現代日本生き腐れ
勉強少女 泥沼 ユキコ。
今年成人式だったのに……一生に一度のことなのにとうとう行けなかった。
過食のための買い物にでかけた成人式当日、振り袖の、きれいなお化粧をした同じ年の女の子を見て涙がでた。Yの症状は酷く、一日中、食べ吐きを繰り返しる。
何故か、夜中だけは症状がおさまるので、午前四時ごろに寝て、昼の二時ごろに起き出し、過食嘔吐を始める。
Yはかつて優等生だった。
しかし、出るくいは打たれる。中学受験をして、カトリックのミッションスクールに通っていたYは、イジメにあった。
テストで「一番だったのはYさんだ」とシスターから言われる度に、皆から無視され、ことごとく別世界に住む人間の様に扱われた。
Yは高校一年で、その学校を中退した。
やせ出して、すぐに過食嘔吐を覚えた。両親にバレると、安心したように症状は酷くなった。
一日中食べ吐きをする、「どうしてわたしを生んだの? わたしは生まれたくなかった」と母に怒鳴り散らす、暴力を振るう、万引きはする……と言ったように泥沼だった。
お医者さんに、とても強い安定剤をさしだされ言われた。
「食べたい時はお茶を飲んで我慢するんだ。生理的に治すんだ。胃をちぢめるのだ」
その言葉を信じて、頑張ってきた。何度も入院をし、何日間か我慢しても、反動でものすごい量を食べ吐きしてしまう事を何度も繰り返した。
「今のわたしは、何の夢も希望も無い。何がしたいのか、何をしたら良いのか全くわからないし、将来の夢も無い。過食嘔吐だけが、私の生きている証の様な感じだ。わたしには今、治そうという気力も無い。でも、何とかしたい。辛い。誰か助けて下さい!!」
ユキコは有名私立高校でトップの成績を続け、念願の(本人志望というより母親の念願だった)東大に進学した。
しかし、その途端、大学生活で何をしたらよいのか、何のために頑張ってきたのかわからなくなって、シラけてしまった。そして、大学生活一年目を終える頃には、食べることと吐くことで、頭がいっぱいになった。
それから一〇年後やっとの思いで彼女は過食、嘔吐の泥沼から抜け出した。
彼女は一九歳の頃の自分を回想して、次の様に語る。
大学時代のわたしはただの平凡な女子学生に過ぎなかった。
唯一の取りえだったものが無くなってしまったのだ。
自分がどこかへハジケ飛んでしまった時、私には二つのものが残された。
わたしをあんなにまで勉強に縛り付けた母の期待への恨みとカラダへのこだわりだ。
この二つがなかったら私は生き残れなかったと思う。
わたしは、勉強を放り投げて奔放に遊ぶことで母への恨みを晴らそうとした。
しかし、どうすれば遊べるのかがわからない。どう振る舞えばかわいい女になれるのかわからないという、そこまで経験したことのない暗闇に落ちてしまった。
時間が自分の前に無制限に広がっているようで、いつも息苦しく、寂しく、不安だった。
とりあえず出来ることは食べることだけだったので、体重がたちまち増えた。
太ることで男性の視線が気になって一層惨めになった。
かわいい女になるには、まず痩せなければならないと思ったのはこの頃からだ。
間もなく食後の嘔吐を覚え、体重を自由にコントロールで出来るようになった。
それから過食が唯一のリラックス方法となった。
でも、その後虚脱感と罪悪感はひどいものだ。
こんなに恥ずかしいことは二度とやるまいと誓ってはやってしまう。
人には言えない秘密を抱きながら自分を恨み、自分を滅ぼす方法を何度も考えた。
でも、過食という手軽なリラックス法を知ってしまった者には死ぬことさえ出来ないのだ。そうして十年が経った 。
彼女は変わった。未だブリミアに対する恐怖感は抱いている。
わたしに出来るのは、只聞いてあげるだけ。全てを肯定し、決して否定語を使わず、粘りつよく聞いてあげるだけだ。
自殺時の保険金について。
自殺について、ご質問が多かったので、可能な限りで回答します。
分かりやすくするため、アラビア数字で書きます。
まず、保険金ですが、契約書には、普通死亡保険1000万、定期保険特約4000万となっています。病気であれば全額だということですが自殺なら特約はつかないのか? いくらくらい出るのか? 契約してから、10年以上経過とのこと。
契約後10年以上経過している、という前提で申し上げます。
結論だけ申し上げれば、90%以上の確率で定期保険特約部分を含めた5、000万円の死亡保険金が支払われるので、すぐに保険会社に連絡して保険金請求の手続きを開始してください。
ちなみに保険金が支払われない残り10%の可能性とは、
