虐待とは?
虐待による脳の損傷
脳と記憶の関係について、わたしの可能な範囲でまとめてみた。
記憶を保存するのに重要な働きをするのは、海馬である。海馬は簡単に言えば、短期記憶を長期記憶の倉庫へと運ぶ働きをしている。
体験の一部が海馬に一度貯蔵され、その後視覚なら視覚野へ、聴覚なら聴覚野というように、それぞれに運ばれ、そこで安定した記憶情報となる。それらが側頭葉連合野で統合され、視覚像、聴覚的記憶、体性記憶などが一体化した記憶としてまとめられるのである。
そうすると、海馬は体験を記憶と帰るために重要な役割を果たしていることが分かる。海馬損傷の患者の場合、損傷以降の体験は長期記憶として取り込まれず、それ以前の記憶が残っている。
それらの超長期記憶は側頭葉連合野に残っている。
つまり、海馬が正常に働いている時に側頭葉連合野に残された記憶はそのまま保存され、側頭連合野へと運ぶ原滝のある海馬が損傷してからは、体験が長期記憶へとならないために、残らない。
また、この海馬はストレスに弱いことが分かってきている。
何らかの物理的な衝撃が無くても、ストレスによって損傷することもあるのだ。実際、被虐待者の場合には通常よりも一二%減少している。
被虐待者の抑圧や解離などの健忘は、脳の働きの低下からなるという考え方もできるのである。
いずれにせよ、子どもにとってその記憶を覚えておくことは非常に危険であり、その記憶を思い出すと生きていくことが困難になるので記憶の再生に障害をきたすのである。
虐待と他の心的外傷体験との違いは、繰り返されること、加害者は自分の知り合い(ほとんどが親)であることがあげられる。
一度きりの心的外傷体験者はそのトラウマ体験を覚えていることが多い。
しかし、内容が曖昧であったり、加害者を誤って覚えていたりすることはある。一度しか体験せず、しかも危険の中での記憶なので、その記憶があいまいであってもそれは理解できる。
では、虐待のように何度も繰り返される心的外傷体験はどうか。
加害者の顔も、状況も正確に覚えることができるはずだ。
しかし、多くの被虐待者は虐待されていた記憶を再生できない場合が多い。
それは、加害者が知り合いであるためにその記憶を覚えておくことはとても危険であると共に、何度も繰り返されることによって防衛手段を身に付けることができるからだ。
その一つとして記憶を抑圧して、なかったことにするということが起こる。
ただし抑圧は健忘ではなく、忘れているわけではないので、抑圧が解けて戻ってきた記憶はほぼ正確である。
くりかえしトラウマ体験をした子供たちのほうが、単一の体験をした子供たちよりも、虐待者についての間違いが少ない。
虐待をくりかえす者は強制収容所の警備員や刑務所の看守と同じだ。
性的虐待を受ける子供は加害者に管理、されている。被害者は逃れられない。
此れが単一の被害体験と複数回の被害体験の子供の違いだ。
抑圧と忘却の違い
虐待という心的外傷を受けた人の中には、記憶の封印をしてしまう人がいる。
抑圧とは、想起することによる恐怖などの苦痛を避けるために、想起することを抑制する努力を重ねるうちに、意識することなく自然に心的外傷体験が記憶から消されたかのように見えるようになった状態である。
まず、辛い出来事を一時、心から押しのける。
フロイト以後の防衛規制の研究家は、此れを抑制と呼んできた。
フロイト自身はウンダートゥリュックング、(押しこめること)と呼んだ。
抑制は、一時的で意識的な営為である。
つらい問題をしばらく棚上げにしておきたいのだ。
理論的には、抑制した者はいつでも再び辛い問題に戻って考えることができる。
だが、子供の場合、抑制は抑圧への一里塚であることが多い。
フロイトは抑圧をフェルドゥレングング、(押しのけること)と呼んだ。押しのけられた記憶はかんたんに、そして永久に意識から取り除かれてしまう。
一部の子供、とくにすでにトラウマ体験を有している子供の場合、この作用は単純でほとんど自動的に起こる。
何度もその苦痛の体験を拒否し、抑制しているうちに、それはいつのまにか自分の意志に関係なく、抑圧されてしまうのだ。
しかしそれは封印であり、決して消えたわけではない。忘れたのではなく、思い出せない、もしくは思い出さないのだ。
ここで、判断が難しい忘却と抑圧の違いを考える。
どちらも記憶が無いという点では同じである、忘却と抑圧の違いをテアは法廷で、おばあさんのブローチを例に説明している。
