Thursday, February 23, 2006

心が怪我をしたら

トラウマとは?

トラウマ、という言葉を最近ではよく耳にするようになってきた。

トラウマは心的外傷と訳されている。
心の傷ということだが、心の傷とはなにかを定義することは難しい。

トラウマについて現在一番使われている、アメリカ精神医学会のDSM-IV神疾患の診断、統計マニュアルでは次のように定義している。

(一)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した
(二)患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである

しかし、この定義も診断、統計マニュアルが改訂される度に変えられている。
それ程、トラウマを言葉で定義するのは難しい。
そして、その難しい定義を敢えて行っうために、とても分かりにくい。
精神科医でもあり、臨床心理士でもある小西聖子はトラウマとなるような出来事の特性を具体的に述べている。

最初にできごとが予測不能であること。
これからどういうことが起こっていくか、このあとどうなっていくかがわからない、ということがあげられる。

二番目の特徴は、コントロールできないこと。自分の力では自態を操ることが全くできないことだ。

三番目に、起こっているできごとが非常に残虐なものであったり、グロテスクなものであったりする、これもトラウマとなるような出来事の特徴といえる。

四番目に、自分が愛している人や大事にしている何かを失うこと、すなわち対象の喪失が起こることだ。

五番目に、暴力的なできごとはトラウマをもたらしやすいことがあげられる。

最後に、そのできごとによって起こってくる結果に対して、実際に自分に責任があると思われたり、あるいは、主観的に責任があるとどうしても感じられたりすること、そういうこともトラウマをもたらすようなできごとの特徴であるともいえる。

こう考えると、自然災害や事故、戦争、傷害事件、性犯罪、そして虐待もトラウマ体験となり得ることが分かる。

トラウマ体験自体の質の違いもその後の影響に関係するのだろうが、主体的な感情としての恐怖感や不安、絶望感なども大きく関係する。
当然、個人差というのも生じる。

同じようなトラウマ体験を経験しても、それ程苦労せずに乗り切れる人もいれば、長い間影響を受け続けて生活までもが変わってしまう人もいる。

だが、その個人差は乗り切れない人を責める要素にはなりえない。
どんな人でも、心的外傷を得れば、簡単に乗り越えることはできないと考えるべきだ。

乗り切ることのできない苦しみは、本人が一番感じているのだ。
其処へ追い討ちをかけるように、責めるようなことをすれば、回復はさらに遅れていくことになるだろう。

トラウマは心の傷だが、すぐに回復できるような心の傷は誰もが経験しているだろう。
そういった傷とトラウマとの違いは何か。

その違いの一つとして、その後の生活への影響の有無が挙げられる。
例えば、いつも通る帰り道でレイプにあったとする。
すると、その道はもう二度と通れなくなる。
通ろうとすると恐怖で身体に異常をきたす。
そうすれば、そのレイプはトラウマ体験となる。

其の心的外傷後の影響をPTSD、心的外傷後ストレス障害と呼んでいる。


急性ストレス障害のポイント

心的外傷的体験の直後に起こる症状はASD(Acute Stress Disorder)、急性ストレス障害という名称でまとめられている。

A.その人は、以下の二つがともに認められる外傷性の出来事に暴露されたことがある。
  (一)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し、または直面した。
  (二)その人の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである。

B.苦痛な出来事を体験している間、またはその後に、以下の解離性症状の三つ(またはそれ以上)がある。
  (一)麻痺した、孤立した、または感情反応がないという主観的感覚
  (二)自分の周囲に対する注意の減弱(例:“ぼうっとしている”)
  (三)現実感消失
  (四)離人症
  (五)解離性健忘(すなわち、外傷の重要な側面の想起不能)

C.外傷的な出来事は、少なくとも以下の一つの形で再体験され続けている:反復する心象、思考、夢、錯覚、フラッシュバックのエピソード、またはもとの体験を再体験する感覚、または外傷的な出来事を想起させるものに暴露されたときの苦痛。

D.外傷を想起させる刺激(思考、感情、会話、活動、場所、人物)の著しい回避。

E.強い不安症状または覚醒の亢進(例:睡眠障害、易刺激性、集中困難、過度の警戒心、過剰な驚愕反応、運動性不安)。

F.其の障害、臨床上著しい苦痛または、社会的、商業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。または外傷的な体験を家族に話すことで必要な助けを得、人的資源を動因するなど、必要な課題を遂行する能力を障害している。

