Sunday, June 22, 2008

自己愛性人格障害

境界例の重症のケース
 両親の目の前で死ぬんだと言い、窓から飛び降りようとした。母は頭をたたいて「いいかげんにしなさい」とB子を抱きしめた。しかし、引っかく、噛む、蹴るなどの暴力行為は両親から治療者にまでおよび、「なんで生きなきゃならないのか教えろ」と大声で怒鳴り続け、言語レベルではどうにもならないため、仕方なく Haloperidol 10mg を静注し、鎮静させた。

だれか私を見捨ててください
  Ver 1.0 1999/06/11
「我より入らんとする者は、すべての希望を捨てよ。我は地獄に至る門である」  ―― ダンテ 「神曲」


 誰でも見捨てられるのは嫌なものです。特に境界例の人は、見捨てられる不安や恐怖感が人一倍強いので、必死になって見捨てられることを避けようとしま す。しかし、そういう行為とは正反対に、完全に見捨てられてしまうことで、妙な安らぎを覚えることもあります。その極限の安らぎを求めて、自分で自分を絶 望的な状況に追いやることもあります。

 これは、親から刷り込まれた命題によるものと思われます。見捨てられた、絶望的な役割を引き受けることでしか、受け入れてもらえなかった、という状況に よって刷り込まれたものです。絶望しきってしまえば、それ以上絶望する心配はありませんので、妙な安らぎを覚えます。しかし、この安らぎというのは、心が 凍りつくことによって得られたものです。見捨てられる恐怖感に脅えて不安定だった心が、心が凍てついて固まってしまうことによって獲得された安定なので す。中途半端な夢や希望が、目の前にチラチラしていたりすると崩れてしまいます。すがりつく物が何も無いからこそ得られる安定なのです。地獄を求め、絶望 を求め、その修羅場の果てに得られた心の安らぎなのです。

 手首を切りつけ、白い腕を伝ってだらだらと流れ落ちる赤い血を眺めるといった自傷行為も、ある種の安らぎをもたらします。周囲の人がそれを見つけて驚 き、あわてふためいて応急処置をしたり、救急車を呼ぶために電話で大声を上げていたりするのを聞いていてると、心が枯れ果てたような安らぎを覚えたりしま す。周囲の人の叫び声が、凍てついた心を心を確かなものにしてくれます。

「リストカット、つまり橈骨動脈のあたりを切断することは自殺の方法の一つとして古くからあり、決して新しい問題行動ではない。しかし、こういった方法は一瞬のうちに致死に至ることがないために、擬似的な行為として行なわれることが多い」

「リストカットは周囲を驚かせ、関心を自分に引き寄せる効果がある。しかも疼痛がある種の快感やエクスタシーをもたらし、自己愛を満足させる行為である。 また、リストカットは幼児的な甘えやわがままを受け止めてくれる対象を喪失して孤立化する事態において起こると考えられる」

  ―― 「子どもの対象喪失」 森省二

 凍てついた心というのは、どこまで本当なのだろうか。人はどこまで絶望することが出来るのだろうか。鬱病や分裂病ならいざ知らず、そうでないのなら、完 全に絶望しきることは、希望を持つことと同じくらいに難しいのかもしれない。特に境界例に見られるリストカットのような場合は、周囲の人を驚かせ、自分の 抱えている問題に巻き込むことを目的としている。しかし、本人にしてみれば、自殺未遂が演技だなどと言われるのはたまったものではないだろう。そんなこと を言う人は、冷酷で残酷な人に見えることだろう。だが、その絶望に打ちひしがれ、凍てついてしまった心の背後には、ある種の計算が潜んでいる。この二重構 造に本人は気づいていない。指摘しても、理解するはずもない。周囲の人も見抜けずに振り回される。見抜いていても、万が一間違って死んでしまうこともある ので、やはり、ある程度は振り回されることになる。このような場合は、とりあえず患者との信頼関係を作る必要がある。患者に対しては、見捨てられていない こと、そして、今後も見捨てられる心配がないことを保証してやる必要がある。

 リストカットは、見捨てられた自分を演出するには効果満点である。床に垂れ落ちる赤い血を眺め、絶望という自己陶酔に浸ることが出来る。自分を痛めつけ た満足感に浸ることも出来る。束の間の「絶望の安らぎ」を得ることが出来る。そして、リストカットは精神的な行き詰まりを解決する手段として、その後も繰 り返されることになる。

 親が完全に見捨ててくれないこともある。はっきりとわかる形で見捨ててくれればあきらめもつくものを、なかなかそうはならなかったりする。ちぐはぐな対 応で、子どもを、付かず離れずの状態に留めようとする。見捨てられ不安を抱き続けるような状況に留めようとする。そうすると、子どもの方も、助けてくれる はずのない人に執着することになる。親への幻想が捨てきれず、かなうはずのない希望を抱き続けたりする。このあきらめの付かない状況を救ってくれるのが、 絶望である。思い通りにならなず、フラストレーションが極限まで高まって行くと、自ら「絶望」に脱出口を求める。絶望的な状況を作り出すことで、どっち付 かずの状態に見切りをつけようとする。思うように絶望に浸ることができないときは、絶望を演出してくれる小説などを読んで、絶望に浸ったりする。