過去に保険契約が失効し(掛金が滞ったような場合、保険の効力が一時中断することがある)、
其の後復活(滞った掛金をまとめて支払うと保険の効力は元に戻る)
したがって、復活日がお亡くなりになった日から一年あるいは二年以内の場合。
大変失礼なことですが、自殺という死因に不審な点がある場合。
第680条[保険者の法定免責事由]
以下の場合においては保険者は保険金額を支払う責に任ぜず。
(1) 被保険者が自殺、決闘其の他の犯罪又は死刑の執行によりて死亡したるとき。
(2) 保険金額を受け取るべき者が故意にて被保険者を死に到らしたるとき。但し其の者が保険金額の一部を受け取るべき場合においては、保険者は其の残額を支払う責を免るることを得ず。
(三) 保険契約者が故意にて被保険者を死に致したるとき。
は確かに其のとおりですが、其処から先があります
商法では、上記のように、被保険者の自殺について、全保険期間にわたって免責の扱いになっていますが、多くの保険会社は、約款をもって、「契約日または契約復活日から2年以内(以前は1年としていたところが多い)に被保険者が自殺したときは保険金を支払わない」旨定め、この法定免責事由を緩和しています。2年後の自殺を決意して保険に入る者はごく少ないし、其の目的があったとしても、2年以上自殺の決意を持ち続ける者はさらに限られる筈だから、すべての自殺を免責にする必要はない(健全な保険制度の維持・発展に重点を置く)と考えての措置をとる保険会社が大多数です。
お持ちの保険証券と一緒に同封されている「約款」もしくは「契約のしおり」に目を通してみてください。
「保険金を支払えない場合」というところに記載があるはずですので。
基本的に「死亡保険金」は、病気・ケガ・事故・に関わらず所定の保険金が支払われます。今回の場合は、5000万円と言う事になります。
「自殺」だからと言って、特約部分の保険金が支払われないと言う訳でもなく、「自殺」の場合は保険金が支払われるか支払われないかのどちらかになります。
要は「0か100か」と言う事です。
加入された際に、「告知」をして頂いていると思います。其の告知内容に問題がある場合は、「告知義務違反」として、保険金や給付金が」支払われない場合があります。
(例えば、加入当時に”現在、治療中の病気はありますか?”と言う告知質問に対して、治療中の病気があるにも関わらず”無い”と告知した場合など)
まずは、保険証券をご確認下さい。
そして、告知義務違反をしていない事を確認して、保険会社へ通達して下さい。
詳しい事は、保険会社の方に聞かない事にはわかりませんが、原因が原因ですので、慎重に確認されたからの通達をお勧めします。
医療における意思決定、終末期における患者・家族・代理人。
一 「事前に本人から口頭ないし書面で一定の状態になれば延命治療をしないで欲しいとの意思が表明されている場合、これにしたがって治療方針を決定すればいい」と、倫理的、法的に言えるのか。
延命を求めない本人の事前の意思に反して、家族が延命治療を求めた場合はどうか。家族の内で、意見が一致しなかった場合はどうか。
二 「事前に本人の意思確認ができなかった場合、家族らが延命治療を拒否したら、それを本人の意思の代わりとして、これにしたがって治療方針を決定すればいい」と、倫理的・法的に言えるのか。
家族の内で意見が一致しなかった場合はどうか。
三 未成年者の親権者ないし未成年者後見人の場合はどうか。
四 成年後見人、任意後見人には、どのような権限があるのか。
日本の現在の状況
高齢者医療の中で問題となっているのは、終末期において、認知能力がない高齢者に、食事介助により嚥下困難となり、経管栄養を行い、延命措置をするのか、いつするのかしないのか、した場合にでもそれをいつまで行うのか、誰がそれを決めるかという問題である。
日本では、年間約一〇〇万人の人たちが亡くなり、うち、病院・診療所で約七八%、老人ホーム、老人保健施設で約八%、自宅では約一三.五%が亡くなっている。高齢者になるほど、病院・施設で亡くなる方が増えている。高齢者の入所施設は、一般病床、療養型病床、介護療養型医療施設、介護老人福祉施設に分かれる。また、緩和ケア病棟がある。
終末期の定義については議論があるが、これらいずれの施設でも、また、在宅でも、終末期医療が課題となっている。
それには、疼痛を伴った末期状態(主としてがんを想定できる)、持続的植物状態(主として、脳卒中、頭部外傷や交通事故等を想定できる)とともに、非悪性疾患による終末期の状態の問題である。
