Friday, June 16, 2006

イランでのブログとは?

今では当たり前のブログ。中東地域での其の歴史は二〇〇一年に遡る。

オーストリア、ウィーン、二〇〇一年、ホセイン・デラクシャン氏はブログを始めた。その十二月の同じ日に自分のブログを開設した人は他に何百人もいただろうが、革命に火をつけたと誇れる人はまずいない。

だが、デラクシャン氏の場合、ブログ開設後まもなく、イラン人からの問い合わせが殺到した。同国で話されているペルシャ語でブログが運営されているのに気づいた人たちが、その方法を知りたがったためだ。大多数の無料ブログ・ホスティング・サービスは、ASCII形式の英数字しかサポートしておらず、ペルシャ語などで使われるアラビア文字や、キリル文字、アジアの諸言語の文字などは使えないことが背景にある。

其のため、デラクシャン氏(二〇〇三年当時二十三歳。イラン人だが国を離れ、現在はカナダのトロントに住む)は、ブログ開設にあたり、必要なツールの一部をASCIIからユニコードに移植し、イラン人が母語でブログを利用できるようにした。

この試みは、最新技術を使って自国の社会の近代化や西洋文化の導入を図りつつ、かつ自分達の文化遺産も捨てまいとしている、イラン人の努力の一例だ。
デラクシャン氏によれば、今ではイラン人によって開設された現代ペルシャ語版ウェブログはおよそ一万二千を数え、しかもその数は毎日増えているという。

「報道の自由がイランに戻るまで、ブログの隆盛は続くだろう。イランではここ数年間だけで民主主義擁護派の新聞が約九十紙も廃刊させられた。
其のため、人々はニュースの入手先としてインターネットに頼るようになっている」と、デラクシャン氏は五月二十三日、ウィーンのクレムスにあるドナウ大学ニューメディア・センターで開催されたブログがテーマの会議ブログ・トークで述べた。

この会議は、ヨーロッパの人々を対象にしたもので、ブログの個人およびビジネスにおける利用に焦点をあてて討議が行なわれた。

西洋人がブログを使って人々と交流したり心情を吐露したりしているのと同じく、イランの人々もブログを自己表現の手段として利用している。しかし、同国には宗教警察があり、西洋文化の受容に熱心過ぎる人物を逮捕できる大きな権限を持っているため、ネット上で本音を語ろうとする場合、匿名を使わざるを得ない。

二〇〇三年現在では、イランでは百万人ほどの国民がインターネットにアクセスでき、その活動はおおむね検閲なしだが、政府が監視している。

「一九七九年のイスラム革命以来、イランの社会も大きく変化してきた」とデラクシャン氏。「改革派で人気のある人も多い。しかし、彼らはとくに大きな力を持っているわけではない。国家の指導層は依然として強固な保守派だ」

本名を伏せる条件で取材に応じたイラン人女性のブロガー「エラへ」氏(24歳)によると、イラン政府の保守派は「インターネットを理解していない」という。
とはいえ、最も保守的なイスラム原理派のムッラー(法学者)達の中にさえ、自らウェブサイトを開設して教義を掲載しているグループもあるともいう。

政府内でも穏健派は、ハイテクに比較的詳しいが、国民の私的なウェブログソフトコア・ポルノや政府批判などもあるには目を瞑っていると、デラクシャン氏は指摘する。

だが、そうした寛容姿勢は終わりに近づいているのかもしれない。二〇〇三年四月下旬、ジャーナリストのシーナ・モタレビ氏がテヘランで逮捕されたが、その理由はブログ活動を行なったことだった。

国営イラン通信(IRNA)によれば、モタレビ氏は三億イランリアル(約三万七千米ドル)の保釈金を払い、五月十四日に保釈されたという。

モタレビ氏は今、裁判待ちの状態だ。
IRNAによると同氏の容疑は、ブログのコンテンツによる「文化活動を通じて国家安全保障を脅かしたこと」、および外国報道機関に寄稿した記事や応じたインタビューの内容に問題があったことだという。
同氏は、改革派新聞ハヤーテ・ノウ紙に記事を書き、同紙が今年一月に政府によって廃刊に追い込まれるまで寄稿を続けていた。