 こういった絶望のナルシズムは、見捨てられる恐怖への防衛となる。最初から希望を持たなければ絶望することもない。絶望してしまえば、それ以上絶望する ことはない。希望を持つということは、見捨てられる恐怖と向き合うことになる。だから、心を凍りつかせることで、問題を回避しているのだ。しかし、心の底 には、甘えたい気持ちや、かまってもらいたいという気持ちや、あるいは抱き締めてもらいたいという気持ち、そう言ったあきらめきれない未熟な未練が残って いたりする。絶望は、その人に大人びた風貌を与えるかもしれないが、心の底に潜んでいるのは、切り捨てたくても切り捨てることの出来ない、愛情への未熟な 未練だったりする。だから、絶望に浸ることによって安定していても、愛情らしきものが目の前に現れたりすると、とたんにボロボロになったりする。未解決の まま眠っていた問題が一気に噴き出してくる。この状態は、眠っていた問題を発見するにはもってこいである。防衛機制によって幾重にも覆い隠されいたものが 姿を現すからだ。そこからは先は、絶望が自己中心的な甘えの裏返しであることに気付くまで、長い長い自己分析の道のりが待っている。何に対して絶望してい るのか、本当は何を望んでいるのか、そう言ったことに気付くまで。

 私たちはいったいを何を分かってもらいたいのでしょうか。それはおそらく、「本当の自分」であり、「ありのままの自分」なのでしょう。しかし、本当の自 分とは何なのかと言われると、自分でもさっぱり分かりません。「ありのままの自分」を分かってもらったり、励ましてもらったりした体験がないために、それ がどういうものなのか分からないのです。しかし、自分で分からなくても、分かってもらえない苦しさだけは、いやというほどよく分かるのです。そして、誰か に分かってもらおうとしては、傷付いて、あてもなくこの世をさまようことになるのです。

 人から見放されたからと言って、自分で自分を見放す必要は全くないのです。逆に人から見放されたときに必要なことは、自分で自分を支えて、自分で自分を 励ますことなのです。しかし、境界例の人はそうはならないのです。誰かに分かってもらえないきには、自分でも自分のことを分かろうとしなくなるのです。自 分で自分を支援する事が出来ないので、見捨てられた惨めさと敗北感に浸ってしまい、その泥沼の中で溺れてしまうのです。そして、誰も分かってくれないのな ら、誰にも理解できないような生き方をしてやる、と決心してしまうのです。たとえば、食べることを拒んで、すでにガリガリに痩せているというのに、さらに もっと痩せたいなどという、普通の人にはとうてい理解できないような事を考えたりするのです。あるいは、手首をカッターで切って血だらけになったりして、 普通の人から見れば、さっぱり分からないような行動をとったりするのです。なぜこんな行動をするのかと言えば、誰も分かってくれない事への怒りであり、当 てこすりなのです。すべての責任は、なにも分かってくれなかったお前たちにあるんだと言って、ボロボロになった自分を見せつけるのです。あるいは、ひとり きりになって、分かってもらえない寂しさに浸りながら、傷だらけの自分を見つめて、冷たく笑ったりするのです。

 メンタルヘルスの世界に「自己実現」という言葉がありますが、この本当の意味は、自分の願望を実現するという意味ではないのです。自分の限界を知り、不 完全な自分を受け入れ、不完全な他人を受け入れ、不完全な現実を受け入れ、部分的な理解と、部分的な愛情の世界でも生きていけるようになるということなの です。理想的な自分になるということではなくて、範囲と限界の中で生きている不完全な自分を受け入れて、ありのままの現実的な自分になるということなので す。

 かつては自分を過小評価して、自分の存在を抹殺してしまおうとまで考えていたのですが、その反動として、今度は自己愛が大きく膨らんでくるので す。そして、人によっては、自分がかつて境界例であったにもかかわらず、これからは境界例の人をバカにするパターンを取る人もいるのです。自己愛が膨らん できた状態で、境界例の人たちを眺めてみますと、愛情に対するあまりの卑しさや、貪欲さが、妙に鼻についてくるのです。そして、ちょっとしたことで絶望し たり、自分の不幸をひけらかしたり、すぐに感情的になって破滅的な行動をとる人たちが、バカに見えてくるのです。自分自身も、以前はそういう状態であった にもかかわらず、そんなことは、すぐに遠い過去の出来事になってしまうのです。実際に読者の方からも、「いつまで境界例をやっているんですか。私なんかも うとっくに卒業しましたよ」というようなメールをいただくこともあるのです。しかし、なかには境界例から足を洗いきれずに、自己愛を補充するために、境界 例の人をパートナーにする人もいます。まだ残っている自分の心の影の部分を、パートナーに演じてもらうのです。

 このようにして自己愛が膨らんでくると、いろいろなパターンで人を見下したりするのですが、ここでは「人を見下してはいけません」というような、 無邪気な道徳の話をしているのではありません。たしかに、人を見下すということは、いろいろな問題を抱えてはいますが、これもひとつの前進なのです。歪ん だ状態ではありますが、今は守るべき自分というものが存在するようになったのです。以前は自分を投げていました。自分で自分を見捨てていました。しかし、 今は守るべき自分というものがあるのです。