G.其の障害は、最低二日間、最大四週間継続し、外傷的出来事の四週間以内に起こっている。

H.障害が、物質(例:乱用薬物、投薬)または一般身体疾患の直接的な生理学的作用によるものでなく、短期精神病性ではうまく説明されず、すでに存在していた第一軸または第二軸の障害で単なる悪化でもない。

其れが一ヶ月以上続くと、PTSD(Posttraumatic Stress Disorder)、心的外傷後ストレス障害となる。PTSDは心的外傷後の様々な反応をまとめたものではあるが、精神的後遺症の総称ではない。
PTSD以外にも抑うつ的になったり、錯乱状態になったり、障害とまではいかなくても具合が悪くなったりすることもある。

PTSDに限定すれば、心的外傷後ストレス障害の診断基準について先程のDSM-IV精神疾患の診断、統計マニュアルでは、様々な面から設定している。

A.患者は、以下の二つが共に認められる外傷的な出来事に暴露されたことがある
 (一)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷をおうような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した。
 (二)患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである。子どもの場合はむしろ、まとまりのないまたは興奮した行動によって表現されることがある 。

B.外傷的な出来事が、以下の一つ(またはそれ以上)の形で再体験され続けている
 (一)出来事の反復的で侵入的で苦痛な想起で、それは心象、思考または知覚を含む。小さな子どもの場合、外傷の主題または側面を表現する遊びを繰り返すことがある。
 (二)出来事についての反復的で苦痛な夢。注意として、子どもの場合は、はっきりとした内容のない恐ろしい夢であることがある。
 (三)外傷的な出来事が再び起こっているかのように行動したり、感じたりする。その体験を再体験する感覚、錯覚、幻覚、および解離性フラッシュバックエピソードを含む、また、覚醒時または中毒時に怒るものも含む。
注意すべきは、小さい子どもの場合、外傷特異的な再演が行われ得ることだ。
 (四)外傷的出来事の一つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに暴露された場合に生じる、強い心理的苦痛。
 (五)外傷的出来事の一つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに爆発された場合の生じる理学的反応性。
C.以下の三つ(またはそれ以上)によって示される、(外傷以前には存在していなかった)外傷と関連した刺激の持続的回避と、全般的反応性の麻痺
 (一)外傷と関連した思考、感情または会話を回避しようとする努力
 (二)外傷を想起させる活動、場所または人物を避けようとする努力
 (三)外傷の重要な側面の想起不能
 (四)重要な活動への関心または参加の著しい減退
 (五)他の人から孤立している、あるいは疎遠になっているという感覚
 (六)感情の範囲の減少(例:愛の感情を持つことができない)
 (七)未来が短縮した感覚(例:仕事、結婚、子ども、または正常な一生を期待しない)

D.(外傷前には存在していなかった)持続的な覚醒亢進症状で、以下の二つ(またじゃそれ以上)によって示される
 (一)入眠困難または睡眠維持の困難
 (二)易刺激性または怒りの爆発
 (三)集中困難
 (四)過度の警戒心
 (五)過激な驚愕反応

E.障害(基準B,CおよびDの症状)の持続期間が一ヶ月以上

F.障害は、臨床的に著しい苦痛または、社会的、職業的または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている

*該当すれば特定せよ
 急性:症状の持続期間が三ヶ月未満の場合
 慢性:症状の持続期間が三ヶ月以上の場合

*該当すれば特定せよ
 発症遅延:症状の始まりがストレス因子から少なくとも六ヶ月の場合

しかし、これもトラウマの定義と同様、様々な症状があるものを定義するのは難しく、また歴史も浅いためにまだ流動的なものとなっている。

ハーマンやコークらが児童虐待によるPTSDはより複雑なために、異なる概念によって区別すべきだと提唱しているように、この定義に疑問を投げかけている専門家は多く、まだ明確な定義とは言えない。

しかし、人が衝撃的な出来事に曝された時、場合によっては修復困難なトラウマが生じ、心身に様々な症状が出るということが明らかである以上、この定義の論争はこれからも深められていくべきだろう。


PTSD

PTSDは阪神淡路大震災の時に、日本でも聞かれるようになったことは記憶に新しい。
其の後、最近では虐待や池田小連続殺傷事件等でもPTSDという言葉が出てくるようになった。

トラウマという言葉もいつの間にか、流行のようによく耳にするようになったように、PTSDもまた、徐々に耳にする機会が増えていくのだろう。
しかし、其処には利も害も伴う

安易に使われることによって本来の意味が薄れ、本当にPTSDで苦しんでいる人々の苦しみが軽く受け止められたり、PTSDという言葉が広まるにつれ、誤解が生じたりする場合もある。