IRNAの伝えるところでは、モタレビ氏は「拘留されて取り調べを受けていた期間中、容疑の一部を認めていたが、それ以外の容疑は認めていない」という。同氏のブログは現在、オフライン状態になっている。

エラへ氏は電子メールで述べた。
「モタレビ氏の逮捕は、イランのウェブロガーたちを大きな不安に陥れた。ブログをやめたり、ブログの内容を調べて、当局に問題視されそうな投稿を削除したりしている。多くのブログが気の抜けた退屈なものになってしまった」

エラへ氏がとりわけ残念がるのは、ヘジャブ、華美な服装を禁止するイスラム教の服装規定やイスラム社会における性差別などといったデリケートな問題について率直な意見交換がなされていた、イラン女性達のブログがなくなってしまったことだ。

エヘラ氏は言う。
「イラン女性の一部は、ヘジャブについて肯定的で、外見を魅力的にしなければとか若さを保たなくてはといった、西洋の女性が持つ強迫観念から解放してくれると思っている。本当に抑圧的なのは、西洋の服装規定のほうだというわけだ。其の一方、ヘジャブは女性を束縛するものと考えている人もいる。こうしたことがらを率直に討論するのは面白かった。私自身は、そうした女性たちのブログにイランの男性が投稿した意見を読むことに、とりわけ大きな関心を持っていた」

「わたし達のブログは、イランの男性と女性がそうした問題について互いに話し合える、唯一とは言わないまでも、数少ない場だった。男性の中には、女性がみんな、喜んでヘジャブに従った服装をしていて、家庭にいて保護されることも自ら望んでいるのだと思い込んでいる人たちもいる。女性の中にも、安全よりも自由を望む人がいると知って、男性は驚いていた」と、エラへ氏は指摘する。

デラクシャン氏は、イランの若い人達にブログの人気が高いことについて、最近二十年の間にイラン社会、少なくとも大都市に住む比較的若い中流階級の人々に起きた大きな変化を示すものだ、と指摘する。

「こうした人々が新しい価値観を持ちはじめたこと、そして新しいライフスタイルを追求していることを示している」とデラクシャン氏。
「年輩の世代は、個人的な感情や意見を隠そうとする。しかし、ペルシャ語版ブログの内容をちょっと調べるだけでも、個性や自己表現および寛容などが新しい価値として重んじられるようになってきたと、はっきりとわかるはずだ」

そして現在。
カナダを拠点に活動するブロガーのホセイン・デラクシャン氏は、最後にイランを訪れたとき、拘束され尋問を受けた。
出国の許可と引き替えに、ブログの内容を謝罪する文書への署名を強要された。其れでも、他のブロガーと比べればデラクシャン氏は幸運なほうだ。

この二年間、イランのブロガーの間では、政府による嫌がらせを受けたり、政府にたてつく意見を表明したとして逮捕されたり、起訴を恐れてこの国を離れたりするケースが相次いでいる。

保守的なイラン・イスラム共和国では、政府が新聞や放送を広く統制しており、ブログは自由な表現が許される最後の砦の一つだ。性の話題から核問題まで、ブログでは人々があらゆることについて自由に意見を表明できる。しかし、検閲の脅威はいよいよブログにも及んできた。

イラン人によるブログ・コミュニティーはウェブロジスタンと呼ばれ、比較的新しい。二〇〇一年、改革派の大統領に対抗する強硬派が、百以上の新聞と雑誌を発禁にし記者を拘束したのをきっかけに、にわかに活気づいたのだ。
このとき、デラクシャン氏はペルシャ語(イランの言語としてはファルシ語とも呼ばれる)によるウェブログ開設の手引きをネットに公開した。

以来、ウェブロジスタンは目覚ましい成長を遂げた。
正確な数字はわからないが、専門家の推計によると、現在イランで運営されているウェブログは七万から一〇万にのぼるという。その圧倒的多数はペルシャ語で書かれているが、英語のものも少しはある。

