Thursday, February 16, 2006

生き下手な日本人の殺し方

テーマとずれるが、関連ありなので書き留めておきます。
歴史関係はどこに書けばいいのか?

済南事件(昭和三年、一九二八年)は、中国兵による略奪陵辱暴行殺人事件だ。
約四〇〇人の日本人が被害を受けたという。

このような陳述書が残されている。

予は病院において偶然其の死体の験案を実見したのであるが、酸鼻の 極だった。
手足を縛し、手斧様のもので頭部、面部に斬撃を加へ、或いは滅多切りとなし、婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。
或る者は焼かれて半ば骸骨となっていた。焼残りの白足袋で、日本婦人たる事がわかったやうな始末である。
我が軍の激昂は其の極に達した

と。
どっちが先でどっちが悪いのか、もう不明。

或る軍人の自伝、より。

腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割木を挿込みたるもの、顔面、上部を切落したるもの、右耳を切落された左頬より右後頭部に貫通突傷あり、全身腐乱し居れるもの各一、陰茎を切落したるもの二体」(五月九日 田中外相宛西田領事報告)

昭和二〇年五月一七日から、六月二日までの間に四回の解剖が行われ、八人の米兵が犠牲になった。

この解剖手術の目的は次のようなものだ。
一回目は全肺摘出、海水の代用血液だった。
二回目は心臓摘出、肝左葉切除。
三回目はてんかんに対する脳手術
四回目は代用血液、縦隔手術、肝臓摘出であった。

この解剖は病院の手術室ではなく、解剖学教室の解剖台で行われた。
米兵は麻酔をかけられてはいたが、手術中、もしくは術後すぐに、死亡した。

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