現在高齢者医療の中で、潜在的に問題とされるのは、この最後の、また、冒頭掲げた、高齢者の方が次第に認知等のレベルが低下して終末期を迎えるにあたっての問題である。
終末期全般の問題と、今日的な問題について、患者・家族・代諾者・医療従事者間の、医療上の「決定」の問題を検討してみた。
なお、医療上の決定は、医療者と患者らとの関わりにおいて行われるものであるが、本稿では、問題を絞るため、医療者の決定に対する関わりは対象としない。
そして、そこで提起される問題は、単に「終末期の医療」にとどまらず、臓器移植・生体移植・人試料の利用をした疫学研究や、ヒトゲノム・遺伝子解析におけるインフォームド・コンセント(以下ICと略)と代諾の問題と、今医療やヒトを対象として研究を巡る問題の多くと連動していることを見失ってはならない。
日本の法の全般と解釈。
自己決定の原則
自己決定とは、他人を害さない限りで、自己の私的な事柄について自由に決定する権利、自己の判断に基づき好きなことをなしうる権利、個人個人が自ら「善い」と信じる生き方を追求する自由、といわれる。
この自己決定の尊重は、憲法一三条に由来する。四 自己決定権は、各人が自己の意思と責任において生きる前提としての、自由権としての側面(フランス人権宣言四条)のほか、それを制度的に支える社会保障を求める社会権としての側面、自分たちの世界を自分たちの意思で運営する参政権、参加権という側面、そのための情報の公開等を求めるという知る権利をも包含する、複合的な権利である。
したがって、自己決定が問題となる場面やその発現のあり方は様々であり、現在社会の様々なレベルで議論がされている。
その中でも議論が激しいのが、医療上の自己決定である。本稿で扱う、不必要・不自然な延命治療の拒否(尊厳死)、安楽死、(宗教上の理由による)輸血拒否、ICなどは、いずれも医療上の自己決定の問題である。
このような問題意識は、伝統的なパターナリズム・近代医学の人間性軽視の克服、医療のあり方の変化、患者の意識の向上等、様々な要因が関連している。そして、この問題に関連して、医師、患者モデルの新しい提唱や、ICについての新しいあり方が模索されている。
ところで、自己決定権の及ぶ範囲は広範囲に及ぶ。
日本では、この点財産管理についてのみ議論や立法が先行し、医療上の事柄については、精神疾患患者に対する意思の代行(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律)に関するだけである。
冒頭に掲げた問題については、裁判上で争われた事案も少ないこともあり、法律家はあえて火中の栗をひらうことを避けていたといえる。
患者が同意能力者である場合
患者本人に十分な意思能力がある限り、その行為能力の有無にかかわらず、患者本人が同意を与えることができると考えられている。
民法は、有効な法律行為(典型的には契約)をするには、その行為につき、通常人並みの理解及び選択能力を必要とすることを前提としている。が、明文の規定はない。
これを意思能力という。
したがって、意思能力を欠く人の意思表示は無効である。
意思能力は、六~七歳程度で備わるとされるが、行為(取引)内容により、意思能力があるかどうかは、相対的に判断される。
しかし、医療における侵襲の場面は多岐にわたり、軽微な侵襲から、患者の死を帰結する可能性のある重大な侵襲行為までわたり、おのずから、後者にはより高度な意思能力が必要とされる。
また、意思能力は、あるかないかという二者択一的ではなく、段階的・漸次的に低減・喪失されていく。
したがって、ここでの意思能力の判断は、生物学的要素(主として病状)からストレートに判断を下せるものではなく、心理学的要素を加えるべきものと考えられている。
ところで、医療における自己決定はICという形で実現されている。ICの歴史的経緯や、その分類等は別稿に譲るとして、同意は、侵襲行為の違法性阻却事由となる。
この場合の同意は、概括(包括)的同意と、個別的同意を区別しておくこと。
これは、それぞれ、医療契約締結に含まれる侵襲の同意と、その後の個別的な医的侵襲行為への同意とパラレルに考えられる。
この区別は後の、代理(代諾)の可否を検討する場合に重要なメルクマールとなる。
本人の生前の意志を尊重する制度、遺言
法律制度としての遺言は、遺言者が生前になした相手方のない単独の意思表示について、遺言者の死後に効力を認め、その実現を確保するための制度である。
