Thursday, February 16, 2006

昔の韓国の異常

韓国の宦官の作り方について。

男根を慎重に除去し、止血した後、細い尿道を探す。

其処へきれいに消毒した麦わらを挿し込み、尿道が塞がらないようにしなければならない。

そして止血した後、麦わらを焼いた灰を濾して、傷口に振りかける。
傷が悪化せず、麦わらから尿が流れ出せば、施術は成功といえる。

幼いうちに睾丸を細い絹糸で縛っておけば発育が困難になり、時期がくれば自然と落ちる。

ってのが、かの宦官の作り方。
声まで変わるから怖いね。

「中華」(世界の中心)として君臨してきた輝かしい中国の歴史の中で、最大の恥部とみなされているのが宦官だ。今回は、悪名高き宦官の実態について見ていこう。

宦官とは、去勢された男子のこと。ペニスと睾丸を切除してしまうのだ。もちろん、麻酔などない時代である(書いているだけで恐ろしい…)。こんなことがなぜ行われたのか。おそらく、家畜を去勢して飼い慣らすのと同じ感覚なのだろう。つまり、異民族の戦争捕虜をおとなしくさせてこき使ったのだ。これは最古の王朝である殷からすでにはじまっている。

また、周の時代から刑罰として去勢が行われている。これを「宮刑」といい、死刑の次に重かった。

しかし、あろうことか、宋のころから自分で去勢手術を受ける者があとをたたなかったという。貧しい庶民にとって、宦官になって宮廷に入ることは、一攫千金のチャンスだったからだ。

宦官は、男子禁制の後宮(皇帝のお后がたくさんいるハーレム)での雑用がおもな仕事だった。新米宦官は、ベテラン宦官のもとで宮廷のしきたりをたたきこまれる。宦官社会は階級が絶対で、先輩にいじめられても逆らうことができない。しかし、どんなにつらくても、もはや一般社会にはもどれない。悲惨な境遇から抜け出すためには、ピラミッド組織の上にのぼっていくことだ。首尾よく出世し、皇帝に気に入られれば、大臣さえあごでつかうほどの権力を握れたのだから。

ここで注意しなければならないのは、本来は雑役夫にすぎない宦官が、政治を左右する力を持ったのはなぜか、ということである。それは、君主である皇帝がひどく孤独だったためである。部下や身内すら信用できない独裁君主にとって、つねに身近にいて言うことをきいてくれる宦官はなにかと便利な存在だったのだ。

こうして、宦官は歴史の表舞台にあらわれる。有名な宦官としては、大歴史書『史記』を著したしばせん司馬遷、紙を発明したさいりん蔡倫、大艦隊を率いてアラビアまで行ったていわ鄭和があげられる。ただし、このような立派な業績を残した者は少なく、たいていは権力欲にまみれた俗物として登場する。

中国史の中で、とくに宦官の専横が激しかったのは後漢、唐、明である。これらの王朝では、宦官は皇帝を意のままにあやつり、親衛隊を勝手に動かすわ、有能な政治家や軍人を追放するわ、はては皇后を殺して幼い皇帝をたてるわ、やりたい放題だった。

こんなにひどい害があるなら宦官なんて廃止してしまえばいいのに、と思うだろう。しかし、かの三国志のヒーロー、曹操はこう言っている。「宦官の制度は昔からあってその存在が悪いわけではない。君主が権力を与えすぎるからこんな事態になったのだ。」

たしかに、中国の王朝にとって、宦官は切っても切れないくされ縁だった。後漢と唐では、あまりのひどさに我慢できなくなった将軍が宮廷に乱入し、宦官を全滅させた。しかし、それと同時に、王朝そのものも滅亡してしまった。

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