Tuesday, May 30, 2006

Let's try access up!

狙えアクセスアップ! BY トラフィックエクスチェンジ!
日本ではbloggerは肩身が狭いです。放置しておいたら一日1アクセスもありません。
で、此処は頼りましょう! 日本語オートサーフに!

今までは、日本語サイトはスクリプトエラーや文法ミスが多くて、まったくサーフできませんでしたが、思い切ってMozillaに変え、ファイアウォールのセキュリティレヴェルを落とし、お小遣い系にも目を通すことにしました。

以下、わたしがお世話になっております強力アクセスアップツールをPR致します!

先ずは読んでもらうため、日本語サーフから。

HTML型の二つです。


Plusone+Surf!


■ Plusone+Surf!概要 ■
ホームページ名称:Plusone+Surf!
URL:http://www.plusoneplus.com/surf/
カテゴリ:アクセスアップ支援

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あくせすなびの概要。
相互リンクして頂けるので、しっかり読んでもらえます!
リンク先を自分で構築するより、現存するサイトにリンクして貰ったほうがわたしの如き初心者には最適です。
相互リンクは結構難しいものです。
募集しても、リンク相手は中々捕まえられません。
といって、登録代行屋さんに依頼すると、膨大な数の個人検索エンジンに登録されてしまい、後のメンテナンスが超大変。(経験者は語る……)
宣伝し隊の募集は終了してしまいましたが、隅っこにでもリンクして貰えたら其れだけでもう感謝感激落涙モンです。

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そしてポピュラーなView4Credit型、です。



ミリオンチェンジ - ブログ専用・オートサーフ型トラフィックエクスチェンジ!

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ブログランキングで有名です。
不幸にもbloggerはありませんけれど。

ブログホイホイ!は、言わずもがなの有名高級サーフ!
二〇〇五年、一度窮地に陥って、其れでもゴキブリ以上にしぶとく生存競争に打ち勝った、伝説のオートサーフです。

此れ等二つはブログ専門です。
bloggerにはうってつけ。
たかがブログと侮る無かれ、です。いまやブログが素人サイトの大半を占めています。
もっと胸張って、自分のブログ、宣伝しましょう!

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後外せないのは、【もっとアクセスUP】です!!!

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老舗中の老舗です。手動と自動が選べて、かなり強力に自分のサイトをアピールできます。
もう必須ですね。

但し!
多重ログインはやめましょう!

焦る気持ちも痛いほど理解できますが、マナー違反です。
自分が誰のサイトも見ないなら、自分のサイトだって見てもらえないまま流されてしまいます。

どんなサイトにも、必ず有効な情報が詰め込まれています。
わたしのみたいなぼやきにでも、世情を反映させています。
お小遣い系だって本当に儲かる人は儲かっています。けっしてponziじゃありません。
書いてくれた方の身になって、マナーを守りましょうね。

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しか~し、魂を悪魔に売ってでもアクセス数が欲しいもいらっしゃるはず。
「読んで貰わなくてもいい」「ひたすらカウンタを回したい!」って方、思い切って、外国語サーフを利用してみては如何でしょうか。

以下のファミリはとにかくカウンタを回してくれます。全部回転させておけば、一日一万アクセスも普通です。
しかし、決して読んでは貰えません。
何故なら、見る人がほとんど外国語人だから。
偶に英語で媚を売って、何とか凌ぎましょう。
割り切れる方のみ、お勧めします。わたしは現在使用しておりません。

126hits.com

surfbuster.net

autohits247.com

autohits.info

Trafficsurf.net

216hits.com

autosurf.cc

autosurf.org

website-traffic.cc

autohits.org

126hits.de

trafficsurf.de

名称も画面も似たようなものばかりで、やってると訳分かんなくなってきます。
おまけに突き放し型。ウィンドウがダダアーっと開きます。
しかし、カウンタ回転には非常に強力な味方です。
ただ、本当に読んでは貰えません。
サイト認証も一日掛かることもあります。
ドイツ語も混じってます。

要注意は、Myfuncards.smileycentral.comや、www.imagecash.netやjp.errorsafe.comといった別サイトに飛んでしまうことです。
errorsafe.comは、一寸前のwinfixer2005と同じです。
間違ってもインストールしないでください!
Cドライブ全削除しないとならくなります。

以上、弱気なbloggerよりお送りしました、アクセスアップの表技と裏技です。
楽天のように、一日のアクセス数だけで順位が決まるところでは、裏技も有り、かも???

でも、出来れば日本語は日本語サーフで援助して貰いましょう!
読んで貰えない空っぽアクセス数では、全く意味がありません。
でも、googleページランクは上がりますよ。

Monday, May 29, 2006

未来予想図真っ黒け

暗い夢。
気圧が変化すると、其れに伴い脳内圧力も変化する。
こうした台風などのとき、欝は現れやすい。

ツー―ても私の場合、この三週間ほどず――――っと状態。

何と言ってもワシントン時に合わせてのバイトだ。金はいいが、生活にリズムは崩れがち。殆ど崩壊
仕事しながらの社会人学生は、米国では多かったけど、日本では余り見かけない。
首切りした痛みが、昨日から出始めた。リストカットは余り痛まない。本気で死にたいわけじゃなく、自分の血を見て安心したいからだけの理由でやるからだろう。そう深くは切れない。でも痕は残る。
腿は、切るんじゃなくて、抉らないと死ねない。切るんじゃ駄目。深くざっくり抉るのだ。そうすれば致死率五十%に跳ね上がる。
微細な血管とともに、デカい動静脈も走って、ついでにリンパ腺まであるから、深さ五センチで抉れば死ねる。
ま、失敗したら超見苦しい痕になって残るけど。

同様の理由で、腋下も死ねる。
こっちは刺す。包丁で、深々と、鎖骨辺りから刃の先端が飛び出るまで刺す。
此れは、失敗しても人前を気にしなくてよいから、いいかも???
ただ、痛い。汗でしみて、不潔になるから化膿して、治りが遅い。包帯巻くのも鬱陶しい。
だから此れも×かな。

手首も縦に深く切らないと死ねない。皆横に切る人が多い。死なないことを前提にやったなと直ぐ分かる。だから医者の反応も冷ややかだ。
関係無ええ~~~のに、「仕事上での悩みは?」「夫婦生活で支障は?」「友達と上手くいってますか?」などなど、心の相談みたいなことを、根掘り葉掘り聞かれる。それに負けで、騙されて、「はい、実は……」といってはいけない。

どのやり方でも、事象行為と認めた時点で、意思からの特別な証明書が無い限り、自賠責として保険適用なし&二百%の治療費を取られる。
つまり、三割負担でなら六千円ですむところ、四十万円取られる。

わたし覚えがないという方、未成年か、もしくは保険費親が払ってません?
もしくは免除とか。自分で払っていても、症状や心理状態から、後で請求してくるときがある。その例のほうが多い。
自殺未遂者に「四十万円払え」は追い討ちを掛けるようなもの、病院も心得ています。だから大抵、住所や家族構成を訊かれ、後で親権者または配偶者のところに請求が行く。

吾は社会のゴミだァ~~~~!!!
日本の中心で馬鹿を叫ぶ!!!!

叫んでください、誰も相手にしませんから。してくれません、三回目以降は。
「またか」
と、突き放されます。人間ってのは、どんな状況にも環境にも適応する、ゴキブリです。世界を見れば、癪念角熱帯雨林から極寒北極まで、幅広く分布している。
こんな生き物、他にいません。だから自分達で滅ぼしあうのでしょうね。

わたしもゴキブリの一個だから、何もいいません。
戦争賛成、独裁賛成、革命賛成、政治無関心賛成。
いいじゃんか、やりたいようにやらしとけば。やつ等好きでやってんだから。
ジョージ・ブッシュは歴史に名を残すだろう。親子二大そろって大統領になり、そろって戦争を始めた。けしかけた。挑発し、騙し、泥沼の戦争、憎悪に連鎖に子供達を巻き込んだ。

其れが正義なら、わたしの自傷行為も正義だ。

やりたいことやる権利があるなら、わたしのネクカも正当だ。

したくないこと避けて通る、または引篭もるのを生き方というなら、わたしのあざとい、他人を落とし入れてでも契約を取る、年俸を上げるため同僚の悪口を言う、自分のデスクを守るため上司を更迭させるやり方も、生き方の一つだ。

文句あるか???

あるなら言ってみやがれっての。

言えねえだろ。

わたしとディベートする勇気のある奴、かかってきやがれ!!!

最近誰も相手にしてくれない。
精神科医でさえ、「あなたと話すと五分で疲れ果てる、家族は大変ですよ」という。
言葉のプロが何を言うか?? わたしは正論しか言わない。だから困るらしい。

しかしなあ、過食嘔吐も引篭もりもいいよ。死ぬまでやってりゃいいよ。
ただ、警鐘を鳴らすのは、今この次の瞬間、両親が揃って脳溢血で死んだら、どうする?
自分ひとりで、過食嘔吐するだけの食料買えるか?
金いるぞ。一人で誰も親身に止めてくれないから、三百六十六か五日二十四時間ズ~っと、やってるぞ。
過食嘔吐とリスカ、アムカ。
八十過ぎてもやってるぞ。止める人いないから。彼氏や彼女は冷たいぞ。付き合うメッリトが無くなればバイナラだ。

それでいいのか???
時間と金の無駄だぞ!!!
自分勝手に前向きになるなって???
わたしは自分勝手なのだ!!!

だからいったじゃん、文句あるなら言いに来いって

いつでも受けて立ちます。
今のわたしは凶暴な若い音の人格が表面化している。
此れとは一番長い付き合いだ。もう親友だ。誰が裏切ってもこいつは裏切らない。
わたしがこいつを殺そうとしても、こいつもわたしを殺そうとして、混同が起こり、処罰が無効になる。申して立て却下だ。

……多分、夏期休暇と前期試験の論文の所為で、頭が法学モードになっている。

わたしが弁護士なったら……そうだな、オウム真理教を正当な宗教法人に格上げしてやろう。
ザインも株式会社から宗教法人格を与えてやろう。
その他、少年犯罪を全部死刑にしてやろう。
あ~~~楽しみィ~~~!!!


合法ドラッグいいワン!
物凄い鬱状態の体抱えて、頭だけハイ!!!

超HIGHT!!!

今日はドラッグやってないです。ちゃんと抗欝剤飲んでるのに。ああ、それで体重くて頭軽いのか。ちゃんと薬効いてるじゃん。

ちょっと薬について。

合法ドラッグは、単なる合法の医薬品を意味するのではない。乱用薬物を意味する日本語の「ドラッグ」に、業者とマニアが宣伝と自己弁護のために「合法」という形容詞をつけたもので、その出生から怪しげ。

合法ドラッグの明確な定義というものはなく、多幸感、性的快感などを高めるものを総称して、雑誌の通信販売、アダルトグッズショップ、ビデオショップ、ドラッグ専門店などで販売されている製品に対し、この用語が使われている。合法ドラッグとはいうものの、危険な医薬品や非合法の薬物が含まれていることも多い。
合法ドラッグの製造流通過程には違法行為を含み、使用実態は乱用であることが多い。合法ドラッグという呼称は、一般市民や使用者に対し、これらの薬物が法に合致し、安全性が保証されているという印象を与え、薬物乱用へと誘導してしまいかねない不適切な表現であるとして、行政機関では、合法ドラッグという用語に代えて、脱法ドラッグと呼ぶようになった。
マスメディアも二〇〇三年頃から合法ドラッグでなく脱法ドラッグを使うようになってきた。

医療機関で見かけることが多い乱用対象薬のうち、リタリン(メチルフェニデート)は、実は「麻薬及び向精神薬取締法」で販売や譲渡が規制されている向精神薬だ。しかし、麻薬や覚せい剤のように、所持や使用を禁止されている訳ではないので、しばしば「精神科でもらえる合法ドラッグ」などと呼ばる。合法ドラッグという用語を広義に使う場合には、リタリンを含む。

なお、英語でlegal drug abuseという場合には、リタリンやプロザック、鎮痛剤など処方薬乱用を意味していることが多く、時には広く、飲酒と喫煙までも含むことがある。

規制薬物は化学構造式で定義されているために、合法ドラッグの中には、規制薬物(違法薬物)の分子構造の一部を組み替えただけの類似薬物(analog drugs)もありました。これらの類似薬物は、「実験室で作られた薬」という意味で、デザイナードラッグ(designer drugs)と呼ばれる。このようにして作られた薬物の中には、元の規制薬物の数百倍の効力や副作用を持つものもある。

エフェドリンから化学的に合成される覚せい剤、メタンフェタミン(methanphetamine)とその類似物質、エクスタシー(MDMA)も、コカインやヘロインなど自然界から得られる従来の薬物から区別して、デザイナードラッグと呼ばれることがある。

スマートドラッグ(smart drugs) というのは、精神機能を改善するとされている薬物のこと。認知増強薬(cognitive enhancers)とかヌートロピック(nootropics)とも呼ばれる。nootropicというのは、mindを意味する noosとchanged, toward, turnを意味するtropos というギリシャ語を組み合わせた造語なのだ。

スマートドラッグの多くは、実際には、これまでパーキンソン病、アルツハイマー病、脳血管障害、感情病などの精神神経疾患に使われてきた薬物を健康な人に使用して、記憶や学習、注意力、集中力、問題解決力、社会機能を改善しようというもの。この中には、脳代謝改善薬、脳血流増強薬、抗うつ薬などから、エフェドラなどのハーブ剤、神経伝達物質に影響する薬剤、栄養剤など多種の薬物が含まれる。業者らはこれらを組み合わせることによって、精神機能を改善することができると主張するが、これらの薬物の健康者に対する能力改善効果は医学的には証明されていない。

大雑把に言うと、合法ドラッグは気持ちよくする薬、スマートドラッグは賢くする薬、ということになりますが、重なる部分も多いので、怪しげな響きのある合法ドラッグに代えて、近年マスメディアでスマートドラッグ」いう用語が使われることが多くなってきた。日本のインターネット社会では、スマドラ」いう略語もよくみかけるだろう。

生活改善薬は、英語のlifestyle drugs に相当する用語。生命に直接関係する病気の治療用ではないが、人によっては気になる体の症状や生活習慣を改善することによって生活の質を向上し、それに悩んでいる人の幸福感を高める薬、と解釈される。明確な定義は無い。

医師の処方が必要な医療用医薬品としては経口避妊薬の低用量ピルや、勃起不全治療薬バイアグラ、薬局、薬店で購入できる一般用医薬品としては発毛剤リアップなどが代表的な製品だ。他、禁煙補助ガム、禁煙補助貼付剤、ダイエット薬、尿失禁治療薬、皮膚の老化防止薬などもこれに含まれる。医師が臨床的判断で処方する医薬品と違って、生活改善薬を使用するかしないかは、その人のライフスタイルや価値観によって決めてよいのである。

生活改善薬の乱用が問題になるケースとしては、性感を高める薬、ダイエット薬、抗鬱薬、気分を良くする薬などの安易な使用が考えられる。一九九八年から翌年にかけて日本で起こったバイアグラ騒動は記憶から薄れたが、いまだね強い人気を誇っている。日本で未承認のバイアグラをインターネットなどで販売する業者が現れ、使用者に死者が出た。

いろいろな商品名で販売されている合法ドラッグの中には、危険な医薬品が含有されていることが多く、東京都は、買い取り調査に基づいて、マオウ、エフェドラ(塩酸エフェドリン含有)、塩酸エフェドリン、塩酸フェニルプロパノールアミン、ヨヒンベ、塩酸ヨヒンビン、塩酸ピロカルピンなど、十九種類の薬物を合法(脱法)ドラッグから検出された医薬品の例として挙げ、その有害作用を解説するが、道徳心に任せた生温い規制では、効果は実質無い。

精神科医療機関でも、医者回りをして、合法ドラッグ単独の乱用者をみるがある。
ただ、公には減っているという報告がある。多剤乱用者やメチルフェニデイト(リタリン)の乱用、依存者の中には、合法ドラッグ乱用を合併していたり、合法ドラッグ乱用の前歴があったりすることが多い。
また覚せい剤乱用歴のある患者が合法ドラッグを乱用したり、合法ドラッグ使用をきっかけに覚せい剤乱用に戻ったりすることも多い。

北朝鮮から密輸入される覚せい剤の取締りが厳しくなり、供給量が少なくなったことを反映して、シャブの末端価格が高くなったモンだ。最近までワンパケ、二万円程度だったのが、今は三~四万円もする。その影響を受け、代替薬としての合法ドラッグマーケットが巨大化しつつある。

具体個別的な名称は出さないが(或る団体から文句を言われたので)、皆さん、薬は利用するもの、医者は使用するもの、用がすんだらさっさと捨てましょうね。

最近、薬や医者に利用され消費されている人を多く見かける
ちょうど、携帯電話を携帯せず、電話に携帯されている人が増えたように。

あれ、モロ馬鹿にみえますよ


現実ハードボイルド。
少々ハードな内容かも。
でも、伝えたい。
頑張れとか生きろとか、そんな無責任で甘ったるい言葉は無い

テメエのケツはテメエの手で拭け拭いて汚れたその手はテメエの舌で舐めて清めろ糞尿と吐瀉物、クソとショウベンとゲロに塗れて、テメエの出したモン食って、蛆湧いた傷の血膿飲んで、のたれ死ね、っていう内容っす。

わたしには、それだけ言う資格が有ると思っている。

鬱病も過食嘔吐も、指先壊死するまで堪能したし、それ等を自力で乗り越えた。
まだ鬱の薬に溺れている最中だけど、もう食い物の誘惑には負けない。

世上の毒と泥噛み、骨だけの身体引き擦り、今此所にこうして生きている。

ゲロに混ぜて、無駄に流した食物と時間は取り戻せないけれど、それ以上の宝を見付け、抱き締められたから。
自分の弱さより強さを知ったから。

身体切り刻む痛みと快感も、便器に顔突っ込んで、飛び散るゲロを顔面に浴びて、その上に原形止どめたクソ垂れて、まさに糞味噌の悍ましさも愉悦も知っているから。

またも入院である。
首切りじゃなくて、それもあるけど、七月の手術痕が、破れた……。

しかもねえ、股間ッスよ、コ、カ、ン!!!