 私たちは普段、あまり意識しなくても、人を見下すことで自分を守っている部分があるのです。自分よりも不幸な人を見て、口には出さなくても、ああ はなりたくないという思いが、現在の生活のレベルを維持していくための心の支えになっている部分があるのです。道徳的なきれい事ではなくて、これは生きて いくために必要な自己防衛でもあるのです。今までは、自分というものが無くて、自分が無いということにさえも気付かずに、自分と他人の境界が混乱したまま 生きてきました。しかし、人を見下すことで、歪んではいますが、自分のというものの輪郭が多少は描けるようになったのです。ですから、自己愛の膨張は、人 によっては、かなり行き過ぎてしまう面はあるものの、回復して行く過程で通らなければならない通過点のひとつであると考えることもできるのです。



ある種の神経疾患、たとえばテンカン代理症発作
中枢神経系腫瘍、クリューヴァー=ビューシー様症候群
クライネ=レヴィン症候群など,神経性無食欲症
異常な摂食行動を伴う精神分裂病。


診断基準

A=むちゃ食い(一定時間内、通常2時間以内での多量の食物の急速な摂取)のエピソードの反復。

B=以下の内少なくとも3項目
1=むちゃ食い時の高カロリーで消化されやすい食物の摂取。
2=むちゃ食い時の盗み食い。
3=こうした摂食のエピソード腹痛、睡眠、他人の干渉、または自ら誘発した嘔吐で終わること。
4=厳しい食事制限、自ら誘発する嘔吐、あるいは下剤または利尿剤の使用による体重減少の繰り返し。
5=むちゃ食いと断食の交代による4.5キロを超える頻繁な体重変動。

C=摂食パターンが異常であることの自覚、および自らの意志で摂食をやめることができないのではと言う恐れ。

D=むちゃ食い後の抑うつ気分と自己卑下。

E=大食のエピソードは「神経性無食欲症」、またはいかなる身体疾患にも起因しない

喰うも地獄喰わぬも地獄

リンジー・ローハンが摂食障害であることを認めたそうだ。(Yahooニュースより

正直、やっぱりね。というのが感想だ。なぜなら、彼女はずいぶん前から太っただの激ヤセしただのと、体型に関するゴシップには事欠かない女優だったからだ。上記リンクの記事に寄れば、彼女は食欲異常をきたすブリミアにかかっているということである。

このブリミアとは、正式名称をBulimia Nervosa(ブリミア・ネルヴォーサ)、神経性大食症という。要は過食症のことだ。しかし、簡単に過食症(俗名)と言っても、「あなたはブリミアです」と診断が下るにはいくつかの基準を満たしていないといけない。その基準は(一応)統一されていて、「DSM-Ⅳ」というアメリカ精神医学会が発行している診断基準のマニュアルに書かれている(詳しくはこちら)。

たとえば、このブリミアであるなら

「A)むちゃ食いのエピソードの繰り返し。むちゃ食いのエピソードは以下の2つによって特徴づけられる。

①他とははっきり区別される時間(2時間以内の間)に、ほとんどの人が同じような時間に同じような環境で食べる量よりも明らかに多い食物を食べること。

②そのエピソードの間は、食べることを制限できないという感覚(例:食べるのをやめることが出来ない。または何を、どれほど多く食べているかを制御できないという感じ)。

B)体重の増加を防ぐために不適切な代償行動を繰り返す。たとえば、自己誘発性嘔吐、下剤・利尿剤・浣腸・またはその他の薬剤の誤った使用、絶食、または過剰な運動。-以下省略-」(APA、高橋ら訳、1995)

以上のような所である。他にもまだ基準があるが、簡単に説明すると、とても信じられない量の食事を2時間以内に食いまくり、そして一気に吐いたり、 下剤で出してしまったりする症状(これら代償行動を伴わないタイプの人もいる)が一定期間以上続いている場合をさして、ブリミアと診断されると言っていい だろう。

ブリミアが大食症であるならば、もう片方、拒食症もある。そちらは、正式名称をAnorexia Nervosa(アノレキシア・ネルヴォーサ)、神経性無食欲症という。こちらは、とにかく食べない。必要最低限以下、下手すると死亡してもおかしくないくらい食べない症状を指す。DSMでは、「期待される体重の85%以下の体重が続くような体重減少の状態」とされている。そして、それほどに体重が減って痩せているのに、本人がそれを否認すること。体力的にヤバいにも関わらず、過剰な運動・活動を行うこと、などが特徴的とされている。

これら二つ、ブリミアとアノレキシア・ネルヴォーサは、まとめて摂食障害と言われている。どちらか片方だけしか発症しない人もいれば、過食と拒食を繰り返し、両方を発症する人もいる。どちらにせよ、とてもとても苦しい病気だ。そして、その多くの罹患者が女性であると言われ、現在日本でも大変多くの人が摂食障害を患っている。

しかし、この摂食障害の歴史は意外と浅い。「心因性」の「病気」として扱われ始めたのは、1930年代~40年代のことである。その後1987年に なって、ブリミアが「神経症」として分類される。しかしながらこの時点(’87)では、発達障害というもっと大きな病気の中の下位診断として記述され、そ れ自体が独立した病気とはされていなかった。最終的に今の形(過食・拒食ともに独立した病気とする)に落ち着いたのは、1994年のこと。本当についこな いだの事である。

