技術革新を生み続けるチャットルーム『#ウィンプログ』
この数年間、最も革命的なソフトウェアのいくつかは、シリコンバレーの新興企業や有力大学からではなく、つつましやかに運営されている1つのチャットルームから誕生している。
影響力を持つ一連の概念のもとをたどっていくと、『#ウィンプログ』(#Winprog)というインターネット・リレー・チャット(IRC)チャンネルに行き着くことに、テクノロジー業界に身を置く人の多くが気づきはじめている。
#ウィンプログは十年以上も前から、あらゆる分野の開発者を養成する場となってきた。
たとえば、ショーン・ファニング氏はここで『ナップスター』の初期バージョンに磨きをかけ、『グヌーテラ』の開発者ジャスティン・フランケル氏が『ウィンアンプ』のコードを書いたときは、このチャットルームがコンサルタントの役割を果たした。
愛好者たちによると、#ウィンプログはウィンドウズのプログラミングの世界で、なかなか目を離せない場所になりつつあるという。
#ウィンプログに古くから参加する人々の多くが、大手ハイテク企業に職を得ているし、米マイクロソフト社もチャットルームの常連にオペレーティング・システム(OS)の開発への協力を求めている。
メンバーたちは、シリコンバレーのどのビジネスパークよりも優れた才能が集まっていると語る。
#ウィンプログに古くから参加するベン・クナウス氏は「#ウィンプログでは報酬はいっさい得られないが、その辺のハイテク関連のインキュベーターには負けない力を持っている」と話す。
現在マイクロソフト社のコンサルタントを務めるクナウス氏は、過去に初代『iPod』のソフトウェアを含む、大型のソフトウェア開発プロジェクトをいくつか手がけている。
「私の経験では、インキュベーターというとだいたい、『うちのオフィスで働いて、そっちの株を半分渡してくれ。きみのところにかかってきた電話に出て、他のリソースもたくさん提供しているふりをしよう』というようなタイプだった。これに対し、#ウィンプログでは、技術サポートや助言、厳しい批評が得られるし、ときにはプロジェクトの仕上げを手伝ってくれる人材まで集まる」
一九九九年に、「ナップスター」の別名で知られるファニング氏が、当時開発を進めていたファイル共有アプリケーションへの助言を求めて参加したのも、この協力的な環境に魅力を感じたからだった。
古くからのメンバーの多くが、まだ十代だったファニング氏のことを、ナップスターのユーザーインターフェースを書くのに助けを必要とした「迷惑な新入り」と記憶している。
#ウィンプログに参加して九年になるクリス・レデコップ氏は、「ひどい設計をしていたので、(ファニング氏を)からかったことをよく覚えている」と振り返る。
レデコップ氏が籍を置くソフトウェア企業の加レプリコン社(アルバータ州)のように、#ウィンプログの遺伝子プールから有能なプログラマーを雇い入れている企業はたくさんある。
「ファニング氏は、#ウィンプログに初めて参加したとき、ウィンドウズのプログラミングについてほとんど何も知らなかった」
と、レデコップ氏は話す。
「プログラミング能力はあまり高くなかった」
ファニング氏もフランケル氏もそれぞれ、IRCでプログラマーやマーケティングの専門家、実業家と出会い、彼らの協力を得てソフトウェアの公開を果たした。もちろん、二人は他のチャットルームにも出入りしていた。
しかし#ウィンプログの驚くほど広範にわたる大きな影響力から恩恵を受けているのは、この二人だけではない。
#ウィンプログのメンバーたちが助言を与えている相手には、DVDの暗号化技術を破ったヨン・ヨハンセン氏や、『スマートFTP』を開発したマイク・ウォルター氏、米エレクトロニック・アーツ(EA)社のゲーム開発者たち、『Windows Vista』(ウィンドウズ・ビスタ)の技術チーム、米航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所の請負業者などがいる。
マイクロソフト社にいたっては、二十人を超える開発者が毎日チャットルームに出入りして、サポートを受けたり与えたりしている。