悪性リンパ腫だったので、急遽切除することになったのだ。
医者の申しつけを振り切って退院し、日常的に生きてたのに。
恐ろし~~~いことになった。
で、やけくそ、ヤケクソ、焼け糞……あ~~~地獄だああ!!!


リアル・ワールド。
個人的には、自己申告型鬱病ってのは、詐病だと思っている。
お怒りの方、謝りません。
客である患者より上等の椅子にふんぞり返る医者曰く、鬱は心の風邪なんと阿呆臭い診断下すけれど、そりゃあんた、血液検査で異常ホルモン分泌が見受けられない、軽~い鬱病もどきの人に言うことでしょ。

大体、医者なんて輩は、努力が報われた恵まれた成功者じゃん? 
そんな奴にどうして連続挫折者の気持ちや置かれている悪環境が汲み取られるのか。単に過去の症例から憶測しているに過ぎない。
奴等は患者を観察するだけ、データ集めしているだけ、先生と呼ばせて患者の胸底にドカドカ入り込み、蹂躙して、金ぼったくって、優越感に浸るだけ。

中にはイカれていないのもいるけれど、巡り会う確率は1%未満だと、わたしは思う。
CMで、「うつだったんだぁ」って明るくほざく女が出てくる、あれは絶対偽装欝病だ!

だってさ、この病に陥る人は、まずもって「あなたは欝病です」と診断されると、「そんな筈有るか!」、わたしみたいだと続いて「そうやって陥れて自分の成績上げようって魂胆だな、誰のやらせだよ!」と診察室で喚き散らす。

良く完璧主義に誤解されるが、少なくともわたしは違う。
ただ、猜疑心と被害妄想に囚われているだけ。
それも、自分が他人に対して行ってきた騙しだの罠だの嘘だのの、事実に基づく妄想だから、医者も家族も非常に困る。当人はもっと困る。

そうやってくるくるぐるぐる狂々と、底の無い反吐の沼に嵌まり込んで、様々な合併症誘発して、今、白い部屋で内臓半分に切り取られてチューブに繋がれて、惨め極めて生きている、わたしがいる。
わたし、色々なものに負けたけど、もう、自分自身にだけは負けない、足掻く、苦しむ、負け惜しみを叫び続ける。

どうか、誰を騙しても、何から目を逸らしても、自分自身だけは真正面から見透かして偽らないで。欝である自分を許した上で、戦い勝って。幾度負けても諦めないで、自分から白旗揚げないで。抗おうよ、怠け者の烙印と。


わたしが君を守る。
苛めが原因で、過食、拒食、ドラッグ、鬱、などにい陥る人が多い。
九月一日は、そういった人には恐怖だろう。
否応無く引っ張り出される運動会や体育大会、文化祭……わたしは率先して楽しんでいたのでよかったが、地味で無口で外見大人しい人は気の毒だった。

苛める側だったので、このことにつき、言う資格はないが、反面では大いにある。

苛めを受けている子供さんを抱えるお母さん、何故学校なんて機能していない機関に大事な子供を任せるのです?

わたしは大学時代、と、今も週三回、塾の講師をしている。
苛めっ子も苛められっこもいる。
苛める側は楽しそうだ。実際楽しい。偶に大人しい奴がブチ切れて向ってくると、更に面白い。
そういう時、逆襲してきた奴を再逆襲して、めっちゃくっちゃにぶちのめすと、気分が晴れる。かかってくるほうが悪い。弱い奴は苛められエサになってりゃいい。
その気持ちは今も同じだ。
だからこそ、苛めらるがわの配慮の足りなさに腹が立つ。

わたしが担当したいじめられっこは、「義務教育を受けない権利もある」という甘ったれたド阿呆の著書を読み、引篭もっていた。今年六月のこと。
親が学校へ行かないからせめて塾へと、わざわざ遠い塾へ通わせに来た。
「このこは本当に愚図で」
「このこは全くな避けなくて怠けて」
「このこは勉強どころか体育すらできない」
「絵だけは上手い」
「アニメに凝っていて」
「部屋で食事もする」
と、貶しっぱない。当人は黙って俯いていた。
こりゃ駄目だ、と、早くも悟った。
彼には個別的に教えた。なんたって、中三なのに三平方の定理すらわかっていない。英語の語彙はなしに等しかった。
でもまあいいじゃん、と、気合入れて褒めながら教えたら、あらら、期末では平均八十点取ってきた。
親から礼を言われた。愚かにもゼリー詰め合わせを持ってきた。母親は何も知らなかったようだ。わたしがどれだけ彼に時間を使ったか。

わたしは、彼から苛めの実態を聞いた。わたしは苛めたよ、というと、逆に親近感が湧いたという。

「遠くから僕が殴られたるの見てるだけのやつが一番嫌い」
「苛めは嫌だよ。でも苛められたほうがいい。前は無視されたてたから」
「存在を否定されるより、苛めの対象にしてもらえるだけいい」

此れが彼の言葉。親にはいったのと聞くと、
「言ったって聞いてくれない、逆に情けないって叱られる」
と、やはりの回答。

其処でわたしのとった方法。
無謀で無茶で無益だが有効な方法。

わたしは彼と一緒に学校へ行き、授業参観して、トイレは職員用野を使わせるよう請願した。勿論学校側は却下した。わたしが来ることまで却下した。
だが、校則にも民法にも、保護者つまり任意後見人に対する学校への立ち入り禁止なる規定はない。わたしの行動は適法だ。
ただ、ビデオをまわすのはプライバシー侵害だといわれ、其れは仕方なかった。が、苛めの現場を証拠として残すには、何らかの手段が要る。
ケータイに頼った。逐一、録音、写メを校長のPCと両親に送ってやった。
愕然としていた。教師も親も。
なにより苛める側が参っていた。何もしなくなった。彼は寂しがった。

馬鹿、といってやった。
何故日本人は群れたがるのか????
一人でいるのがどうして辛いのか???
いいじゃんか、一人だって。

「でも、グループ決めるとき仲間はずれにされる」
「無視は一番辛い」
「誰とも口を利かずに一日終わるのは怖い」

お前なあああ~~~~!!!!
そのナヨイ神経じゃ、もし今仲間に入れてもらったって、高校いったら又一人、会社に入ったら速攻クビだ!!!
一人で何でもやれる技術技能能力を身につけろ!!!
そしたら一人でも平気だろが!!!
この世は一人の寄せ集めだ!!!
苛めっ子一人一人に俺参りして来い!!!


わたしの激怒は効いたらしい。
彼は一人を受け入れた。堂々と一人になった。そしたら、今まで傍観者だったやつ等が、一緒に弁当食うようになったとか。
楽器うなんてお子様のお遊びだ、ヤクザが絡まなければ、喝挙げも怖くない。

親に言いたい。
自分の子供は自分で守れ。
一緒にいてやれよ。
責める前に褒めてやれよ。
よく頑張ったって。

ちなみに、この話は新聞に載った。
わたしは思いがけない赤っ恥を掻かされた。

諏訪町の塾講師××さんが~~~~って、丸々分かるっての!!!
中日新聞、真向かいに支社があるしなァ、記事偶に書かせてもらってるしなァ、頭上がらんしなァ。

ってことで、教育論終わり。心の病の一つだよ、苛めは。
やるほうもやられるほうも、異常な心理状態にある。

もちっと教師、働け!!!!

センセイって、呼ばせンな!!!


歯が溶ける!
摂食障害が及ぼす体への影響のため、摂食障害の人ができるだけ忘れないよう心がけるべきが、ハミガキとカリウム摂取だ。
問題は、過食嘔吐の場合だ。過食嘔吐では、胃液の混入した物を吐いてしまうので、胃酸が歯の表面のエナメル質を溶かすと一般に言われてる。
そのため、虫歯の治療でなされた詰め物と歯の隙間があいて、詰め物が取れてしまうこともある。
事実、私の場合も、3つぐらいの詰め物が既に取れてしまっているし、前歯に至っては完全に指が入る程度の隙間がある。

摂食障害の専門医曰く、歯が溶けるというように言われるが、摂食障害のことをあまり知らない歯医者は、口の中というのはもともと菌が多く住むあまり清潔でない場所で、エナメル質はそんなに簡単に溶けてしまうことはないなどと言う。
でも、歯の間に隙間があいてしまっていることは事実なので、溶けるものだと思って間違いない。

歯が酸により溶けることを、酸蝕症という。
酸蝕症には、職業性酸蝕症、食品性酸蝕症、その他のものがある。
その他には、嘔吐の頻繁な繰り返しによって、胃酸である塩酸による脱灰作用で溶ける場合も含まれる。
脱灰作用とは、歯質の無機塩、無機質が壊されることをいう。歯は有機質と無機質からできているが、エナメル質は無機質が多く、そのエナメル質のほとんどを占めるのが、無機塩であるリン酸カルシウムだ。
胃液の酸による脱灰作用で、エナメル質のリン酸カルシウムなどが溶けることが、過食嘔吐の方の歯、エナメル質の溶けるメカニズムのようだ。

また、歯が胃酸で溶けてしまっている、溶けやすくなっている状態では、普通の状態だと虫歯のできにくい場所にまで、虫歯ができやすくなってしまう。
過食の方は、甘い物などを好んで食べることも多いと思いうので、虫歯にも気をつけた方がいい。

歯が溶けてしまうこと、虫歯を防ぐには、やはりハミガキしかない。吐いた後に、口の中の胃酸を洗い流すことが重要なのだ。過食嘔吐の後には、うがいをした後にでも、ハミガキをするといい。吐いた後、ハミガキが出来ない場合は、うがいだけでもしておくべきだ。

ハミガキは、あまり擦りすぎない方がいい。胃酸で歯が溶けやすくなっているところを、ごしごしと磨いてしまうと、逆に歯が削れてしまって、逆効果。過度に歯磨きは要注意。

歯磨き粉は、研磨剤の入っていないものがいい。研磨剤は、歯のエナメル質を削ってしまうので、過食嘔吐の人にとっては大敵だ。
特に、「歯を白くする」というのを謳い文句にしている歯磨き粉は、歯を削る効果が高いので、使用をやめた方がいい。
そして、残念ながら、ほとんどの有名なチューブの歯磨き粉には、研磨剤が入っている。研磨剤が入っているかどうかは、歯磨き粉の箱などの裏などに載っている成分表に、研磨剤(物質名)というような記述があると思うので、買う前にわかる。液体やジェルの歯磨き粉などで、研磨剤の入っていないものを選ぶといい。

わたしの場合、何ヶ月に一回か、タバコのヤニなどでついた汚れを落とすために、研磨剤の入った歯磨き粉で歯を磨う。歯医者に言われた歯磨きの方法なのだが、鉛筆を持つようにゴシゴシと力をあまり入れずに磨いて、そして最後にフッ素入りの歯磨き粉で磨く、仕上げに液体歯磨きで口中隅々まで消毒する。

また、カウンセラーの方は、吐く前や後に、緑茶か牛乳でうがいをするといいと言う。過食嘔吐を推奨するようで阿呆らしいが、板しかないときはやったほうがまだいい。
緑茶の成分のフッ素が虫歯を防ぐ効果がある。緑茶を一回飲んだからといって、そんなに効果はないので、日常的に飲んだほうが効果がある。
牛乳については、牛乳が歯に膜を作り、歯を保護する。カルシウムイオンが歯の再石灰化を起こすこともあるので、牛乳には酸で脱灰された歯を守る作用もあるようだ。ただ、牛乳には乳糖が入っているので、ずっと口に含ませておくというような事は避けた方が良い。

聞いた話によると、胃酸による酸蝕を防ぐためには、重曹でうがいをすると効果的だそうだ。重曹はアルカリ性らしく、酸性を中和してくれる。また、フッ素も効果的で、歯医者に行くとフッ素塗布というのをやってくれる。これは予防には効果的だ。またフッ素入りの歯磨き粉というのも市販されているので、これを使ってみるのも良いと思う。

摂食障害の人は甘いものなどをよく食べるので、虫歯にもなりやすいのだが、歯医者に行くと摂食障害がばれるのではないかと心配して、歯医者に行かないでそのまま放っておくことが多い。
しかし、歯医者の人もあまり摂食障害のことを知らないようだし、一部の大学だけかもしれではないが、歯学部の授業においても、過食嘔吐によるエナメル質の溶解などということは、習わないそうだ。だからそんなに気にしすぎることはない。
歯は二度と再生しないので、虫歯が気になるようならば、迷わずに歯医者へ行った方がいい。たとえ、歯医者が摂食障害のことを知っていたとしても、相手は所詮ただの見知らぬ歯医者なのだ。そういうことを気にしすぎて大事な歯を悪くしてしまうよりも、歯を治してたほうがいい。


カット・マニュアル。
ただしいリスカ、アムカのやり方。
用意するもの

切るもの(カミソリ、ナイフなど)
脱脂綿。ちょこっとの場合はお化粧用コットン。
包帯
イソジン(うがい用じゃないほう/市販薬)またはアルコール(しみて痛さが増します)
クリアレックス(市販薬)
ゲンタシン軟膏(抗生物質入り/処方薬)
抗生物質(処方薬)(たとえばフロモックス100mg錠/6時間ごとに飲む)


注意事項
下の2つはちょっと入手が面倒。ゲンタシン軟膏は、ちょっと怪我したときに病院で貰っておくとか、フロモックスは「尿道炎」にかこつけるとか。男の人はあまり尿道炎にはならないので、他の手を考えてください。多少インチキかもしれないけど、膿んで跡が残るよりましだと私は思います。

手順
まず、切るものを「滅菌」します(多少の菌がのこっていても「殺菌」といいますが、「滅菌」はあらゆる菌が全滅した状態です。やり方は簡単! 沸騰している熱湯に5分間浸けておけばいいのです。その間にクリアレックスで洗ったり、アルコールで拭くなどして、切るところをきれいにしておきます。

切ります。静脈の下には動脈があるので、くれぐれもご注意を!

血がたら~~っと垂れる危険な感触を堪能して、血が止まったら脱脂綿にイソジンを含ませて消毒します。イソジンの作用時間は、乾いたときまでなので、乾いたらクリアレックスと水で洗い流し、ゲンタシン軟膏を塗って包帯を巻きます。

抗生物質を飲みます。

できればこうなるまで頑張りましょう!!
生首

ってはジョーク。でも、皆夢見るんじゃない?
こんなに綺麗に死ねるならこうして生首切り落とされてもいいから死にたいって。
わたしは思う。

はっきり言って、自殺を止めるのお節介この上ない。
リスカのように自己満足ならやらせてやってから大騒ぎしてやると、とても喜ぶが、わたしのように本気で自分を殺したい奴にとっては、茶々入れられるのはこの上なく迷惑だ。

夢では絵のように自分の首を切り落とす。
そしてどしんと左耳に激痛が走る。
落ちたからだ。
視線が標高十五センチになる。
東部のない自分の体が、のろのろと動く。わたしは念を送る。
殺せころせコロセ潰せ蹴れ踏め!!!
身体は動く。のろのろとよたよたとして、自分の頭部を蹴る。踏む。
そしておもむろにドデカい岩を持ち上げる。肩より高く。あったはずの頭より高く。
で、落とす。
わたしの右目が爆ぜる。pシャット音を立てて。口に血と水晶体の内容液が流れ込んでくる。生臭い、苦く塩辛い。
身体はまた岩を持ち上げ、落とす。
鼻が潰れたのが音になった聞こえる。
鼻とのどの繋ぎ目から、どろどろの脳漿が胃へと流入する。
ゲロする。
ガロを踏み躙り、又頭部を掻いた胴体が岩を落とす。
左目も潰れて、視界がなくなり……目覚めてしまう。

五体満足だ。指先は腐って落ちたけど。まだなんと関わった指で通る。歯も溶けたけど、気をつければバレない。

生きている。
堪らなく悔しい

生きてやがる殺したのにあんなに入念に殺したのに五体満足で生き返りやがった!!!!!

此れがわたしの毎朝の儀式。
自分の延命を呪う、憎む、悔しがる。
何時まで続くか不明なこの狂気、戦場へ出張しても、極貧の町へ行っても、高度機械化された研究所にいても、この気持ちは変わらない。

ただ、誰にもいえないだけ。


昨日は、リスカ日和だった。
賑やかな病棟は苦手だ。ママリンが可哀想になる。もっと立派な病気なら、胸張ってられたろうにと。

手首は切っても余り楽しくありません。何故か? 皆やってるから。アムカもつまりません。死ねないから

首切りしかありません。でも場所を選ばないと大変です。
途中で発見されると、自賠責で治療費保健なし実費の二倍取られます。要注意です。
それに、自宅でやると、貸家ならいいですが、持ち家だと困ります、遺族が。
だって自殺現場の不動産なんて、売れませんもの

コンビニやファミレスのトイレでやるのも非常に迷惑です。後で遺族が損害賠償責任を負います。失敗したときも人目が多いから、とってもこっ恥ずかしいです
止めましょう。

すると、自殺が出来なくなります。場所が無いので。もしものすごく憎たらしい人がいたら、その人の自宅の玄関先でやると、効果大です。とてもいぃ復讐になります。この場合は、出来たらとびきりド派手にやりましょう。

我が身を犠牲にしての復讐だと、世間から同情がかえます。加えて相手のダメージもでかいです。遺族も被害者面が出来ます。
一番お勧めの方法。

ネットで練炭心中は止めましょう。二番どころか百番煎じの出がらしで、ちっとも楽しくありません。どうせなら、アッといわせるやり方でやりましょう。

は止まらない。
自傷行為願望は膨れ上がる一方。
こんな日は、目一杯、睡眠薬かダチュラか金が有ればセンヴンスヘヴンなどオーバードラッグして、昏睡状態に入りましょう。

それがまあ、その場凌ぎの最も簡単廉価無害な、抗欝対策です。

イラクでは民間人の犠牲者が三万九千人を数えた。ロンドンなど可愛いもの、とはいえないな。
皆それぞれ辛いのよ。

でもちょっといい気分。

シルクネグリジェがお客様よりアメリカから届きましたの。
昼間から浮かれました。超ミラクル激ダイナマイツ欝が、ちょっぴり超激ダイナマイツ欝に減りました。

昨日は正午くらいからてきた。

熱いです。蒸します。黄色い有色人は、日焼けが気になります。

でももっと気になるのが、二段腹と二段尻。いえ、他人のが、です。

幸いわたしは161センチ42~3キロと、スリムを保っています。
ただ、他人のデブが滅茶苦茶嫌いなのです。
デブ税を徴収すべきです喫煙より生活習慣病のほうが余程保健費を圧迫しています。

デブを排除すべきです、デブは罪です、デブは小さく生きるべきです、汗掻いた巨体をプルプル震わせてわたしに近寄るな!!!!です。

言いたいのはそれだけ。


死なれたら悲しい」とか「死なれたら育ててくれる人がいなくなる」とか、そういう理由なら自殺をやめさせたくなるかもしれない。

しかし、「自殺は生けるものとして、してはならぬ行動だ」とか「自殺は犯罪だ」と言う方々の意見が理解できない。

自殺が悪なのは、宗教絡みな意見? 例えば道端で知らない人が自殺しようとしているのを見かけたら、どうする?