この遺言は、遺言者の死亡によって効力を発生する(民九八五条一項)。遺言者が生きている限りはどのような効力も生じない。
遺言は要式性を有する(民九六〇条)。
旧法では、遺言では、相続に関する処分のほか、認知(旧民法八二九条二項)、後見人の指定(同九〇一条)も可能であった。
しかし、新法では「家」的な制度を廃止したため、遺言は相続に関連する問題を処理する方式として相当程度純化されている。
遺言は方式に従うほか、遺言でなし得ることが規定されている
財産処分(九六四、四一2)、
認知(七八一2)、
相続人の廃除(八九二、八九三)と取消(八九四)、
未成年後見人または未成年後見監督人の指定(八三九、八四八)、
相続分の指定または指定の委託(九〇二)、
遺産分割方法の指定または指定の委託(九〇八)、
遺産分割の禁止(九〇八)、
相続人相互の担保責任の指定(九一四)、
遺言執行者の指定または指定の委託(一〇〇六)、遺贈減殺方法の指定(一〇三四但書)
がある。
すなわち、遺言という民法上の制度は、「生前」に効力を有する、「自己の医療上の意思決定」に対して、これを利用することはできない制度であることがわかる。
患者の意思能力の判定
現実の医療の現場では、患者の意思能力を判定することは極めて難しい。特に、侵襲行為の重篤度等に応じて、必要とされる意思能力が相対的なものであり、二者択一的なものではなく、判断は、単に生物学的ではなく、心理的側面も考慮すべきとすると、現実の臨床で判断するには多くの戸惑いが生ずるであろう。
従前のわが国の裁判例では、人の法律的能力(意思能力、行為能力など)について、医学的診断に基づいて、画一的なかたちで、人の能力全般に対して概括的な評価を下してしまうという態度が支配的であったと評価されている。
そこで、成年後見が導入されるにあたり、最高裁判所事務総局家庭局は「新しい成年後見制度のおける鑑定書作成の手引」を作成している。
しかし、これはあくまで、成年後見制度における保護の認定の場面で、(ある程度時間をかけて行う)裁判官(審判官)の判断の補助に用いられる鑑定書の作成の手引きであって、ここで問題となっている、臨床の現場での、今ここでの医療上の意思能力の判断には、示唆する点はあっても、これだけでは現場の戸惑いを解消するには程遠い。
すなわち、臨床では、臨床的指標と法的基準とが常に一致するとは限らないし、時間的な緊急性等から第三者判断者が想定できない場面では、医療者が、与えられた時間内で、暫定的にでも決めざるを得ないし、判断能力判定の閾値が、患者の判断内容で変化する。
一致すると閾値は下がり、不一致すると閾値が上がり、患者の判断能力に疑問を持つというバイアスが考えられる。
患者が同意無能力(意思無能力)である場合
患者が同意無能力者である場合は、医療侵襲行為は、当人以外の第三者が最終決定を下すしかない。
これは、三つの問いに分解される。
1.家族に、代行権限を認めることができるのか、
2.成年後見人等は医的侵襲行為に対する代行権限を有しているか、
3.親権者及び未成年後見人は未成年者に対する医的侵襲行為に対する代行権限を有しているのか。
後見人制度の見直し。
医療の現場では、医師が自ら判断して行ってきた、患者の生命維持。
しかし、現在では、説明しないまま医療を進めるわけにはいかないし、事後に問題視されることを避けるために、説明をすることになる。
臨床現場では、患者に意思能力がある場合ですら、医師は患者本人よりも家族に方に先に診断名などの情報を提供し、治療方針も家族の意思によって決定されることが多々ある。
そして、患者本人が既に意思、認識能力を失っている場合には、家族に説明をすることになる。そこで、現場では、患者に代わって家族が、医療契約の締結のみならず、医療を受けることを代諾し、具体的な医療行為の意思決定の代行を行っている。
しかし、家族には、患者と並行して、また、同意能力のない患者に代わって意思決定をする権限があるのか、あるのならそれはどのような理由で、また、どの範囲、どのような要件を備えたものかの、家族にどのような権限が与えられるのか。
家族に権限がないのなら、臨床での現状を法的にどのように評価すべきなのか。
これまで当然検討を加えられなければならない問題について、法律家のこれまでの議論は稚拙であった。
このような問題は、既にルール作りがされていなければおかしいはずである。
家族が意思決定をする理由はいくつかを挙げることができる。