人は、おなかが空けばものを食べ、胃がいっぱいになれば食べるのをやめる。それは当たり前のことのように感じられるし、実際、意識しなくたってそのように生活していけるのが普通である。だが、世間一般の人が考えているほど、摂食行動というのは簡単なものではない。もっと、ずっと複雑なものだ。たとえば、おなかが一杯でも目の前に極上のウニ・トロがあったらどうだろうか?きっと食べてしまうだろう。逆に、おなかが空いていたとしても、自分一人で寂しく食事・・となると、なんだか食が進まないということもあるだろう。

「パブロフの犬」の実験で有名なロシアの生理学者パブロフは、犬を用いた「偽給餌法研究」という興味深い研究を行っている。この研究は、犬の食道を切って、体外に出してしまった状態でエサをやったらどうなるか?という大変残酷きわまりない実験である。このような状態で、犬がエサを食べると、食道は体の外に出ているのでもちろん胃には入らない。つまり、おなかは全然一杯にならないのである。なのに、犬自体は、「あぁメシ喰っておなかいっぱい~」という感じで、それ以上食事を取ろうとしないという。これは、非常に面白い結果だ。つまり、胃が一杯かどうかでは、摂食行動を左右することにはならないのである。

心、頭(脳)、体は相当複雑に絡まり合っており、気持ちや環境の違いで、摂食行動には大変大きな影響が出る。一筋縄では考えられないのが、摂食行動だといえるだろう。

この摂食障害という病気は、非常に治りにくいといわれている。確立した治療法がまだ無いのである。しかし、うつ病の患者に投与されるSSRIが摂食障害にも効くことから、どうやら脳内伝達物質であるセロトニンが摂食行動に影響を及ぼしているらしいということがわかっている。セロトニンが働くと、食欲が抑えられるそうだ。脳内セロトニンの不均衡も摂食障害の一因として考えられ始めている。

摂食障害を心の問題とどういう形で絡めるかという問題については(たとえば、嗜癖の問題として扱うか、アイデンティティの問題として扱うかなど)、 研究者によって違うためここでは触れない。しかし、デブは最悪・やせていることが最良とされる現代では、この病気は誰もがなる可能性を十分に持っていると いえるだろう。

摂食障害

摂食障害(Eating Disorder)


世間では「過食」や「拒食」と言われていますが、正式には過食の方を、神経性大食症(Bulimia Nervosa)別名ブリミア拒食の方を、神経性無食欲症(Anorexia Nervosa),別名アノレキシアと 言います。アノレキシア(拒食)からブリミア(過食)への移行はよく見られますが、ブリミア(過食)からアノレキシア(拒食)への移行はあまりありませ ん。しかし、病歴を取ると、ほとんどの場合、ブリミアの前段階にアノレキシアの時期があります。ですからまず、アノレキシアを理解することが大切です。


病前性格は、完璧主義・強迫性という傾向です。強く完璧を求める背後には低い自己評価が根底にあることも少なく ありません。彼女達は(患者は圧倒的に女性が多い。)体重のコントロールで、意識するにせよしないにせよ、自己達成感を感じているところがあります。です から単純に「食べろ」「食べろ」というメッセージによる働きかけは、彼女達には無効です。特に、当初の「食べない状態」から「食べられないからだの状態」 になってしまった段階においては、これらのメッセージは、「もっと苦しみなさい」と同義の残酷さを持ちます。ですから援助する側は、まず彼女達が摂食障害 になってしまった背景にある、自己不全感への共感が大切になります。痩せがはじまると(低体重)、しばらくすると生理が止まります(無月経)。痩せていく姿に、まわりは心配し、ひたすら食べることを進めますが、彼女達の肥満恐怖感、やせ願望ボディーイメージの障害(がりがりの状態でも自分ではまだ太っていると思っている)の前には、私達のメッセージは多くの場合、馬耳東風となります。食べることのできない状態であるにもかかわらず、勉強も部活動にも、精力的に取り組みます(過活動)。しかしその裏では、指をのどに入れて吐きだこができるほど吐いたり(自己誘発嘔吐)、下剤の使用も躊躇しないケースも多くあります。(浄化行為)。



摂食障害には、これといった決め手になる治療法はないのが現状ですので、精神療法・精神分析療法・薬物療法・認知行動療法・家族療法など、いろいろ組み合わせていくことになります。治療の目的は①社会生活で対人関係の適応も良くなり、普通の状態の自分で良いのだと思えるようになる。②体重、食行動、月経の正常化 というところになります。いずれにせよ、自己不全感の解消がひとつの鍵となります。

脳内化学物質が食事障害の一因であるかも知れない

最近の研究によるとブリミア(過食と拒食を繰返す食事障害)は脳内化学物質のバランスが生まれた時から良くないために起こるかも知れないと報告しています。

ウオルター・ケイ博士(a professor of psychiatry at the Western Psychiatric Institute in Pittsburgh)によりますとブリミアの危険性がある人を前もって発見出来るし、過食拒食のサイクルが発生する前に何らかの処置を施せる可能性を指摘しています。

現在までにブリミアを起こす人の脳はセロトニンのレベルが正常値と異なっている事が分かっている。所でセロトニンは気分と関係があり強迫行為を起こす要因 と考えられているのですが、このセロトニンを制御するプロザックがブリミア及び拒食症に過去数年処方されて中には成果を上げている例もある。

