Thursday, June 01, 2006

魘される夢

最近、梅雨天気の所為か、夢見が悪い。
自分で自分を念入りに殺す夢など、もう見飽きたから、別段何でも無い。
わたしが自分を殺す夢はリアルで、精神科医も感嘆するものだ。

先ず、出刃包丁で左頚動脈を叩く。
切る、じゃなく、叩く。そしてから、咽喉仏を刺す。
血が噴出する。
其の生温い生き血を舐める。

実体験済みだから、痛みが夢でも再現されるのだ。
不思議と痛みが心地よい。
まだ生きてる証拠だ。
だから憎い、自分が。

自分の血を十分堪能した後、ギーギーと包丁を引いて、首を切り落とす。

更に、何故かいつも其処でヤる、自宅の庭のブロックで落ちた頭部を潰しにかかる。
また不思議なことに、視線は落ちた自分の首の目線なのだ。
自殺未遂して倒れたときの記憶が甦るらしい。
もう離れ離れになった頭が、頭部を欠いた身体に命じる。

潰せ、と。

身体はよたよたと動き、手探りでブロックを発見し、高々と振り翳す。

ブシャ、で、上に位置する左目が潰れ、視界が更に低くなる。
グシャ、で、鼻が潰れ、口と咽喉に粘液やら血液やら肉片などが侵入する。
ビシャ、で、右目も弾け、脳が飛び出し、完全に視界が暗転する。
と、三回叩いて、満足する。
土の上に転がりひしゃげて汚れた脳味噌が、βエンドルフィンを排出するのだ。

少し、ニューロンについて。

神経細胞のニューロン間で刺激をやりとりするために必要な物質は、神経伝達物質と呼ばれる。

五十種類以上の神経伝達物質があり、其の働きが判明してるのが二十種ほどだ。
主に精神に作用する、γ-アミノ酪酸(GABA-ギャバ)、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンが有名だ。
特にドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンを総称してモノアミン神経伝達物質と言い、モノアミン神経伝達物質は、感情に甚大な働きを起こし、また多数の脳内の部位に大きな影響を及ぼす。

人間は何らかの刺激を受けると、大脳で先ず解析し、其の後、解析結果を海馬に送る。海馬から「パペッツの回路」と呼ばれる各部位の循環に乗り、感情が生じる。
出現した感情は再度大脳に行き、長期記憶となって残存する。

人間の最後の救済と言われる脳内麻薬様物質(オピオイド)は、交感神経系の興奮によってGABA神経系から分泌されるエンケファリン、β-エンドルフィンなどを指す。
オピオイドは阿片などの麻薬に極めて近い構造をもつ。

オピオイドの大量分泌により、精神活動の麻痺や感情鈍麻が生じる。
此れは闘争も回避もできない深刻なストレスにさらされた生物にとっての救済だ。
精神活動の麻痺や感情鈍麻によって、人間は完全な降伏と受身の態勢をとる。
現実感喪失により、生物は静かに捕食者の餌食となる。

長期間反復的に回避不能のストレスにさらされた個体は、脳内オピオイド受容体の感受性が上昇する。
阿片などの麻薬を反復投与された個体に見られるものと同じ、生理的反応だ。
そしてこのような個体に、ストレス刺激や麻薬の反復投与を急に中断したり、オピオイドの拮抗物質であるナロキソンやクロニジンを投与したりすると、同様な退薬症状、つまり禁断症状を呈する。
其のため、オピオイド受容体の感受性が上昇した個体は、深刻で不快な刺激を求め始める。
つまり、自傷行為無しには生きていられなくなる。

オピオイドの過剰放出は、大脳辺縁系の扁桃体、海馬などに深刻な打撃を与える。
扁桃体に損傷を受けた個体は、恐ろしいもの、嫌なものに直面しても、避けようとしなくなる。
寧ろ、快感を覚えるのだ。

ランナーズ・ハイ、といわれるように、マラソン中にもオピオイドは分泌される。
マラソンという過酷な試練の中で、オピオイドが過剰分泌された状態だ。
オピオイド濃度の上昇は、他にも手術、過食嘔吐などで確認されており、リストカット、車での暴走等の自傷行為によってもオピオイドが上昇する。

オピオイドの大量分泌は、離人症的な症状をも齎す。
現実感の喪失、自己と現実という外界を隔てる膜がある感触、自分を遠くで自分自身が観察している感じ、自分の手足の消失する感じなどだ。

殆どの人が体験していると思う。
其れの程度が酷くなったものを、社会では精神病と呼び、差別する。

確かに、過食嘔吐が一番酷くて体重が二十五キロまで減った頃、わたしは痩せたくて吐く訳じゃなく、吐きたくて食べていた。

吐いて、水をいっぱい飲んで身体を揺さぶり胃を水で洗浄し、また濁った水を吐く。
便器に吐いた水に、また固体が残っているといたたまれず、何度でも水を大量に飲み、嘔吐する。
其の後の脱力感、其れによって、やっと安堵する。
手足ががたがた震える。
こめかみがどくどく脈打ち、心臓はばくばくだ。血圧は六十二~三十二に低下、安定していた。

前置きが長くなった。
薬が増えた所為か、話にまとまりや一貫性が無い。

何故今更ブリミアについて書くかというと、魘される夢、とは、ブリミアの夢なのだ。

一口でも何か、肉、パン、飴、何でもいいから何かを嚥下すると、もう嘔吐モードに入り、ひたすら水を飲んで吐く。
吐瀉物がバシャバシャ顔に当たる感覚も覚えている。
異臭も勿論再現される。
だからわたしは薄い胃酸混じりの液体に似たスポーツ飲料系が飲めない。

どうして夢を見るか。
実は、一九九九年十月以来一度も無かった過食嘔吐が、この二〇〇六年三月、再発しかけたのだ。
わたしは急ぎ、ブリミアをやった日に、居間のカレンダーに×印を打った。
数えると、今現在、五月九日を最後にして、二十三回やった。

母の日をきっかけに、理由は分からないが、止まった。
多分、母の一言、「もうパン買うお金無い」を思い出したからだろう。
キツイ一言だった。

今現在も過食嘔吐に苦しむ人がいる。
ジャワ島自身の被災者も可哀想だが、もっと身近な人たちの苦痛に目を向けたい。
ジャワへは募金と自分のお金を郵送した。其れしかできないし、其れが最良だからだ。
ボランティアは自己満足だと知っている。
現地での作業は、自衛隊など自己完結型集団にお任せするより無い。

とにかく、止まったはずの過食嘔吐の夢をまた今朝見た、ってだけ。

誰も気にしてくれないだろうし、誰にも分かって欲しくない悩み苦しみだった。
今日此処にかいたのをキーとして、絶対ブリミアは止めようと誓う。

母と夫を悲しませたくない、其れだけで、理由としては十分過ぎる。

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