ブロガーを守る委員会(Committee to Protect Bloggers)というオンライングループを率いるカート・ホプキンズ氏(シアトル在住)は、全般的に見て、現在イラン人でブログを書いている人の割合は「非常に高い」と述べている。

「イラン人はおしゃべりな国民で、非常に知的で社交的なうえ、言いたいことがたくさんある。そして、皆を黙らせようとする政府の小集団と対立している」とホプキンズ氏は話す。

ホプキンズ氏の指摘によると、自らの陣営を支えるため、イラン政府は世界すべての国のインターネット・コンテンツを対象に、非常に大規模で巧妙な検閲やフィルタリングを行なっている。
これ以上の検閲を行なっている国は、中国以外はないという。

インターネットでの検閲や監視の問題に取り組むオープンネット・イニシアティブの二〇〇四年調査によると、フィルタリングを米国製の商用ソフトウェアに頼る中東の国が増加しており、イランもその一つだという。
イランが使用しているソフトウェアは、世界各地にホスティングしている英語のサイトと、ペルシャ語で書かれたイラン国内のサイトの両方をブロックしていると、この調査は指摘している。

イランにはインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)へ申し込む個人に対し、非イスラム的サイトにアクセスしないことを誓約する書面への署名を強制する法律があり、政府によるフィルタリング行為を支えている。また、この法律はISPに対しフィルタリング装置の設置を義務づけている。

フィルタリングは「組織的で、ますます酷くなっている」とデラクシャン氏は話す。
デラクシャン氏は昨年の春、イラン訪問時に拘束され尋問を受けた。
強硬派のマフムード・アフマディネジャード大統領が選出される直前のことだった。

しかし、イラン政府が何万という国民のブログに脅威を感じているのは、こうしたブログがそろって政府を侮辱したり、現政権の転覆を呼びかけたりしているからなのか。
実はそうではないらしい。

イランにおけるブログ上の議論には、政治的なものはめったにない。最も一般的な話題は文化、社会、性の問題だ。また、若い男女が人前でデートできないイラン社会において、ブログはおしゃべりの場としてうまく機能している。女性問題を議論するブログや、芸術や写真を扱ったブログもある。

しかし活動家によると、イラン政府はあらゆる話題を等しく脅威と捉えているという。
イラン在住のブロガーは、其のことを他の誰よりも知っている。

イランで最大級の人気を誇るブログを運営する、パラストゥー・ドコウハキ氏(二十五歳)は、「とても慎重にやっている。イランでは、本名で書いているブロガーは誰もが慎重を期す必要がある。越えてはならない一線はわかっているから、そこから外には踏み出さない。そして、最近はその一線がどんどんきつくなってきている」と話す。

ドコウハキ氏は直接的に政治について書くことはない。専ら社会問題に専念している。
しかしイランでは、それも触れてはならない問題とみなされる。

「わたしは政府による決定の社会的な影響について書くが、当局は其れが気に入らない。当局が管理できないからだ」とドコウハキ氏は説明する。

政治的な発言を公然と行なうブロガーは、さらに困難な状況に置かれている。

ハニーフ・マズローイ氏は一九九四年、著述活動によってイスラム教の教義に背いたとして逮捕、起訴された。六十六日間の拘置の末、マズローイ氏は釈放された。

「当局にとっては、ブロガーを召喚し脅かすのも当然のことだ」とマズローイ氏は話す。
政府のマズローイ氏に対する攻撃は続き、三ヵ月前、マズローイ氏は当局から再び召喚され、核問題に関して決して書かないように通告された。
釈放後まもなく、マズローイ氏はブログを閉鎖した。

「当局は私に圧力をかけ続けた」とマズローイ氏は話している。

イラン人ジャーナリストでブロガーのアラシュ・シガルチ氏は、イラン指導者の侮辱、敵対勢力への協力、イスラム国家に反するプロパガンダ、さらには国民を煽動し安全保障に脅威を与えたとして、逮捕、起訴された。

シガルチ氏は六十日間の拘置の末、十四年の禁固刑を宣告された。
これに対しシガルチ氏は上訴し保釈され、刑期は三年に減刑されたが、指導者の侮辱とプロパガンダに関する嫌疑がまだ残っている。