生まれた時はセロトニンに問題が無かったがその後の不規則な食事で変化を生じたか、あるいは生まれる前から問題があってブリミアになる傾向があるのかは分かっていない。

ケイ博士は多分食事障害の人は不規則な食事を開始するずっと前からセロトニンのレベルに不調があるのであろうと述べている。更なる研究で将来はブリミアを 起こし易い人を特定したり、良い治療法を開発できるでしょう。クレアミスコ氏によれば「既にセロトニンに関しては多くの研究が為されているので特に驚く報 告ではないが良いニュースである。食事障害は複雑な病気で精神、体両方がからんでいます。生物学的な面から捕えた今回の報告はある種の希望を与えるでしょ う」

アメリカでは約500万人の人が食事障害に悩んでいて女性は全人口の5%、男性は約1%の割合です。拒食症は絶食をし過度の運動をします。ブリミアでは過 食をしてその後に吐くか下剤で流し出す行為をする。ミスコ氏によれば「患者は不規則な食事行為を空しくやる。生物学的なリンクが発見されれば今までの論争 が一掃されるでしょう」

ケイ氏の研究グループは31人の健康な女性と30人のブリミアを患って今は健康な食事に戻って少なくても1年間回復した女性を比べました。脊髄液を比較し た所ブリミアから回復したグループに正常値以上の高いセロトニンのレベルが現れた。このグループは高レベルセロトニンに伴う症状即ち気分の落ち込みとか完 全僻が多く現れた。

この研究の対象の女性は皆食事は正常にしているので食事方法のみがブリミアに悩んでいる人のセロトニンレベルの異常値を作るとは説明できない。そうでは無く遺伝的特質がこのブリミアになり勝ちな人の高セロトニン値を形作っているかも知れない。

遺伝が原因か

今までの双子を比べた研究によるとブリミアと拒食症では遺伝が関係しているとしている。ケイ氏によると更にそれを裏付けるデーターがあり5年前に実施した拒食症の女性グループではセロトニン値が高く現れた。

セロトニンレベルの高い女性は何故食事障害になり易いかは、セロトニンが鬱状態、不安あるいは強迫観念を作り絶食によりセロトニンのレベルを下げる事が出来ると説明できる。セロトニンは食物中にあるアミノ酸の中のトリプトファンから作られる。

ケイ氏によれば患者の異常な食事行為は短期間安心を与える。しかしセロトニンが今度正常値より下がると不安、不調、衝動行為が湧き起こるため患者は暴食を してセロトニンのレベルを高くしようとする。こうして彼等は決して捕まえる事が出来ない何かを追う事になる。

NABA

NABAとは

正式名称は「日本アノレキシア(拒食症)・ブリミア(過食症)協会」で、Nippon Anorexia Bulimia Associationの頭文字をとってNABA(ナバ)と呼んでいます。
NABAは、摂食障害からの回復と成長を願う人々の集まりです。摂食障害者が居心地よく安心して集える場の中で、仲間と出会い、理解と共感を通して相互に助け合うことを目的とし、自助グループとして活動しています。
★摂食障害とは・・・
摂食障害には、食べ物や食べる行為を拒む「拒食」、食べることをやめたいと思っても食べ続けてしまう「過食」、食べたものを意識的に吐き出してしまう「自己誘発嘔吐」のほか、食べ物や食べ方のこだわり、偏食、下剤・利尿剤乱用などの症状があります。
さらに、心身ともに傷つき、登校・出社拒否、アルコール・薬物への依存、ひきこもり、家庭内暴力、強迫神経症、盗癖、自殺企図、その他の依存症等も含めて、本人の抱える問題は多岐にわたっています。
また、人並み以上にしっかりと社会人や主婦としての役割をこなしていたり、医療・福祉・教育などのいわゆる援助職に就いている人も珍しくはありません。
いずれにしても、社会でも家庭でも「自分の居場所」があるという実感をもてず、孤独と疎外感を抱えているという点が共通してみられます。

NABAでは、こうした症状の背景に耐えがたい寂しさや生きていくことへの恐怖、自己肯定感や自尊心の欠如などがあり、対人関係や生き方の中にこそ、本質的な問題があると考えています。

★NABAでの回復と成長とは・・・
私たちにとっての回復と成長とは、摂食障害の症状がなくなることだけを意味していません。
ですから、NABAでは症状だけを問題として取り上げ、無理に止めさせようとしたり、説教をしたりはしていません。回復や成長のために大事なのは、症状も 含めた今の自分を責めずに認め、少しずつありのままの自分を受け入れていくことです。あくまでも個々人が”自分らしさを尊重・肯定し、自分らしい回復や成 長を探し求め、選択していけること”を願っています。
そのためにも、まず一人で悩むことをやめ、ありのままの自分でいても大丈夫な、安心できる場所・人を求めることが大切です。
特に同じ悩みを抱えたもの同士が出会い、その体験と問題を分かち合う中でこそ、回復や成長が獲得できると信じて、NABAでは私たち自らの安全な場の確保と提供を最優先にしています。
★NABAのモットー・・・
NABAのモットーは「いいかげんに生きよう」です。
私たち摂食障害者は何事も「これしかない」「どっちが良いか悪いか、正しいか正しくないか」といった白黒思考的な狭い価値観で生きていたり、「とにかく最 後まできちんとやらねば」といった完璧主義の結果、つい頑張りすぎてしまうか、全く何もやらない「all or nothing」の傾向があります。
そのため、直接NABAへ来所できない人も含めて、個々人が個々の選択肢を増やし、「今したいこと、できること」を大切していけるようにとの願いをこめて、「いいかげんに生きよう」を合言葉にしています。

1987年4月 NABA発足
1991年 グループの安全性・対等性・存続性のため、会員(メンバー)制とする。
1994年 東京都世田谷区上北沢に事務所とミーティング場を常設する。
~現在  

なお、会員(メンバー)制は東京・上北沢のNABAに限ります。
他にも、全国各地域でNABAグループがありますが、本部・支部などの上下関係ではなく、連携をとりながら個々に独立した活動を行っています。  →地域ネットワーク


Friday, June 16, 2006

イランでのブログとは?