たとえば、遺言か何かで、あなたがおばあさんのブローチをもらったとしる。おばあさんとの関係は良好だった。
すてきなブローチだ。あなたは引き出しの奥にしまう。
二十年後、あるブラウスを着て思う。そうそう、引き出しの奥にブローチがあったっけ、探すと、たしかにブローチはある。
此れが忘れていた、ということだ。
別にこだわっていない記憶だ。
ほとんどのときは念頭にないけれど、二十年後、ブローチを探そうとすれば、どこにあるのかわかる。
さて、おばあさんが恐ろしい死に方をしたとする。
おばあさんは死んだとき、そのブローチをつけていた。
警察がもってきたブローチには血がついていました。
ブローチをきれいに洗って、引き出しの奥にしまいる。
ブローチについて、非常に強力な、だが無意識の抑圧が働いたとしる。気持ちのなかで、ブローチは苦痛、トラウマ、恐怖と結びついたのだ。
そうなるとブローチのことをぜんぜん思い出さない。
ただ、目の前で誰かが血を流したり、同じような事故にあったり、おばあさんによく似た人に出会えばべつだ。
そのとき、ふいにブローチの記憶が甦る。
ブローチのことを考えるのはいい気持ちがしないでしょう。
ブローチが引き出しの奥にあるのはわかっているかもしれない。
ブローチを見に行くかどうか、それはわからない。
それは能動的な記憶の抑圧だ、だ。
そうした記憶は、存在しないかのようだ。でも、誰かが血を流しているのを見たり、おばあさんに似た人に出会ったりすると、どっと記憶が甦ってしまう。
忘却の恩恵
忘却は、自分にとってさほど重要ではなく、常に気に留めておくものではないために、忘れてしまうという行為である。
ところが抑圧は、重要であるが故に思い出さないようにしてしまうのである。
能動的ではあっても、無意識であるというところに抑圧の難しさがあるのだろう。
意識しないうちに、記憶は消えたかのようになってしまい、血を流しているのを見た時に動揺したとしても、何故なのかが分からない。
何故なのかが分からないために、とても苦しい。
そして、たとえ抑圧していた記憶が甦ったとしても、それは苦痛、トラウマ、恐怖と強く結びついた記憶であり、さらに苦しい思いをする。
忘却と抑圧は、他者から見れば同じように見えてしまうかもしれないが、大きく異なるのだ。
記憶を失っている場合には、二つ考えられる。一つは虐待を受けている時は認識しているが、その後でそのことをなかったことにしてしまう抑圧がある。
もう一つは虐待が行われている時から、解離してなかったことにしてしまうか、もしくは他の人格に被虐待児の役割を渡してしまう場合だ。
解離とは、繰り返し虐待を受けているうちに防衛手段として身に付いてしまうもので、窮地に陥ると自己催眠によって自分の意識を飛ばしてしまうというものだ。
この解離は被虐待者の大きな特徴でもある。
抑圧の場合、記憶は決して消滅したわけではなく、思い出せない、あるいは思い出さないのであり、甦った記憶はほぼ正確だ。
しかし解離の場合、自分の身体から離れた意識が自分を見ていない限り、全く覚えていないことが多い。
解離して自分を見ている意識をレノア・テアは隠れた観察者、と言った。しかし、その隠れた観察者も本当に危険になった場合には出てきてはくれないのだ。
隠れた観察者をもっていて、解離状態でも自分を意識しているように見える患者がいる。
こうした患者の場合、虐待されている自分を子供部屋の天井から眺めていたり、窓から落ちていく自分を遠くでみていたりする。
だが、病的な激しい解離状態に陥るパトリシア・バートレット(解離性障害者仲間)のような人には、隠れた観察者はなかなか来てくれないらしい。
隠れた観察者がどれほどの時間そばで起こることを眺めているのか、予測するのはむずかしい。
ほとんどの場合、子供にとってとどまる、のは危険が大きすぎる。
観察者も失ってしまった場合、解離によって失った記憶が戻ってくることはほとんどない。
戻ってきたとしても正確ではなかったり、抜けていたりする場合が多い。
通常、記憶は一つの流れとして認識されるが、解離を繰り返したり、解離性同一性障害であったりする場合、記憶は途切れ途切れとなってしまう。
また、解離と抑圧は異なるものであるが、記憶を喪失している者はどちらかだけを経験しているのではなく、どちらも経験していることが多い。
虐待とは???