まず、家族は、本人の意思をもっともよく知っている立場にあるからだとするものである。あるいは、医療者側からは、家族の了解・同意は、その後のトラブルを避けるための実践的な方法である、また、家族が医療費の実質的な負担者であるという点が挙げられる。
しかし、これらは、実質的な理由であり、法的な説明、つまり、なぜ、家族は本人の意思の代諾権を有しているかという問題に答えていない。
推定相続人であるような家族は、本人の生命に関するような判断では、本人と利益が相反することもあり、常に本人の意思についての最善の理解者とはいえない。
家族というくくりだけで権限を導き出すことは難しい。
意思能力ある成人たる本人と親族との関係で、侵襲を伴う医療行為の選択に意見の齟齬があった場合である。
これは、宗教上の輸血拒否者の両親からの輸血委任仮処分申請事件である。
成年後見人、任意後見人による代理決定の法的可能性
二〇〇〇年に新成年後見制度が、介護保険制度と同時に導入された。
高齢化社会を迎え、意思決定能力の低下、喪失の可能性のある高齢者に対して、法定成年後見と任意成年後見という二つの制度を用意した。
法定後見の制度は、申立権者が、家庭裁判所に後見・保佐・補助のいずれかの審判の請求をすることから始まる。補助については、鑑定は必要的ではない(家事審判規則三〇条の九)。
裁判所が選任した成年後見人は、家庭裁判所が監督する法定代理人なので、その権限は、法律で定められている。
民法は、
1、包括的な財産管理権、
2.財産に関する法律行為の代理権、
3.本人が行った法律行為の取消権、
4.本人が行った財産に関する法律行為の追認権を認め、これ以外の権限は認めていない。
また、成年後見人は、「被後見人の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務を行うに当たっては、成年被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない」(民法八五八条)とされ、これが、「身上配慮義務」と言われ、後見のほか、保佐や補助にも、同様の規定がある。
「財産管理権」は、「財産の保存・維持及び財産の性質を変じない利用・改良を目的とする行為」で、財産管理に関する包括的な権限で、法律行為だけではなく、事実行為も含まれる。
例えば、印鑑とか預金通帳の保管、年金等の入金及び出金の管理、所有不動産の賃貸又は売却等がある。「財産に関する法律行為」の代理権、取消権及び追認権は、あくまで、財産に関する法律行為に関するものに限られる。
また、身上配慮義務ないし身上監護は、例えば、「医療」「介護」は、それに関する契約の締結、契約の履行の監視、費用の支払い、不服申立、契約解除等の事務を行うものに限られる。また、「介護行為」等の事実行為については、成年後見人の権限に含まれない。
したがって、成年後見人等には、財産行為としての診療契約の締結代理権は認められるが、身上監護行為としての医療行為に関する決定権ないし同意権は含まれないことになる。
しかし、これを貫くと、成年後見人を選任した意義が医療行為の場面では大きく減殺されてしまう。この点解釈論として、成年後見人に、医療契約の内容となる身体処分についても、一定範囲の処分権限(代行決定権)を認めるべきとする学説 一九 があるが、少数説である。
任意後見制度は、将来の自分の判断能力が不十分になったときのことを考えて、本人の意思で他人に後見を依頼する制度で、後見人との間で任意後見契約(委任契約)を締結する(任意後見契約に関する法律)。
この契約は、本人の判断能力が不十分な状態となり、家庭裁判所が任意後見監督人を選任した時点で効力を生ずる。後見人がどのような行為について代理権を有するかは、任意後見契約により定められる。
法は、任意後見契約を、「委任者が、受任者に対し、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分な状況における自己の生活、療養看護及び財産の管理に関する事務の全部又は一部を委託し、その委託に係る事務について代理権を付与する委任契約であって、第四条第一項の規定により任意後見監督人が選任された時からその効力を生ずる旨の定めのあるものをいう」(同法二条一号)とする。
任意後見人ができる委任事務は、公正証書による契約で定められ、原則として、契約等の「法律行為」に限られ、「事実行為」としての介護サービス等は含まれない。