今では当たり前のブログ。中東地域での其の歴史は二〇〇一年に遡る。

オーストリア、ウィーン、二〇〇一年、ホセイン・デラクシャン氏はブログを始めた。その十二月の同じ日に自分のブログを開設した人は他に何百人もいただろうが、革命に火をつけたと誇れる人はまずいない。

だが、デラクシャン氏の場合、ブログ開設後まもなく、イラン人からの問い合わせが殺到した。同国で話されているペルシャ語でブログが運営されているのに気づいた人たちが、その方法を知りたがったためだ。大多数の無料ブログ・ホスティング・サービスは、ASCII形式の英数字しかサポートしておらず、ペルシャ語などで使われるアラビア文字や、キリル文字、アジアの諸言語の文字などは使えないことが背景にある。

其のため、デラクシャン氏(二〇〇三年当時二十三歳。イラン人だが国を離れ、現在はカナダのトロントに住む)は、ブログ開設にあたり、必要なツールの一部をASCIIからユニコードに移植し、イラン人が母語でブログを利用できるようにした。

この試みは、最新技術を使って自国の社会の近代化や西洋文化の導入を図りつつ、かつ自分達の文化遺産も捨てまいとしている、イラン人の努力の一例だ。
デラクシャン氏によれば、今ではイラン人によって開設された現代ペルシャ語版ウェブログはおよそ一万二千を数え、しかもその数は毎日増えているという。

「報道の自由がイランに戻るまで、ブログの隆盛は続くだろう。イランではここ数年間だけで民主主義擁護派の新聞が約九十紙も廃刊させられた。
其のため、人々はニュースの入手先としてインターネットに頼るようになっている」と、デラクシャン氏は五月二十三日、ウィーンのクレムスにあるドナウ大学ニューメディア・センターで開催されたブログがテーマの会議ブログ・トークで述べた。

この会議は、ヨーロッパの人々を対象にしたもので、ブログの個人およびビジネスにおける利用に焦点をあてて討議が行なわれた。

西洋人がブログを使って人々と交流したり心情を吐露したりしているのと同じく、イランの人々もブログを自己表現の手段として利用している。しかし、同国には宗教警察があり、西洋文化の受容に熱心過ぎる人物を逮捕できる大きな権限を持っているため、ネット上で本音を語ろうとする場合、匿名を使わざるを得ない。

二〇〇三年現在では、イランでは百万人ほどの国民がインターネットにアクセスでき、その活動はおおむね検閲なしだが、政府が監視している。

「一九七九年のイスラム革命以来、イランの社会も大きく変化してきた」とデラクシャン氏。「改革派で人気のある人も多い。しかし、彼らはとくに大きな力を持っているわけではない。国家の指導層は依然として強固な保守派だ」

本名を伏せる条件で取材に応じたイラン人女性のブロガー「エラへ」氏(24歳)によると、イラン政府の保守派は「インターネットを理解していない」という。
とはいえ、最も保守的なイスラム原理派のムッラー(法学者)達の中にさえ、自らウェブサイトを開設して教義を掲載しているグループもあるともいう。

政府内でも穏健派は、ハイテクに比較的詳しいが、国民の私的なウェブログソフトコア・ポルノや政府批判などもあるには目を瞑っていると、デラクシャン氏は指摘する。

だが、そうした寛容姿勢は終わりに近づいているのかもしれない。二〇〇三年四月下旬、ジャーナリストのシーナ・モタレビ氏がテヘランで逮捕されたが、その理由はブログ活動を行なったことだった。

国営イラン通信(IRNA)によれば、モタレビ氏は三億イランリアル(約三万七千米ドル)の保釈金を払い、五月十四日に保釈されたという。

モタレビ氏は今、裁判待ちの状態だ。
IRNAによると同氏の容疑は、ブログのコンテンツによる「文化活動を通じて国家安全保障を脅かしたこと」、および外国報道機関に寄稿した記事や応じたインタビューの内容に問題があったことだという。
同氏は、改革派新聞ハヤーテ・ノウ紙に記事を書き、同紙が今年一月に政府によって廃刊に追い込まれるまで寄稿を続けていた。

IRNAの伝えるところでは、モタレビ氏は「拘留されて取り調べを受けていた期間中、容疑の一部を認めていたが、それ以外の容疑は認めていない」という。同氏のブログは現在、オフライン状態になっている。

エラへ氏は電子メールで述べた。
「モタレビ氏の逮捕は、イランのウェブロガーたちを大きな不安に陥れた。ブログをやめたり、ブログの内容を調べて、当局に問題視されそうな投稿を削除したりしている。多くのブログが気の抜けた退屈なものになってしまった」