わたしは止めない。しかし止める人もいると思う、結構。

其れはわたしたちが、生死のうちの生の陣営に属しているからだ。自分とは違う世界に行こうとしているから、拒否反応を覚えるのだ。

一緒にA塾に通とはいる友達が、B塾に行くと言ったとき、B塾がどうかよく知らなくても(実際良くても)、なんとなく止めたくなるのと同じだと思う。

わたしもはっきりと悪だと決め付けてはいないので、一寸微妙なのだが、ここではあえて。

死ぬとは全てを投げ出す最悪の行為だと表現する事ができる。
宗教を排除して考えてみた。何故悪なのか?

それは全てを否定する行為だからだ。今まで自分に与えられた、どんなちっぽけなものでも好意とか愛情とか何かはあったはずだ。
それの全てが無駄だったと決め付ける行為になるのだ。
人の好意を無にする行動。これだけで悪とはいえないだろうか?

ちなみに自爆テロは嫌いだ。ああいうのをする人こそ、他人をまきこまず、さっさと一人でこっそりと死んでくれ。
わたしは止めない。

しかしならば、自然死は無駄にはならないのなのか?
自然死と自殺の違いが分からない。
人の好意を無にする行動が悪なのか。
好意に報いてからならOKなのか。

好意を与える人は見返りを求めている人ということではないのか? あなたは今までに与えられた好意、愛情を全て憶えていないよね? 義理を感じて生きなさいと、強制されるのは何故か?

そもそも何故善悪を決めねばならないのか。
カウンセラーが言うからだ。
自殺は悪い」と。
カウンセラーとの戦いは続く。


自殺は悪か?

わたしが思うに単純に迷惑だからだ。

親族としては非常に当人が死ぬことでショックを受ける。それで体調を崩したり、心因性の病気にかかったりする。学校、会社には不名誉がかかる十年単位で就職やネームバリューに悪影響を与える。それを目撃し、処理しなければいけない人は大変気分が悪いだろう。

血を噴き出しまくって、あんたの部屋の中で死ぬよと言われたら、別の場所を紹介するとは意味で止めるかもしれないが、それは自殺に限らない。

わたしのような人間は死んでも迷惑掛からないな。迷惑をかけなければ自殺は全然構わないのだ。

だがやはり迷惑だ。後始末もあるし、自殺しようと思うくらいなら、アフガンに行き地雷除去をしながら五体ばらばらに飛び散らして派手に死んで欲しいし、自分もそうしたい。迷惑と利益を天秤に掛ければ、わたしの場合、地雷除去のほうが重みがある

自殺は、本人や関係のない第三者には、特に問題の無いものだが、例えば友人や家族は、自殺させてしまった、と言う一生モノの心の傷を負い続けなくてはいけない

そして死体と生前の道具類を片さねばならない人が必ず出てくる。

これは実体験からして、非常に辛くて嫌な労働だ。
自殺した部屋は捨て値同然で貸し出しされてる(いわく付き物件として)。それなら、と樹海や断崖で自殺する人もいるが、観光地だと風評被害などで地価が下がってしまうことがありうる

周囲全部をを精神的金銭的に苦しめるのが悪でなくて一体何なのか、むしろ聞きたくなってきた。訊かれていたのだが……。

まあ、搾取する側(支配者)からすれば究極の脅迫手段を失うので(カモに死なれるのは)是非とも避けたいところだ。

時と場所を選ばない自殺は迷惑だから悪だ。

飛び降り自殺は血で道が汚れるし、人にぶつかるかもしれない
死体を片付けないといけない。
首吊り自殺は発見者が嫌な気分になるし、此れもまた、死体を片付けが面倒だ。首吊り死体は汚い。糞尿塗れで重たい
電車への飛び込み、焼身自殺なんてもってのほかだ。周りの被害を考えてくれ。

誰にも一切迷惑をかけない方法で自殺するなら、悪ではないだろうが基本的にやはり迷惑なのだ。


自死に付いて考える。

他の人が生きたくても生き延びられない。だから生きていられるだけであんたは幸せだ!!!と、よくよく言われる。

明らかに幸せに生きている人間の、第三者的な意見だ。

極論、此れはあくまで極論だけど、確かにつよく頑張ってる人がいるが、TVで観る限り、何故だか恵まれている。人的、物的、経済的に。
でなければ、呑気に車椅子マラソンやら車椅子バスケやら油彩の道具そろえて没頭なんて、できるはず無い。
もし、そう言う人が強く生きようとしてもいるであろう意識はそのままで、他者に五官を潰され、四肢をもがれ、激痛が一生消えない身体に急にされたら、どうなのか。

自分はどれだけ苦しくても、他人に迷惑をかけていても、世界を観て、比べて、生き延びなくてはならないか。

他者と比べて自殺者を救おう何ていうのは完全に間違いだ。

自殺が悪だなんて誰も思ってないのだ。自殺未遂したら刑務所に入れられるか
自殺した人の家族が法で罰せられるか? そんなことはないだろう。

けれども、自殺が、逃げ、の手段として使われていることが問題であるという見方から、社会規範として自殺を否定する風潮があったほうが、秩序が保たれる

誰も死後の世界を知らないわけなのから、この世のしがらみに耐え切れずの自殺が増加している現代において、自殺を肯定することは危険だ。
誰しも自暴自棄になることはある。
しかしその一瞬の感情の高ぶり状態下で、自殺という選択肢が平然と転がる状況は、あまり好ましくないだろう。

とは言とはってもわたしも自殺肯定派だ。
生きる、死ぬという択問題をちゃんと考えた上で生きるなら生きる、死ぬなら死ぬを選び取とって欲しい。
なんとなく生きているやつが多いからこそ、イマイチ面白くない世界な気がする。

取り返しのつかない」とは何なのか? 「時間」を過ごしてきて、過ぎた時間の中の行為を訂正できた事があるか? 

やり直せるとか乗り切れるとかいう状態じゃない場合、人は壊れるのではないなのか。
あまりに恐ろしい、痛い、悲しい目に遭った場合、気絶したり、気を失ったり、精神が崩れたりするのと同じようにあまりの状況に死んでしまう、自殺してしまう。
これのどこが悪なのか。苦痛、虚しさの果てなだけ、苦しんできた人を愚かだと言うのか

安易に言わないでくれ、自殺は悪だ、生きろ、死ぬな、お前は幸せなのだ、なんて!

Sunday, May 21, 2006

暴力

1、社会の役割

社会は外傷的事件をまず正確に認知・評価し、次に誰に責任があるかを確定し、其の責任を問わなければならない。
この二つは被害者の秩序感覚と正義感覚を回復させるのに欠かせない。

帰還兵の社会的認知について。
帰国する兵士は、自分たちが故国でどのような評価をされるのかに非常に敏感だ。自分たちの体験を忘れ去られる事を恐れ、認めてもらいたがる。が、どのような記念碑や祝典も彼らを満たす事はない。平和な故国では戦争の真実がセンチメンタルに歪められているからだ。

ベトナム戦争は、社会的に認められなかった戦争の最たる例だ。反戦感情を押さえるため、兵士を市民から隔離し、兵士間の連絡も取らせない政策が取られた結果、ベトナムに行った兵士たちは大きな傷を負い、帰国して公衆の批判と排斥に曝され、二度目の傷を負った。

ワシントンにあるベトナム戦争記念碑は、帰還兵の回復に最も貢献している公共のものだ。
戦争のヒロイズムを称える他の戦争記念碑と異なり、この碑は秘蹟の場となり、巡礼の場となった。

2、性的、家庭内暴力の社会的認知
市民生活に於いて、認知と修復の公的な場となるのは刑事裁判システムだ。が、しかし、性的暴力、家庭内暴力というケースでは立ち入り禁止、に近い状態だ。
強姦罪を構成する与件として。
加害者が非常に物理的な力、つまり暴力を行使した場合、この与件を満たす力は、通常、女性を恐怖に陥れるのに十分な力を、遥かに超えている
(事実に即していない。机上の空論
社会的に接近しがたい部類の女性を襲った場合、社会的関係が濃厚であれば許容される範囲も広くなる。

他人がレイプするとレイプだと認められるが、知人がレイプすると認められない。
レイプの犯人は知人、あるいは緊密な関係にある人間であるケースがほとんどだから、レイプの大部分は法的にレイプと認められない。
裁判が更なる外傷を引き起こす事がしばしばだ。
法体系はレイプ被害者にとって敵対的になっている.。

結果として、公的機関に通報したり告訴する割合は非常に低くく、レイプ被害者のための記念碑は存在しない。
          ↓
したがって、レイプ被害者の自己の再建は、療という仕事の場に求められなければならない.。
尤も、良く回復した人達というのは、個人の身に降りかかった悲劇という枠を越えて、自らの体験に何らかの意味を見出した人たちだ。
彼女達は、レイプ反対運動に参加し、ボランティアのカウンセラーを勤め、被害者の弁護を行い、法律改正のための活動をして、生きた記念碑になりつつある。

3、監禁状態
反復性外傷は、犠牲者が加害者の監視下にあって逃走できない被監禁者だ。場合に限って生じる。

婦女子が家庭内で監禁状態にある場合は外部の目には映らない。
家庭内監禁に於いては、被害者の逃走を防ぐ障壁は物理的なものではないが、極めて強力だ。

子供達や、一人で生きてゆけないために逃げ出すことが出来ない女性は、物理的な力と並んで経済的、社会的、心理的、法的従属によって、監禁状態に置かれることになる
監禁状態は加害者と被害者を長期間接触させ、特別なタイプの関係を作り出す。

加害者は見掛け上は正常であり、自分の暴君的行動が許容、感化、賛嘆されるような状況を選ぶ。其れがカモフラージュとなる。

加害者の最初の目的は、被害者の奴隷化だ。。ただ単に言うことをきくだけでは満足せず、自分の犯罪を正当化したいという心理的欲求があるらしい。
そして、加害者は被害者の肯定(尊敬・感謝・愛情の表明)を求める。
加害者の最終的な目的は、自発的な被害者を作り出すことらしい。

心理学的支配として、自分以外の人間の完全な心理的コントロールを確立する方法を用いる。
無力化と断絶化を組織的に用いて、心的外傷を繰り返し加えて痛めつける。
恐怖と孤立無援感を注入し、被害者の他者との関係に於ける自己を破砕する。

支配の過程に於ける恐怖とは?
暴力を用いる必要のない場合が多い。殺すぞ、痛めつけるぞ、という脅しの方がはるかに多く用いられる。

被害者本人でなく、身内などへの脅しを見せつけることにも効力がある。

規則性が無く、予見できない形で、暴力を爆発させたり、どうでもよい細かな規則を、気紛れに強制したりすると、恐怖は増大する。

被害者は、自分の生死が絶対の服従によって、加害者の歓心を買えるかどうかに掛かっていることを思い知る。

もう少しで殺されるはずだったが、最後の瞬間に免れた、と何度も思わせられて、加害者が命の恩人だ。という錯覚に陥ってしまう。

4、自立性の感覚を粉砕。
被害者の身体と其の働きを、細々と詮索した上で、此れを支配し、食事、睡眠、トイレ、服装などを監督し指示する。
→被害者に恥辱感を与え、士気を砕く。
女性の被害者に対しては、性的脅迫、性的暴行を身体の支配に用いる。

些細な恩恵の供与
加害者が一旦、被害者の身体を日々支配することを確立すると、些細な楽しみを気まぐれに与える方が、より効果的に被害者の心理的抵抗を空洞化する。
些細な楽しみ、食事を貰える、入浴させて貰える、優しい言葉等。

家庭内暴力においては被害者の逃亡が不可能ではないので、恩恵の供与という方法が洗練されている。
加害者は弁解や愛情の表現をし、悔い改めると約束するなどして、戻ってきて欲しいと説得し、被害者の心に訴える。この和解期、が被殴打者だ。女性の心理的抵抗を砕く決定的な一歩となる。

被害者の抵抗として、細々とした要求と恩恵を共に拒絶する。

極限的な抵抗としてのハンガー・ストライキ、つまり、監禁者が要求する以上の剥奪状態に自発的に身をゆだねるので、捕囚は自己の不可侵性と自己支配の感覚を再確認する。
宗教的断食の維持、ナチの強制収容所における、ユダヤの祭日の断食も然りだ。

5、コミュニケーションの遮断(孤立化)。
被害者を他の一切の情報源、物質的援助、感情的支持から遮断する。

家庭内暴力に於いては、尾行、盗聴、書簡の差し押さえ、電話の遮断、仕事を辞めるよう、友人、実家と縁を断つよう求める。
被害者を他の人々から孤立させるだけでなく、彼らとのつながりの内的イメージを破壊し、被害者の彼らへの愛着心を破壊する。
手紙、写真など、象徴的な意味が大きいものをなくさせようとする。

→被害者はささやかで象徴的な譲歩をしていると、自分に言い聞かせてしまう。
そうするうちに、他の人達との繋がりは、目に見えないほど、ゆっくりと破壊されてゆく。

6、被害者の抵抗。
問題が外部世界との繋がりを保つかどうかに掛かっているときは、小さな譲歩などあり得ず、外の世界とのコミュニケーションを執拗に維持する。

愛する人達のイメージを、意図的に心の中に甦らせようとする。

外部に繋がっている、物質的な印を残しておくために闘う。移行対象、シンボル的なものだ。

7、加害者への依存関係。
被害者は孤立してゆくにつれて、情報を得るためや自分の感情を生かしておくために益々加害者に依存的になる。

被害者は怖れ・脅えが酷いほど、許されている唯一の人間関係、加害者との関係にしがみつきたい誘惑に駆られる。

被害者はどうしても、其の内に、加害者の眼を通して世界を眺めるようになる。
人質と誘拐犯の愛着関係。解放後の人質が誘拐犯の大義を擁護し、獄中の犯人を援助することはよくある。

家庭内暴力に於いて、被殴打女性と加害男性の関係の根底には、独自の愛着関係がある。
女性は初め、相手の自分に対する所有への執着は、熱愛の証拠だと解釈する。
相手が次第に支配的になると、自分の行動を止めてしまう。
其れは怖いからだけでなく、相手が何から何まで世話してくれるからだ。

この場合情緒的依存が生まれてくるのに抵抗するためには、自分の置かれている状況を、加害者の信条体系とは積極的に相違させた、新たな独立した眼で見なければならない。

感情移入を作り出さないようにするだけでは足りず、既に感じている好意を抑圧しなければならない。

もう一つ犠牲をしてくれたら暴力を止める、と説得されても受け入れてはならない。
大多数の女性は、人間関係を維持する自分の度量の広さに、自尊心と自己評価とを置いているから、殴打加害者は被害者の其の価値観に訴えることによって、相手を罠に陥れてしまう。
被殴打女性が折角虐待者から逃れようとしていたのに、戻ってしまうことがあるのはこのためだ。

8、全面降伏

被害者の心理的支配の最終段階は、被害者が自らの倫理的原則を自らの手で侵犯し、自らの基本的な人間的繋がりを、裏切るようにさせて初めて完了する。
→屈服した被害者は自己を嫌悪し憎悪するようになる。

家庭内暴力に於いては、倫理原則の侵犯。
つまり、屈辱的な性行動を強要される、夫のしている不正に協力させられる、など。
人間関係への裏切り、子供達への虐待に加担するなど。

全面降伏への二段階として。
第一段階は、被害者が生き延びるために己の内的自立、世界観、道徳律、他者への繋がりを犠牲にするものだった。

感情、思考、イニシアティヴ、判断を遮断する.。
人間でない生命形態に退化したと感じる。(植物など)
この段階は可逆的であり、屈従期・積極的抵抗期はしばしば交代する。

第二段階(最終段階)では生きる意志を失う。
絶対的受身の態度になる。(食べ物を探そうとも暖をとろうともせず、殴られるのを避けようともしない。生きながらの死者。(ナチの絶滅収容所))

自殺を考えることは、生きる意志を失うこととは違う.。
極限状況に於いては、自殺への意志は抵抗と自尊の証であり、被害者の内的支配感を保存してくれる。

ハンガー・ストライキの場合と同じく、捕囚はいつでも死ぬぞという姿勢によって、己の不屈さを確認する。

9、児童虐待
ダブルシンクについて。
被虐待児は虐待を受けているという現実を否定する。
其の手段として、解離状態を誘発する。

被虐待児が抱える発達論的、実存的課題。
被虐待児の発達論的課題は深刻なジレンマに陥る。

発達論的課題。
ケアテーカー(両親)に対する一次的愛着の形成。
他者との関係における基本的信頼と安全の感覚の育成。
身体の自己制御の自在性を発達させる。
自分を慰める能力を発達させる。
イニシアティヴをとる能力を育てる。
他者と親密な関係を育てる能力を育てる。

此れ等のことを虐待的環境、つまり恐怖、孤立無援、虐待者への服従のもとで達成するのは困難だ。
被虐待児の実存的課題もまた、ジレンマに陥る.。

実存的課題として。
希望と意味を日々持ち続ける。
両親への信頼と誠実とを保ち続ける。

被虐待児は両親への信頼と誠実を保つために、両親は間違っているという明白な結論を、現実離れした手段によって、撤回しなければならなくなる。

被虐待児は、両親が虐待者、或いは自分に無関心だ。
にも拘らず、両親に対して、飽くまで一次的愛着を保とうとし、其のために様々な心理的防衛手段に訴える。

虐待を意識と記憶から隔てて、実際にはなかったことにすることもある。
虐待を極小化、合理化し、何が起こっても其れは虐待ではなかったことにする、つまり、現実を実際に変えることはできないので、心の中で変えてしまうのだ。

10、解離状態、トランス状態とは?