具体的な介護サービスが必要なときは、任意後見人が本人の代理人として、介護サービス業者等と介護契約を締結し、その介護業者が介護を行うことになる。施設等への入所が必要なときは、後見人が本人を代理して、入所契約を締結する。
任意後見人の事務も、大きく分けて「財産管理に関する事務」と「身上監護に関する事務」に分けられる。
「財産管理に関する事務」とは、預貯金の管理、不動産の管理及び相続における遺産分割協議等で、「身上監護に関する事務」とは、本人の生活や療養監護に関する事務で、生活に必要な物品の購入契約や介護や住居や医療に関する契約等の事務がこれに該当する。
しかし、ここでも、身上監護行為としての医療行為に関する決定権ないし同意権は含まれないと解されている。
もっとも、任意後見人の権限の範囲は、法定代理人たる成年後見人とは異なり、契約に依存するので、権限の委譲が公序良俗等に反しない場合は、成年後見人より広い授権が認められる余地がある。
未成年者の親権者ないし未成年後見人の権利。
医療者は、侵襲を伴う医療行為をなすにあたって、原則として患者の承諾を得なければならない。この承諾は、患者自身の自己決定であり、医療行為の違法性を阻却する。
しかし、このような原則は、幼児や精神病患者、意識不明の患者にように、患者が承諾できない状態にある場合には、問題が生じる。
未成年者であっても、承諾(判断)能力があれば、未成年者自身が承諾を与えることができることでは異論はないが、承諾能力の内容や、その具体的年齢については、統一した基準はない。根拠を明示せず一五歳ないし一八歳、原付自転車の免許取得、女子の婚姻年齢、義務教育の最終年限から、一五~一六歳という見解もある。
他方、承諾能力を欠いている場合には、親権者や法定代理人の承諾の代行、代諾が必要とされる。未成年者に対して親権を行う者がいない場合等に後見が開始する(八三八条一号)。
後見が開始すると、後見人の選任を申し立てることができる。最後に親権を行う者が遺言により後見人を指定(八三九条)しなかった場合は、親族等の請求により、家庭裁判所が後見人を選任する(八四一条)。
後見人は、監護教育をする権利義務を有し、居所指定権・懲戒権、職業許可権を持つ(八五七条)。
代諾の根拠については親権の内容であると、一般的に考えられている。
そして、親権を行う者は、「自己のためにすると同一の注意を以って、その管理権を行わなければければならない」(八二七条)。
しかし、
1.承諾能力のない、あるいはあるという判断はどのような基準で行うのかという、成人の意思能力と同様の問題のほか、
2、両親の一方のみの承諾でいいのか、
3.親権者(特に両親)間で意見が不一致する場合はどうするのか、
4.親権者がいなく、後見人が選定されていない場合、事実上の監護者が代諾できるか
等が問題として残っている。
ほか、根本的には、成人の場合は、意思能力でいい(これは実質上七~八歳の能力)のに、未成年ではなぜ一五歳前後になるのかという疑問を残している。
このように考えると、未成年の承諾能力は、上記基準を元にしながら、生命や重大な身体への侵襲の際には、意思能力を有する未成年には、十分な自己決定をするチャンスは与えることが必要である。
具体的な意思能力のある未成年と未成年者の親権者、未成年者後見人との調整は、未成年者からの意見具申権を認める、ないし、未成年者と親権者等両者の共同決定をするということが考えられるが、未だ十分な議論はなされていない。
この点で参考になるのが、川崎「エホバの証人」の両親による一〇歳の子への輸血拒否事件だった。
事案は、昭和六〇年六月六日に、自転車に乗っていてダンプカー左後輪に両足を轢過された一〇歳の少年が、救急車で近くの病院に運ばれたときに起こった。
輸血の必要があると判断され、手術をしようとしたところへ両親が駆けつけ、自分たちはエホバの証人の信者であるから、子供に輸血しないようにと申し出た。
医師団は、両親に輸血の必要性を強く説得したが、拒否を続け、事故の四時間半後、少年は出血性ショックで死亡した。
一〇歳の少年の場合、先の規準でいけば、承諾能力がないと考えられ、このような場合、患者本人に代わり、親権者、後見人等の法定代理人が代諾権者として、承諾を与えることになる。
しかし、必要と思われる承諾を与えない場合はどうか。
わが国では、このような場合は、治療にあたる医療者が判断して、解決することを余儀なくされる。
本来、子供の法定代理人は、子供の監護について法的義務を負っているのであるから、子供の最善の利益に適う範囲で、代諾しなければならない。