そうなった場合、被害者は社会によって二次被害を受けることにもなりかねない。
この問題は特にナイーブなものであり、メディアでこの問題を扱う時には、慎重であらなければならないだろう。

メディアによって虐待は連鎖するといった誤解を招き、多くの被虐待者を苦しめているように、PTSDという言葉の普及がPTSDで苦しむ人々を、さらに追い詰めることにならないことを祈る。

PTSDには様々な症状があるが、それを大きく過覚醒、侵入、狭窄、の三つに分けることができる。

過覚醒は、PTSDの第一の主要症状であり、持続的な覚醒のことを言う。
心的外傷体験と同じ危険がまた襲ってくるのではないかと、常に緊張した状態になり、些細なことに過敏に反応して苛立つ
また、リラックスを必要とする睡眠が妨げられる
危険な状態に遭遇したのだから、その状況から逃れられたとしても、すぐには安心できないのは当然だろう。

恐怖が心に居座り、脅えた状態が続き、例えばドアの開く音など一寸した物音に敏感に反応したり、何気ない言葉に興奮したりしてしまう。
この状態が続くということは、体力をかなり消耗することになる。安心した生活ができないということは、心と身体を休めたり、癒したりすることができずに、疲れ果てることとなる
このことは、他の症状を強化する原因ともなる。

侵入とは再体験のことだ。
PTSD患者は心的外傷体験から長期間過ぎても、その危険を何度も再体験する。誘因が無くても、突然事件がフラッシュバックしたり、睡眠時に外傷性悪夢をみたりする
其れはまるでビデオフィルムを巻き戻し、何度も再生されるようなもので、同じような映像や体験が繰り返される。

此れ等は自分の意志でコントロールすることができず、突然起こり、止めることもできない
また、その再体験には感情も伴う。まさに今体験しているかのように、恐怖や悲しみを感じたり、痛みなどの感覚を伴ったりすることもある。

再体験とはつまり、再度の被害であり、トラウマ体験を何度も体験するようなものである。
実際の身の危険はないが、精神的な苦痛は実際にトラウマ体験した時と全く変わらない。長い間事件に支配された状態になり、困惑し苦しむことになるのである。

この再体験は子どもの場合、言葉で表すことができないために遊びとして表現されることがある。
強迫的に繰り返し同じような遊びを繰り返す時には、トラウマ体験の再体験であることがあるので注意しなければならない。


狭窄 知覚変化

狭窄は降伏状態のことをいう。
どんな努力をしても自分の力ではどうすることもできず、完全に無力化された時、人は降伏状態となる。
この狭窄には大きく二つある。

まずは知覚変化だ。
知覚が鈍くなり、無感動、無感覚な状態に陥り、解離や現実の歪み、意識の狭まりなどの反応を示す。
痛みを感じなくなったり、嬉しいとか悲しいという感情が麻痺したりする。

此れは、苦しみを感じるくらいなら、全ての感情を感じない方がまだ良いということから起こるものである。
凍りついた瞳frozen eyesと呼ばれるのは、この狭窄を経験している人の持つものであろう。

もう一つは、感情的変化だ。
圧倒的な受け身感によって、心的外傷と関連するような場所を避けたり、考えないようにしたりという回避が行われる。
嫌なことや危険なことを避けようとするのは、正常な人間の防衛反応であり、当然とも言える。

しかし、そうして考えないようにするといった回避は、解離への第一歩でもあるのだ。
また、心的外傷と関連する場所だけではなく、人との関係を避けるということも起こり、生活に大きな影響を及ぼす。

PTSDは心的外傷を受けた人を長い間苦しめることになる。また身体の傷とは異なり、見付けられにくいし、理解されにくい。
その苦しみもまた、PTSDを持つ人々を追い詰める原因になっている。
日本でも、心的外傷やPTSDのしっかりとした理解を持つ専門家が増えることが望まれる。

虐待によるPTSDは、一般的なPTSDとは異なるという指摘は多い。
一般的なPTSDと異なるという根拠は、心的外傷の回数に関係がある。レノア・テアは心的外傷の種類を二つに分けている。

繰り返しトラウマ体験をした子供達のほうが、単一の体験をした子供たちよりも、虐待者についての間違いが少ない。

マサチューセッツ州ケンブリッジの精神科医ジュディス・ハーマンが一九九二年の著書「トラウマと回復(実際は心的外傷と回復)」で鋭い指摘をしているとおり、虐待をくりかえす者は強制収容所の警備員や刑務所の看守と同じだ。性的虐待を受ける子供は加害者に管理、されている。被害者は逃れられない。