被虐待児は虐待されているという事実を自分自身からも隠蔽しようとする。
其のために様々な種類の解離反応を用いることもある。
被虐待児の解離状態を誘発する能力は、至芸の域に達する。

烈しい疼痛を無視する。
記憶を複雑な健忘の襞に隠す。
時間、場所、感覚を変える。
幻覚あるいは憑依状態を誘発する。

此れらの意識の変化の多くは自動的となり、自分の意志とは無関係に起こるようになる。

解離から多重人格へ。
ごく幼少期に長期間虐待を受けたような場合には、被虐待児は複数の其れぞれ別個の断片的人格を形成し、其れが人格構造の基本原理となってしまう.。

別個の人格とは、其れぞれが、独立した 名前、心の働き、記憶を持つ。
もう一人の自分、虐待を知っている自分と、何も知らない自分とをだ。

虐待と其れへの対処戦略をともに通常意識の外に置くことによって、虐待には有効に対処できるようになる。

11、二重の自己(ダブル・セルフ)
被虐待児は両親の虐待を正当化するために自分を悪い子、とみなす。其の一方で、両親の歓心を買おうと表面上はいい子、を演じ続ける.。

自己非難 自分の所為、悪い子、と言う規定。
被虐待児の全員が解離能力を持っている訳ではなく、また解離能力を持っていても、いつでもこの能力に頼れる訳ではない。

虐待という現実が回避不可能になると、被虐待児は虐待を正当化しなければならなくなる。
→自分は生まれつき悪い子で、其れが虐待の原因なのだと結論する。
このように考えることで、意味と希望と力の感覚を保全できる。
両親はいい親だ、自分が何とか努力していい子になったら虐待はなくなる、と。

幼年期に於いては自己があらゆる事件の引照基準点だ。
なので自己非難は、幼年時代の正常な思考形式と両立する。

自己非難の強化。
両親も虐待を子どもの所為にする。
何かよくないことがあればみな子どもの所為にしたり、生まれる前から愛されないよう決まっていたという、家族伝説を作りもする。

12、被虐待児は葛藤解決の言語的・社交的スキルを欠いていることがよくあり、また相手の敵意を予期してしまうために、怒りっぽく攻撃的だ。
其の攻撃性を虐待者に向けるのは危険なので他の人に向けてしまう。
→被虐待児は自分の心は悪いのだという確信を持つ。

被虐待状況が生む僅かな快楽も、虐待の責任が自分にあることの証明となる。性的快感、虐待者に注目される喜び、何か得るため虐待者との取引に応じる等。

被虐待児の悪い子、意識は、他の人への虐待に共謀するように強要される場合には複雑微妙に加重される。被虐待児は共謀に抵抗するが、誰かを犠牲にして自分は虐待を逃れる手段を見つけた場合、其れを選んでしまう。

組織による性的搾取においては、入門儀式として必ず他の子どもへの虐待に加担させる。

汚れた、非人間という自己規定。
こうして虐待者の罪の責任を引き受けてしまった被虐待児は、自分のことを嫌悪し、自分を人間でない生物だという。
例えば魔女、吸血鬼、インバイ、犬、ドブネズミ、ヘびだ。自分の内的感覚を語るのに、排泄物や汚水のイメージを使う。

此れら、自分=悪という自己規定によって、被虐待児は両親への一次的愛着を維持する。此れによって両親との関係を保てたのだから、この自己規定は被虐待児が成人となり虐待が終わった後にも続き、人格構造の不変の部分となってしまう。

13、ニセモノの自己、いい子

被虐待児は、両親から好意の目で見られたいという渇望のために、しばしば完璧にいい子、を演じる。求められることは何でもこなそうとし、学業や仕事にはげむ。

しかし被虐待児は、自分の演じる自己は真の自己ではなくニセの自己だという感覚を持つ。其のため、いい子、の結果として成人になった後に社会的な成功を収めたとしても、其れは自己の達成とはならない。

もし誰かに褒められることがあっても、真の自己(悪い子、)のことは誰も分かってくれないとの確信を持つだけだ。
そして真の自己を知られたら、悪者として排斥されるだろうと考える。

肯定的な自己規定を得る被虐待児。
被虐待児が自分への虐待を宗教的に理解した場合、比較的肯定的な自己規定を得ることがある。しかし其の陰には極度の自己犠牲がある.。
例:近親姦において自分をいけにえに選ばれた処女だ。と解釈

自己の内的イメージの統合の失敗。
低められた自己(両親への一次的愛着のために規定された自己 悪い子、)
高められた自己(演じられたニセの自己 いい子、)

この矛盾した二つの自己規定は統合不可能だ。。被虐待児は、"長所と短所をほどほどに持つひとまとまりの自己イメージ"を育てることが出来ず、硬直的で誇張されて分裂した自己イメージを持ち続ける

極端な場合には、このような自己イメージは解離されたもう一人の自分、人格の巣となる。

14、他者の内的イメージの統合の失敗

被虐待児は、両親への信頼と忠誠を保とうという絶望的な試みの中で、少なくとも父母どちらかのイメージを極めて理想化する。虐待する親の方を理想化することが多く、この場合自分の怒りをすべて虐待しない方の親に向ける。

虐待者の方も子どものこの理想化を促進しようとして、家族みんなに自分の偏執的・誇大的な信条体系を叩き込むことがある。そして理想化された自分のイメージを植え付ける。

しかし被虐待児は、理想化された両親像と、虐待する(其れを座視する)現実の両親とを統合できない。
→被虐待児が抱く両親の内的イメージは自己の其れと同様に矛盾に満ち、分裂したものとなる。

自立性の感覚の欠如

正常な発達においては信頼でき、安心して依存できるケアテーカー(両親)、という内的イメージをつくることによって、安全確実な自己の自立性の感覚を得る。しかし被虐待児の場合其れは阻害される。
因って、被虐待児は外部からの慰めや快感に依存的になり、誰かまわず依存する相手を探し求める。
初対面の人に直ぐにも愛着してしまったり、虐待者になったり、両親にしつこくしがみついたりする。

15、人格分裂

自己の内的イメージの分裂は、アイデンティティを一つに統合することを妨げる。
他者の内的イメージの分裂は、人間関係の中で自分が独立しているという安心できる感覚が育つのを妨げる。

このように意識が分裂すれば、知覚、記憶、感情状態、身体的経験の正常な統合もできなくなる。
そして、被虐待児の人格構造の基本原理は、人格の分裂ということになる。

被虐待児の人格分裂はフロイトやジャネの時代からずっと観察されてきており、さまざまに形容されてきた。アトム化、、精神断片化作戦など。

16、身体への攻撃

児童虐待という状況下では子どもの心に意識の歪み、個人化、自己規定の歪み、が起こる。此れは希望と人間関係を保存する目的のためだが、適応の課題を果たすのに十分なものとはなっていない.。

一、身体の生理的コントロールの破綻。
生物学的基本機能、睡眠、覚醒、食事、排泄を、安全で整合的な心地よいやり方で、制御することができない。
睡眠により、愛情の注がれる心地良いとき、ではなく恐怖のとき、だ。
食事も、心地よい楽しみのとき、ではなく恐怖、嘔吐、暴力のとき、になる。

混沌化または過剰なコントロール。
睡眠障害、摂食障害、胃腸に関する愁訴が挙げられる。

二、 感情のコントロールの破綻。
恐怖・怒り・悲しみは、一つに融合し、ディスフォリア(混乱、昂奮、焦ら立ち、空虚感、完全なる孤立感の入り混じった状態)に陥り、居ても立ってもいられないイライラ、自分が何が何だか分からない、と言った破綻が起こる。

17、慢性被虐待児の感情スペクトル
極限は、恐慌、狂乱、絶望を誘発し、不安とディスフォリア、つまり、落ち着いていられない、状態に陥る。

空無化恐慌、annihilation panic。
解離が行き過ぎて他の人々との繋がりが完全に切れた感じになること。見捨てるぞという脅しに対して反応して起こる。
此れは通常の自己慰籍法では消滅させられないので、病的な自己慰籍行為に及ぶことになる。

病的自己慰籍行為、自己破壊。
自傷行為、浣腸、嘔吐、脅迫的性行動、脅迫的冒険(危険に身を曝す)、精神変化薬の使用などだ。

自律神経系の超限的興奮を起こすことで、感情状態を一時的に変化させることができる。此れを利用して慢性的ディスフォリアを根絶し、上機嫌と幸福の状態をかきたてようとする。喩え其れが一時的なものであったとしても、である。

自傷行為
病的慰籍行為の中で最も人目を惹くもの。
他人を操作するために行うのではない。
思春期以前から長年こっそり行われている。
自殺の真似ではない。自己保存行為だ。
深い解離状態から自傷行為へ、そして安堵感に浸る。
身体の痛みの方が心の痛みよりずっとましなのでこの置き換えが行われる。

三つの適応形態。
解離的防衛機制の開発、断片的自己規定の発達、感情状態の病的制御。
此れらは虐待的環境の中で子どもが生き延びるのに貢献するが、同時に虐待の隠蔽にも貢献する。

18、子どもが成人すると

成人になれば、という被虐待児の希望はあるが、しかし人格途上の被害は、成人生活への適応を妨げる.。
リチャード・ローズの表現反復は被虐待児の語らざる言語だ。
被害経験者の親密関係のパターンとして。
理想的人物への恋着から、現実の幻滅、そして過去の体験が蘇る。
強烈な不安、抑鬱、怒りという、極端な対人的不安定に揺さぶられることになる。

成人になった被虐待児の対人的脆弱性。
此れは、被虐待の再演の準備 であり、被虐待児は成人になって、再び虐待を受ける確率が高い。

被幼児虐待者の証言。
まるで自己実現性予言でした。
暴力を予期しつつ人生をスタートさせ、幼い時に暴力と愛とをイクォールとみなすとしましょう。
わたしはレイプを六回受けました。
わたしは家出をしたり、ヒッチハイクをしたり、したたかに酒を煽ったりしました。
そういうこと全部が組み合わさって、わたしは目につきやすく射止めやすい標的になったのです。
全く酷いものでした。
おかしいのは、わたしははじめレイピスト達は、わたしを殺すに違いないと思ったのですが、其れはわたしを生かしておいたら、奴らはどうして罪を逃れられるだろうかと思ったからです。
とうとう分かりました。
奴らには、全然心配することなどなかったのです。
わたしのほうから、してくれ、と頼んだと言うことになって、全くお咎めなしなんですね、
しかし、彼女らが被虐待に快を求めるようになっているというのは誤解だ。
むしろ自分を低めたかった。
わたしは自分に身体的虐待を加えるのが好きです。
其れをさせるためにお金を払うのも、好きだからです。
しかし、わたしは自分で其れを支配し制御していたいのです。
一時期、わたしが酔っぱらっていた時期、わたしはバーに行っては、目についた一番汚れた、オエッとなるような男を拾ってセックスをしました。
自分を低めたかったのです。
今はもうそんなことはしていませんけれど。

多いのは虐待者にノー、といえない受け身性だ。
虐待者をケアする側にまわることさえある
解離によって危険を告げる社会的なキューを認知しにくくなる
児童期虐待経験者は、
少数なら、虐待者にまわる。(加害者に転化する者も少数はある)
多数なら、自己破壊に傾く。
自分の子を虐待することを恐れて心を砕く者の方が多い。
外傷はジェンダー・ステロタイプを増幅する(特に男子)。
児童期の防衛機制が成人の対人関係を妨げる
特に二重思考、二重自己がそうだ。

この防衛機制が崩れると、人格の断片化が顕在化する。
離婚、子どもの誕生、親の病気や死が其のきっかけとなりやすい。
この解体が起こる時はありとあらゆる精神科的障害そっくりの症状をとりうる。

19、新しい診断名を提案する、精神科患者としての被害経験者。

虐待経験者の多彩な症状、間違った診断が、問題になる。
精神科を訪れる被害経験者は極一部だ。
しかし精神科患者の多くは児童虐待経験者だ。
入院患者の五十~六十%、外来患者の四十~六十%、精神科救急部の患者の七十%がそうだ。

児童期虐待経験者の症状は実に多彩だ。
身体化、抑鬱、一般的不安、恐怖症的不安、対人関係過敏性、パラノイア及びサイコチシズム、不眠、性的機能障害、解離、憤怒、自殺傾向、自傷、薬物嗜癖、アルコール症。
このリストは幾らでも長くできる。
虐待経験者が援助を求めてくるのは、其の多数の症状のためか、対人関係の困難のためだ。

患者も治療者も、現在訴えている症状と、慢性外傷の既往との繋がりに気付かない。
虐待経験者も、其れ以外の外傷受傷者も、しばしば誤診され、間違った治療、バラバラで中途半端な治療をされている。
そして、ケア提供者によってもう一度被害を受けることになりやすい。

20、虐待経験者に特につけられやすい病名は、身体化障害、境界性人格障害、多重人格障害だ。

此れらの診断を受けた患者に、ケア提供者はマイナスイメージを抱く。
信憑性が怪しい、人を振り回す、仮病を使う、嫌な奴など。
最も酷いのが境界性人格障害で、この言葉は高級な学問の装いの下で人を中傷する言葉に過ぎない。
虐待経験者は、しばしばこの三つの障害を重複して診断されたり、此れ以外に追加病名をたくさん与えられたりする。

此れら三つの障害と、解離、対人関係、自己イメージについて。
多重人格障害の人は非常な解離能力をもっていて、分裂病症状と誤認されかねない。境界性人格障害の患者も高度の解離症状があり、身体化障害の患者には高度の被催眠性と心因性健忘とがある。

此れら三つの障害は、親密関係に於いて特有の困難をもつ。
文献がもっとも多いのは境界性人格障害だ。
境界性人格障害の人は、独りでいることへの耐性が極めて低いが、同時に他者に対する警戒心を極度に持っている。

見捨てられることも支配されることも、思っただけでぞっとする。
しがみつきと引き篭もりの両極の間、形振り構わぬ、屈従と狂乱的反抗との両極の間を揺れ動く。
ケア提供者を理想化して特別の、関係を結び、通常の対人的境界がなくなってしまう。

21、多重人格障害の患者にも、不安定な対人関係が見られる。

解離されている交代、人格によって、極めて矛盾した関係の持ち方のパターンが現れる。
身体化障害の患者にも親密関係の困難がある。
自己同一性形成の障害も境界性人格障害および多重人格障害の患者につきものだ。
自己が断裂し、解離された複数の交代人格となることが多重人格障害の核心だ。
境界性人格障害の人でも、自己の内的イメージは善と悪との両極に分裂している。

この三障害の共通点は、児童期の外傷に起源があるということだ。
多重人格障害の場合に児童期外傷の既往が病因となっていることは確定済だ。

境界性人格障害の場合も、多くが重症の児童期外傷の既往があり、虐待の開始が早いほど、また烈しいほど、発症する確率が高くなる。

身体化障害と児童期外傷との繋がりは、現在までのところ証拠不完全だ。

十九世紀にブリケがこの障害の患者を観察して、其の三分の一以上に虐待などの外傷体験があったとして以来、一世紀の空白があり、身体化障害と児童期外傷とのつながりの研究は最近再開されたばかりだ。

以上三つの障害を、最も適切に理解する道は、其れぞれを複雑性PTSDの一種として、其れぞれの個性は外傷的環境への適応の一つの形式に由来したものと解することではあるまいか。
PTSDの生理神経症=身体化障害
変性意識=多重人格障害
同一性と対人関係の障害=境界性人格障害

児童期外傷の既往という光で見れば、三つの障害の特徴の多くがより理解できるものとなり、被害経験者が自分で納得するようになる。困難を自己、の生まれながらの欠陥のせいにする必要はなくなる。
児童期外傷の役割を理解すると、治療のあらゆる面にヒントが得られ、協力的な治療同盟の基盤が与えられる。
被害者の反応が正当なものであり、しかし現在は適応的でないことを認識させてくれる。

治療関係に於ける外傷の再演の危険を防ぐ最高の保障となる.。
無数の間違った診断をさんざん積み重ねられ、無数の無効な治療にさんざん悩まされてから、遂に其の心理的問題の起源は、其の重い児童期虐待にあることに気付いた三人の被害経験者の話が、最後に挙げられている。

22、治癒的関係とは?