さらに、モジタバ・サミネジャド氏は二〇〇五年の二月に拘束されて以来、現在も収監されている。
サミネジャド氏が最初に逮捕されたのは二〇〇四年十一月のことで、仲間三人の逮捕に異を唱える発言が原因だった。
ブロガーを守る委員会によると、サミネジャド氏のウェブサイトはヒズボラ(レバノンのイスラム教シーア派の過激派組織)を支援するイランの関係者に書き換えられたという。

釈放後、サミネジャド氏は新しいアドレスでブログを立ち上げた。しかし、これが二〇〇五年二月の二度目の逮捕に繋がった。
サミネジャド氏は二年の実刑を宣告され、さらに、「不道徳」を煽動したとして十ヵ月の刑を追加された。

このような弾圧はあるものの、イランのブロガーの大多数は、政府はブログ自体を撲滅するつもりはないとみている。
むしろ、当局側の思い通りに進めるためにブログを利用したがっているというのだ。

ベルギー在住のイラン人ブロガー、ファリド・プーヤ氏は、イラン政府が最高のブログ四つを選ぶコンテストを開催したと指摘する。テーマはイスラム革命とコーランだ。

「政府は慎重な観察の末、ブログが重要だということを学んだ。そこで、ブログを巧く利用したいと考えている。政府はブログブームに乗り、これを管理したいのだ」とプーヤ氏は語る。

不適切とみなしたインターネット上のコンテンツをブロックするイラン政府の取り組みに関して、オープンネット・イニシアティブの二〇〇四年調査は次の事実を報告している。

世界各地にホスティングしている英語のサイトと、ペルシャ語で書かれたイラン国内のサイト、どちらのブロックにも、イランは米国製の商用ソフトウェアを使用している。

二〇〇四年十一月にテストした際には、千四百七十七のサイトのうち総計四百九十九のサイトがブロックされた。
二〇〇四年十二月のテストでは、二千二十五のサイトのうち六百二十三のサイトがフィルタリングされた。

ブロックされたサイトは多岐に渡り、たとえばポルノサイト、女性の権利を訴えるサイト、同性愛を題材としたサイトなどが含まれている。また、数多くのウェブログの他、インターネットを匿名で閲覧できるようにする「匿名化」ツールもブロックされた。

イランでは、法制度も政府のフィルタリング行為を正当化している。
ISPに申し込みを行なう個人は、非イスラム的サイトにアクセスしないことを誓約する書類に署名を強制される。
また、全てのISPは、ウェブサイトと電子メール向けのフィルタリングシステムを設置しなければならない。

国が違えば、こんなに扱いと重みが異なるブログ。
日本ではお小遣いだの出会いだのと、嘘ばっか連なっているが、真剣に自分の主張を貫くツールとして、ブログが有する意義が大きいのだ。

小学生がお任せで書く日記とは違う。
命懸けで書かれるブログが、この地上には溢れている。しかし、そんな有意義なブログほど、人目に曝される機会は少ない。
わたしは読みたい。だけど読める機械はほぼゼロだ。

Wednesday, June 07, 2006

Mortification

朝っぱらからワインを飲んだ。
夜の仕事(プログラミング)が終わって、米国の仲間とチャットでお祝いしたのだ。
皮肉屋のわたしは達は論議した。

醗酵と腐敗は紙一重だ、と。

葡萄の果汁が腐る一歩手前を、わたし達は有難がって高い金を出し飲んでいる。
ビアも然りだ。清酒だってジンだってウォッカだって、皆腐りかけの絞り汁だ。

人間にも当て嵌まると思う。

成長と老化の境目はいつにあるのだろう?