エラへ氏がとりわけ残念がるのは、ヘジャブ、華美な服装を禁止するイスラム教の服装規定やイスラム社会における性差別などといったデリケートな問題について率直な意見交換がなされていた、イラン女性達のブログがなくなってしまったことだ。

エヘラ氏は言う。
「イラン女性の一部は、ヘジャブについて肯定的で、外見を魅力的にしなければとか若さを保たなくてはといった、西洋の女性が持つ強迫観念から解放してくれると思っている。本当に抑圧的なのは、西洋の服装規定のほうだというわけだ。其の一方、ヘジャブは女性を束縛するものと考えている人もいる。こうしたことがらを率直に討論するのは面白かった。私自身は、そうした女性たちのブログにイランの男性が投稿した意見を読むことに、とりわけ大きな関心を持っていた」

「わたし達のブログは、イランの男性と女性がそうした問題について互いに話し合える、唯一とは言わないまでも、数少ない場だった。男性の中には、女性がみんな、喜んでヘジャブに従った服装をしていて、家庭にいて保護されることも自ら望んでいるのだと思い込んでいる人たちもいる。女性の中にも、安全よりも自由を望む人がいると知って、男性は驚いていた」と、エラへ氏は指摘する。

デラクシャン氏は、イランの若い人達にブログの人気が高いことについて、最近二十年の間にイラン社会、少なくとも大都市に住む比較的若い中流階級の人々に起きた大きな変化を示すものだ、と指摘する。

「こうした人々が新しい価値観を持ちはじめたこと、そして新しいライフスタイルを追求していることを示している」とデラクシャン氏。
「年輩の世代は、個人的な感情や意見を隠そうとする。しかし、ペルシャ語版ブログの内容をちょっと調べるだけでも、個性や自己表現および寛容などが新しい価値として重んじられるようになってきたと、はっきりとわかるはずだ」

そして現在。
カナダを拠点に活動するブロガーのホセイン・デラクシャン氏は、最後にイランを訪れたとき、拘束され尋問を受けた。
出国の許可と引き替えに、ブログの内容を謝罪する文書への署名を強要された。其れでも、他のブロガーと比べればデラクシャン氏は幸運なほうだ。

この二年間、イランのブロガーの間では、政府による嫌がらせを受けたり、政府にたてつく意見を表明したとして逮捕されたり、起訴を恐れてこの国を離れたりするケースが相次いでいる。

保守的なイラン・イスラム共和国では、政府が新聞や放送を広く統制しており、ブログは自由な表現が許される最後の砦の一つだ。性の話題から核問題まで、ブログでは人々があらゆることについて自由に意見を表明できる。しかし、検閲の脅威はいよいよブログにも及んできた。

イラン人によるブログ・コミュニティーはウェブロジスタンと呼ばれ、比較的新しい。二〇〇一年、改革派の大統領に対抗する強硬派が、百以上の新聞と雑誌を発禁にし記者を拘束したのをきっかけに、にわかに活気づいたのだ。
このとき、デラクシャン氏はペルシャ語(イランの言語としてはファルシ語とも呼ばれる)によるウェブログ開設の手引きをネットに公開した。

以来、ウェブロジスタンは目覚ましい成長を遂げた。
正確な数字はわからないが、専門家の推計によると、現在イランで運営されているウェブログは七万から一〇万にのぼるという。その圧倒的多数はペルシャ語で書かれているが、英語のものも少しはある。

ブロガーを守る委員会(Committee to Protect Bloggers)というオンライングループを率いるカート・ホプキンズ氏(シアトル在住)は、全般的に見て、現在イラン人でブログを書いている人の割合は「非常に高い」と述べている。

「イラン人はおしゃべりな国民で、非常に知的で社交的なうえ、言いたいことがたくさんある。そして、皆を黙らせようとする政府の小集団と対立している」とホプキンズ氏は話す。

ホプキンズ氏の指摘によると、自らの陣営を支えるため、イラン政府は世界すべての国のインターネット・コンテンツを対象に、非常に大規模で巧妙な検閲やフィルタリングを行なっている。
これ以上の検閲を行なっている国は、中国以外はないという。

インターネットでの検閲や監視の問題に取り組むオープンネット・イニシアティブの二〇〇四年調査によると、フィルタリングを米国製の商用ソフトウェアに頼る中東の国が増加しており、イランもその一つだという。
イランが使用しているソフトウェアは、世界各地にホスティングしている英語のサイトと、ペルシャ語で書かれたイラン国内のサイトの両方をブロックしていると、この調査は指摘している。

イランにはインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)へ申し込む個人に対し、非イスラム的サイトにアクセスしないことを誓約する書面への署名を強制する法律があり、政府によるフィルタリング行為を支えている。また、この法律はISPに対しフィルタリング装置の設置を義務づけている。

フィルタリングは「組織的で、ますます酷くなっている」とデラクシャン氏は話す。
デラクシャン氏は昨年の春、イラン訪問時に拘束され尋問を受けた。
強硬派のマフムード・アフマディネジャード大統領が選出される直前のことだった。

しかし、イラン政府が何万という国民のブログに脅威を感じているのは、こうしたブログがそろって政府を侮辱したり、現政権の転覆を呼びかけたりしているからなのか。
実はそうではないらしい。