心的外傷体験の中核は無力化(disempowerment)で、離断(disconnection)である。
回復の基礎は有力化(empowerment)であり、他者との新しい結びつきを創る
回復は孤立状態では起こらない。
次のような心的能力を、他者との関係の中で創り直さなければならない.。

基本的信頼を創る能力、自己決定を行う能力、積極的にことを始める能力、新しい事態に対処する能力、自己が何であるかを見定める能力、他者との親密関係を創る能力、だ。

回復の第一原則は有力化、パワーを与えることであり、生存者を回復の主体とし続けることだ。
学校で医学的治療モデルを習った人はこの原則の実践に困難を覚える人が少なくない。
しかしこの原則は此れまでにも広く認識されてきた。
カーディナーの自己統御権の奪回原則、スタークとアン・フリットクラフト 自己決定性と自己統御権の賦与、生存者と治療者との関係は人間関係の一つに過ぎず、唯一でも最善でもない。
しかし多くは、いつかは精神保険関係の援助を求めるようになる。

23、治療者のとるべき基本的な構え。
治療の目的はただ一つ、患者の回復を促進することだ。こと.。
権力の行使に関する契約。
治療者は力を乱用しようという、いかなる誘惑にも抵抗して、自分に与えられた力をただ患者の回復を育てるためにのみ、行使する責任がある、

個人的興味を持たず中立性を守るべきだ。
個人的興味を持たない、つまり、自分の個人的欲求の満足のために患者に対して、権力を行使することを、絶対にしないようにするということ。

中立的、即ち、患者の内面で葛藤しあっているものの、どれかの肩を持つことをせず、また患者の生活決定に直接指示もしないということ。
そして此れは、技術的中立性のことで、道徳的には断固犠牲者の側に立つ態度がなければならない

治療者には知的側面とエンパシー的側面とがなくてはならない
治療同盟は打ち砕かれた基本的信頼というマイナスを超えて双方の努力の暁にようやくつくられるものだ。
患者、治療者の双方がともに治療同盟の関係に入るまでに様々な困難が見込まれるのは当然だ。

24、外傷性転移

転移とは、患者、クライアントが治療者に対して抱く感情だ。
外傷性転移では、通常の転移でなく、境界性人格障害の場合がそっくり当て嵌まる。
そして、加害者が影の第三者として存在し介入する三者関係が作られる。
恐怖体験のみならず孤立無援体験は治療者を万能者と見立て、此れによって再体験の恐怖から守らせる.。

介護者に転置される怒りは屈辱と羞恥を交えたもので救援者を自己の位置に引きずりおろしたいとするものだ。

信頼感の損傷のために疑惑と不信とを抱いて治療者との関係に入る.。
治療者は自分の真実に耐えられないのではないか.。
耐えて聞こうとする治療者には下心があるのではないかと疑う.。
被害経験者が加害を招く中に治療が入っていることもある。
些細な治療者の態度に慢性外傷患者は其の被害経験によって深い意味を読み込む.。
患者の防衛的な構えによる誤解釈と其れに対する治療者の反応は虐待の再演になる.。

此れらが、医学的治療が端的な再演になる例として。
長期的虐待経験者は性的供与のみが価値ある贈与だと思い込みやすい。

其のため、患者が治療者の誠意を試みるために性関係を迫る場合も虐待の再演になる
多重人格障害においては其れぞれに下位人格の転移は別々であり、断片化され、動揺する。其れは、性的かつ敵対的な転移が必発に近い。

25、治療者のこのナルシシズム的な欲求を制御しなければ、治療関係は腐敗する。
あらゆる種類の境界侵犯、最終的には性的関係に至るものは、患者の救済への渇望と治療者の救済者としての、例外的才能という名のもとに合理化されてしまう。

患者の怒りと同一化する。

治療者は患者の怒りと同一化し、患者を無力化する行動をしてしまう。

患者の怒りを先取りして自分の方が怒り出してしまう。
其の怒りは加害者、傍観者、患者を理解できなかった此れまでの治療者や、世間一般にも向けられる。

または、同一化を介し患者の怒りの深さを認識して患者が怖くなり、患者の怒りに対して卑屈になる。

患者の悲しみと同一化する。

治療者は痛みに飲み込まれ、絶望の淵に沈む。
治療者がこの悲しみを担えるだけのサポートを得られなければ、患者の証人は果たせず、治療が行えない.。

患者の希望喪失感が伝染していると自覚することで立ち直らなければならない。

治療者は加害者の感じ方にも同一化する.。

加害者との同一化は様々な形をとりうる.。
患者の話への不信感、虐待の過小評価、合理化、患者の行動への反発と嫌悪、裁きやアラ探し、患者の孤立無援感への軽蔑、患者の怒りへの被害妄想的な恐怖、あからさまな憎悪や厄介払いしたいという気持ち、覗き魔的な興奮を覚え魅惑され、性欲の高まりを覚える。性的暴力に屈した女性患者の男性治療者にはよくある逆転移だ。

26、治療者は自分も悪事を働き加害者になり得るという事実に直面する.。

治療者は自分自身のサディスティックな感情から目を逸らさず其れと対決しなければならない。

治療者は傍観者とも同一化する。

この反応では目撃者の罪悪感、が最も普遍的で深刻だ。ホロコーストでは罪悪感が最も普通の逆転移反応となる。

罪悪感のために治療者は自分の私生活を楽しめなくなる。

治療者は自分の治療の熱意が足りないとか不十分だと厳しい判断を下して、無制限の献身に陥る。
治療関係において患者の人生に過剰な個人的責任を引き受けてしまい、患者を無力化してしまう。
職場などでも過度の責任を背負い込んでしまう危険がある。

罪悪感ということでは、患者に外傷の苦痛を再体験させてしまったという罪悪感を覚えることもある。→必要な治療が出来なくなってしまう。

27、複雑性PTSDを持つ患者の場合

治療者は当初外傷其のものよりも患者の損傷された対人関係様式の方に反応する.。
患者に外傷の過去があるのではないかという最初の予感はしばしば治療者の逆転移反応から来る。

治療者は、被虐待児の内面の混乱、悪夢、麻痺や知覚変容、離人感、非現実感、被影響体験、時に解離までも体験する。

加害者の気まぐれに対する患者の恐怖を反映し、治療者は患者に対する感情的応答が相応しくない奇妙なものになってしまう。宙釣り感といわれる。

逆転移の結果、時には治療者は患者の被害者とされてしまったと感じるところまで行く。

治療者は逆転移を通じて患者の体験を理解し、患者の内部世界における配役を突き止めるべきだ。この場合の役者達は患者が外傷を受けた過去の対人関係的環境を反映している。

外傷性転移反応も逆転移反応も避けることは出来ない。

患者、治療者双方の安全のために、患者と治療者との治療契約と、治療者に対するサポート・システムが必要だ。

28、再結合
自分自身と和解し、自分が主人公になる事.。
生存者の此れからの任務は〈 自分がなりたい人間になる 〉ということだ

わたしはわたし自身の持ち主だ。其れは確かだ。I know I have myself 、
回復の第三段階のシンボルマークだ.。

第三段階の過程において生存者は外傷の以前の時期、外傷体験自体、そして回復の時期を振り返って、そこから自分が最も高く評価する自分の面を改めて引き出す。

段階における構想力imaginationと空想力fantasyの鍛練の必要性。
理想的自己の再創造には imagination と fantagy を積極的に練磨する事が必要だ。
此れ以前の段階においては、生存者の fantagy生活を支配し占領しているものは外傷の繰り返しであり、またimaginationは孤立無縁であり何をしても無駄だという感じによって狭められていた。

被害者という狭いスタンスを去って、足を踏み出すには勇気が要る。
生存者が自分の恐怖に直面しなければならなかったのと同じように、あえて自分の願望を明確にしなければならない。

例:被殴打女性のための生活再建事業のガイドブック
あなたはずっとこう教わってきたかもしれない。
すなわちあれも此れも全部やって見たいと無論誰でもが思うけれども、ほんとに其れを手に入れられると思うのは青春期のうわごとだと。
あるいは成熟した人間というものは見栄えのしない人生に腰を据えて、手の中にある物だけで間に合わせてゆくものだと思い込んでおられるかも。

しかし、あなたが自分でちゃんとした理由を思いつくまでは、此れも、いや何でもリストからはずさないように。

29、主要治療課題、欲望と主動性inisiativeの発展を目指すこと。
この時点における治療課題の焦点は欲望とinisiative の発展を目指す事に置かれる。

治療的環境はfantagyが自由にはばたける庇護的空間を許容し、具体的行動に移し替える、テスト・グラウンドだ。

外傷によって作られた自己や自己規定の放棄。
自己自身の持ち主となる、つまり自己の主人公となるためには、しばしば外傷によって押しつけられた、自己の一部分を排除する必要が起こる。

生存者が犠牲者だ、という自己規定identitiyを捨てるにつれて、此れまでおおよそ自分の持ち前だと思ってきた自己の一部を放棄する事を選ぶようになっても不思議ではない。

この過程、外傷によって作られた自己や自己規定の放棄、は生存者の幻想能力imagination と自己規律能力とに対するチャレンジだ。

例:ある謹慎間被害者のサドマゾヒズムのシナリオに対する、反応の仕方を意識的に変える治療計画。
わたしは、其れはわたしのfantagyではない事を理解した。其れは虐待によってわたしに押しつけられたものだと。わたしはわたしのリプログラミングをやった。

30、自己との再結合と平生心になじむ、被害者人生の退屈さに気づく。
自分自身と再結合するにつれて、生存者の感じ方は穏やかになり、平生心をもって人生に対する事ができるようになる。人生が当たり前になる

外傷的環境の中で育てられ、正常な生活を生まれて始めて体験する人の場合、時にはこの平和な日々がかえって馴染めないものに思われるかもしれない。

しかし過去に於いては、生存者はしばしば普通の人生というものは、きっと退屈だろうと想像していたのに対して、今は被害者人生に退屈し、普通の人生の面白さに気づく心の準備が出来上がっている。

例:児童期性的虐待を受けた生存者。
わたしはスリル中毒。ひとつのスリルが終わるたびにわたしはがっかりする。(略)スリル欲求を手放してゆく事はわたしがわたし自身から乳離れしてゆく過程だった。わたしは裏表の無いさらりとした満足を本当に少しは味わえる地点に辿り着いた、

自分を許し、外傷性記憶に寛大になり、受容する。

自分自身の中で外傷的環境によって形成された面がどれかを認識し、其れを手放す、につれて、自分自身を赦すようになってゆく。

例:ポルノ女優
わたしは過去のリンダ・ラブレース(自分)を振り返ってみると、彼女の気持ちが分かる。彼女がした事をどうしてしたかが分かる。死ぬよりも生きている方がよいと思ったから、ああしたのだ。

31、外傷性体験におけるプラス面を発見する
適応に対する自分の潜在能力、解離という精神の並外れた能力について。
寧ろ此れを用いて、現在の生活を豊かにする術を、身につけようとする事さえあっても不思議ではない

被害者自己への共感と畏敬、と生存者自己への祝福、の合体。

自己の平凡さ、弱さ、限界、他者からの寄与の受容。

外傷を受けた被害者だ。自己への共感と畏敬とは、生存者だ。自己への祝福と合体してひとつになる→プライドの新生。

ただしこの自己讃嘆は被害者に見られる特別感とは異なる。

被害者の特別感 と自己嫌悪と無価値観との埋め合わせだ。其れは常に危く傷つきやすくいつも完全でなければ気が済まない。さらに、被害者というものの特別感には自分は他の人々とは別ものであり他の人々から孤立しているという感じが付きものだ.。

生存者 というものは自分の限界、自分の弱さ、自分の平凡さをあますところなく自覚している。しかしまた、自分は他の人々に繋がり、他の人々のお陰を受けている事も自覚している

例:被殴打女性の礼では、わたしはたっぷりと癒しと愛とを与えられた。わたしは其れを次の人に渡すすべを学びつつある。

32、他者と結合する

信頼能力の回復。
回復の第三段階ではすでに適切な信頼能力を取り戻している。
信頼できる場とできない場との見分けが可能になる。
自分は自分以外の人々との結びつきを保ちつつ、自律的であると感じる能力をも取り戻している。
自分のものの見方と、自分の犯されない境界線を保ちつつ、自分以外の人々のものの見方と境界線とを尊重するようになれている。自分以外の人達と深い関係を結ぶ勇気が持てるようになっている

治療関係の変化。
緊密強固感が無くなり、リラックスし、安全確実感がある。
即興とユーモアをいれる余地が生まれる。
患者は自己観察能力が増大し、内面の葛藤に対する許容量も大きくなる。
自分の限界にも治療者の限界にも許容的となる。

生存者の主な課題、自己規定identityと親密関係intimacy。
自己規定identityと親密関係intimacy、青春期の特徴.。
この段階における生存者はこの二つの問題に集中するために第二の青春にいるかのように感じる事も少なくない。
虐待的な環境の中で成人となった生存者は実際に第一の青春を持つ事を拒まれた人であり、この時期に発達する対人的なスキルが欠けている事が少なくない。

対人的不器用と自意識過剰とは、普通の青春期でも波風のもととなり、生き辛いものにするが、成人の生存者にはこの二つが拡大して現れることもよくあり、他の成人達が当たり前と思っているスキルに立ち後れている事を激しく恥じ入りもする。

33、外傷は最早生存者の親密関係を妨げる力を持たなくなる。
外傷が退いて過去の中に入ってゆくにつれて、其れは最早親密関係を妨げる邪魔物ではなくなる。
自分が外傷の事ばかり考えているために、パートナーがどのように苦しんでいるかを悟るようになる。

外傷性性障害と其の治療原則。
親密な性的行為は性的外傷の生存者には特別の障害物となる。性生活のコントロール強化は、最初はパートナー抜きの性行為によるのが一番早道だ.。

外傷経験者の次の世代への配慮、繰り返さないように!、
回復の此れ以前の段階では、子どもを産むのを避ける事も少なくなかったすでに親だならば、他の対人関係と同じように過保護になったり、構わなくなったり、両極の間を揺れ動く

自己の外傷体験の子どもへの影響に対する開眼.。
外傷ストーリーの子どもへの開示。
外傷ストーリーは生存者の財産の一部であり、遺産として引き継がれるべき物だ。
ただし、完全に統合された暁にのみ、生存者は此れを安じて次代に受け渡し、次代に暗い影を落とすのでなく力と発想との源泉の一つとなるであろうと確信する
例として戦争帰還者生存者が挙げられる。
即ちsurvivorshipは一つの残すべき遺産なのだ。

34、共世界

外傷の破壊性とグループの修復、再創造性について。
外傷的事件において生き残ったものは、自己という感覚(特に自分が価値あるのだという感覚や、自己が人間に属するのだという感覚)は、自分以外の人々の結びつきに依存することを味わう。
外傷によって孤立、端の意識、堕落、否認弦かが生じるようになるが、グループの結びつきによって所属感を再創造、人間性の回復、肯定感が得られる。

他者の愛他性の回復力と共世界に再加入させる力について。
愛他性とは相手の身になって考え、相手本意で行動することだ。被害者が不可逆的に破壊されたと思っている自分の中のもの(信仰や品性や勇気)は、愛他性によって回復する。自分以外の人々の行動を鏡として、生存者は自らの失われた部分を認め、其れを取り戻す。この瞬間から生存者は人間の共世界に再加入する。

グループにおける普遍性体験の治癒力について。
社会の絆の取り戻しは、わたし一人ではないという発見を持って始まる。この体験が確実に得られるのは似たような体験をしたグループとの出会いだ。此れを普遍性体験、といい、恥辱的な秘密を抱いているが故に孤立しているという感覚から開放される。

極限状況経験者へのグループの力について。
グループ参加者は、自分と似た経験を持った人と一緒にいるだけでほっとし、慰められる。

グループにおける鏡映関係について。適応の螺旋。
グループが親密になってくると参加者各自が他のメンバーに寛容と共感と愛をさしだし、其れがまた自分にもはね返ってくるという好循環が得られる。此れによって自己評価も高まり、他のメンバーへの受容も増す。此れを適応の螺旋、という。

しかし、グループの潜在的破壊力は、其の潜在的創造力に等しい。
治療上グループは極めて高い効果があるが、潜在的破壊力もあり、人間間の葛藤で外傷的事件を再現することさえ考えられる。

グループが成功するには治療の任務について明快で焦点の定まった理解がなければならず、また全ての参加者を外傷の再演の危険から適切かつ十分に守る構造がなければならない。

トラウマ

トラウマ、という言葉を最近ではよく耳にするようになってきた。

トラウマは心的外傷と訳されている。
心の傷ということだが、心の傷とはなにかを定義することは難しい。
トラウマについて現在一番使われている、アメリカ精神医学会のDSM-IV精神疾患の診断・統計マニュアルでは次のように定義している。

 (一)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した。
 (二)患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである。
(DSM-IV精神疾患の診断・統計マニュアル)


しかし、この定義も診断・統計マニュアルが改訂されるたびに変えられている。
それ程にトラウマを言葉で定義するのは難しいことなのである。
そして、その難しい定義をあえて行っているために、とても分かりにくい。精神科医でもあり、臨床心理士でもある小西聖子はトラウマとなるような出来事の特性を具体的に述べている。

 最初にできごとが予測不能であること。これからどういうことが起こっていくか、このあとどうなっていくかがわからない、ということがあげられる。
 二番目の特徴は、コントロールできないこと。自分の力では自態を操ることが全くできないことだ。
 三番目に、起こっているできごとが非常に残虐なものであったり、グロテスクなものであったりする、これもトラウマとなるような出来事の特徴といえる。
 四番目に、自分が愛している人やだいじにしている何かを失うこと、すなわち対象の喪失が起こることだ。
 五番目に、暴力的なできごとはトラウマをもたらしやすいことがあげられる。
 それから最後に、そのできごとによって起こってくる結果に対して、実際に自分に責任があると思われたり、あるいは、主観的に責任があるとどうしても感じられたりすること、そういうこともトラウマをもたらすようなできごとの特徴であるともいえる。
(NHK人間講座『トラウマの心理学』 二〇~二二ページ)


このように考えると、自然災害や事故、戦争、傷害事件、性犯罪、そして虐待もトラウマ体験となり得ることが分かる。

 トラウマ体験自体の質の違いもその後の影響に関係するのだろうが、主体的な感情としての恐怖感や不安、絶望感なども大きく関係する。

そうすると、個人差というのも生じることとなる。
同じようなトラウマ体験を経験しても、それ程苦労せずに乗り切れる人もいれば、長い間影響を受け続けて生活までもが変わってしまう人もいる。

だが、その個人差は乗り切れない人を責める要素にはなりえない。
どんな人でも、心的外傷を得れば簡単に乗り越えることはできないと考えるべきであろう。
乗り切ることのできない苦しみは、本人が一番感じているのだ。
そこへ追い討ちをかけるように、責めるようなことをすれば、回復はさらに遅れていくことになるだろう。