するほうもされるほうも救われない。
わたしの友人が子供を虐待して、逮捕された。
吃驚した。かわいがってるようにみえていたから。でもあれは、人形を可愛がるようなもので、生命として愛していなかったのだと、彼女を見て思った。
だから、オムツを汚すと怒る。ミルクを与えるのが面倒。風呂に入れるのが億劫。
でも、母娘揃って、ブランド用品で飾り立て、レースや縫いぐるみを宛がい、上等の親子を演じていたようだ。
内実は、一週間に一度、祖母に当たる母親に赤ん坊の風呂を任せ、部屋の掃除もせず、オムツも替えず、ミルクを気まぐれに口へ流し込むだけ。
だからミオちゃんは痩せていた。うちのわんこより軽かった。まだ一歳未満なのに、笑わない子供だった。
私自身が親とされてしまった人達から、性的虐待、暴行を受けていたので、親ってどんなものか理解できず、だからアドバイスなんてできなかった。
大体わたしは餓鬼が大嫌いだ。
何考えてる分からない不気味な生き物だ。
赤ん坊なんてぐにゃっとして、触りたくも無い。
だから、自分も虐待すると思う。
だからこそ、子供ができないよう、身を守っている。
SEXも大嫌い。
こうなった心の傷は、癒えるのだろうか?
いつか子供抱いて笑えるのか?
多分無理だ。
親って概念が分からない。親とは何か、生後二日で施設入りしたわたしには分からない。
六年後宛がわれた親と称する人達似たする感情は、唯単に食わせてもらうための手段、利用して金を引き出す道具でしかなかった。
甘えたい。でもどうやって甘えていいか分からない。
このところの幼児虐待は、ニュースで見る分には、冷静になれるけど、身近で起きた虐待は、非難できなかった。
わたしだって多分、赤ん坊の世話嫌がるだろうから。
抱くのも嫌だ。あのにおいや感触が気持ち悪い。
殺意さえ、ミオちゃんに感じていた。
他人の子供とちょっと会うのも嫌だった。
殺したくなった。
泣かれるともう、踏みつけて頭勝ち割りたくなった。
わたしは、罷り間違って餓鬼ができたら、間違いなく虐待するな。
一寸見てみよう。
わたしの場合の虐待体験
自分のことを鑑みて思う。
幼いころ受けた、特に性的色合いの強い心と身体の傷は、何時になったら癒えるのだろう。
父から受けた性器への観察、乳首をいじくられたこと。
母は娘の生理の有無や時期を事細かく書き留めチェックするし、遅れれば疑う。
たった十二歳のときに、だ。
体操部で着るレオタードを猥褻だと非難し、笑顔を媚びと叱咤し、彼氏ができれば電話を盗み聞き、手紙は必ず開封済み。
いなくなるまでは鬱陶しく、十六で独り暮らしをはじめた。
以来、親と暮らしていない。わたしが親と暮らしたのは十年間だけ。
其れも六歳から。
わたしの中では親という概念が欠落している。
生来全盲の人が、不自由を感じないのと同じだ。
いないのが、他人の中で冷たく怯えて生きるのが当たり前だったから、突然、「今日からこの人たちが親だ」と宛がわれても、非常に困り、かわいげのない女の子になるしかなかった。
親は後ろめたさか、過敏になり、異常に厳しくしつこく粘っこくなった。
胸が膨らみ始めたときの、あの恥辱が記憶から離れない。
「服を脱げ」
「三センチも高さがある」
「まだピンク色だ」
「やわらかいな」
「しゃぶっていいか」
此れって父親の言うこと???