もし、代諾が、そのような最善の利益に適わない場合は、親権・監護権の乱用にあたる。この場合は、医療者は、このような法定代理人の意思に拘束されず、子供にとって最善の利益というべき措置をとることになる。
この問題は、現在、臓器移植法見直しの中で、一五歳以下の臓器摘出の決定を巡って議論されている。
日本における安楽死。
昨日、日本で安楽死が問われた事件の総覧を書いた。
うち、民事事件、責任能力の問題である二つがあり、厳密には、この二つを除いた七つの判決が先例としてある。
いずれも、安楽死の成立を否定している。
安楽死は、殺人罪(専断的な安楽死)と嘱託殺人(本人からの懇請等がある安楽死)の二つの罪名で起訴されている。
なお、わが国では、検察庁は比較法的にも、慎重に起訴をしているため、起訴された事案への判決だけでは、現実の臨床でのこの問題のあり方を全部分析することはできないことには、注意が必要である。
日本尊厳死協会のLiving-Will
この点日本尊厳死協会(旧安楽死協会)は、尊厳死の宣言書(リビング・ウィル・Living Will)として、次のような内容(要式)を示している。
「私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
(一)私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おことわりいたします。
(二)但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。
(三)私が数カ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします」
しかし、この意思を示された医師が、例えばつけられている人工呼吸器を止めてしまったとき、現行法の枠組みでは、積極的に法的にJustifyをすることは難しい。
現実に、安楽死協会の宣言書に基づいて終末期の意思決定をしているのかどうかは、疑わしい。仮に意思決定しているとすると、法的問題が出てくることが予想される。
起こり得るすべての状態について、健康時に予測することが難しいこと、特に時期が近接していない場合にはその現実性に乏しいが、逆にあまり近接していると、意思能力に疑義が出るだけでなく、このような意思表示自体の法的な有効性、即ち、違法性阻却事由が、十分に議論されていないからである。
まとめとして。
以上によれば、冒頭で掲げた問いに、法は真正面から答えていないし、これまで、法律家もこれを直視してこなかった。
法の解釈論の範囲でできるところはどこまでなのか、立法的解決が必要なのか、現実に近接した問題を解決するには、立法を待てないとすると、どのような議論をして、どのような実体的な要件と安全弁が必要なのか。これらの問いは、臨床でこれらの問題を現実の問題として受け止めている方々(当然患者等を含む)と共同して考えていきたい。また、同時に、患者、家族・代理人の意思決定の問題は、終末期の医療の問題にとどまらず、臓器移植・生体移植・人試料の利用をした疫学研究や、ヒトゲノム・遺伝子解析におけるICと代諾の問題と、医療やヒトを対象として研究を巡る問題までを見据えて議論をしていくことが必要である。
日本で安楽死が問われた判決例。
(一)東京地裁判決昭和二五年四月一〇日
嘱託殺人被告事件
精神的苦痛がそれがいかに激烈であっても疾病による肉体的苦痛が激烈でない以上、精神的苦痛を取り除くため死を惹起する行為があっても、これを正当行為とすることはできない
(二)名古屋高裁判決昭和三七年一二月二二日
尊属殺人被告事件
病者が現代医学の知識と技術からみて不治の病に冒され、しかもその死が目前に迫っていること、もっぱら病者の死苦の緩和を目的としてなされること、病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託又は承諾があること、医師の手によることを本則とし、これにより得ない場合には医師によりえないと肯首するに足る特別な事情があること、その方法が倫理的にも妥当なものとして認容しうるものとなること。
(三)鹿児島地裁判決昭和五〇年一〇月一日
嘱託殺人被告事件
妻の病(肺結核・自律神経失調症・坐骨神経痛など)は現代の医学上必ずしも不治の病というわけではなく、その程度も(左右両肺に著しい癒着が認められるなど、肉体的にも相当な苦痛を伴う状況にあったことがうかがえるものの)死期が目前に迫っているというような状況にあったわけではなく、また殺害の方法としても、医学的処置によることなく、判示のような絞頚の方法によったのであるから、このような被告人の所為は、社会的相当性を欠く行為として、実質的な全体の法秩序に照らしてみても、違法性を阻却されるものではない