イランにおけるブログ上の議論には、政治的なものはめったにない。最も一般的な話題は文化、社会、性の問題だ。また、若い男女が人前でデートできないイラン社会において、ブログはおしゃべりの場としてうまく機能している。女性問題を議論するブログや、芸術や写真を扱ったブログもある。

しかし活動家によると、イラン政府はあらゆる話題を等しく脅威と捉えているという。
イラン在住のブロガーは、其のことを他の誰よりも知っている。

イランで最大級の人気を誇るブログを運営する、パラストゥー・ドコウハキ氏(二十五歳)は、「とても慎重にやっている。イランでは、本名で書いているブロガーは誰もが慎重を期す必要がある。越えてはならない一線はわかっているから、そこから外には踏み出さない。そして、最近はその一線がどんどんきつくなってきている」と話す。

ドコウハキ氏は直接的に政治について書くことはない。専ら社会問題に専念している。
しかしイランでは、それも触れてはならない問題とみなされる。

「わたしは政府による決定の社会的な影響について書くが、当局は其れが気に入らない。当局が管理できないからだ」とドコウハキ氏は説明する。

政治的な発言を公然と行なうブロガーは、さらに困難な状況に置かれている。

ハニーフ・マズローイ氏は一九九四年、著述活動によってイスラム教の教義に背いたとして逮捕、起訴された。六十六日間の拘置の末、マズローイ氏は釈放された。

「当局にとっては、ブロガーを召喚し脅かすのも当然のことだ」とマズローイ氏は話す。
政府のマズローイ氏に対する攻撃は続き、三ヵ月前、マズローイ氏は当局から再び召喚され、核問題に関して決して書かないように通告された。
釈放後まもなく、マズローイ氏はブログを閉鎖した。

「当局は私に圧力をかけ続けた」とマズローイ氏は話している。

イラン人ジャーナリストでブロガーのアラシュ・シガルチ氏は、イラン指導者の侮辱、敵対勢力への協力、イスラム国家に反するプロパガンダ、さらには国民を煽動し安全保障に脅威を与えたとして、逮捕、起訴された。

シガルチ氏は六十日間の拘置の末、十四年の禁固刑を宣告された。
これに対しシガルチ氏は上訴し保釈され、刑期は三年に減刑されたが、指導者の侮辱とプロパガンダに関する嫌疑がまだ残っている。

さらに、モジタバ・サミネジャド氏は二〇〇五年の二月に拘束されて以来、現在も収監されている。
サミネジャド氏が最初に逮捕されたのは二〇〇四年十一月のことで、仲間三人の逮捕に異を唱える発言が原因だった。
ブロガーを守る委員会によると、サミネジャド氏のウェブサイトはヒズボラ(レバノンのイスラム教シーア派の過激派組織)を支援するイランの関係者に書き換えられたという。

釈放後、サミネジャド氏は新しいアドレスでブログを立ち上げた。しかし、これが二〇〇五年二月の二度目の逮捕に繋がった。
サミネジャド氏は二年の実刑を宣告され、さらに、「不道徳」を煽動したとして十ヵ月の刑を追加された。

このような弾圧はあるものの、イランのブロガーの大多数は、政府はブログ自体を撲滅するつもりはないとみている。
むしろ、当局側の思い通りに進めるためにブログを利用したがっているというのだ。

ベルギー在住のイラン人ブロガー、ファリド・プーヤ氏は、イラン政府が最高のブログ四つを選ぶコンテストを開催したと指摘する。テーマはイスラム革命とコーランだ。

「政府は慎重な観察の末、ブログが重要だということを学んだ。そこで、ブログを巧く利用したいと考えている。政府はブログブームに乗り、これを管理したいのだ」とプーヤ氏は語る。

不適切とみなしたインターネット上のコンテンツをブロックするイラン政府の取り組みに関して、オープンネット・イニシアティブの二〇〇四年調査は次の事実を報告している。

世界各地にホスティングしている英語のサイトと、ペルシャ語で書かれたイラン国内のサイト、どちらのブロックにも、イランは米国製の商用ソフトウェアを使用している。

二〇〇四年十一月にテストした際には、千四百七十七のサイトのうち総計四百九十九のサイトがブロックされた。
二〇〇四年十二月のテストでは、二千二十五のサイトのうち六百二十三のサイトがフィルタリングされた。

ブロックされたサイトは多岐に渡り、たとえばポルノサイト、女性の権利を訴えるサイト、同性愛を題材としたサイトなどが含まれている。また、数多くのウェブログの他、インターネットを匿名で閲覧できるようにする「匿名化」ツールもブロックされた。

イランでは、法制度も政府のフィルタリング行為を正当化している。
ISPに申し込みを行なう個人は、非イスラム的サイトにアクセスしないことを誓約する書類に署名を強制される。
また、全てのISPは、ウェブサイトと電子メール向けのフィルタリングシステムを設置しなければならない。

国が違えば、こんなに扱いと重みが異なるブログ。
日本ではお小遣いだの出会いだのと、嘘ばっか連なっているが、真剣に自分の主張を貫くツールとして、ブログが有する意義が大きいのだ。

小学生がお任せで書く日記とは違う。
命懸けで書かれるブログが、この地上には溢れている。しかし、そんな有意義なブログほど、人目に曝される機会は少ない。
わたしは読みたい。だけど読める機械はほぼゼロだ。