此れが第一タイプ(単一の被害体験)と第二タイプ(複数回の被害体験)の子供の違いだ。
第二タイプの子供は普通、トラウマ体験を強いる人々(幼稚園の先生や牧師、バスの運転手、伯父さん、父親など)を別の人間と混同することはない。

このタイプに加え、消防士やレスキュー隊など一回ではトラウマ体験とならないような体験でも、蓄積されることによって影響が出るという場合の、第三タイプ(蓄積型)がある。

つまり、虐待によるトラウマは複数回、慢性的に強いられるという点で、単一のトラウマや蓄積型のトラウマによるPTSDとは異なる。
ハーマンは此れ等のことから、一般的なPTSDと区別して複雑性PTSDという診断名をつけるべきだと提案する。

そういう動きから、アメリカ精神医学会の診断統計マニュアル作業部会は特定不能の極度ストレス障害(DESNOS)の用語を暫定的に選択したが、DSM-IV載されるに至らなかった。


トラウマ検知

一.衝動・衝動の調節に関する障害
 a 情動の規制障害(抑うつ感、躁状態など)
 b 怒りの調整障害
 c 自己破壊性(自傷行為、嗜癖など)
 d 自殺願望
 e 性的関わりへの調整障害(過度で自己破壊的な性行為、性倒錯など)
 f 危険な状況へ自ら飛び込む衝動(トラウマの嗜癖)
二.注意・意識に関する障害
 a 健亡
 b 離人症
 c 一過性の解離のエピソード
三.身体化
 a 消化器系(潰瘍性大腸炎など)
 b 慢性痛(頭痛など)
 c 心肺系(喘息など)
 d 転換症候(歩行障害、失声など)
 e 性的症候(性的不能、性的動昂進など)
四.自己認識に関する障害
 a 無力感(自分には自らを守る力さえない、と思う)
 b 癒すことの不可能な自己損傷の感覚
 c 罪悪感と罪責感(自分の過ちのためにトラウマが起きた、と思う)
 d 羞恥感(本当の自分は、人前にさらすことが恥ずかしいような存在だ、と思う)
 e 誰も自分を信じない、と思う
 f 自己卑下(自分など生きるに値しない存在だ、と思う)
五.(トラウマの)加害者についての認識に関する障害
 a 加害者の歪んだ信念の探り入れ(パワーで人を支配するという考え方、など)
 b 加害者を傷つける願望にとらわれる
 c 加害者を理想化する
六.他者との関係における障害
 a 他人を信頼することの不能
 b 他人を犠牲者(被害者)にする
 c 自分が再び犠牲者(被害者)にする
七.意味システム(世界観)における障害
 a 自暴自棄、絶望感
 b 以前の自分を支えていた信念大系の喪失
(van der Kolk, B.A. & Fisler, R.E. : Childhood abuse and neglect and loss of self-regulation. Bulletin of the Menningen Clinic, 五八, No.二(spring), 一九九四.)

この診断が提案された意図は何か。其れは慢性的なトラウマ体験の患者を救う為には、診断統計マニュアルにあるPTSD判断では充分ではない、ということだ。
しかし、診断統計マニュアルに収載されなかったのは、まだ研究途中であり、不確定なものであるという保守的な考えからではないだろうか。
喩え診断統計マニュアルに収載されなかったとしても、こういった提案が起きたことが、大きな一歩だと思う。

この診断から受け取れるのは、慢性的に、しかも幼い頃に起こったトラウマは、被虐待者の人格形成に大きな影響を与えるということだ
其の体験が長期化すればする程、始まりが幼ければ幼い程、トラウマは心の中に内在化され、人格、意識の中心になる。

強いショックを与える体験は、心に異物を形成し、そうした異物は繰り返し心の中で反復されることによって次第に異物ではなくなっていくものであり、此れはその異物を消化吸収しようとする正常な心の働きの現れだ。
何らかの理由で心の処理機能が十分に働かず、その結果、心の異物であった体験が、心の寄生虫、つまりトラウマとなってしまったものだと考えられる。

此れまで心は、寄生虫であるトラウマを、否認や反復的再現といったプロセスによって、何とか消化吸収しようとしていたものが、次第にトラウマの存在を前提として心を構造化していくということだ。
トラウマが内在化され、トラウマを前提に心が構成されることによって、心の機能のさまざまな領域が影響を受けることになる。