 先にもトラウマは心の傷だと述べたが、すぐに回復できるような心の傷は誰もが経験しているだろう。

では、そういった傷とトラウマとの違いはなにか。
その違いの一つとして、その後の生活への影響の有無が挙げられる。

例えば、いつも通る帰り道でレイプにあったとする。
そうすると、その道はもう二度と通れなくなる。
通ろうとすると恐怖で身体に異常をきたす。
そうすれば、そのレイプはトラウマ体験となるのである。
そして、その心的外傷後の影響をPTSD、心的外傷後ストレス障害と呼んでいる。

心的外傷的体験の直後に起こる症状はASD(Acute Stress Disorder)、急性ストレス障害という名称でまとめられている。

A.その人は、以下の二つがともに認められる外傷性の出来事に暴露されたことがある。
  (一)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷を負うような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、その人が体験し、目撃し、または直面した。
  (二)その人の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである。
B.苦痛な出来事を体験している間、またはその後に、以下の解離性症状の三つ(またはそれ以上)がある。
  (一)麻痺した、孤立した、または感情反応がないという主観的感覚
  (二)自分の周囲に対する注意の減弱(例:“ぼうっとしている”)
  (三)現実感消失
  (四)離人症
  (五)解離性健忘(すなわち、外傷の重要な側面の想起不能)
C.外傷的な出来事は、少なくとも以下の一つの形で再体験され続けている:反復する心象、思考、夢、錯覚、フラッシュバックのエピソード、またはもとの体験を再体験する感覚、または外傷的な出来事を想起させるものに暴露されたときの苦痛。
D.外傷を想起させる刺激(例:思考、感情、会話、活動、場所、人物)の著しい回避。
E.強い不安症状または覚醒の亢進(例:睡眠障害、易刺激性、集中困難、過度の警戒心、過剰な驚愕反応、運動性不安)。
F.その障害、臨床上著しい苦痛または、社会的、商業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。または外傷的な体験を家族に話すことで必要な助けを得、人的資源を動因するなど、必要な課題を遂行する能力を障害している。
G.その障害は、最低二日間、最大四週間継続し、外傷的出来事の四週間以内に起こっている。
H.障害が、物質(例:乱用薬物、投薬)または一般身体疾患の直接的な生理学的作用によるものでなく、短期精神病性ではうまく説明されず、すでに存在していた第一軸または第二軸の障害で単なる悪化でもない。
(DSM-IV神疾患の診断・統計マニュアル)


 それが一ヶ月以上続くとPTSD(Posttraumatic Stress Disorder)、心的外傷後ストレス障害となる。PTSDは心的外傷後の様々な反応をまとめたものではあるが、精神的後遺症の総称ではない。

PTSD以外にも抑うつ的になったり、錯乱状態になったり、障害とまではいかなくても具合が悪くなったりすることもある。
しかしここでは、PTSDに限定して述べていく。

心的外傷後ストレス障害の診断基準について先程のDSM-IV精神疾患の診断・統計マニュアルでは、様々な面から設定している。

A.患者は、以下の二つが共に認められる外傷的な出来事に暴露されたことがある
 (一)実際にまたは危うく死ぬまたは重傷をおうような出来事を、一度または数度、または自分または他人の身体の保全に迫る危険を、患者が体験し、目撃し、または直面した。
 (二)患者の反応は強い恐怖、無力感または戦慄に関するものである
[注]子どもの場合はむしろ、まとまりのないまたは興奮した行動によって表現されることがある
B.外傷的な出来事が、以下の一つ(またはそれ以上)の形で再体験され続けている
 (一)出来事の反復的で侵入的で苦痛な想起で、それは心象、思考または知覚を含む
   [注]小さな子どもの場合、外傷の主題または側面を表現する遊びを繰り返すことがある
 (二)出来事についての反復的で苦痛な夢
   [注]子どもの場合は、はっきりとした内容のない恐ろしい夢であることがある
 (三)外傷的な出来事が再び起こっているかのように行動したり、感じたりする
(その体験を再体験する感覚、錯覚、幻覚、および解離性フラッシュバックエピソードを含む、また、覚醒時または中毒時に怒るものも含む)
[注]小さい子どもの場合、外傷特異的な再演が行われることがある
 (四)外傷的出来事の一つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに暴露された場合に生じる、強い心理的苦痛
 (五)外傷的出来事の一つの側面を象徴し、または類似している内的または外的きっかけに爆発された場合の生じる理学的反応性
C.以下の三つ(またはそれ以上)によって示される、(外傷以前には存在していなかった)外傷と関連した刺激の持続的回避と、全般的反応性の麻痺
 (一)外傷と関連した思考、感情または会話を回避しようとする努力
 (二)外傷を想起させる活動、場所または人物を避けようとする努力
 (三)外傷の重要な側面の想起不能
 (四)重要な活動への関心または参加の著しい減退
 (五)他の人から孤立している、あるいは疎遠になっているという感覚
 (六)感情の範囲の減少(例:愛の感情を持つことができない)
 (七)未来が短縮した感覚(例:仕事、結婚、子ども、または正常な一生を期待しない)
D.(外傷前には存在していなかった)持続的な覚醒亢進症状で、以下の二つ(またじゃそれ以上)によって示される
 (一)入眠困難または睡眠維持の困難
 (二)易刺激性または怒りの爆発
 (三)集中困難
 (四)過度の警戒心
 (五)過激な驚愕反応
E.障害(基準B,CおよびDの症状)の持続期間が一ヶ月以上
F.障害は、臨床的に著しい苦痛または、社会的、職業的または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている
◆該当すれば特定せよ
 急性:症状の持続期間が三ヶ月未満の場合
 慢性:症状の持続期間が三ヶ月以上の場合
◆該当すれば特定せよ
 発症遅延:症状の始まりがストレス因子から少なくとも六ヶ月の場合
(DSM―IV精神疾患の診断・統計マニュアル)


しかし、これもトラウマの定義と同様、様々な症状があるものを定義するのは難しく、また歴史も浅いためにまだ流動的なものとなっている。

ハーマンやコークらが児童虐待によるPTSDはより複雑なために、異なる概念によって区別すべきだと提唱しているように、この定義に疑問を投げかけている専門家は多く、まだ明確な定義とは言えない。

しかしながら、人が衝撃的な出来事に曝された時、場合によっては修復困難なトラウマが生じ、心身に様々な症状が出るということが明らかである以上、この定義の論争はこれからも深められていくべきだろう。

 PTSDは阪神淡路大震災の時に、日本でも聞かれるようになったことは記憶に新しい。その後、最近では虐待や池田小連続殺傷事件等でもPTSDという言葉が出てくるようになった。

トラウマという言葉もいつの間にか、流行のようによく耳にするようになったように、PTSDもまた、徐々に耳にする機会が増えていくのだろう。
 しかし、そこには利も害も伴う。

安易に使われることによって本来の意味が薄れ、本当にPTSDで苦しんでいる人々の苦しみが軽く受け止められたり、PTSDという言葉が広まるにつれ誤解が生じたりする場合もあるだろう。

そうなった場合、被害者は社会によって二次被害を受けることにもなりかねない。この問題は特にナイーブなものであり、メディアでこの問題を扱う時には、慎重であらなければならないだろうメディアによって虐待は連鎖するといった誤解を招き、多くの被虐待者を苦しめているように、PTSDという言葉の普及がPTSDで苦しむ人々を、さらに追い詰めることにならないことを祈る。

 PTSDには様々な症状があるが、それを大きく過覚醒、侵入、狭窄、の三つに分けることができる。

過覚醒、(DSM-IV項目D)
 過覚醒は、PTSDの第一の主要症状であり、持続的な覚醒のことを言う。

心的外傷体験と同じ危険がまた襲ってくるのではないかと、常に緊張した状態になり、些細なことに過敏に反応して苛立つ。また、リラックスを必要とする睡眠が妨げられる。

危険な状態に遭遇したのだから、その状況から逃れられたとしても、すぐには安心できないのは当然である。
恐怖が心に居座り、脅えた状態が続き、例えばドアの開く音など一寸した物音に敏感に反応したり、何気ない言葉に興奮したりしてしまう。

 この状態が続くということは、体力をかなり消耗することになる。安心した生活ができないということは、心と身体を休めたり、癒したりすることができずに、疲れ果てることとなる。このことは、他の症状を強化する原因ともなるだろう。

侵入、(DSM-IVの項目B)
 侵入とは再体験のことである。
PTSD患者は心的外傷体験から長期間過ぎても、その危険を何度も再体験する。誘因が無くても、突然事件がフラッシュバックしたり、睡眠時に外傷性悪夢をみたりする。
それはまるでビデオフィルムを巻き戻し、何度も再生されるようなもので、同じような映像や体験が繰り返される。
これらは自分の意志でコントロールすることができず、突然起こり、止めることもできない。また、その再体験には感情も伴う。
まさに今体験しているかのように、恐怖や悲しみを感じたり、痛みなどの感覚を伴ったりすることもある。

 再体験とはつまり、再度の被害であり、トラウマ体験を何度も体験するようなものである。実際の身の危険はないが、精神的な苦痛は実際にトラウマ体験した時と全く変わらない。
長い間事件に支配された状態になり、困惑し苦しむことになるのである。
この再体験は子どもの場合、言葉で表すことができないために遊びとして表現されることがある。
強迫的に繰り返し同じような遊びを繰り返す時には、トラウマ体験の再体験であることがあるので注意しなければならない。

狭窄、(DSM-IV項目C)
 狭窄は降伏状態のことをいう。
どんな努力をしても自分の力ではどうすることもできず、完全に無力化された時、人は降伏状態となる。
この狭窄には大きく二つある。

まずは知覚変化である。
知覚が鈍くなり、無感動、無感覚な状態に陥り、解離や現実の歪み、意識の狭まりなどの反応を示す。
痛みを感じなくなったり、嬉しいとか悲しいという感情が麻痺したりする。此れは、苦しみを感じるくらいなら、全ての感情を感じない方がまだ良いということから起こるものである。
凍りついた瞳frozen eyesと呼ばれるのは、この狭窄を経験している人の持つものであろう。

もう一つは、感情的変化である。
圧倒的な受け身感によって、心的外傷と関連するような場所を避けたり、考えないようにしたりという回避が行われる。
嫌なことや危険なことを避けようとするのは、正常な人間の防衛反応であり、当然とも言える。
しかし、そうして考えないようにするといった回避は、解離への第一歩でもあるのだ。
また、心的外傷と関連する場所だけではなく、人との関係を避けるということも起こり、生活に大きな影響を及ぼす。

 PTSDは心的外傷を受けた人を長い間苦しめることになる。また身体の傷とは異なり、見付けられにくいし、理解されにくい。その苦しみもまた、PTSDを持つ人々を追い詰める原因になっているのである。日本でも、心的外傷やPTSDのしっかりとした理解を持つ専門家が増えることを望んでならない。


虐待によるPTSDは、DSM-IVによる一般的なPTSDとは異なるという指摘は多い。ここでは、虐待による反応に特徴的なことについて言及していく。一般的なPTSDと異なるという根拠は、心的外傷の回数に関係がある。レノア・テアは心的外傷の種類を二つに分けている。

くりかえしトラウマ体験をした子供たちのほうが、単一の体験をした子供たちよりも、虐待者についての間違いが少ない。マサチューセッツ州ケンブリッジの精神科医ジュディス・ハーマンが一九九二年の著書『トラウマと回復(実際は『心的外傷と回復』)』で鋭い指摘をしているとおり、虐待をくりかえす者は強制収容所の警備員や刑務所の看守と同じだ。

性的虐待を受ける子供は加害者に管理、されている。
被害者は逃れられない。

此れが第一タイプ(単一の被害体験)と第二タイプ(複数回の被害体験)の子供の違いである。
第二タイプの子供はふつう、トラウマ体験を強いる人びと(幼稚園の先生や牧師、バスの運転手、伯父さん、父親など)をべつの人間と混同することはない。
(『記憶を消す子供たち』 四九ページ)


西澤哲はこのタイプに加え、消防士やレスキュー隊など一回ではトラウマ体験とならないような体験でも、蓄積されることによって影響が出るという場合の、第三タイプ(蓄積型)があると述べている。

つまり、虐待によるトラウマは複数回、慢性的に強いられるという点で、単一のトラウマや蓄積型のトラウマによるPTSDとは異なるのである。

ハーマンはこれらのことから、一般的なPTSDと区別して複雑性PTSDという診断名をつけるべきだと提案している。
そういう動きから、アメリカ精神医学会の診断統計マニュアル作業部会は特定不能の極度ストレス障害(DESNOS)の用語を暫定的に選択したが、DSM-Ivでは収載されるに至らなかった。

一.衝動・衝動の調節に関する障害
 a 情動の規制障害(抑うつ感、躁状態など)
 b 怒りの調整障害
 c 自己破壊性(自傷行為、嗜癖など)
 d 自殺願望
 e 性的関わりへの調整障害(過度で自己破壊的な性行為、性倒錯など)
 f 危険な状況へ自ら飛び込む衝動(トラウマの嗜癖)
二.注意・意識に関する障害
 a 健亡
 b 離人症
 c 一過性の解離のエピソード
三.身体化
 a 消化器系(潰瘍性大腸炎など)
 b 慢性痛(頭痛など)
 c 心肺系(喘息など)
 d 転換症候(歩行障害、失声など)
 e 性的症候(性的不能、性的動昂進など)
四.自己認識に関する障害
 a 無力感(自分には自らを守る力さえない、と思う)
 b 癒すことの不可能な自己損傷の感覚
 c 罪悪感と罪責感(自分の過ちのためにトラウマが起きた、と思う)
 d 羞恥感(本当の自分は、人前にさらすことが恥ずかしいような存在だ、と思う)
 e 誰も自分を信じない、と思う
 f 自己卑下(自分など生きるに値しない存在だ、と思う)
五.(トラウマの)加害者についての認識に関する障害
 a 加害者の歪んだ信念の探り入れ(パワーで人を支配するという考え方、など)
 b 加害者を傷つける願望にとらわれる
 c 加害者を理想化する
六.他者との関係における障害
 a 他人を信頼することの不能
 b 他人を犠牲者(被害者)にする
 c 自分が再び犠牲者(被害者)にする
七.意味システム(世界観)における障害
 a 自暴自棄、絶望感
 b 以前の自分を支えていた信念大系の喪失
(注)カッコ内は斎藤学による註
(van der Kolk, B.A. & Fisler, R.E. : Childhood abuse and neglect and loss of self-regulation. Bulletin of the Menningen Clinic, 五八, No.二(spring), 一九九四.)

 この診断が提案された意図は何か、それは慢性的なトラウマ体験の患者を救う為には診断統計マニュアルにある。

PTSD判断では充分ではないということである。

しかしながら、診断統計マニュアルに収載されなかったのは、まだ研究途中であり、不確定なものであるという保守的な考えからではないだろうかと私は思っている。
たとえ診断統計マニュアルに収載されなかったとしても、こういった提案が起きたことが、大きな一歩であると考えるべきであろう。

この診断から受け取れるのは、慢性的に、しかも幼い頃に起こったトラウマは、被虐待者の人格形成に大きな影響を与えるということである。
その体験が長期化すればする程、始まりが幼ければ幼い程、トラウマは心の中に内在化され、人格・意識の中心になる。

強いショックを与える体験は心に異物を形成し、そうした異物は繰り返し心の中で反復されることによって次第に異物ではなくなっていくものであり、此れはその異物を消化吸収しようとする正常な心の働きの現れである。

何らかの理由で心の処理機能が十分に働かず、その結果、心の異物であった体験が、『心の寄生虫』、つまりトラウマとなってしまったものだと考えられるのである。(略)これまで心は寄生虫であるトラウマを否認や反復的再現といったプロセスによって何とか消化吸収しようとしていたものが、次第にトラウマの存在を前提として心を構造化していくということである。

トラウマが内在化され、トラウマを前提に心が構成されることによって、心の機能のさまざまな領域が影響を受けることになる。
(『トラウマの臨床心理学』 六六~六七ページ)

トラウマを内在化してしまうと、それを排除しようという回避・マヒは消え去り、トラウマを含んだ人格・意識として確立してしまう。
影響は、症状ではなく人格として取り込まれる。
この、人格への内在化が単回のトラウマ体験とは大きく異なるものであろう。

 被虐待者の大きな特徴に解離がある。
ハーマンのいうダブルセルフも自分や他者の分裂であるが、解離もまた分裂の一つである。

解離には三つのタイプがある。

一)一次的解離
 一次的解離とは、現実の体験によって生じる認知や感情、感覚などから離れてしまう状態である。(略)親からひどい虐待を受けている時に、意識はどこかまったく別の場所を訪れていたと述べる子どもは少なくない。この場合、子どもの意識は現実の体験から遠ざかってしまっている。つまり解離を生じていると言えよう。また、なかには親から叩かれていた時にいっさい痛みを感じなかったと報告する子どももいる。こうした子どもは耐え難い痛みの感覚から遠ざかっているのであり、これも一時的解離の一つだと言える。

二)二次的解離
 上述の一次的解離が現在の自分の体験から離れてしまう、という現象を指すのに対して、ここで言う二次的解離とは、現実の自分の体験から離れた意識が、現在の自分の体験を見たり、観察したりする現象を言う。(略)こうした二次的解離を起こしている人は、観察していることが自分の身に起こっているのだと認識できている場合もあれば、あの子はかわいそうに、あんなにひどい目にあっている、としてその体験を自分以外の別の人の体験だと考える場合もあるようである。いずれにせよ、身体や体験から切り離された意識が、残された身体や体験に気づいているという点で、この二次的解離は一次的解離と区別されるのである。そして、たとえば性的虐待や重度の身体的虐待の場合などのように、トラウマになるような体験に子どもが繰り返し慢性的にさらされるような事態では、子どもはこの二次的解離を頻繁に経験するようになると考えられる。

