*ブリミアン・デイズ


ウオルター・ケイ博士(a professor of psychiatry at the Western Psychiatric Institute in Pittsburgh)によるとブリミアの危険性がある人を前もって発見出来るし、過食拒食のサイクルが発生する前に何らかの処置を施せる可能性を指摘している。

生まれた時はセロトニンに問題が無かったがその後の不規則な食事で変化を生じたか、あるいは生まれる前から問題があってブリミアになる傾向があるのかは分かっていない。
ケイ博士曰く、「多分食事障害の人は不規則な食事を開始するずっと前からセロトニンのレベルに不調があるのであろうと述べている。更なる研究で将来はブリミアを起こし易い人を特定したり、良い治療法を開発できるでしょう。」
クレアミスコ氏によれば「既にセロトニンに関しては多くの研究が為されているので特に驚く報告ではないが良いニュースである。食事障害は複雑な病気で精神、体両方がからんでいる。生物学的な面から捕えた今回の報告はある種の希望を与えるでしょう」

拒食症は絶食をし過度の運動をする。ブリミアでは過食をしてその後に吐くか下剤で流し出す行為をする。
ミスコ氏によれば「患者は不規則な食事行為を空しくやる。生物学的なリンクが発見されれば今までの論争が一掃されるでしょう」
ケイ氏の研究グループは三一人の健康な女性と三〇人のブリミアを患って今は健康な食事に戻って少なくても一年間回復した女性を比べた。脊髄液を比較した所ブリミアから回復したグループに正常値以上の高いセロトニンのレベルが現れた。このグループは高レベルセロトニンに伴う症状即ち気分の落ち込みとか完全僻が多く現れた。
この研究の対象の女性は皆食事は正常にしているので食事方法のみがブリミアに悩んでいる人のセロトニンレベルの異常値を作るとは説明できない。
そうでは無く遺伝的特質がこのブリミアになり勝ちな人の高セロトニン値を形作っているかも知れない。

今までの双子を比べた研究によるとブリミアと拒食症では遺伝が関係しているとしている。ケイ氏によると更にそれを裏付けるデーターがあり五年前に実施した拒食症の女性グループではセロトニン値が高く現れた。
セロトニンレベルの高い女性は何故食事障害になり易いかは、セロトニンが鬱状態、不安あるいは強迫観念を作り絶食により、セロトニンのレベルを下げる事が出来ると説明できる。セロトニンは食物中にあるアミノ酸の中のトリプトファンから作られる。



わたし達の身のまわりには、実はさまざまな非現実的な作りもの(あるいは本物そっくりの作りもの)に満ちているが、其の世界に親和性が高いのはやはり若い世代だろう。

映画などでも CGが盛んに使用されている。
いったい何が現実的なのか非現実なのか、現代社会は其の境界がかなり不明確になりつつある。
ひとたび内側に強固な内的自己を作った人においては、バーチャルな対象に接したとしても、其の内的自己は、対象に興味をもつにしても揺るぐことはないものだ。
其れが外的世界に属するものであり、内的自己とは一線を画するものであることの認識を、何処か自然に行っているからだ。
ところが、小さい頃からこのバーチャルな世界に接してばかりいると、内的自己の形成其のものが、バーチャルな色彩を帯びやすくなってしまう。バーチャルな世界が多く内に折り込まれてしまうのだ。

当然のこと、人格はグニャグニャしたりフワフワしたりとルーズな様相を保つことになる。外から見たり接したりすると、それは自己中に見えなくもない。
其れは、自己がしっかりある自己中ではなく、リアルなものがピンとこないがための自己中なのだ。
世間知らずという見方もできなくはないかもしれないが、世間知らずという以前に、世間が人格に内在化されていないという感じなのだ。
リアルなものをあまり内に抱えもっていない時、青年は非現実的なものに近いところに住んでいる。
其れらに違和感をあまり覚えないからだ。此処から若い人の科学離れも起きてくる。
其の例を挙げるなら、超現実的なものとかオカルト的なものということになるか。あるいは超能力的なものや神秘的なものということにもなる。
ある点でこの世と、あの世や別の世界とが接近していると言えなくもないが、其の実、この世での実在性が乏しいのだ。
これは言い換えれば、死の感覚が薄いと言えよう。
もちろん誰でもが死をリアルに体験することはできない。わたし達は、生しか生きられないからだ。
死の感覚が弱い、つまり生の感覚も弱いことは、簡単にあちらの世界に行ってしまうことにも結びつく。
それなりの理由は何かあるのだろうが、あまりにも、良い意味での生への執着が無さ過ぎる。
この世で何らかの不都合があったりすると、たちまちリセットして別の生を期待したり、少なくとも今から逃げ出したくなってしまう。
この点からは、現代青年の人格形成において、脆さという特質が付け加わることになってくる。