わたしは親という概念が無いから、素直に憎めた。だから救われた。さっさと捨てられた。
親がいる家庭に憧れ、羨ましいけれど、憎めないのは苦しい。
抑圧された虐待の記憶
加害者が知り合いであるということはどのような影響を与えるのだろうか。子どもは親が正しいと信じているので、親を正当化するために虐待を虐待ではないと思おうとする。
他人ならば悪者にして誰かに訴えることもできるだろう。
しかし、子どもは親を失うのが恐いのでそれができない。
従って、自分の心の中で虐待という事実を否定し、取り込むのを拒否したり(解離)、思い出さないように抑圧したりしてしまう。
抑圧された記憶は何年もたって、なんらかの誘因によって解かれる。
誘因は匂いや色、音などの感覚刺激である場合もあるし、恐怖や怒り、悲しみなどの情動刺激である場合もある。
記憶を消す子供たちという本で紹介された、アイリーンは、我が子を見て、父に殺された友達の顔と重なって、殺人現場にいたことを思い出した。
わたし自身は友達が怒っている姿を見て虐待を受ける際の恐怖心が甦った。
しかし、誘因があればいつでも思い出せるわけではない。
何年も、あるいは何十年もの年月を経るのは、子どもだった被虐待者が成長し、加害者である親と離れ、安全な空間を得るからである。
その条件がなければ、抑圧が解かれることはない。被虐待者は安全だと感じて、やっと今までずっと送りつづけていた危険信号を緩めるのである。
ただし、安全な場所でその記憶の抑圧が解かれたとしても、苦しまないわけではない。
心的外傷の記憶は言語化されない記憶である。
通常の記憶は言語化され、物語化され、過去となる。
ところが、心的外傷の記憶は生々しい感覚とイメージとで成り立つ。
言葉にして記憶とされなかったトラウマ性記憶は過去とはならない。
何年たったとしてもその恐怖は生々しく、被虐待者に襲いかかるのだ。
被虐待者にとって、心的外傷体験である虐待は過去のものではない。
過誤記憶のでっちあげ
記憶を解いた被虐待者にとって、苦しめる要因がもう一つある。
それは、その記憶の正誤が分からないということだ。
もう何年も前のことなので、それを証明することは難しい。
抑圧と忘却は違うものだが、その違いを理解できなければ、抑圧していた記憶の正確さを理解することもできず、過誤記憶false memoryを支持する人々の思惑通りになってしまう。
過誤記憶論争によって、さらに多くのトラウマ被害者が傷付かないためにも、この忘却と抑圧の違いを理解することが大切なのだ。
過誤記憶については、アメリカで大きな問題となった。性的虐待で娘に訴えられた父親が、娘の記憶は過誤記憶だとして訴えたのである。
その夫婦は過誤記憶症候群基金(FMSF-False Memory Syndrome Foundation)という捏造された記憶によって子どもから告発された親を擁護する団体を作った。その考えを支援する専門家もいるが、戦い続けている専門家もいる。
『記憶を消す子供たち』の著者であるレノア・テアは、甦った記憶によって親を告発したアイリーン・フランクリンの検事側証人として立ち、様々な論文を出して擁護した。前半は優勢だったが、結局は敗北した。
それは捏造だったという結果ではなく、三〇年も前の出来事で証拠が不充分だっただけである。
過誤記憶として騒ぎ立てる親やマスコミに対して、社会レベルでの記憶の隠蔽謀議、として危険信号を発しているのは斉藤学氏だ。
彼は児童期性的虐待の研究によると、虚偽であった割合は二~七%だと述べている。
そして過誤記憶の騒ぎは、やっと声をあげ始めた被虐待者の小さな声を奪うことになるだろうと危惧している。しかし、続けて彼は言う。
このような無理な企てがいつまでも成功し続けるはずはない。
フェミニズムが反動の嵐を受けながらも、現代の女性たちが安心して、保守化できるほどの成果を上げたように、家族の中で虐待され、緊張を強いられてきた者の声も当たり前のように受け入れられるようになるだろう。
虐待は誰の責任?
最近の虐待のニュースが増えているのを見ると、日本でも虐待が受け入れられつつあるのかとも思う。
わたしは、それだけ虐待が起こっているとして悲しむというよりは、やっと認識されて表に出てきたという思いで見ている。
自分が虐待をされたという記憶を思い出すことは、本人にとっても苦痛が伴うものである。
自分の愛すべき親を批判することになるからだ。
もしそれが誤りだと言われたら、嘘をついてまで親を批判する自分を責めることになるだろう。直接言われなくてもジャーナリストが過誤記憶を騒ぎ立てれば、記憶を甦らせた被虐待者は自責の念にかられてしまう。
また、突然被虐待者として生きていかなければならなくなることも苦しい。心的外傷を受けた人々に関する本を読めば特徴が書いてあり、それらの多くは自分に当てはまる。
自分はトラウマを持ち、問題のある、異質な存在なのだと自覚し、受け入れることは大変な作業である。
そうしたことからも、甦った記憶の正誤を問うこと自体、検討違いではないかとわたしは考える。
もちろん、裁判になればその正誤は問われることになるだろう。しかし、その虐待を受けて傷付いた者が立ち直るためには、記憶の正誤は関係無い。
問題なのは、なぜそのような記憶を持つかであり、それと向き合い乗り越えていくことなのである。
記憶の正誤にばかり気を取られ、正しいと躍起になって主張しようとする間は、回復の段階に入ることはできないだろう。
また、臨床家も裁判官ではないことを認識し、記憶の正誤に言及するのではなく、被害者の声に耳を傾け、苦しみを過去にする作業の手立てをしなければならない。
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