三)三次的解離
 二次的解離の繰り返しは、van der Hartら(一九九六)が『第三の解離』(tertiary dissociation)と呼ぶところの状態を出現させる可能性がある。たとえば、性的虐待というトラウマティックな事態に慢性的にさらされている子どもは、虐待を受けているかわいそうな子ども、を外から眺めるという二次的解離を繰り返し体験するわけであるが、その繰り返しがトラウマティックな事態や被害を引き受ける『もう一人の子ども』を誕生させることになる可能性がある。

そうすることによって、トラウマとなるような事態から守られた安全な自分を確保することが可能となる。
(略)そして、このようにして構造化された今一つの人格、たとえば性的虐待という体験を引き受けた人格は、トラウマティックな体験と関連した何らかの刺激が与えられた場合に活性化し、前景に現れてくるのだと考えることができる。

こうした解離は、トラウマティックな被害を受け、意識から切り離された存在が活性化するという点で、これまで述べてきた一次的解離や二次的解離とは質を異にするものであり、此れをここでは三次的解離と呼ぶ。

そして、この人格あるいは人格状態は、先に見た解離状態の自己規制の副産物的な存在であると言える。
つまり、解離状態によってトラウマとなるような体験から切り離されて守られた自己の一部の背後には、トラウマ体験を繰り返している自己の断片が存在することになるのだ。
(『トラウマの臨床心理学』 六二~六四ページ)


特に性的虐待を受けたサバイバーは解離をしやすいという見方が強くなっているが、性的虐待に限らず何度も繰り返されることから、例えば夜になったら、父親が階段を上ってきたら、というようなきっかけを元に自分に暗示をかけ、自分の意識を外に出してしまう。そして、虐待を受けているのは自分ではないとしてしまうのだ。

 そしてその、虐待を任せている意識に人格を持たせれば、解離性同一性障害(多重人格)となる。

上記のタイプで言うと三次的解離である。
虐待を違う人格に任せてしまえば、虐待の記憶は通常の人格は持ち得ない。

解離によって人格を分裂させた被虐待児は、複数のそれぞれ別個の断片的人格を形成し、それが人格構造の基本原理となってしまう。

その人格は、それぞれが独立した名前、性格、感情、記憶を持つ。

虐待を知っている自分と、何も知らない自分を作り出すことによって虐待を通常意識の外におき、虐待に有効に対処できるようになるのである。しかし、この人格分裂が日常生活に問題をきたすことは、容易に理解できる。

このように、虐待による影響はトラウマの内在化や記憶の抑圧、解離といったように、現存のアメリカ精神医学会の診断統計マニュアルでは規定しきれていない症状が存在する。
こうした症状を単回のトラウマによるPTSDと共に規定するのは難しく、多くの研究者が提案しているように名前を変えて規定するべきではないかと
外傷を受けた人の中には、記憶の封印をしてしまう人がいる。

抑圧とは、想起することによる恐怖などの苦痛を避けるために、想起することを抑制する努力を重ねるうちに、意識することなく自然に心的外傷体験が記憶から消されたかのように見えるようになった状態である。

まず、つらい出来事を一時、心から押しのける。フロイト以後の防衛規制の研究家は、此れを抑制と呼んできた。

フロイト自身はウンダートゥリュックング、(押しこめること)と呼んだ。

抑制は、一時的で意識的な営為である。

つらい問題をしばらく棚上げにしておきたいのだ。

理論的には、抑制した者はいつでもふたたびつらい問題に戻って考えることができる。

だが、子供の場合、抑制は抑圧への一里塚であることが多い。
フロイトは抑圧をフェルドゥレングング、(押しのけること)と呼んだ。押しのけられた記憶はかんたんに、そして永久に意識から取り除かれてしまう。
一部の子供、とくにすでにトラウマ体験を有している子供の場合、この作用は単純でほとんど自動的に起こる。
(『記憶を消す子供たち』 三〇ページ)


何度もその苦痛の体験を拒否し、抑制しているうちに、それはいつのまにか自分の意志に関係なく、抑圧されてしまうのである。
しかしそれは封印であり、決して消えたわけではない。忘れたのではなく、思い出せない、もしくは思い出さないのだ。

ここで、判断が難しい忘却と抑圧の違いを考える。

どちらも記憶が無いという点では同じである、忘却と抑圧の違いをテアは法廷で、おばあさんのブローチを例に説明している。

たとえば、遺言か何かで、あなたがおばあさんのブローチをもらったとしる。
おばあさんとの関係は良好でした。
すてきなブローチだ。あなたは引き出しの奥にしまう。
二十年後、あるブラウスを着たあなたはこう思う。
そうそう、引き出しの奥にブローチがあったっけ、探すと、たしかにブローチはある。
此れが忘れていた、ということだ。
べつにこだわっていない記憶だ。
ほとんどのときは念頭にないけれど、二十年後、ブローチを探そうとすれば、どこにあるのかわかる。

さて、おばあさんが恐ろしい死に方をしたとする。
おばあさんは死んだとき、そのブローチをつけていた。警察がもってきたブローチには血がついていました。
あなたはブローチをきれいに洗って、引き出しの奥にしまう。
ブローチについて、非常に強力な、だが無意識の抑圧が働いたとしる。気持ちのなかで、ブローチは苦痛、トラウマ、恐怖と結びついたのだ。

そうなるとあなたはブローチのことをぜんぜん思い出しません。ただ、目の前で誰かが血を流したり、同じような事故にあったり、おばあさんによく似た人に出会えばべつだ。

そのとき、ふいにブローチの記憶がよみがえる。
ブローチのことを考えるのはいい気持ちがしないでしょう。
ブローチが引き出しの奥にあるのはわかっているかもしれない。
ブローチを見に行くかどうか、それはわかりません。
それは能動的な記憶の抑圧だ。そうした記憶は、存在しないかのようだ。
でも、誰かが血を流しているのを見たり、おばあさんに似た人に出会ったりすると、どっと記憶がよみがえることがあるのだ。
(『記憶を消す子供たち』 七六~七七ページ)


忘却は、自分にとってさほど重要ではなく、常に気に留めておくものではないために、忘れてしまうという行為である。

ところが抑圧は、重要であるが故に思い出さないようにしてしまうのである。

能動的ではあっても、無意識であるというところに抑圧の難しさがあるのだろう。
意識しないうちに、記憶は消えたかのようになってしまい、血を流しているのを見た時に動揺したとしても、何故なのかが分からない。
何故なのかが分からないために、とても苦しい。
そして、たとえ抑圧していた記憶が甦ったとしても、それは苦痛、トラウマ、恐怖と強く結びついた記憶であり、さらに苦しい思いをするのである。

忘却と抑圧は、他者から見れば同じように見えてしまうかもしれないが、大きく異なることをまずは理解しなければならない。

 記憶を失っている場合には、二つ考えられる。

虐待を受けている時は認識しているが、その後でそのことをなかったことにしてしまう抑圧については記述した。

もう一つは虐待が行われている時から、解離してなかったことにしてしまうか、もしくは他の人格に被虐待児の役割を渡してしまう場合である。

解離とは、繰り返し虐待を受けているうちに防衛手段として身に付いてしまうもので、窮地に陥ると自己催眠によって自分の意識を飛ばしてしまうということである。この解離は被虐待者の大きな特徴でもある。

 抑圧の場合、記憶は決して消滅したわけではなく、思い出せない、あるいは思い出さないのであり、甦った記憶はほぼ正確である。

しかし解離の場合、自分の身体から離れた意識が自分を見ていない限り、全く覚えていないことが多い。
解離して自分を見ている意識をレノア・テアは隠れた観察者、と言った。しかし、その隠れた観察者も本当に危険になった場合には出てきてはくれないのだ。

隠れた観察者をもっていて、解離状態でも自分を意識しているように見える患者がいる。
こうした患者の場合、虐待されている自分を子供部屋の天井から眺めていたり、窓から落ちていく自分を遠くでみていたりする。
だが、病的な激しい解離状態に陥るパトリシア・バートレット(文献中に登場する解離障害者)のような人には、隠れた観察者はなかなか来てくれないらしい。
隠れた観察者がどれほどの時間そばで起こることを眺めているのか、予測するのはむずかしい。ほとんどの場合、子供にとってとどまる、のは危険が大きすぎる。
(『記憶を消す子供たち』 一〇九ページ)


観察者も失ってしまった場合、解離によって失った記憶が戻ってくることはほとんどない。
戻ってきたとしても正確ではなかったり、抜けていたりする場合が多い。通常、記憶は一つの流れとして認識されるが、解離を繰り返したり、解離性同一性障害であったりする場合、記憶は途切れ途切れとなってしまう。
また、解離と抑圧は異なるものであるが、記憶を喪失している者はどちらかだけを経験しているのではなく、どちらも経験していることが多い。

 ここで少し脳と記憶の関係について、斎藤学の『封印された叫び』を参考に、私の可能な範囲でまとめていく。

記憶を保存するのに重要な働きをするのは、海馬である。
海馬は簡単に言えば、短期記憶を長期記憶の倉庫へと運ぶ働きをしている。

体験の一部が海馬に一度貯蔵され、その後視覚なら視覚野へ、聴覚なら聴覚野というように、それぞれに運ばれ、そこで安定した記憶情報となる。それらが側頭葉連合野で統合され、視覚像、聴覚的記憶、体性記憶などが一体化した記憶としてまとめられるのである。

そうすると、海馬は体験を記憶と帰るために重要な役割を果たしていることが分かる。

海馬損傷の患者の場合、損傷以降の体験は長期記憶として取り込まれず、それ以前の記憶が残っている。
それらの超長期記憶は側頭葉連合野に残っている。

つまり、海馬が正常に働いている時に側頭葉連合野に残された記憶はそのまま保存され、側頭連合野へと運ぶ原滝のある海馬が損傷してからは、体験が長期記憶へとならないために、残らないのである。

また、この海馬はストレスに弱いことが分かってきている。
何らかの物理的な衝撃が無くても、ストレスによって損傷することもあるのだ。
実際、被虐待者の場合には通常よりも一二%減少しているという報告もある。
このことから、被虐待者の抑圧や解離などの健忘は、脳の働きの低下からなるという考え方もできるのである。

 いずれにせよ、子どもにとってその記憶を覚えておくことは非常に危険であり、その記憶を思い出すと生きていくことが困難になるので記憶の再生に障害をきたすのである。

虐待と他の心的外傷体験との違いは、繰り返されること、加害者は自分の知り合い(ほとんどが親)であることがあげられる。

一度きりの心的外傷体験者はそのトラウマ体験を覚えていることが多い。
しかし、内容があいまいであったり、加害者を誤って覚えていたりすることはある。
一度しか体験せず、しかも危険の中での記憶なので、その記憶があいまいであってもそれは理解できる。

では、虐待のように何度も繰り返される心的外傷体験はどうだろう。
加害者の顔も、状況も正確に覚えることができるはずである。
しかしながら、多くの被虐待者は虐待されていた記憶を再生できない場合が多い。
それは、加害者が知り合いであるためにその記憶を覚えておくことはとても危険であると共に、何度も繰り返されることによって防衛手段を身に付けることができるからである。
その一つとして記憶を抑圧して、なかったことにするということが起こる。
ただし抑圧は健忘ではなく、忘れているわけではないので、抑圧が解けて戻ってきた記憶はほぼ正確である。

くりかえしトラウマ体験をした子供たちのほうが、単一の体験をした子供たちよりも、虐待者についての間違いが少ない。
虐待をくりかえす者は強制収容所の警備員や刑務所の看守と同じだ。性的虐待を受ける子供は加害者に管理、されている。
被害者は逃れられない。此れが第一タイプ(単一の被害体験)と第二タイプ(複数回の被害体験)の子供の違いである。
(『記憶を消す子供たち』 四九ページ)


加害者が知り合いであるということはどのような影響を与えるのだろうか。

子どもは親が正しいと信じているので、親を正当化するために虐待を虐待ではないと思おうとする。
他人ならば悪者にして誰かに訴えることもできるだろう。
しかし、子どもは親を失うのが恐いのでそれができないのである。
従って、自分の心の中で虐待という事実を否定し、取り込むのを拒否したり(解離)、思い出さないように抑圧してしまうのである。

 抑圧された記憶は何年もたって、なんらかの誘因によって解かれる。誘因は匂いや色、音などの感覚刺激である場合もあるし、恐怖や怒り、悲しみなどの情動刺激である場合もある。

『記憶を消す子供たち』で紹介されたアイリーンは我が子を見て父に殺された友達の顔と重なって殺人現場にいたことを思い出したし、私自身は友達が怒っている姿を見て虐待を受ける際の恐怖心が甦った。

 しかし、誘因があればいつでも思い出せるわけではない。

何年も、あるいは何十年もの年月を経るのは、子どもだった被虐待者が成長し、加害者である親と離れ、安全な空間を得るからである。その条件がなければ、抑圧が解かれることはない。被虐待者は安全だと感じて、やっと今までずっと送りつづけていた危険信号を緩めるのである。

 ただし、安全な場所でその記憶の抑圧が解かれたとしても、苦しまないわけではない。心的外傷の記憶は言語化されない記憶である。
通常の記憶は言語化され、物語化され、過去となる。ところが、心的外傷の記憶は生々しい感覚とイメージとで成り立つ。言葉にして記憶とされなかったトラウマ性記憶は過去とはならない。
何年たったとしてもその恐怖は生々しく、被虐待者に襲いかかるのだ。
被虐待者にとって、心的外傷体験である虐待は過去のものではないのである。

 記憶を解いた被虐待者にとって、苦しめる要因がもう一つある。
それは、その記憶の正誤が分からないということである。

もう何年も前のことなので、それを証明することは難しい。
先に抑圧と忘却の違いについて論述したが、その違いを理解できなければ、抑圧していた記憶の正確さを理解することもできず、過誤記憶false memoryを支持する人々の思惑通りになってしまう。

過誤記憶論争によって、さらに多くのトラウマ被害者が傷付かないためにも、この忘却と抑圧の違いを理解することが大切なのだ。

 過誤記憶については、アメリカで大きな問題となった。

性的虐待で娘に訴えられた父親が、娘の記憶は過誤記憶だとして訴えたのである。その夫婦は過誤記憶症候群基金(FMSF-False Memory Syndrome Foundation)という捏造された記憶によって子どもから告発された親を擁護する団体を作った。

その考えを支援する専門家もいるが、戦い続けている専門家もいる。『記憶を消す子供たち』の著者であるレノア・テアは、甦った記憶によって親を告発したアイリーン・フランクリンの検事側証人として立ち、様々な論文を出して擁護した。前半は優勢だったが、結局は敗北した。

それは捏造だったという結果ではなく、三〇年も前の出来事で証拠が不充分だっただけである。

 過誤記憶として騒ぎ立てる親やるコミに対して、社会レベルでの『記憶の隠蔽』謀議、として危険信号を発しているのは斉藤学である。彼は児童期性的虐待の研究によると、虚偽であった割合は二~七%だと述べている。
そして過誤記憶の騒ぎは、やっと声をあげ始めた被虐待者の小さな声を奪うことになるだろうと危惧している。しかし、続けて彼は言う。

このような無理な企てがいつまでも成功し続けるはずはない。
フェミニズムが反動の嵐を受けながらも、現代の女性たちが安心して“保守化”できるほどの成果を上げたように、家族の中で虐待され、緊張を強いられてきた者の声も当たり前のように受け入れられるようになるであろう。
(『封印された叫び』 一四〇ページ)


最近の虐待のニュースが増えているのを見ると、日本でも虐待が受け入れられつつあるのかとも思う。

私は、それだけ虐待が起こっているとして悲しむというよりは、やっと認識されて表に出てきたという思いで見ている。

自分が虐待をされたという記憶を思い出すことは、本人にとっても苦痛が伴うものである。自分の愛する親を批判することになるからだ。

もしそれが誤りだと言われたら、嘘をついてまで親を批判する自分を責めることになるだろう。

直接言われなくてもジャーナリストが過誤記憶を騒ぎ立てれば、記憶を甦らせた被虐待者は自責の念にかられてしまう。

 また、突然被虐待者として生きていかなければならなくなることも苦しい。
心的外傷を受けた人々に関する本を読めば特徴が書いてあり、それらの多くは自分に当てはまる。
自分はトラウマを持ち、問題のある、異質な存在なのだと自覚し、受け入れることは大変な作業である。

 そうしたことからも、甦った記憶の正誤を問うこと自体、検討違いではないかと私は考える。
もちろん、裁判になればその正誤は問われることになるだろう。しかし、その虐待を受けて傷付いた者が立ち直るためには、記憶の正誤は関係無い。
問題なのは、なぜそのような記憶を持つかであり、それと向き合い乗り越えていくことなのである。
記憶の正誤にばかり気を取られ、正しいと躍起になって主張しようとする間は、回復の段階に入ることはできないだろうまた、臨床家も裁判官ではないことを認識し、記憶の正誤に言及するのではなく、被害者の声に耳を傾け、苦しみを過去にする作業の手立てをしなければならない。

The mental disorder.


How are mental disorder, mental disorder, mental disease, mental disease, these different?

There will be many people thinking that "a person of a mental disorder is going to go" when I say psychiatry.

My chief physician says that it is misunderstanding.

I "may not treat it in mental disorder = psychiatry".
It is a part of a mental disorder, a mental disease and mental disease not a mental disorder that treat in psychiatry.

Then what are a mental disorder, a mental disorder, a mental disease, a difference of words similar well of mental disease?
Words of these are used without it being often distinguished, and definitions are different by a person.

I say the mental condition that was off mental disorder average to some extent.

It may be said that IQ80 and 120 are slightly abnormal when I take an intelligence quotient for an example because IQ100 is average, and it may be said that I am considerably abnormal when it is IQ20 and 180.

When IQ is considerably low, it is taken as mind development delay or dementia.
When IQ is considerably high, I am invited, but genius, と are for this to be a certain mental disorder.
In other words it is defined if abnormal even if low even if an intelligence quotient is high.

There is it from a slightly abnormal thing to a considerably abnormal thing, and abnormal degree is considerably vague whether I should do somewhere with abnormality.