赤ん坊の目が出来外耳が見えれば成長で、成人に小皺やしみが見え始めれば老化とする。
成長期は十六歳までだろう。其れが過ぎればもう老化になるのではないか?
そう考えると、わたし達は人生の圧倒的時間を老け込むために生きている。
なんだか悲しい。
多分其の悲しみを埋めるために、生き物は老化の途中で子を産み育て成長を見守るのだろう。
そして其の子にまた老化が始まると、今度は孫、曾孫をと、何らかの成長を追い続ける。

其れでも埋まらなければ、寿命の短い他の動物を飼育し始める。
僅か二十年未満の犬はうってつけだ。
ハムスターは寿命が短過ぎ、子を産み過ぎる。
従順な犬は本当に人間に与えられた、というか、狼を人間が改造して無理やり作出した、玩具だ。
わたしも其の玩具で遊び、慰められている一人だ。
わたしには子供がいないから。出来ないから。授からないから。
正直、子供を生んだというだけで、わたしから見ればもう尊敬すべき立派な偉人だ。

子供は親族私有のものではなく、社会の宝だ、国の将来を担う金の卵だ、などと当然のことを政治屋が公言せねばならない日本の未来は暗い。
擬似民主主的な資本主義を模した社会主義国家の表れだ。
戦後の激動を潜り抜け育った世代に育てられたわたし達は、豊かさに慣れられず、上手に甘えられないし、甘やかしもできない。

街を歩けば、金の卵たる子供達は口を半開きにして猫背でのろのろと足を引きずっている。
決して、歩いているとは言えない有様だ。
金の卵は、平成に入って以来、金メッキで中身が腐ってしまった。
其れもいいのかもしれない。全てに寿命があるとしたら、国家にも其れがあり、日本は過熟して腐り落ちる時期に来ているのかも知れない。

だとしたら、日本の未来は真っ暗から一転、真っ白になる。
更に漂白されて遠からずこの国は透明になるだろう。
国旗が象徴している。
白地に一点の赤丸、そんな単純極まる国旗は、とても美しく、頼りない。

アメリカとのチャットで、USAには神話が無い、と言う奴がいた。
ネイティブは信心深いのに、英国は神話で固まっているのに、移住民族である自分達には国産みの神話が無い、と。

確かにUSAは人間が建国した移住民族のための国だ。
アフリカから奴隷を連行して重労働を課し、ネイティブアメリカン達を射撃の的にして遊び、一欠けらの尊敬も無く、牛や馬や犬の方を尊重し、世界一の国力を築き上げた戦争好きの国だ。
USAには血が似合う。
中東の神に捧げる血ではなく、嗜好のための流血だ。

初めて北米大陸が動じた初テロで汚され怒り狂ったのも頷ける。USAの漂白された肌と髪を持つエリート達は、赤い肌をした野蛮な神を信じる民を許せなかったのだろう。
恐らく彼らが何もしなくても、米国は戦争を仕掛けたはずだ。
定期的に軍隊を起動しないと、USAは潰れてしまうのかも知れない。
ソ連崩壊以来連綿続いてきた戦争が戦争好きを裏付ける。

わたしがそういうと、向こうからこんな返事がきた。
「日本は重大な罪がある。世界初の原爆投下を米国に決意させ、其の威力を披露し、カミカゼと言う名の下に自爆という自他殺傷による攻撃手段を推奨した二重の債務がある。ドレスデンでなくヒロシマであったのは、単に肌や髪の色だけではない。戦争を美化した重罪のため、日本が放射能汚染地に選ばれたのだ。USAをして核兵器実行に至らしめたのは、日本人の戦美化意識を杞憂したためだ」と。

確かに日本人は農耕民族のはずなのに、いくさが好きだった。
戦を美化した逸話は現在も大河ドラマで繰り返しわたし達に刷り込まれている。

日本人は争いが好きなのだ。何にでもランキングを付けたがる。
秀劣を平等に扱うには、優先と優遇の相互措置を取らねばならない。
偏り与え続ければ、飴の美味も鞭の痛みも慣れてしまい、効き目が薄れる。

そして、勇気ある退却の英断が勝利の鍵となる、ということを昔の戦人は知っていた。
退却と逃亡は似て非なるものだ。傍らからは同じく見えても、其の屈辱に耐え力を蓄えるのが一時の退却。
恥辱からも逃げ出せば、ただの負け犬になる。