自分の身体と他者の身体とを何処でどう折り合わせていいのか、其の感覚が十分育っていないようなのだ。
他人がいて自分がある。
お互いが共存するためには、時に譲り合うことも必要になってくる。其処のところの感覚が身体化されていない。

世界の私的化が其処で起きている。もちろん強力な自己の世界があって、其れが公の場に進出しているのではない。どちらも薄くなり、かつ境界も薄くなっているのだ。
話しは化粧にとどまらない。携帯の車中での使用はもちろんのこと、音楽鑑賞や飲食なども含まれる。
それぞれもともとは然るべき場所で為される行為であった。其れが今や堂々と公の場所でも為されることになってきた。公の衰退だ。さすがに排泄行為や性的行為は、まだほとんど人目から隠されてはいるが、これとても危うい。

髪の毛を染めることは青年にとって常態化しているし、耳たぶに穴をあけたり、体のあちこちに穴をあけて何か金属を通したりなど、其の身体の加工の程度は勢いを増しているかに見える。
加工と言えば、昔から行われていた美容整形もますます盛んなようだ。プチ整形などと言って、其の軽さを特徴としている。
身体に強いこだわりをもっていそうに一見見えるが、其の実、身体性はむしろ希薄化している。
いわば他者の眼差しに支配されやすい対他身体となっている。身体性の希薄化あるところ自我の希薄化があり、ひいては生の希薄化がある。
希薄化があちこちに見られるとはいえ、それは単に薄く引き伸ばされた自己があるのではない。其の一方で、自己への過剰な敏感さも存在する。何処かしら鈍感になった身体と、過敏になった身体とが重なり合っている。

一見飄々とあまり余計なことに関わりをもたずにいるかと思えば、一定限度を越える刺激には強く反発する。公的な世界の自覚があまりしっかり内的に形成されていないところにもってきて、バーチャルなものに浸されていることからくる想像力の貧困さが浮上し、其の結果想像力というものがクッション機能を果たさずに、いきなり自らが陥しめられたと感じとり、


これがオタク化現象でもあるし、悪くするとストーカー行為や犯罪行為とも結びつく。
世界の一部分に一方的に強い執着を示し、他方其の対極には誇り高き自我がある。傷つくことを恐れる割に、人が傷ついていることには無頓着だ。
此処にも世界の私的化、それも狭小な私的化が窺える。
バーチャルな世界に身を浸すこと、もっと拡大して考えれば、テレビなど刺激を豊富に放出する機器に、常に幼小児期から接していると、外的刺激の操作やそれらへの対応に長けることはあっても、内発的なアイデアは枯渇しやすくなる。


万能感は保っているが。これがキレるという形で他者への攻撃に結びついたり、そういった傾向が集合するといじめ行動に結びついてしまったりする。想像力が乏しいと、異質なものへの寛容さも育ちにくいからだ。


其の時、他者の身体、他者の存在との間における間合いも不安定なものになる。そしてさらに、自ら自身との間合いも不確かなものになる。

隙間を埋めるといえば、これから先のスケジュールを埋めようとすることも、この間合いがとれないことと関連する。
これから先の自分の時間に空白、空欄があることが耐え難いのであり、これは、自らの存在内部に隙間があることに気付く怖さが其の底にある。空間的にも時間的にもカラッポは怖いのだ。


自分の空虚さを、自分の内にある隙間を、何かで埋めておかなくては落ち着かないのだ。其処で自分の内側を、他人の顔や住所、電話番号やメールアドレスなどで埋め尽くすのだ。外部世界における隙間埋めと、内的自己にある隙間埋めを同時にやっていることになる。
こうして青年は、否が応でも他者依存他者志向他者による承認の程度を強めていく。
実際には、お互いの身体が不意に近づいたりすると、どう間をとったらいいのか分からずにドギマギしたりするくせに、他者でしか其の隙間を埋められなくなっている。