In addition, words to be abnormal are easy to be used by a nuance of contempt a little.
As for the words in such a meaning of a mental disorder, the one that I do not use very much will be passable.

In addition, abnormality is not always a thing said to have to return it normally.
If the person himself is not troubled with state of things even if off average and troubles you nobody, posture to recognize essence of the person himself while social is important, and I am sincere, it is demanded as of now even if it is abnormality.

Among mental disorders, I say a thing thought about obstacle, と socially of an individual.

In other words it is diagnosed as a mental disorder when the person himself grows and feels hate, hotness and is troubled with it as well as being off average, and neighboring people feel inconvenient.

But, as for the words to call a mental disorder, it is necessary to warn what kind of meaning it is used in enough because it is used in various meanings.

For example, I tend to call it with "a physical disability" when an obstacle stayed as a result of disease of something when I generally say "a physical disability".

Same as this, I can call the obstacle that was left as a result of mental disease about a mental disorder a mental disorder.

By the mental health welfare method, "a mental patient" is defined as "a person having a mental disease" and, in an occasion, becomes "a mental disease = mental disorder" here.

Among mental disorders, I call a thing becoming an object of medical treatment a mental disease.

On a mental disorder, there are a thing with effective actions to be taken and a few thing.

In actions to be taken, there are medical actions to be taken, psychological actions to be taken, educational actions to be taken, actions to be taken of the welfare and, of these, calls a thing with medical actions to be taken with a mental disease.

Therefore, a range of a mental disease has possibility to spread with a medical advance.

It may be said that a criminal is a mental patient in this meaning.
For a reason it is a mental disorder and to trouble another person. Oh, the traffic violations that are slight as for the few crime by a natural mental disorder number many; there is it.

When there is not murder robbery for a certain abnormal mental condition if there is not it, it continues being said from an aspect of law.

However, there is not it for reason to treat all the criminals in psychiatry.
All of a criminal does not commit a crime by a mental disease out of necessity.

A crime based on a mental disease can deal medically, but educational actions to be taken of society of a penalty are performed about the crime that is not so.

Mental disease or a mental disease state.
Among mental diseases, I say a severe thing more than a certain degree.

When a hallucination, a delusion to control an action are in a state and presented property, manic state threatening honor, a high depression state of fear of suicide, I can call it in this way.

Even if is not treated in a mental disease, there are many things which can live as such, but life fails when become mental disease unless treat it early; become very likely to be it.

Oneself and others does not ask it that I am not treated by a case and is life-threatening.

As for the mental disease, as for the indispensability, the mental disease, medical treatment is desirable medical treatment, and a mental disorder is social, and society recognizes the thing that it is necessary educational measures of the welfare, a mental disorder to some extent and it seems to be similar for thing, と that it is necessary to coexist.

With a mental disease?
Because a study is immatureness, as for the mental disorder, the mental disease, a classification and diagnostic criteria vary every country and doctor in comparison with a physical disease and are not clear.

Therefore it has been added the different names of diseases even if I was thought to be be a similar disease by a Japan-U.S. doctor.

The same person, there is many what is turned on by another name of disease dejection neurosis, emotional disorder, feeling circulatory disease, equal と really by a way of a classification.

In fact I was so.
It is different and says that a certain doctor drinks it to prescribed medicine and says that other doctors do not drink it.

It is the Japanese present conditions that a mental disease still idles about, and is apt to be said illness.

An endogenous mental disorder.
Though I do not yet understand it, a cause is a thing thought about according to the abnormality of a function of a brain.
I become the core of a mental disorder, a mental disease.
Schizophrenia (schizophrenia), manic-depressive psychosis, non-fixed form mental disease are included.

An exogenous (somatogenesis characteristics) mental disorder.
A mental disorder a physical disease becomes the cause, and to happen.
  
Organic mental disorder.
The thing which grows by a disease of brain itself.
Dementia is the center, but there is the various condition of a patient such as a person change or a depression state based on the damage of a brain.

A symptom-related mental disorder.
The thing which grows by physical illness except a brain.
By various physical diseases, various mind symptoms occur.
For example, hyperthyroidism sometimes presents manic state.

A poisonous mental disorder.
The thing which grows because a drug, poison get into the body.
A mental disorder by alcohol or a stimulant is included.

A psychogenic mental disorder.
The thing which psychological stress causes it, and grow.
Actually it is assumed quality, も which it is easy to become so, and there can be the thing that I include psychogenic reaction, neurosis, psychosomatic disorder, personality disorder.

An international disease classification by WHO.

I become basics of a classification of Ministry of Health, Labour and Welfare.

Illness, an injury and a cause of death classification.
Illness and international statistics classification of the issue of allied health: International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems(ICD)

It is based on the World Health Organization charter it interprets a systematic record of data of the death and illness added up from a different country and area at a different point in time, analysis and to compare it, and it is the classification that the World Health Organization (WHO) made.
The latest classification was adopted as the tenth revision of ICD in No. 43 World Health Assembly of 1990 and is called ICD-10 (1990).

In Japan, I make "illness, an injury and a cause of death classification" based on ICD-10 (2003) which is an advice of part revision with ICD-10 by the later WHO on, and it is used for statistics investigation to be based on statistical law, and it is utilized for management of a medical record in a medical institution as a classification of medicine now.

F0.
Organic mental disorder including symptom characteristics. So-called brain organic mental disorder of dementia others.

F1.
Mind by mentation material use and an obstacle of an action. The obstacle that was related to alcohol or a drug / a stimulant.
F2.
Schizophrenia, schizophrenia type disorder and a delusion-related obstacle. Schizophrenia (schizophrenia) and a relation disease.
F3.
Mood disorders (emotional disorder) bipolar emotional disorder (so-called manic-depressive psychosis), a depression episode (so-called depression).
F4.
A neurosis-related obstacle, a stress-related obstacle and physical expression characteristics obstacle. Phobic anxiety disorder (so-called fear neurosis), panic disorder, obsessive-compulsive disorder (so-called obsessive-compulsive neurosis), a post-traumatic stress syndrome (PTSD).
F5.
A physiologic obstacle and the action syndrome that were related to a physical factor. Eating disorder (so-called sitophobia and overeating), sleep disorder, sexual dysfunction (falls of sexual desire).
F6.
Character of an adult and an obstacle of an action. Problems about so-called personality disorder and a sexual behavior.
F7.
Retardation of mental development. In other words it is mind development delay.
F8.
An obstacle of the psychology development. Specific developmental disability (so-called LD) or pervasive developmental disorder (so-called autism) of teachability.
F9.
An action to usually develop in the infant period and youth and a handicap of a flavor. So-called hyperactive child and an act disorder, a tick disorder.
F99.
The mental disorder that is impossible of specification. All the things which do not fulfill the above-mentioned classification.

A classification by American Psychiatric Association (APA).
A new publication is DSM - IV. DSM is abbreviation of Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. DSM-IV-TR that a revision increased as for the real latest edition.
American is based on this classification from the start in Japan, and it is a famous thing tending it to be used of a diagnosis name.
Unlike ICD, as for the diagnosis and the big difference with ICD, "neurosis" and words to say are not used by a classification only for a mental disease conventionally.

1, the obstacle that it is usual, and is diagnosed for the first time in for the infant period or youth for the infancy.
Retardation of mental development, pervasive developmental disorder (autism), a specific developmental disability (an LD).

2, allophasis, dementia, a poor memory-related obstacle and the other recognition disorder.
I include parts of so-called exogenous sex mental disorder such as allophasis, dementia.

The exogenous mental disorder that is not included in 2 for 3, a mental disease by other general physical diseases classified nowhere.

4, material-related obstacle.
The obstacle that was related to alcohol or a drug / a stimulant.

5, schizophrenia and other mental disease-related obstacle.
Schizophrenia (schizophrenia) and the relation disease.

6, mood disorders.
Bipolar disorder (manic-depressive psychosis), great depression-related obstacles (depression).

7, anxiety disorder.
Panic disorder andphobia, obsessive-compulsive disorder (obsessive-compulsive neurosis).

Neurosis, the conversion hysteria which present physical symptoms such as an obstacle, convertibility disorder, hypochondria 8, physical expression-related obstacle body.

9, falsehood-related obstacle.
A kind of so-called simulation creating symptoms intentionally.

10, dissociation-related obstacle.
As for the dissociation-related poor memory, the dissociation-related flight, the dissociation gender identity disorders, it is dissociation hysteria.

11, a sex obstacle and gender identity disorders.
Obstacles such as sex function, sex taste.

12, eating disorder anorexia nervosa (anorexia nervosa), a nervous binge-purge syndrome (bulimia).

13, sleep disorder.
Sleeplessness, excessive sleep, sleep abnormality such as circadian rhythm sleep disorder and sleep accompanying symptom (so-called nightmare, night terror, somnambulation).

14, an obstacle of other impulse controls classified nowhere.
Kleptomania, pyromania, a fallen hair habit, morbid gambling.

15, an adjustment disorder.
The psychogenic reaction that I am mental disease-like by maladjustment reaction for stress, and there is not.

16, personality disorder.
I include an obstacle of various character.

17, the other states that will become an object of clinical participation.

18, an addition code number.

In brief, it means that one cup, a mental disease come out of this still more.

Schizophrenia.
Schizophrenia to say is called schizophrenia now in old days.
I feel like it being used somehow willingly.

I can call an obstacle to become those core in a group mainly on so-called mental disease symptom that I called a hallucination and a delusion with schizophrenia (schizophrenia).

The symptom that is characteristic of schizophrenia is a hallucination, a delusion, conversation without a unity and an action, a negative symptom.

Schizophrenia is classified in a delusion type, sixty four years of age type, strain type by a common mental disorder very much in a medical examination and treatment scene of psychiatry by a symptom and a difference of convalescence, but says that I tend to be classification inability.

Treatment of schizophrenia.
Even if treatment of schizophrenia is foreign in a case with treatment will to the person himself at an early stage of stage, I am possible enough.
However, hospitalization treatment is necessary when I do not recognize treatment will because a case and the symptom that took time by treatment introduction are heavy.

A principle of treatment becomes medical therapy.
Medical therapy is use of the antipsychotic enough in principle by an essential cure to win effectively.
In a born range of a side effect, it is said that it is necessary to use antipsychotic of enough quantity enough for a period among doctors.
Therefore I collect the medicine which I cannot finish holding in a house, and a patient is crowded and does OD.
When an effect is insufficient, I cannot but test several kinds antipsychotic that characteristics were different.

When an effect of antipsychotic is insufficient, feeling adjustment medicine (feeling stability medicine) and a kind of antianxiety drug are used.

I am dangerous, and carefulness is necessary to stop medicine easily because a condition was stable.
I get tired of carefulness of a doctor, and a patient comes to pull medicine without permission, and treatment tends to be prolonged.

It is said that a combination of various kinds of cures for education of ill knowledge for not only the antipsychotic dosage but also a patient / a family, SST, occupational therapy is effective as the other cures.

In addition, an effect by a medicine is insufficient, and an electroconvulsive therapy is used when I need emergency.

Even if it cannot be said that this disease is schizophrenia definitely, there is a lot of relation diseases to present a similar symptom.
However, the things which are non-decision are often found, and diagnosis names are different by diagnostic criteria.
It is classified in a hallucination and presence of a delusion, presence of a letter of feelings nature of disease, a difference of convalescence, but, judging from the patient side, is very annoying.
I do not understand whom I may believe at all.

Acute mental disease, schizophrenia are diagnosed as a mental disease-related obstacle, schizophrenia-like obstacle for acute transientness mental disease characteristics obstacle for a short term.

Hiding division disease resembles unification unbalance type personality disorder and a schizophrenia type obstacle each, and, as for the response mental disease, as for the paranoia, it is touched the name of disease named a fault for delusion characteristics obstacle and durability delusion characteristics obstacle for a joint ownership mental disease-related obstacle and response-related delusion-related obstacle.

Manic-depressive psychosis.
I am called feeling injuries now.
I set out for a group of a mental disorder of the symptom that manic state and a depression state are main.
When both manic state and depression states appear repeatedly, there is a thing only for a depression state.

The former was called manic-depressive psychosis for a long time, and the latter was called depression.
The depression or the depression state was usually common in life very much commonly as well as a medical examination and treatment scene of psychiatry.

A diagnosis name is decided whether manic state, light manic state, which of a depression state / a light depression state appeared. It is a groundless thing.

When, for manic-depressive psychosis, manic state and a depression state are severe; can present the mental disease state that called a hallucination and a delusion.
However, when it presents a mental disease state when manic state and depression are in a state, and there is not it, call it with non-fixed form mental disease and division emotional disorder, and it is diagnosed as schizophrenia (schizophrenia).

In addition, manic state, light manic state, a depression state, a light depression state appear as a symptom of various kinds of mental disorders other than it.
Different diagnoses may be followed at every it.

Treatment is different in a case with manic state only in the case of a depression state.

Treatment of depression.
Even if a depression state is foreign, I tend to be treatable enough, but hospitalization treatment is necessary when danger of a case and the suicide that physical weakening is remarkable is strong.
Use of enough antidepression medicine is advised medical therapy about as a principle of treatment of depression.
After all, in Japan, prescribing too much medicine treatment seems to be important.
It is demanded to use antidepression medicine of enough quantity enough in a born range of a side effect here for a period.

When an effect of antidepression medicine is insufficient, feeling adjustment medicine (feeling stability medicine) is added.
It is used to a thyreoid by a case.
I am troubled by a result, a side effect to be easy to come to gain weight.
When an effect by a medicine is insufficient and needs emergency, it is said that an electroconvulsive therapy is effective.

When a light depression state does procrastination, approach of psychotherapy is necessary.
It is said that cognitive-behavioral therapy is effective.
I say that light medical treatment is effective in the case of seasonal affective disorder.
I do not understand whether it is a knowledgeable uncle whether it is a doctor.

Treatment of manic-depressive psychosis.
An insight is insufficient, and, in the case of manic state, it is assumed that hospitalization treatment is more desirable so that I can take an eccentric action.
I think this to be the treatment that considered a family.
A family cannot finish bearing it. I cannot do it. For a patient, there is even that I have the urge to kill.

For medical therapy, as for the treatment principle of a manic state case, an antimanic drug, feeling adjustment medicine (feeling stability medicine), the dosage of lithium carbonate in particular are given.

This is originally medicine used for treatment of manic state, but it is able to prevent a wave of manic-depressive psychosis, and it seems to be thought that the continuous prevention dosage is effective with a person repeating both manic-depressive psychosis.
In addition, there can be the thing that antipsychotic leaves use additionally.

The dosage of antidepression medicine is effective in a depression state, but a shift to manic is to watch out in manic state.

Even depression is manic, but an electroconvulsive therapy is tested quite easily when I need emergency whether an effect by a medicine is insufficient.

A patient is not the thing which I felt.
I watch a test result with interesting eyes and talk and brag a doctor is not treatment, and to test it.

Brain organic mental disorder.
This is the illness that I suffer from disease of now.
Brain organic mental disorder is a mental disorder based on abnormality of a cerebral nerve.
If abnormality occurs in cerebral nerve system because mind activity is function itself of cerebral nerve system, it is a matter of course that some mental disorders occur.
Therefore every obstacle of a brain can cause brain organic mental disorder.
In addition, a symptom is multifarious, too, and every symptom may come out.

The disease that it becomes cause by.
A wound.
When I caught the damage in a brain in traffic accidents. Cerebral contusion with the possibility that a brain concussion reversible in principle and an irreversible symptom are left and a skull internal hemorrhage are included.

A tumor.
A malignant brain tumor can cause it every good nature. I can think with a wound-related mental disorder after having taken treatment by operations.

An infectious disease.
A virus, bacteria, a protozoan can become cause by every infectious disease. Dementia paralytica by syphilis is famous classically. There are BSE (mad cow disease) by prion, a mental disorder by an AIDS (HIV) virus, too.

By the other inflammation, a mental disorder based on inflammation of a brain may happen by a Behcet's disease and mixed connective tissue disease (SLE), a multiple sclerosis.

A mental disorder can produce a problem in steroid used for these treatment, and a case to suffer from discrimination is to be it.
When, as for the blood circulation disorder, there is the part where bloodstream deteriorated in brain tissue like cerebral infarction; of a mental disorder occur.

A case by cerebral hemorrhage feels like had better say wound characteristics.
It is thought that it is the blood circulation disorder with the obstacle that is similar to a blood circulation obstacle closely even if I cannot say when a handicap of a brain is generated in carbon monoxide poisoning and a hypoxia state.
It is in a meaning of an obstacle by hypoxia of brain tissue.

A degenerative disease is the disease that a nerve cell is lost as for the causes such as Alzheimer's disease, a Pick's disease, Parkinson's disease, spinocerebellar degeneration slowly although being missing.
I produce the obstacle that accepted a range of an obstacle.

A symptom.
Of every mind symptom taking up by a story of a symptom to handle in psychiatry in the case of brain organic mental disorder may be caused.

However, there is not a characteristic symptom as a diagnosis arrives to see a symptom.
It is understood only after a diagnosis is settled when this was a mental disorder by this disease.

When I take acute progress by a wound, vascular lesion, an infectious disease, other inflammation, it is accompanied with disturbance of consciousness more or less.
When it is an allophasis state that become a problem and presented a hallucination and a delusion, an excitement state, there are other mental disorders and a case judged by mistake.

As for the appearance of a sudden mind symptom, it is always diagnosed mind by a brain organic mental disorder and symptom student mental disorder.

In addition, a fall of physical sickness (malaise) that cannot specify a cause and activity characteristics / will, a depression state appear chronically.
Miscellaneous character changes and dementia can appear, too.

When a mind symptom is prolonged and is not improved by general treatment, it is said that a brain organic mental disorder and symptom student mental disorder is possible.

Naturally a principle of treatment becomes treatment of an underlying disease.
Treatment of an underlying disease is urgent business for particularly acute period.
For an allophasis state, actions to be taken establish it to some extent, but other hallucinations / delusions are in a state, and treatment cannot but be performed for manic state / a depression state symptomatically.