いつからか、わたし達日本人は礼節は勿論、恥をも忘れてしまった。
だから金メッキ達が街を闊歩ともいえないのろのろでうろついている。
わたしは日本に愛着が無いので、(倫敦生まれだし米国勤務だし)わたしの年金支給が尽きる前に、早くこの国が潰れればいいと思う。
税金も年金も保険も、役人が二重顎二段腹になるためだけのものだ。
庶民は痩せていくしかない。
なのに、このところ何処を見てもデブばっかりだ。
トップモデルでさえ、二の腕が弛んでいる。

mortification、苦行、禁欲、屈辱、壊疽、を意味する言葉だが、其れが何より日本に欠乏している要素だと、同意して、またワインを呷った。

わたしは禁欲と怠慢を極端に繰り返し、其れが齎すギャップの苦痛を糧に生きている。
空腹感やニコチン、アルコール欠乏感が好きだ。
やがて来る全てを満たす直前の緊張感が好きだ。
満たしてしまうと、欲望は単なる現実に変わり、何の感動も無くなる。

戦争もそうなのだろう。平和や幸福にはとどまれないのが人間の性なのだ。
わざわざ食べ物を腐らせて食う人間は、一体何処まで歪んで萎んで、罪を犯し続けるのか、老化し続けるのか、退化を極めるのか。

見極めたくもあり、見る前に死にたくもある。

Thursday, June 01, 2006

魘される夢

最近、梅雨天気の所為か、夢見が悪い。
自分で自分を念入りに殺す夢など、もう見飽きたから、別段何でも無い。
わたしが自分を殺す夢はリアルで、精神科医も感嘆するものだ。

先ず、出刃包丁で左頚動脈を叩く。
切る、じゃなく、叩く。そしてから、咽喉仏を刺す。
血が噴出する。
其の生温い生き血を舐める。

実体験済みだから、痛みが夢でも再現されるのだ。
不思議と痛みが心地よい。
まだ生きてる証拠だ。
だから憎い、自分が。

自分の血を十分堪能した後、ギーギーと包丁を引いて、首を切り落とす。

更に、何故かいつも其処でヤる、自宅の庭のブロックで落ちた頭部を潰しにかかる。
また不思議なことに、視線は落ちた自分の首の目線なのだ。
自殺未遂して倒れたときの記憶が甦るらしい。
もう離れ離れになった頭が、頭部を欠いた身体に命じる。

潰せ、と。

身体はよたよたと動き、手探りでブロックを発見し、高々と振り翳す。

ブシャ、で、上に位置する左目が潰れ、視界が更に低くなる。
グシャ、で、鼻が潰れ、口と咽喉に粘液やら血液やら肉片などが侵入する。
ビシャ、で、右目も弾け、脳が飛び出し、完全に視界が暗転する。
と、三回叩いて、満足する。
土の上に転がりひしゃげて汚れた脳味噌が、βエンドルフィンを排出するのだ。

少し、ニューロンについて。

神経細胞のニューロン間で刺激をやりとりするために必要な物質は、神経伝達物質と呼ばれる。

五十種類以上の神経伝達物質があり、其の働きが判明してるのが二十種ほどだ。
主に精神に作用する、γ-アミノ酪酸(GABA-ギャバ)、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンが有名だ。
特にドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンを総称してモノアミン神経伝達物質と言い、モノアミン神経伝達物質は、感情に甚大な働きを起こし、また多数の脳内の部位に大きな影響を及ぼす。

人間は何らかの刺激を受けると、大脳で先ず解析し、其の後、解析結果を海馬に送る。海馬から「パペッツの回路」と呼ばれる各部位の循環に乗り、感情が生じる。
出現した感情は再度大脳に行き、長期記憶となって残存する。

人間の最後の救済と言われる脳内麻薬様物質(オピオイド)は、交感神経系の興奮によってGABA神経系から分泌されるエンケファリン、β-エンドルフィンなどを指す。
オピオイドは阿片などの麻薬に極めて近い構造をもつ。