(四)神戸地裁判決昭和五〇年一〇月二九日
殺人被告事件
いわゆる安楽死がいかなる要件のもとで認め得るかは議論の存するところであるけれども、本件においては、
(一)被害者が現代医学の水準からみて不治の病に冒されていたことは認められるものの、その死が目前に切迫していることが明白な状態にあったとは認め難く
(二)その苦痛の程度も何人も見るに忍びないような死にまさる程激烈なものであったとはいえず
(三)被害者自身が被告人に殺してくれるよう嘱託しあるいは積極的に死を希望したものとは認められないのである。
行為がいわゆる安楽死として、違法性が阻却される場合の要件として、以上の三要件のほか、安楽死は医師の手により行われるべきこと、その方法自体も社会観念上相当と目されるものであること、などの要件の要否も議論されるところであるが、本件においてはもはやこの点について論ずるまでもなく、いわゆる安楽死としての行為の違法性を阻却される場合に該当しない。
(五)大阪地裁判決昭和五二年一一月三〇日
嘱託殺人被告事件
胃がんで激痛に苦しむ妻の嘱託をいれ、刃物で同女の胸部を刺突して即死させた被告人の行為につき、正当行為、緊急避難ないし過剰避難並びに期待可能性欠けつの主張を排斥して、いわゆる安楽死に当たらないとした
(六) 東京地裁判決昭和五七年二月一七日
文書真否確認請求事件
「安楽死」希望意思の有効なことの確認を求める訴えが不適法として却下された
(七)高知地裁判決平成二年九月一七日
嘱託殺被告事件 もともと生命の尊厳は絶対的なものであって、これを損なう行為が社会的相当性を具備してその違法性が阻却されるのは、極めて例外的な場合に限られると解すべきであろう。
(八) 千葉地裁判決平成二年一〇月一五日
殺人被告事件 実子が安楽死させられるという強固な妄想があったことなどから、実子(当時六歳)を窒息死させて殺害した事案について、心神喪失による無罪を言い渡した
(九)横浜地裁平成七年三月二八日
殺人被告事件 (東海大学安楽死事件)
医師による末期患者に対する致死行為が、積極的安楽死として許容される要件は
(一)患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること
(二)患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
(三)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと
(四)生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
因みに、安楽死に関連する刑法の条文一覧はというと。
三五条 正当行為
法令又は正当な業務による行為は、罰しない。
一九九条 殺人
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する
二〇二条 自殺関与及び同意殺人
人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の懲役又は禁錮に処する
二〇四条 傷害
人の身体を傷害した者は、一〇年以下の懲役又は三〇万円以下の罰金若しくは科料に処する
二〇五条
傷害致死 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、二年以上の有期懲役に処する
二一七条 単純遺棄
老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以上の懲役に処する
二一八条 保護責任者遺棄
老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任がある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の懲役に処する
二一九条 等致死傷
前二条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い罪により処断する
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