例えば喧嘩しても、痛んでいる相手のリアルな身体に想像力が及ばず、あたかもゲームのように相手の身体を叩きつぶしてしまう。

相手が命をもったリアルな生身の人間ではなく、なんとなくまわりに蠢いているもので、しかも自分の尊厳を傷つける時、事件は起きる。
罪を犯す人においても、別にはっきりした自覚が備わっているのではなく、内的衝動や怒りや不全感を、単にぶつけ吐き出しただけとなる。

そしてこの想像力は、小さい頃から大勢の他者と身近な仲間集団を作り、其処で共存の知恵を学びとっていく中で、培われるものだ。子ども達にとって、豊かな集団形成こそが、豊かな人格の形成に結びつくのだ。



モノとカネ原理が幅を利かし、暮らしやすくなった反面、人と人との絆はむしろ薄くなった。

改めて人は他者とどのように共に生きていったらよいのか、其の方途を模索しているのが今ではないか。

それらは刺激に満ちており、あまり身体全体を使わず、また他者の存在を必ずしも必要とせずに、時を消費することを可能にした。
自分の気ままに、他者との関係で気まずくなったり傷ついたりすることなく、一応の達成感なり衝動の満足なりを得ることができる。
他者との揉み合いをあまり経験せずに、好きなことを選び取りつつ内的欲求を満たしていく。

しかし、現代青年の人格形成には、やはり危うさや脆さが潜んでいるように思われる。現代は人と人との絆が薄くなったと指摘したが、これは同時に孤独の問題であり、また依存やどう共存するのかの問題でもある。
このいわば最先端の問題、課題に、現代青年が先頭を切って取り組んでいると言ってもよい。
いつの世でも、感受性に富んだ世代や人々が、社会の抱える課題や矛盾と真っ先に格闘するものだ。

それでも他者との間合いがうまくとれず、またどう付き合ってよいのか迷い、自分の在り処を確認したいあまり、自分を中心とするネット状の存在保証関係を築き上げようとする。

外の世界や公といったものが、人格の内側へとあまり効果的に折り込まれずに、結果、私的世界を公の世界へと持ち出してしまう。両者の境界は薄いものとなっており、ウチ、ソトのめりはりが効きにくい構造となっている。
めりはりが効かないということは即ち、内的自己の人格構造がゆるくなり、それを傍から見ればルーズに見えたり、軽く見えたり、浮遊しているように見えたりする。

しかし、いろいろなかたちで自分は他人とは違うことを主張しようと差別化する気持ちは理解できるが、少し離れて見ると、皆同じように見えてしまう。
内的自己の構造がゆるいということはまた、リアルなものの感覚が異なってきて、非現実的なバーチャルなものにひかれることとも関係している。場合によっては、オカルト的なものや超能力的なもの神秘的なものに引き寄せられる。彼岸と此岸の境もはっきりしなくなり、生と死の境界も定かではなくなる。
ネットで知り合うネット依存人格が集って、ネット情報を参考にネット心中をはかる。
別にけなしているわけではなく、この現代青年の危うさや脆さはまた、現代日本社会に生きる他の世代にも共通の問題だ。
今まさに自分というものを構築しつつある、まだソフトな状態にある青年世代に、最も社会の抱える課題が示されやすいのだ。

今どきの若いものは、という前に、他の世代、特にこの社会を作ってきた大人達は、これからわたし達はどうあるべきか、それを現代青年のあり様をよく吟味してから自らの課題とすべきだ。
豊かな子ども時代を奪い、自然環境を破壊し、利益や効率のみを優先し、弱者を踏みつけにしたり切り捨てたりし、品のない姿を子ども達の前に晒してきた大人達の責任は重い。
これらの事柄を改めつつ、これからは大人達が青年達の道標となるべく、自らの在り方を高めていくべきだろう。

鍵は、わたし達が日々生きている、其の身近な日常の中にこそあると思われる。高邁な理想を掲げても、それが身になっていなければ、口先だけでは意味がない。
ほんの些細な一寸したことの中に、多分其のきっかけがある。
そしてそれはまた多分、自分のまわりの人を大切にすることに関わりがあると思われる。ほんの一寸した其のようなことに気がまわるかどうか、其処が境目となりそうだ。


こうした無残な病気が話題になり始めた理由のひとつは、映画女優のジェーン、フォレンダ、歌手のカレン、カーペンター、最近ではダイアナ妃などの有名女優たちの摂食障害が、るコミで取り上げられたためだ。
ナバのミーティングに出ると、メンバーたちの様々な性的活動を聞くことになる。