オピオイドの大量分泌により、精神活動の麻痺や感情鈍麻が生じる。
此れは闘争も回避もできない深刻なストレスにさらされた生物にとっての救済だ。
精神活動の麻痺や感情鈍麻によって、人間は完全な降伏と受身の態勢をとる。
現実感喪失により、生物は静かに捕食者の餌食となる。

長期間反復的に回避不能のストレスにさらされた個体は、脳内オピオイド受容体の感受性が上昇する。
阿片などの麻薬を反復投与された個体に見られるものと同じ、生理的反応だ。
そしてこのような個体に、ストレス刺激や麻薬の反復投与を急に中断したり、オピオイドの拮抗物質であるナロキソンやクロニジンを投与したりすると、同様な退薬症状、つまり禁断症状を呈する。
其のため、オピオイド受容体の感受性が上昇した個体は、深刻で不快な刺激を求め始める。
つまり、自傷行為無しには生きていられなくなる。

オピオイドの過剰放出は、大脳辺縁系の扁桃体、海馬などに深刻な打撃を与える。
扁桃体に損傷を受けた個体は、恐ろしいもの、嫌なものに直面しても、避けようとしなくなる。
寧ろ、快感を覚えるのだ。

ランナーズ・ハイ、といわれるように、マラソン中にもオピオイドは分泌される。
マラソンという過酷な試練の中で、オピオイドが過剰分泌された状態だ。
オピオイド濃度の上昇は、他にも手術、過食嘔吐などで確認されており、リストカット、車での暴走等の自傷行為によってもオピオイドが上昇する。

オピオイドの大量分泌は、離人症的な症状をも齎す。
現実感の喪失、自己と現実という外界を隔てる膜がある感触、自分を遠くで自分自身が観察している感じ、自分の手足の消失する感じなどだ。

殆どの人が体験していると思う。
其れの程度が酷くなったものを、社会では精神病と呼び、差別する。

確かに、過食嘔吐が一番酷くて体重が二十五キロまで減った頃、わたしは痩せたくて吐く訳じゃなく、吐きたくて食べていた。

吐いて、水をいっぱい飲んで身体を揺さぶり胃を水で洗浄し、また濁った水を吐く。
便器に吐いた水に、また固体が残っているといたたまれず、何度でも水を大量に飲み、嘔吐する。
其の後の脱力感、其れによって、やっと安堵する。
手足ががたがた震える。
こめかみがどくどく脈打ち、心臓はばくばくだ。血圧は六十二~三十二に低下、安定していた。

前置きが長くなった。
薬が増えた所為か、話にまとまりや一貫性が無い。

何故今更ブリミアについて書くかというと、魘される夢、とは、ブリミアの夢なのだ。

一口でも何か、肉、パン、飴、何でもいいから何かを嚥下すると、もう嘔吐モードに入り、ひたすら水を飲んで吐く。
吐瀉物がバシャバシャ顔に当たる感覚も覚えている。
異臭も勿論再現される。
だからわたしは薄い胃酸混じりの液体に似たスポーツ飲料系が飲めない。

どうして夢を見るか。
実は、一九九九年十月以来一度も無かった過食嘔吐が、この二〇〇六年三月、再発しかけたのだ。
わたしは急ぎ、ブリミアをやった日に、居間のカレンダーに×印を打った。
数えると、今現在、五月九日を最後にして、二十三回やった。

母の日をきっかけに、理由は分からないが、止まった。
多分、母の一言、「もうパン買うお金無い」を思い出したからだろう。
キツイ一言だった。

今現在も過食嘔吐に苦しむ人がいる。
ジャワ島自身の被災者も可哀想だが、もっと身近な人たちの苦痛に目を向けたい。
ジャワへは募金と自分のお金を郵送した。其れしかできないし、其れが最良だからだ。
ボランティアは自己満足だと知っている。
現地での作業は、自衛隊など自己完結型集団にお任せするより無い。

とにかく、止まったはずの過食嘔吐の夢をまた今朝見た、ってだけ。

誰も気にしてくれないだろうし、誰にも分かって欲しくない悩み苦しみだった。
今日此処にかいたのをキーとして、絶対ブリミアは止めようと誓う。

母と夫を悲しませたくない、其れだけで、理由としては十分過ぎる。