Wednesday, February 15, 2006

騒音が増えていく一方の世界に如何対抗するか?

世界の騒音について。

友人との会話の最中、彼は憤慨していた。
日本人の礼儀正しさ、勤勉さ、謙虚さ、全てが失われた、と。

そして、世界は、どんどん騒がしくなっている、と。

確かに、削岩機やジェット機といった爆音から、リーフブロワー(落ち葉を掃除する機械)や芝刈り機のような日常的な騒音まで、実に多種多様な文明の利器が、都市部や郊外の静寂を破っている

中には騒音が好きな人もいる。
例えば、最大の騒音を出すようにバイクや自動車を改造している人も多いし、映画館では客の注意を惹くために大音量で予告編を流す

しかし、静かな世界を好む人々もいる

例えば、チューレーン大学で政治学を教えるテッド・ルーター氏は、リーフブロワーもブームカー(極端に大きな音を出すオーディオシステムを搭載した車)もBGMも、全部嫌いだ。

しかし、最も忌み嫌っているのは車のキーレス・エントリー・システムだ。
施錠、開錠時に鳴るブザー音で早朝に目が覚めるからだという。

狂気の沙汰だ。一晩ぐっすりと眠れやしない」とルーター氏は嘆いたらしい。

ノンストップで責め立てる音の攻撃に悩まされ続けたルーター氏は、とうとう騒音防止活動家になり、「ノイズ・フリー・アメリカ」という団体の責任者になった。

騒音との戦いという大義名分を見出したルーター氏は、南カリフォルニアの、とある郊外に住んでいるが、ここは彼に言わせれば「リーフブロワー地獄」だという。

神が自分をロサンゼルスに送りこんだのだと思う」とルーター氏。

ノイズ・フリー・アメリカの多岐に渡る立法議案は、ガソリン式のリーフブロワーの禁止、無駄吠えする犬の飼い主に対する処罰、騒音をまき散らす車の没収等、様々な措置を求めている。

ルーター氏は、このような提案は、人々が真剣に考えない内は過激に見えるかもしれないと述べた。
しかし、ルーター氏はこの立法議案の性格を、過激というより「包括的」という言葉で表現したがっている。

事実、同団体の提案でも過激な方に属するものの中には、既に一部の都市で実施されている措置もある。

シカゴでは、規定を超える騒音を出した車両を没収している。
ニューヨーク市のサイレント・ナイト作戦では、車両の検問といった対策により、「激化しつつある喧騒」に取り組んでいる。

ルーター氏にとって、騒音との戦いの目的は生活の質を上げることだ。

しかし、今日のように騒音で溢れ返った環境は、難聴や耳鳴りに繋がる身体的外傷を引き起こす危険性がある。
耳鳴りは、生活に支障を及ぼす場合もある。

軽度のものを含めると、米国在住者の二千八百万~三万人が難聴を患っており、その内の約三分の一は騒音が原因だと、スティーブン・ウェットモア博士は述べている。

ウェットモア博士は、ウェストバージニア大学の医療センター(ウェストバージニア州モーガンタウン)の耳鼻咽喉科長を務めているお方だ。

職場での規制強化は、労働者を難聴から保護するのに役立っているが、難聴に関しては、依然として仕事中の騒音の方が娯楽での騒音より大きな問題だ、とウェットモア博士は述べた。

しかし生活スタイルの選択が、真の問題を引き起こすこともある。

例えば、狩猟をする人は深刻な高音域難聴になる可能性があり、またコンサートやダンスクラブでの大音量の音楽によっても、聴力を損なう危険性があるとウェットモア博士は語った。

怒鳴らなければ聞こえないような環境は、五月蝿過ぎると言えるだろう」とウェットモア博士は述べ、コンサート会場を出た後に耳鳴りや耳がふさがった感じがする場合は、少なくとも一時的な難聴になっていると付け加えた。

音が大きくなればなるほど、耳へのダメージは大きくなる。

難聴者連盟のデータシートによると、交響曲コンサートの音量は一一〇デシベルに達する場合があるという。
ロックコンサートでは当然、此れ以上の数値になり得る。

音量が約八十~九十デシベルまでならそれほど問題はない、とウェットモア博士は述べている。
しかし、其の音に晒されている時間の長さも重要な意味を持つ。

九十デシベルでは八時間を限度とし、五ベル増加する毎に、時間を半分にすべきだとウェットモア博士は述べた。

ならば今日の技術は、世界中の人の耳に狙いを定め、弾丸を撃ちこもうとしている銃のようなものなのだろうか?