脳が二つあればそれに越した事はないが、脊髄の頂上にある脳と腸にある別の脳の関係に於いてもそう言える。腸にある第二の脳は腸神経系(enteric nervous system )と呼ばれている。
「第二の脳」の著者でありコロンビア大学の解剖学と細胞生物学の教授であるマイケル・ガーション氏は、自身の経験から、「私が国立衛生研究所に研究助成金の件についてたずねる時はわたしの腸も敏感になる」と言う。

二つの脳の関係は心と体の両面で問題を起こす。現に神経症、鬱病、過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome)、胃潰瘍、パーキンソン病等は心と消化器の両方に症状が現れる。
「多くの神経症や鬱病の患者では胃腸器に変調を来たしている」とカリフォルニア大学の生理学と精神医学の教授であるエメラン・メイヤー氏が言う。

例えば、抗鬱剤は処方された人の四人に一人が胃にむかつきを起こす。
胃の辺りの緊張感は、緊迫した場面で体内から大量に分泌されたストレスホルモンにより引き起こされる。またストレスは食道内にある神経を刺激して、咽喉が詰まった感じになる。

腸神経系(enteric nervous system )は食道から胃、小腸、大腸に至るまでの全ての消化に関わっている。この第二の脳、あるいは小さな脳は独立して存在し、脳と同じように精巧な自律的神経回路を持ち、神経伝達物質と蛋白で情報を伝達をしている。
「神様は消化器をコントロールするのに遠く離れた脳であるより、消化器の直ぐ横に神経系を置いた方が有利と考えているようだ」とオハイオ大学の生理学、細胞生物学教授のジャッキー・ウッド氏は言う。
「脳とか神経系がする重要な任務は動きをコントロールすることだ。消化器にあるもう一つの脳はその中に、あらゆる環境下の腸の動きを書いたプログラムを沢山保存している。消化器神経系はその消化の状態により、どのプログラムを使うか決定しる」とウッド氏は言う。

昼飯を食べると小腸の収縮が始まり、食べ物を消化酵素と混ぜ合わせ、更に奥へ送り込む。
もしその食物が腐っていた場合は、食物を逆向きに送る収縮が起きる。小腸にあったものは全て胃に逆流し、食道を通って口から吐き出す。
どの場合も胃腸は自ら事態を判定し、どのような行動を起こすか決定し反射運動をする。
「胃腸は圧力を検出し消化の進行を見ている。栄養素、酸、塩分を測定する。胃腸は丁度小さな実験室だ」とガーション氏は言う。
腸システムなる言葉は一九二一年、イギリスのラングリー医師が最初に言い出している。彼によれば、腸システムとは副交感神経系、交感神経系と並ぶもう一つの自律神経系であるとした。すると腸システムは他の二つの交感神経に並列するものになる。

腸神経系も中央神経系もその系を動かすのに同じセロトニンと言う道具を使う。
セロトニンは脳に作用して幸福感を作り出すから、SSRIと呼ばれるセロトニンのレベルを上げる薬剤が抗鬱剤として使われている。
しかし、九五%の体内セロトニンは消化器内に存在し、神経伝達物質であると同時にシグナルのメカニズムを構成している。
消化は腸クロマフィン細胞(enterochromaffin cell )が小腸の壁にセロトニンを吹き付けることから始まる。この壁面には少なくても七種類のセロトニン受容体が存在し、情報は神経細胞を通って伝達され、消化酵素が分泌され、食物を腸の奥へと移動させる。
セロトニンはまた脳との仲介役もし、脳に消化管の状態を逐一報告する。このコミュニケーションは殆ど一方的で、九〇%が腸から脳に向けられている。
腸からのメッセージは大抵気持ちの良いものではない。乳癌に使われるドクソルビシン(doxorubicin)と言う薬があるが、この薬は腸でセロトニンの分泌を促すために、吐き気や嘔吐を起こす。