解離の一次、二次

トラウマを内在化してしまうと、それを排除しようという回避、麻痺は消え去り、トラウマを含んだ人格、意識として確立してしまう。

この影響は、症状ではなく人格として取り込まれる。
この、人格への内在化が単回のトラウマ体験とは大きく異なるものであろう。

被虐待者の大きな特徴に解離がある。
ハーマンのいうダブルセルフも自分や他者の分裂であるが、解離もまた分裂の一つである。


離には三つのタイプがある。

一次的解離
一次的解離とは、現実の体験によって生じる認知や感情、感覚などから離れてしまう状態である

親から酷い虐待を受けている時に、意識はどこかまったく別の場所を訪れていたと述べる子どもは少なくない。

この場合、子どもの意識は現実の体験から遠ざかってしまっている。つまり解離を生じている。
また、なかには親から叩かれていた時にいっさい痛みを感じなかったと報告する子どももいる。
こうした子どもは耐え難い痛みの感覚から遠ざかっているのであり、これも一時的解離の一つだと言える。

二次的解離

一次的解離が現在の自分の体験から離れてしまう、という現象を指すのに対して、ここで言う二次的解離とは、現実の自分の体験から離れた意識が、現在の自分の体験を見たり、観察したりする現象を言う。

こうした二次的解離を起こしている人は、観察していることが自分の身に起こっているのだと認識できている場合もあれば、あの子はかわいそうに、あんなにひどい目にあっている、としてその体験を自分以外の別の人の体験だと考える場合もあるようである。

いずれにせよ、身体や体験から切り離された意識が、残された身体や体験に気づいているという点で、この二次的解離は一次的解離と区別されるのである。


性的虐待や重度の身体的虐待の場合などのように、トラウマになるような体験に、子どもが繰り返し慢性的にさらされる事態では、子どもはこの二次的解離を頻繁に経験するようになる。


三次的解離

二次的解離の繰り返しは、van der Hartら(一九九六)が「第三の解離」(tertiary dissociation)と呼ぶところの状態を出現させる可能性がある。

たとえば、性的虐待というトラウマティックな事態に慢性的にさらされている子どもは、虐待を受けているかわいそうな子ども、を外から眺めるという二次的解離を繰り返し体験する。

その繰り返しがトラウマティックな事態や被害を引き受ける、もう一人の子どもを誕生させることになる可能性がある。

そうすることによって、トラウマとなるような事態から守られた安全な自分を確保することが可能となる。

そして、このようにして構造化された今一つの人格、たとえば性的虐待という体験を引き受けた人格は、トラウマティックな体験と関連した何らかの刺激が与えられた場合に活性化し、前景に現れてくると考えられる。

こうした解離は、トラウマティックな被害を受け、意識から切り離された存在が活性化するという点で、一次的解離や二次的解離とは質を異にするものであり、此れを三次的解離と呼ぶ。

この人格あるいは人格状態は、先に見た解離状態の自己規制の副産物的な存在であると言える。
つまり、解離状態によってトラウマとなる体験から切り離されて守られた自己の一部の背後には、トラウマ体験を繰り返している自己の断片が存在することになる。

特に性的虐待を受けたサバイバーは解離をしやすいという見方が強くなっているが、性的虐待に限らず、何度も繰り返されることからも起こる。

例えば夜になったら、父親が階段を上ってきたら、というようなきっかけを元に、自分に暗示をかけ、自分の意識を外に出してしまう。
そして、虐待を受けているのは自分ではないとしてしまうのだ。

その、虐待を任せている意識に人格を持たせれば、解離性同一性障害(多重人格)となる。上記のタイプで言うと三次的解離である。虐待を違う人格に任せてしまえば、虐待の記憶は通常の人格は持ち得ない。

解離によって人格を分裂させた被虐待児は、複数のそれぞれ別個の断片的人格を形成し、それが人格構造の基本原理となってしまう。
その人格は、それぞれが独立した名前、性格、感情、記憶を持つ。
虐待を知っている自分と、何も知らない自分を作り出すことによって虐待を通常意識の外におき、虐待に有効に対処できるようになるのである。

しかし、この人格分裂が日常生活に問題をきたすことは、容易に理解できる。

このように、虐待による影響はトラウマの内在化や記憶の抑圧、解離といったように、現存のアメリカ精神医学会の診断統計マニュアルでは規定しきれていない症状が存在する。

こうした症状を単回のトラウマによるPTSDと共に規定するのは難しく、多くの研究者が提案しているように名前を変えて規定するべきではないかと思われる。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home