葉も沢山あって、其の中のたった一つが、あなたを救う。必ず救う。

いまは、耐えるときかも知れない。
耐えるのも闘いなんだよ。
威張っていいんだよ。
何も苦労せず終わった人生より、ずっと中身が濃いよ。自信もって、自分と周りを信じて。
もう充分頑張ってるんだから、少しだけ自責して、自傷して、紛らせて、戦って。
生きること自体が戦い。いまそれをやってるのだからね。

ありのままの自分を、先ず自分自身で受け止めてあげて。
其れから始まるよ。


ダイエットに意味が無い。

最近では、痩せる=ダイエットと、間違った広告が多量に流されている。

ドッグフードで有名な、ナチュラル。・サイエンス・ダイエットのように、本来ダイエットとは食餌、食餌療法をさす言葉だ。

其れが、日本では「ダンベル・ダイエット」「ウォーキング・ダイエット」などと、英語圏の人が腰を抜かすような表現が使われる。

日本では箸と一緒に手首にダンベルをつけて食べるのか?」とか、「歩きながら食事をするのか?」と、訊かれる。

マナーも糞も無い。

日本は落ちた。

今日も駆け込みリスカが多かった。眠れやしない。
引篭もりについて、今後この環境を逆手に取り、物を書いてみよう。

論文提出期限が間近だ。早く退院したい。いい加減いやだ。
いまも、リカが吐きにいった。
横井さんは吐き疲れて寝ている。鼾五月蝿い。
中嶋さんはナースに叱られ、しょんぼり。しかたないだろ。吐いたカップラーメンを、「細いけどまだ食べれるね」といって、ポータブルトイレに手を突っ込んで食っているのを、ナースに見つかったのだ。

此処は地獄の精神化病棟。
誰からも持て余された非人間が巣食う場所。
わたしも其の一人だ。


グリセルダ復帰!

あの吐糞したぐリセルダが戻ってきた。昨日の夕方のことだ。

すっかり痩せていた。

旦那からの差し入れ金しれが出され、仕方なく断食したそうな。
でも耐え切れず(だってペプシ1.5リッターとバリバリスナック菓子貪り食うのだから)病院食に手を出した。

ペルパー曰く、「食うわ食うわそりゃもう丼飯おかわりして、まだ他人の残り物盗んで、看護婦に怒られてもやめない。ICUは食べられる人が少ないからね、一杯食べ残しがあるはずなのに無い、で、看護婦が調べたら、ビニール袋にごちゃ混ぜに入れて隠してたのよ! ご飯も味噌汁も煮魚も一緒くたよお、気持ち悪かったわ。それにね、他人のお菓子とかお見舞いを盗むの! ICUだから口が聞けない人が多いでしょ。其れをいいことにやりたい放題、バイキングだったよ

一気にまくし立てた。聞いててこっちも吐き気がした。
とうとう盗癖があらわれたか……。
こうなると社会復帰が難しい。
過食者の三分の一が盗癖に走るという。勿論万引きとかスリとか、ちゃんとした犯罪構成要件までは満たさず、要件外の、ゴミ漁りとかバイト先の客のの衣の食うとか、コンビニや総菜屋で廃棄をわざと作るとか

其れがトラブルで辞職または退職する人も多い。
過食者は何故か、食べ物関連の職に就きたがる。廃棄目的だろう。
私はそれだけはしなかった。
一度やったら癖になると、散々万引き常習者から聞いていた。わたし自身、そうだと納得する。

嘔吐も同様、一度やったら止められない。
無料で吐くためだけの食い物が手に入るなら、こんないいことはない。

拒食は幸せかもしれない。生活費が余裕できるし、何故か渇望中の方が活発になれるし、痩せたスタイル維持できるし、何もかも、他人から咎められる要因は無い。

堂々と拒食できる世の中だ、この現代は。
ダイエットと語呂のいい言葉使って、食べなくていい、食費で好きなものが買える、痩せてていいねと褒められる。

だから私は拒食から抜け出せない。
過食嘔吐よりはましだが、摂食障害の病名は剥がれない
無論、鬱も解離性障害も、ある。

冷たく別の自分が食うなと指令を出す。お前なんか飯を食うに値しない屑だ、飢えて苦しんで死ね、と罵る。

言い返せない。
其のとおりだ。
わたしの鬱も多重人格も終わらない。
何で生きてンだろ。


キョウフのメール。

あなたが別れようって言っても、わたしはあなたのことを愛しつづける。
生きていても、死んでいても、あなたが死んでからも、わたしはあなたを追いかけつづける。
だから、今あなたが何処で何をしてるのか分かってる。
この間中庭で気持ちよさそうだったね。わたしも見ていた。
これからもずっと一緒だよ、永遠に、わたしはあなたを見つめている。

ってのはまだ可愛い。無視すればいいが、中庭???って、わたしを見ているのかああああ~~~~!?

次は訳分からん呪い。
浮気をしていたのは旦那ではなくお前だったんじゃないのか?
自分がそうだから一番近くにいる人、旦那もそうしていると思い込んだのだ。
無理もないよな。
お前は自分の事しか考えない。
自分が一番と思い込んでいる性格だから。
相手の気持ちなんか全く捕えようとしない。
思い込みの激しい嫌な性格。とても一緒の職場にはいて欲しくない。
消えるのは俺ではない。お前の運もこれまでだ。
我欲に捕らわれてばかりいる者が行き着く先は、魑魅魍魎の世。

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!
お前の脳みそには蛆が沸いてる。俺を苦しめたな……。いつかお前が地獄に逝くことを俺は望んでいる……。

知的障害の利用者相手に赤ちゃん言葉を使えば良いと思い込んでいる。自己中心的の考えしか待たない愚か者! お前を断じて許さない!七つの地獄へ行け!七つの石を集めて墓を築け。七つの石の卒塔婆を建て錠鍵下せ!血を吐け、泡を吐け! おん阿毘羅吽欠姿婆呵!

訳分かります、誰か???

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