「過敏性腸症候群の患者を検査すると、大抵問題を発見しません」とモー氏は言う。
しかし過敏性腸症候群は鬱状態と同じく、セロトニンレベルの変化により引き起こされているのが分った。この場合、セロトニンが足りないのではなく、あり過ぎて問題が起きている。
健康な人ではセロトニンが小腸で分泌され、腸の反射運動が始まると余ったセロトニンはセロトニン搬送体(serotonin transporter, or SERT)により腸から汲みだされる。
このセロトニン搬送体は腸壁裏側にある細胞で発見される。過敏性腸症候群の人はセロトニン搬送体を十分持っていないために、セロトニンが溢れて下痢を起こす。更に、過剰なセロトニンは腸のセロトニン受容体を圧倒し、今度は便秘を引き起こす。
ガーション氏がセロトニン搬送体を持たないネズミを使った実験では、ネズミが人間の過敏性腸症候群と同じような症状を示している。
そこで、腸抗鬱剤と称する新しいセロトニン薬が出て来て、慢性的な消化器病の解決に役立ち始めている。
もう一つのメカニズムで腸の不調の原因となるものに、腸のマスト細胞(mast cell)システムがある。このシステムは免疫反応に重要な役割をしている。
強烈なストレスが襲った時や精神的外傷を受けた時に、腸の内腔(lumen)(食物が消化されている部屋)と他の腸の境目が壊れてしまう。すると病原菌が内部に入り込む危険性が高まる。すると脳はマスト細胞を活性化し、腸壁の免疫機能を活発化しようとするとウッド氏は言う。
マスト細胞はヒスタミン及び他の炎症性物質を放出して、腸システムを刺激するから下痢をする。下痢は有害菌を強制的に体外に放出する効果がある。
マスト細胞により炎症を引き起こされた胃腸は過敏になる。ストレスを常に受けて慢性的にマスト細胞が増殖していると事態は悪化する。

ガーション氏はこの胃腸障害の原因はやはり生理機能に問題があると言う。
「過敏性腸症候群を患う人の腸の細胞に欠陥を発見しました。もしあなたが下痢で血便をした場合、気持ちが落ち込むでしょう」とガーション氏は言う。
でも心理も影響しているのは次の実験で明らかだ。
動物を使った最近の実験では、子供の頃に激しいストレスを経験すると、その後慢性胃腸炎を起こすのが分っている。
「ネズミを水に囲まれた台の上にのせると、ネズミは下痢の症状を示す。これはネズミにとって、とてもストレスが強い条件なのだね」とメイヤー氏は言う。
他の実験では、子供のねずみが母親から強制的に離されると、腸壁を作っている細胞が弱くなり、バクテリアが通過しやすくなり、免疫細胞を活発化させるとしている。
「これはネズミが適応しようとしているのだ。ネズミがストレスの強い環境に生まれると、より用心深くなり、将来起きるストレスに活発に反応しようとするわけだ」とメイヤー氏は言う。

「各個人の遺伝的背景と幼少期の過酷な体験が、ストレスに直面した時に消化器が過剰に反応しやすくしている」と彼は言う。



嘔吐によってカリウムと塩化物が失われると、カリウムの尿中への排泄がかえって促進され、低カリウム血がいっそう促進される。血清中のカリウム濃度が強度に低下すると、骨格筋、平滑筋、心筋が影響を受け、筋肉低下、胃アトニー、心臓の不整脈が生じる。
神経性無食欲症者では除脈、低血圧は普通にみられる。
過食、拒食によって血清のカリウムがある程度減少すると、心筋の収縮能力が低下して危険な不整脈や不全収縮が生じる。自己誘発嘔吐の習慣を持った過食症者の突然死のほとんどは、これによってもたらされる。
神経性無食欲症では貧血、白血球減少が高頻度に見られ、血小板減少も生じる。骨髄の脂肪組織の減少にもかかわらず、免疫機能には低下が見られない。

脱水状態にある神経性無食欲症者では、唾液の分泌量も減少しており、これがエナメル質の浸食をいっそう促進する。

いつも良い子でいる、親の期待を背負い続ける子供たちが、親の期待に答えた後、自分は何をしてよいのか、何をやってきたのか分からなくなってしまう。

しかし、期待することによって子供にどれだけの負担がかかっているか、分かってあげることも親の大切な仕事ではないか?と思った。今子供は、どんな気持ちで勉強しているのか?

子供の意志ではなく、親の意志で受験勉強をしている子供たちにとって、目的をはたした後行き場を失い、遊び方が分からないと気づいてからでは遅い。
毎日が孤独との戦い、自分を否定して生きて行く辛さ、過食、拒食症という病気を軽い病気と考えていた頃が、今となっては懐かしい。
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