ウェットモア博士は、ドライヤーやサイレンといった騒音を出す物がなければ、確かに環境はもっと静かになるとコメントしている。

「しかしその反面、我々は技術を使って一部の騒音を排除してもいる」という。

防音壁や、益々効果が高まっているマフラー、高性能の耳栓などが、騒音性難聴の予防に役立っているとウェットモア博士は付け加えた。

一方、耳鳴りの決定的な治療法は、此れまでのところ技術によって実現されてはいないと、米国耳鳴り協会(オレゴン州ポートランド)のリソース開発責任者、シャノン・エッジェル氏は述べている。
米国には耳鳴りに苦しむ人が推定五千万人いるという。

チェーンソーや地下鉄の轟音から子どもの叫び声や雷まで、どんな種類の騒音でも耳鳴りを引き起こす可能性があり、しかも其の騒音に繰り返し晒されるのではなく、一回聞いただけで耳鳴りが始まることもあると、エッジェル氏は説明している。

騒音の音量が上がれば、さらに耳鳴りを患う人が増えるだろう

耳鳴りに対して様々な治療が行なわれ、様々な結果は出ているが、
「此れ迄のところ、決定的な治療法は見つかっていない
とエッジェル氏は語った。

耳鳴りと騒音性難聴をなくすには「予防しかない」と述べるのは、サンフランシスコの非営利団体「ロッカーのための聴覚に関する教育と認識」(H.E.A.R.:Hearing Education and Awareness for Rockers)の創設者の一人、キャシー・ペック氏だ。

ノイズ・フリー・アメリカ同様、H.E.A.R.も法的措置を強く求めている

しかし、H.E.A.R.ではコンサートの聴衆を直接ターゲットにした活動も行なっており、「街頭チーム」を編成して、会場の外で耳栓とチラシを配布している。

人目を引く代表的なチラシ、PDFファイルでは、真面目な警告会場内の音量は、聴覚障害を引き起こす可能性があります」を掲げると同時に、もっとくだけた会話調で「耳栓を付けろよ!」とアドバイスしてもいる。

わたしが最も長く住んでいたワシントンのレッドモンドでは、余りそうした騒音を耳にしなかった。
まあ、町後と一つの企業が占めているのだから、当然かもしれないが。
大学時代のコネティカットも、平穏な町だった。
マンハッタンでは逆に、静寂が怖かった。

特に冬の静けさは怖い。
世界中が死に絶えたような、強烈な孤独を感じたものだ。
実際、ホームレスの凍死体が、通勤途中ごろんと転がっていた。

日本の寒さは知れている。
内は今でも暖房無しだ。
炬燵ってのは大嫌い
なんか不潔な気がして。

ん~~~、懐かしい、あのマンハッタンの冷たさやワシントンの寒さ。
きりっとするんだよな。
ただ、シカゴは嫌い。
何時行っても、真夏か真冬か、しかない地域だ。

つくづく、日本って、縦長。
四季があるのは情緒にはいいかもだけど、不経済だ。
そして騒音。
日本の騒音って、許し難いものがある。
花火も餓鬼んちょの嬌声も犬の無駄吠えも酔っ払いのゲロも、日本の音は不潔感がある。
隣から漏れるTVやシャワーの音も、どうにも腹立たしいときがある。

静かな証拠だ、と、我が友人は言い残し電話を切った。
あなたの声が一番の騒音だった、とわたしに言わせる前に。
騒音ってのは、裕福な証なのかも知れない。

イラクの爆音は別として、ジャカルタの貧民街では、喧しさのレヴェルが違っていた。
人間や鳥獣が出す、生きた騒音だった。
機械の発する死んだ音は無かった。

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