一九九四年に初めて#ウィンプログにログインしたクナウス氏は、
「現存する主要なソフトウェア分野は例外なく、#ウィンプログが何らかの形で関わっている。
ウィンドウズもそうだし、[納税申告用の]『ターボタックス』のようなソフトウェアもそうだ。
全てのメンバーがデジタル・コミュニティーに多大な貢献をしている」
と話す。
クナウス氏はさらに、
「此れは最も純粋な形の技術革新だ。自己満足や金や名声を得ることが目的ではない」
と語る。
「子どもが集まっておしゃべりしているようなものだ。『みんな見てくれ。これを作ったんだ』と1人が言えば、100人がそれに応えて、『だめだめ、もっとよくしなくちゃ。この機能を持たせて、もっと高速化して。やれやれ、ひどい出来だ』などと口を出す」
実際、#ウィンプログが精鋭ぞろいで手厳しいという評価を保っていられるのは、140人ほどの参加者からの反応が冷酷なほど正直だからに他ならない。
実世界のインキュベーターの多くは、自分が育てる新興企業を批判することを嫌うが、#ウィンプログでは「失敗をこきおろす」と、クナウス氏は語る。
出来の悪いアイディアは徹底的につつき、ありきたりな質問は許さず、気軽に参加できないよう敷居を高くしているという。
助言を求めただけで集中砲火を浴びることも珍しくない。
『Burn』[「燃える、かっとなる」などの意味]というハンドルネームで参加しているフランケル氏は、
「有益な援助を得られるのはいいが、尊厳を傷つけられるなど、何らかの代償を払うことも多い」
と話す。
フランケル氏は、一九九六年から一九九九年まで、チャットルームでコード書きに勤しんでいたが、自身のソフトウェア会社、米ナルソフト社が米アメリカ・オンライン(AOL)社の子会社になり、身動きしづらくなったと語る。
「当時、インターネットで文字を使ってリアルタイムに情報を交わしていたプログラマーたちは、ものすごいチャンスに恵まれていた」
と、フランケル氏は振り返る。
「ウィンアンプのテストはほとんどIRCで行なった。
ただし、『#mpeg3』という別のチャンネルだったが。
ウィンアンプの成功への#mpeg3の貢献度が、#ウィンプログよりさらに大きかったのは間違いない」
「『Win32 API』[32ビット版ウィンドウズのアプリケーション・プログラミング・インターフェース(API)]の知識を持つ人がいてとても助かった。
IRCには知識豊富な人々がいて、助けを求めればたいてい、その分野の経験を持つ人が見つかる」
と、フランケル氏は語る。
#ウィンプログの古くからのメンバーたちも、プログラマー向けの授業を何週間も受けるより、#ウィンプログに一時間いたほうが多くのことを学べると口を揃える。
古参のメンバーの1人であるレデコップ氏は、
「私見だが、#ウィンプログで得られる援助は非常に貴重だ。プログラマーの私にとって、ひょっとしたら最も有益な情報源かもしれないと思う。
ただし、『Google』がすぐ後ろまで追い上げているが」
と語った。
日本でも「チャしよ~」などと気軽に使われるチャットルームがあるが、これ等は犯罪の温床となり得る。
否、現になっている。
米国の#ウィンブログは桁が違うが、日本でも、密かに、類似した高度な能力を有するエンジニア達が集う、チャットルームが存在する。
皆独自の世界と独自のハンドルネームを持ち、異様な世界観の中で、生き生きと文字だけで話す。
偶に、音声を流す阿呆は、徹底的に叩かれ、追い出される。
中には、様々なアニメの主人公を合体させて、自分がなり切って、年表まで作成しているルームもある。
此れは、精神的、身体的(深夜チャットが多い)、社会的、全てに悪影響を与える、病と言っていい。
わたしもちょこちょこ出入りするが、恐ろしい。フツーのチャットとは違う。
犯罪に抵触しそうな情報が、溢れている。
プロ気取りに受け取られるだろうが、IT関連に精通したエンジニア以外は、決して行かないほうがいい。
死ぬまで逃れられなくなる。
IPアドレスを廃棄しようが、戸籍ごと変えようが、彼等は離さない。
ネット中毒気味の方、どうか気をつけて。
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